壁際椿事の「あるくみるきく」

東京都内在住の50代男性。宜しくお願いします。

「啾々吟」(松本清張)

2012年08月31日 | よむ

明治十一年ごろから、国会開設の二十三年までは、自由民権運動の時代である。(中略)
それは封建幕府にとって代わった新政府の専制に失望した人民の強い不平の表れであった。だから、その直接の運動体である板垣退助の『自由党』が生まれると、たちまち党員が全国に激増した。一方、薩長のために廟を追われた大隈も野にくだって、『改進党』を組織した。この両党の間には提携はなかったが、政府にとっては、一大敵国となった。

平成二十三年から、○○○の□年までは、△△△の時代である。(中略)それは自民一党支配にとって代わった民主党政権の失政に失望した人民の強い不平の表れであった。だから、その直接の運動体である橋下徹の『維新の会』が生まれると、たちまち党員が全国に激増した。一方、野田のために党を追われた小沢一郎も離党して、『国民の生活が第一』を組織した。この両党の間には提携はなかったが、政府にとっては、一大敵国となった。

『松本清張短編全集 01』(光文社)を読みました。明治時代のくだりは、同集所収の「啾々吟」の一節。読んでいて、思わず平成の政情を連想してしまいました。

内政では原発、消費税、衆院の定数、年金、貧困、お家芸の家電産業凋落などなど。外交では尖閣諸島、竹島、台頭する中国とアジア転換するアメリカ、普天間基地、オスプレイ、北朝鮮、北方四島などなど。

平成20年代の政情は△△△と呼ばれ、それは○○○が成される□年まで続く。後世の歴史家は、△△△や○○○をどのように総括するのでしょうか。

●「啾々吟」。才能に恵まれながら、自分を活かす場を得られず、悶々とする若者は、いつの時代もいます。たいていは、長ずる従い、世俗の垢にそまっていくのですが、ずっと青年のような純粋な心を持ち続けるものもいる。ピュアであり続けることが、いいのか悪いのか。自らを活かす場を得ることは、本当に大切ですね。逆から見ると、適材適所で人を使うことが大切だということです。

●「情死傍観」。報道されないだけかもしれませんが、情死が少なくなったのではないでしょうか。いや皆無になった、死語になった? 自殺者3万人時代が続いていますが、経済苦、健康苦が多く、恋愛苦は減っている。そんな気がします。男女の仲は、禁じられるほど燃える。情死の激減は、親の権勢の弱体化、当人の自由恋愛の隆盛と裏腹の関係ですね。

●「戦国権謀」。江戸幕府により、秋田・佐竹藩預かりとなった本多上野介正純。かつては権謀優れ、幕府のために働き、重用されたのに、同じ幕閣の権謀によって、旅先の秋田で捕らえられ、そのまま佐竹藩預かり(軟禁)となります。秋田で暮らすこと、ウン十年。

佐竹藩では遺体を塩漬けにして埋め、(江戸から来る)検視を待った。(中略)東条伊兵衛という者がただ一人くだってきて、簡単に検視しただけで、欧州の春をほめながらすぐ帰った。
江戸では秀忠が世を去り、家光の代になっていたから、奥州の果てで、本多正純という老人が一人死んだことなど、もはや、誰からも何の関心も持たれなかったのである。(以上流用)

「遺体を塩漬けにして」のくだり。すごいですね。鉄道も自動車もない時代だから、江戸から奥州まで、幾日もかかる。

それにしても、佐竹藩としては、すぐ火葬、または土葬し、「預かっていた正純殿が死にました」と、幕府に報告だけすればいいのでは? なぜ塩漬けまでする? 幕府は、なぜ検視する? 執念なのか、形式なのか。

本当は生きているが、「死んだ」との噂を流し、幕府を油断させ、密かに謀反の機会を狙う。そんな反撃を恐れたんでしょうね。でも、いくら若い頃は策士だったとはいえ、もう72のじいさんです。佐竹藩の人が身の回りの世話はするが、自分の部下と呼べるものは誰もいない。何を恐れることがあるでしょう。

話は変わりますが、伊豆に流された頼朝、隠岐に流された後鳥羽上皇などなど。そんな人には、きっと見張りが付いていたのでしょうね。金大中さんが九段のプリンスホテルで拉致されたのも、そんな見張りによる犯行でしょう。

話が変わったついでに、朝鮮戦争時、アメリカ軍には「冷凍中隊」というのがあったそうです。戦死者の内臓を取って冷凍にして本国に送り返すのが任務。(以下流用)「文字通りこれは野戦に連れて行く予定ですよ。それで僕らも最初から、マッカーサーは、朝鮮で手こずっているから俺らをまた連れて行くんじゃないか、と思ったんですよ。吉田(茂)さんも(そう)疑われていたんじゃないかな。だから絶対にご免だと、(自衛隊の前身の警察予備隊は)軍隊じゃないと頑張ったんですね。」(『情と理 後藤田正晴回顧録』より)

アメリカは「警察予備隊は軍隊だ」という認識で、「朝鮮半島に連れて行く」つもりだった。ところが日本の指導層は、軍隊でないと抵抗した、ということですね。

それにしても、旧日本軍では、23万人が外地でなくなり、まだ10万以上の遺体が行方知れず、と聞きます。遺体を連れて行軍するわけにもいかず、遺品をいくつか確保し、遺体は適当な場所で土葬。それが軍隊では世界共通だと思っていました。

ところがアメリカ軍には、冷凍にして本国に送り返す専門の隊があったとは! 冷凍設備は当然ながら、電気も、技師も必要です。ここにも彼我の圧倒的な物量の差が見られますね。

●「西郷札」。同書には、西郷札、或る小倉日記伝など、名作がぎっしり。いま西郷札と入力し、ワープロで一発変換されるのも、松本清張あってこそ。深大寺が観光地として有名になったのも、清張あってこそ。

話が、あっちゃこっちゃ行ってしまいました。とにかく、清張は、長編もいいが、短編もいい。

長くなりました。失礼します。