金属中毒

心体お金の健康を中心に。
あなたはあなたの専門家、私は私の専門家。

プロポーズ小作戦マイナス2

2009-09-07 05:33:33 | コードギアス
プロポーズ小作戦マイナス2
1995年 のちに黎星刻と呼ばれる赤ん坊誕生

マリアンヌ 16歳は士官学校試験に落ちた。頭が悪いわけではない。運動神経も超絶に良い。ただ、マリアンヌの生まれが庶民でさらに北ヨーロッパの血を引いていることが問題になった。頭の固い役人に腹を立てたマリアンヌは民間の警備会社に就職。そこから傭兵に転じ、ある作戦で中華に渡った。そこには運命の出会いが待っていた。

ふんずけられたタラバガニのような面相で知られる玄武だが、若いころは結構いい男でさらにとんでもないほど強かった。単純な個人戦闘家としての強さだけでなく、指揮官としても優秀でことにゲリラ戦では並びたてる者はいなかった。
玄武は名家の生まれだが、親とそりが合わなかった。その為軍人となり家を出た。その後、軍のある作戦で傭兵の身分を得て中華に潜入した。そこには運命の出会いが待っていた。


強く生命力にあふれたオスと、若く野心家で強い存在が好きなメスの出会い。
それが、交わりになるのは自然な成り行きだった。

その結果、マリアンヌは17歳で子供を産んだ。黒髪黒瞳の赤ん坊。赤ん坊は健康そのものに見えたが、問題が起きた。マリアンヌは乳が出なかった。一滴も。
そのために父親である玄武は近くの山岳民族に赤ん坊を預けた。
このときの玄武に後で引き取るつもりがあったのかどうかはわからない。
ただ多額の金品を渡している点から見て、この時点では捨てた意識は無かったようだ。

さて、傭兵として玄武の指揮下で磨かれ、名をはせたマリアンヌである。
その噂をブリタニアの某高級軍人が聞き興味を持った。
マリアンヌはブリタニア軍のスカウトを受けると、実質的に夫であり、上官でもある玄武をあっさり捨てて帰国した。このときマリアンヌは自分が産んだ赤ん坊のことなど思い出しもしなかった。

マリアンヌに捨てられて、どうもそういう方面では純情だったらしい玄武は傷心を抱えて日本に帰国。帰ってみると実家の兄が急病で死亡していた。かくして玄武は急遽跡取りとなった。さらに兄の死が応えたのか父が死亡。当主になった玄武は軍人から政治家に転じる。以降は皆様もよくご存じのとおりで、ついには息子スザクの手で殺されることとなる。

プロポーズ小作戦100

2009-09-07 04:24:58 | コードギアス
プロポーズ小作戦100

三星堂、その前身は第一次世界大戦の起こる少し前某財団の末娘が設立したトリスター社の化粧品部門。
怒りのままに斬り殺した、いや間違えた、悪しき大宦官の手先に殺された亡き尊父高亥(享年43歳)も使っていたメーカーである。
星刻はメーカーを変えたかったのだが、生憎三星堂以外のメーカーは肌質に合わない。

舌打ちしながらも星刻の手は器用に素早く動く。さんざん高亥の化粧の手伝いをさせられたからすっかりうまくなってしまった。



数時間ぶりに通信回線を開く。
この数時間で中華はすっかり出遅れた。
すでにブリタニアが仲介して平和的解決をすることはインド政府との話し合いで決まっており、ここで中華が話し合いを拒否すれば平和の敵は中華となってしまう。

星刻は軍服の上に豪華な金糸で装飾された伝統的衣装をまとい、話し合いのテーブルに着いた。華やかで美しくはあるが、重いしだらだら長いし歩きにくいので、星刻は普段はあまり伝統的衣装を着ない。しかし、今回は仕方がない。
顔色の悪さをカバーするにはかなり濃い化粧をせねばならなかった。それに合わせるとなると軍服では違和感がある。

話し合いのテーブルにはすでにインド公式政府特使、ブリタニア皇帝の特使シュナイゼル、日本の扇総理の第一秘書兼特使、そして今回の藩王連合軍の総指揮官を押しつけられた老将軍がいた。
この日、長い裾を翻し部屋に入った星刻のことを老将軍はこう書いている。
〈威厳と言い、風格と言い、まるで王侯貴族が臣下の前に現れたようであった〉
のちに明らかになる星刻の血筋を考えると、この表現もそう的外れではない。

この会談で星刻はあまり目立った発言をしていない。
そのために話し合いはインド正式政府側がリードした。
シュナイゼルはナナリー皇帝の命令のままに調整役に徹し、日本はオブザーバーの立場を守った。
結果出た結論は両軍とも平和的に秩序を守って撤退する。この撤退行動にはゼロも立ちあう。
なお、インド国内のことはインドが解決する。
インドと中華は近いうちに学生の文化交流を実施する。これはナナリー皇帝の勧めであり、ブリタニアも参加する。


こうして話し合いのもと、両軍はゆるゆると撤退を始めた。
この頃ゼロ・スザクはナナリーの要請でニコバル島を目指して飛んでいた。


さて、先の話し合いの内容を見ればわかるが、中華側は何も要求していない。本来なら、インド側の国境侵犯に対して強く出て、何らかの利益を獲るべき状況であるのにだ。
これを政治的深慮遠望と見る歴史家もいるが、事実は異なる。
椅子に座って威厳を保つだけでも星刻にはつらかった。
話し合いを早く終わらせたいのが星刻の本音であった。

このときの星刻の対応は、のちに中華国内から大非難を受けることになる。