金属中毒

心体お金の健康を中心に。
あなたはあなたの専門家、私は私の専門家。

財布6

2007-01-13 14:44:32 | 鋼の錬金術師
財布6 エピローグ 父の思い

「なんだっていうんだよぉ」
(俺はずいぶんいろいろ話しかけてやってたぞ。そりゃあなー、めったに見れないようなかわいい顔して聞いてたけど、うーんあいつにもあんな顔ができたんだな。早々とひねてうそ顔ばかりつくってやがったのに。
にしても、ひどいじゃないか、顔も覚えてないような兵隊どもに言われて正気付きやがった。)
 ここは新ゼノタイムのもぐりの酒場。まだ夜も浅いのにペルシオは背中に黒い霧のようなものを漂わせている。
「よぉ、えらく荒れてるな。 オトウサンは」
夕方、診療所を飛び出すように走り去る車にラッセルの姿をかいま見たレマックは、医師から今日あったことを聞いた。おそらくここだろうと見当をつけて来てみると案の定この同級生はグラスを重ねていた。
「子供を持った覚えはない」
あまりに入れ込みすぎるこのでかい友人に、なんとなくいつかこうなるのではと、思っていたとおりの結果があった。
「(やれやれ、独身者は免疫がないからなぁ)一人娘に駆け落ちされたような面してるな」
地下の酒場は薄暗かった。ベルシオはそれに感謝した。たぶん自分は今までで一番情けない顔をしているのだろう。
(あいつめ、アームストロング大佐の名を聞いただけで正気に戻りやがった)
レマックは勝手に隣に座った。
そうして並ぶと、彼らの身長差は30センチ以上あった。
「ダブルで」
オーダーするベルシオの声にレマックは小声でつけ加えた。
「薄くしろ」
バーテンダーも心得たもので、起用に片目をつぶる。
(そういえばこいつも最後の100件ではないけど旧ゼノタイムから来たんだな)
最後の100件それは最後まで旧ゼノタイムにとどまり、町の城門を閉めたメンバーだった。一般的には旧ゼノタイム町民とはこの100件の人々を指して言う。
時の流れは人を新しい場所に適応させた。
「俺たちはすっかりこの街(ゼランドール)の住人だな」
「なんだ、いきなり」
ベルシオは低くうなるような声で答える。
「(そういやラッセルのことがあって、相談する暇もなかったんだなぁ)
こんど市長選が30年ぶりにある」
「知るか」
「ま、そう荒れるな。実家の父としては荒れたくなるのも分るが(笑)」
「誰が父親だ」
「隠し子と言ったのはお前だろ」
「ふん、たまたまだ。あの時はそう言わなければ引き取れなかったからな」
「その実家の父に相談だが」
「誰が父かと言ってるだろ」
「帰ってきたくなる街にしたいと思わんか」
「何を言いたい」
「来年の市長選出ろ」
「俺はそんなもの知らん」
「今、内示中の市長候補は全員軍の息がかかってる。あいつらの誰が当選してもこの街は住みにくくなる」
「・・・」
「幸いと言っては語弊があるが、軍需産業ごとの利害が絡むせいで候補者は乱立している。反軍派、市民派として意見をまとめられれば勝機はある。もし、軍関係の候補が当選すれば、すぐに戸籍法がこの街に適応される。そうしたらすぐに」
「徴兵制か」
戸籍法、それは先代大総統、キング・ブラッドレイの置き土産である。
実は徴兵制そのものは70年ほど前からあった。しかし、戸籍制度が整備されていない街が多すぎるため、実質的には機能していなかった。
「俺はカイン(エリサの弟今3ヶ月)を軍人にはしたくない。それにな、知っているか?」
「何をだ?」
「錬金術師は理由を問わず、全員強制徴兵だ。あちこちで、流しの(治癒師)連中も収容されている」
「あの男(マスタング)がそんなことを?」
「お前が考えているのが誰かは知らんが、これは組織としての軍のあり方の問題だな。今の大総統、なんて名だったか覚えてないが焔の国錬の傀儡(かいらい)だろ。それに今の国際情勢から見て徴兵制を実施してでも軍事力を上げる必要があるのは誰にでもわかる話だ。ただな、勝手な話だが、俺は親としてカインだけは軍に入れたくない。本音のところこの国がどうなろうとそんなものどうでもいい。俺はただ、エリサとカインだけはオレンジ畑でのんびり育てたい」
「ま、親なんてものはそんな者だろう。別に悪いとは思わん。俺も・・・」
「徴兵制が適応されたらあいつも軍属なんて甘い立場ではいられなくなる」
「あいつらはもう国家資格者だ。関係ないはず」
「フレッチャーはそうだ。ラッセルはひっかかるぞ」
「何?」
「ノリスに頼んで軍の戸籍の下書きを調べさせた。ラッセル、お前とナッシュの子になってる」
ベルシオの身体は椅子の下に沈みかけた。だが、それどころではないと気づいて踏みとどまる。
「エリノア(ドリンガム兄弟生母)のはどうなってるんだ」
「彼女はこの地区の者ではない。もともと書類がないんだ。それに、お前のせいだぜ。隠し子なんていうからだ」
「勝手にしろ。男同士でどうやって子供を生むんだ!」
「まぁ、どっちが産んだかは置いとくが(笑)、徴兵されたら今までのような自由は効かなくなる。あいつ、ものすごい傷こさえてたって聞いたぞ」
正確にはラッセルの傷跡はホモンクルス戦のときエンヴィーに貫かれたもので、今回の戦争での負傷ではない。しかし、それを説明するわけにはいかなかった。
「今度は負傷ではすまなくなるかもしれない。
実家の父としては守ってやってもいいだろ」
「俺の責任か」
レマックはベルシオがどちらの意味で責任と言っているのか読み取ろうとした。ラッセルを隠し子と言ってしまったために徴兵制にひっかからせたことか?それとも純粋に親の責任範囲を口にしたのか?
しかし、ベルシオも簡単に読ませるような甘い男ではなかった。あるいは、本人にも分らないのか?

「責任なら掘って置く訳にはいかないな。おい、たきつけた責任は果たせよ」
「ほいほい、市長殿の命令とあらば下足番でも何でも勤めてやるさ」
「よし、後援会長だ」
口を開けたまま次の言葉の出ないレマックにベルシオがグラスを押し付けた。
「家出息子が帰る気になる街を用意してやるか」

後世にゼランドールを育てた男として〈新ゼノタイムの父〉の名を受けたアース市長のスタートは酒税法違反の地下酒場から始まった。


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財布5

2007-01-13 14:43:14 | 鋼の錬金術師
財布5

 「ここだよな。中佐の旧住所は」
「あぁ、もうここ以外探すところもないしな」
「中佐さえいてくれたら何とかなるよな」
「俺たち下っ端じゃどうにもならんしなぁ。中佐はいっときは最年少国錬(国家錬金術師)だったし頭はいいんだから必ず何とかしてくれるさ。それより帰りのガソリン代大丈夫かな。カンパの額はもう半分以上使ったんだな」
「へ、最年少って鋼の錬金術師じゃないのか?」
「中佐はそれより1個下なんだよ。知らんかったのか?まぁ、とてもそうは見えないけどな」
参考までに、今の最年少はフレッチャー・トリンガムである。
車から降りたのは3人の兵士であった。
「でもさ、ニュースとかで(アームストロング)大佐が捕まってることぐらいわかるだろ。何で中佐は来てくれないんだよ」
「知るかよ。でも、大佐が無理に休暇を押し付けたようなもんだって聞いただろ。よっぽど疲れてたんだろ」
話しながらベルをたたいた。
出てきたのは老医師であった。
兵士たちは自分たちが北の戦場に行った部隊のものであるといい、大佐をこの一方的で理不尽な軍事法廷から救うために中佐の手を借りたくて、みんなを代表して探しに来たといった。
「俺たちみたいな下っ端の声は法廷には出せないんです。中佐なら地位もあるし国錬だし、法廷でも発言できる。それに大佐にいつも大事にされているみたいに見えるし、お疲れだとは思うんですが、中佐以外の佐官はもう拘束されていて」
兵士たちは一様に疲れているように見えた。おそらくここを探し当てるのにかなり苦労したのだろう。
医師は彼らに食事を勧めると、ベルシオとラッセルの帰りを待った。
(これは、いいきっかけだ。おそらく、彼らをきっかけに正気に戻るはずだ)
医師には確信があった。その根拠はヒーラー著の『原自我学説』であった。読んでいるうちに気づいたのだ。そこに書かれた幼児期及び少年期に何らかの障害があった場合の例というのはラッセルのことだと。そして成長後でも原自我に対する不足を補える場合もあると。その対象は個人により異なるが…。老医師の見たところ、ラッセルにとって補ってくれる相手の条件はまず自分より大きく強い人であるらしい。すなわちベルシオであり、そして、おそらくルイ・アームストロング大佐こそがその人なのだと。
ドアを開けて入ってきたラッセルは青い軍服を見るなり、ベルシオの後ろに隠れた。ベルシオもはっきりと警戒心を見せる。それは小さい子供を抱えた肉食獣の親の警戒心。
兵士たちはそんな二人に臆したかのような戸惑いを見せた。
「ラッセル、部屋に戻るんだ」
「ベルシオさん、決めるのはラッセル君でしょう。いくらあなたが親のような存在とはいえそこまで決めるのは行き過ぎでしょう」
老医師がたしなめるように言う。
「先生、しかしこいつはまだまともな飯も食えないんです。軍に返すわけには、いや、こんな傷を負ってまで軍にいさすこともないんだ。こいつなら国錬を辞めてでも治癒師の技だけでも十分やっていける」
医師は兵士たちを視線で促した。
「中佐、お願いです。アームストロング大佐を助けてください。このままでは軍事法廷が開かれてしまう。中佐しか大佐を救える人はいないんです」
ぴく。ラッセルがわずかに動いた。
たいさ、ラッセルの唇が動いた。
いけそうだと医師は見た。
もし問題があるとすれば、それはおそらく
「ラッセル、部屋に戻ってろ。聞くんじゃない。これ以上傷つく必要などないんだ」
あ、…。ラッセルの動きは止まった。
医師は目線で兵士たちに即した。
「中佐、ルイ・アームストロング大佐を助けられるのはあなただけです」
「ルイ・・・」
2週間以上なにひとつ言わなかった彼が呼んだ名。それはベルシオの名ではなかった。
「ラッセル・・・そうか」
ベルシオは無言で外へ出た。
「ルイがあぶない」
「中佐?」
兵士たちの視線を避けさせるように老医師はラッセルの手を引くと手近の診察室に押し込んだ。
おそらくその部屋から自ら出てくるとき彼は自分を取り戻しているはずだった。しかしプライドの高い彼にはその姿を人目にさらすこと自体耐え難いはずであった。
老医師はうっかり忘れていた。午後の診療時間でいつもの年寄り組みの患者たちがその部屋でおしゃべり中なことを。
「おや、大きい先生もう大丈夫なのかい。うん、顔色もましになってるね。爺さん先生はお休みかい。まぁわたしゃじいさんより若い先生に手を取ってもらったほうがいいけどね。しわも伸びるわいなぁ」
「診る?」
ラッセルの言葉はまだあいまいであった。
「ぼうや、まだ?まだみたいだね。でもまぁこの年寄りの神経痛くらいみておくれよ。あんたが手を取ってくれたらそれだけでも痛くなくなる気がするよ。ぼうや」
ラッセルは出された手を反射的に取った。
「先生、痛いからさ、いつもの痛くなくなるの打ってくれないかね」
それは、ラッセルの得意技のひとつの鎮痛の錬成陣のことだった。彼の手は老女の手をさすった。そして、・・・青い光が部屋を満たした。
「一週間は痛みませんよ」
彼は営業用の穏やかな笑顔を浮かべた。
「ぼうや、直ったんだね。あぁよかった。ベルシオも喜ぶだろ。みんなにも知らせてやらなくちゃね」
老女は曲がった腰を伸ばして精一杯の早足でかけて行った。

ラッセルはゆっくり椅子に座った。ここ2週間ほどの記憶はいくらかぼやけているようだがきちんと覚えている。
(俺、ずっと子供だった。べルシオさんの子供みたいに。風呂にも入れてもらって。え、うわぁ!だめだ。当分、どんな顔でも会えない。先生に伝言だけ頼んで落ち着いてから話に来よう。あんなとこもこんなとこも見られたんだ。俺、一生分の恥ずかしさ使い切った気がする。あ、そうだ。先生に頼む伝言は・・・)
ドアを開け兵士たちに向かい合う、彼はもう中佐の顔になっていた。
老医師は元軍医だけに時間を無駄にしなかった。ラッセルが頭を抱えて赤くなってる間に帰りの食料やガソリンの手配を済ませていた。ここに来たとき以来触ってもいない青い軍服を兵士の手から受け取ると彼はもう軍人の顔になっていた。
ベルシオが家の中のどこにもいないことにむしろラッセルはほっとした。どんな顔をしていいかわからなかった。しかし、言う言葉だけは決めていた。医師に町の人々への感謝とまたしても勝手に出て行く事の謝罪の伝言を頼み、さらににやっと笑ってからベルシオへの伝言を頼む。
「風呂上りに座り込んだりはしないから安心してください」
伝言を済ませるとここにはいない人に声をかける。
「いってきます。お父さん」


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財布4

2007-01-13 14:42:26 | 鋼の錬金術師
財布4

「おい、風呂入れるから来い」
ベルシオが呼ぶとラッセルは振り向いて笑った。だが、反応はそれだけだった。
医師は今のラッセルの状態を『原自我学説(タイム・ヒーラー著)(財)アームストロング出版』なる精神論をつかって説明してくれたが、医師でさえも専門外でよくわからないところもあるいう精神医学上の命題を学の無いべルシオが理解できるはずは無かった。べルシオにとっては夜になるとまだ発熱を繰り返す坊やの健康と今日はやわらかめのゼリーしか食べなかったが、明日はどうにかしてかゆやシチューも食べさせようという現実的な子育ての問題のほうが重大であった。
 (まったく、前には一度もこんなかわいい顔は見せてくれなかった)
「お前が大きくなるのを見ていたかったな。あんな小さいのがどうやってこんなに大きくなれたんだ」
ベルシオが知っているのはまだ首も据わらない赤ん坊のときだけ。その後はいささか苦い思い出だがニセ国家錬金術師として姿を見た。しかし、そのときには、エドの名であったしあの小さな赤ん坊とすらりと背の高い少年の姿は重ならなかった。
服を脱がす。いつ触れても冷たい体に熱めのシャワーをかける。
熱いのは嫌いらしく、ラッセルはあとずさる。
「こら、シャワーぐらいちゃんとしろ。
よし、帰ってきたときより肉付きはましになったな」
帰ったとき、そう自分で言いながらべルシオは考えた。では、ここが彼の家なのか?と。

簡単に握りこめる腕をまず洗う。
「ナッシュと同じくらいしかないじゃないか。これであんな大男をのしたんだからな」
ラッセルの胸の中央には赤黒い大きな傷跡があった。背中のほぼ同じ位置に同じ大きさの傷跡がある。
そのわきに明らかにメスの痕とわかるまっすぐの傷。肺のオペの痕跡である。
骨が透けそうな白い胸をなるべくそっと洗ってやる。それでも当たってしまいそうなので、べルシオは片手で傷跡を覆い隠そうとした。しかしベルシオの大きな手でも傷跡を覆い尽くすことはできない。
「こんな大きな傷こさえやがって、ナッシュが見たら卒倒するぞ。あいつは血を見るだけで倒れるようなやつだったからな」
「もう危ないことはするなよ」
軍人として戦場に行ったであろう彼に、言っても仕方のない言葉をかける。
ラッセルの視線が何かを追いかけた。つられてベルシオも追う。小さなシャボン玉が飛んでいた。
「気に入ったのか。おまえにもあんな遊びをしたころはあったのか」
 さらさらと銀髪は何の抵抗もなくベルシオの手の隙間をすり抜けた。
(細い。癖のなさは前と同じだが。髪の質まで細くなってるのか)
「17才か、そろそろ大人の体格になる時期だろ。お前はいつまでも細いな。身長が止まったのもあの時期からか。生体への連続練成というのはよほどきつかったのか」
 湯船の前まで連れて行くがラッセルは動かない。仕方なく先に入って手を引いてやる。
「軽すぎだな。セントラルにはお前の食えるものはないのか。肉も魚も食わないからこんなに軽いんだぞ。お前、自分では好き嫌いはないなんて思ってるだろうが、好きはないが嫌いは多すぎるんだ」
湯音を上げてもラッセルの身体はいつまでも冷たい。そのうちにベルシオのほうがのぼせかけた。
(だめだ、こいつが温まるのを待ってたら100年かかる)
湯船からあげるとそのままペタリと床に座り込んだ。温まっていないようでも湯あたりしていたのだろう。
「おまえなぁ、軍にはその手の危ない奴が多いって聞いたぞ。そんな危なっかしい姿で座り込んでたら襲われるぞ」
内容がわかっているとは思えないが、(わかっていたら怒るだろう)べルシオが声をかけると笑ってくるようになった。それがうれしくて、ベルシオは何でもいいから声をかけていた。

医師はラッセルが戦闘能力を示したと聞き、そこまで回復したならセントラルに連れて行って専門の精神科医に見せようと言い出した。医師には軍の中でのラッセルの立場も気になっていた。さらにペルシオにはまだ話していないが薬の問題があった。ラッセルが身に着けていたカプセル剤は15粒であった。薬はあと3日分しかない。医師はベルシオに黙ってセントラルに電話を掛けていた。セントラルの紅陽荘の医師によるとラッセルの命の保持のためにはその薬は欠かせないという。しかも、カプセル剤は本来の使い方に比べ効力が薄く、早く本来の薬を飲ます必要があると言う。ベルシオはまるで小さな子供でも育てているかのようにラッセルを扱っている。ラッセルもそれに答えるようになついているようだ。ラッセルの精神的な退行は戦場でのショックが原因であろうが、退行したままなのはベルシオの存在が大きいのではないかと医師は考えていた。
 ここまで回復したなら、あとは何かきっかけがあれば元に戻ると医師は見ていた。そして、そのきっかけはセントラルの方向からゼノタイムを目指していた。


今回まではベルシオさんの父子手帳より写し取りました(笑)


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財布3

2007-01-13 14:40:53 | 鋼の錬金術師
財布3

 ラッセルが(ゼランドール市)ゼノタイムに来て二週間が過ぎた。点滴を取替えに来た医師はいすの上で居眠りしているペルシオと空っぽになっているベッドを発見した。
(またか。いったい何を探しに行っているつもりなのか)
裸形のままペルシオに連れ帰られてから3日間、ラッセルは浅い眠りと家の外まで響くような悲鳴を繰り返していた。なにひとつ食べることもできず、無理に食べさせてみたが30分もしないうちに全て吐いてしまった。ようやく少しずつ眠るようになったと思えば今度ははだしのままふらふらと外へ出てしまった。
 最初の数日はベルシオがすぐ見つけた。しかし、次第に遠くまで行くようになると、ベルシオ一人では探しきれなくなった。血相を変えて狭い路地を走り回るペルシオに旧ゼノタイムから一緒に来た男が声をかけた。
「ベルシオ、隠し子でも探してるのか」冗談交じりの声だったが血走った目で見返すペルシオにわけありと気づく。
この時点でベルシオは秘密にしておくのも限界と悟った。ラッセルの行動範囲は体力の回復とともに広くなっている。しかし、精神の回復は、遅かった。医師によると今の彼は五才児程度の意識しかないと言う。しかも、あの目立つ容姿である。どこかでトラブルに巻き込まれては、判断力がないだけにどんな大事になるかわからない。部屋に閉じ込めておけばよいのだが、錬金術の腕は変わらないらしく鍵をかけても無駄だった。
「回覧を回してくれ。ラッセルが危ない。(いや、あいつとかかわるやつが危ないと言うべきか)」
「ラッセル?帰ってたのか。あ、お前の隠し子の話、ラッセルのことだったのか」
「細かいことは言えないが(俺も知らんしな)あいつ、今ちょっとまともじゃないんだ」
「回覧ならすぐ回すけどどう書くんだ?」
「ラッセルを、いや銀髪銀目に身長175センチの細身の17歳を見かけたら、近づかないで俺に連絡してくれ」
「よし。え、銀髪?金だろ」
「いや、銀だ」
「その辺もわけありか。とにかく銀だな」
旧ゼノタイム系の住民の結束は固い。100件の家に回覧が回るのに10分しかかからなかった。
ラッセル発見の知らせを持ってきたのは7歳のエリサであった。
見つけたのはある家のばあさんだった。色盲の彼女には金も銀も関係なかった。広場の壁によりかかってしょんぼりしている彼を見て、すぐに坊や先生と気づいた。もともとラッセルは旧ゼノタイム時代からばあさん連中のアイドルだった。
『あの意地っ張りとイタズラを隠してるつもりのとこがかわいくてねぇ』
50代60代のばあさん達にはラッセルの大人びたところもかわいいの一言で済まされ、ゼランドール市時代の夜中の喧嘩騒ぎも坊やのイタズラに見えるらしかった。
すぐ迎えに走ったベルシオが見たとき、坊やはイタズラの最中だった。
壁に寄りかかりうつむいたままの彼を3人の性質の悪そうな大男が囲んでいる。
「危ない、逃げろ」
思わずかけた言葉は後になってみればどっちにかけたのか判らなかった。
ラッセルの姿が見えなくなった。貧血でも起こしたのかと、足元を見てみるとそこに伸びているのは大男3人である。ラッセルはというともとの壁に同じように寄りかかっている。
(こいつ、軍で鍛えたのか。前どころではないな。強さに無駄がない)
「ラッセル、帰るぞ」
あやすようにやさしく呼び手を引いた。
「ベルシオ、坊やはいったいどうしたんだい。そんなにやせさせて、ちゃんと食べさせなきゃだめじゃないかい」
ばぁさんはそもそも彼が帰ってきていることを隠していたこと自体、不満のようだった。
「悪いが話しは後だ。こいつを休ませないと。あ、見つけてくれてありがとうな。エリサも良く知らせてくれたな。悪いがみんなに見つかったと伝えてもらえるか」
「おじちゃん、おっきいせんせい何もお話してくれないよ。どうして?」
「少し、具合が悪いんだよ。みんなにもそう言っといてくれ」
その夜、ベルシオはレマックを始めとする旧ゼノタイム系住民の質問攻めにあった。不思議に住民の質問は何があったではなく、何を探しているかに集中した。どうやら医師が先にリバウンドの一言で説明していてくれたようだった。
「オレンジ畑だよ」
いつ入ってきたのかエリサが足元から答える。
「だって、前のゼノタイムだったら、ここからあの広場のところにオレンジ畑があったよ」
「そういえば、昔見たことあったな。あっち(旧ゼノタイム)にいたころ、ラッセルが夜中にオレンジ畑に立ってたのを。暗かったからはっきりしなかったんだが泣いてたよ。偶然だったけど悪いところ見た気がして、こっそり帰ったんだ。なぁ、あいつ泣きたいだけじゃないのか」
ラッセル本人が答えられない状態である以上、結論が出るはずは無かった。いや、話ができる状態なら、彼は誰にも悩む姿など見せなかっただろうから、いずれにせよ結論は出なかっただろう。


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財布2

2007-01-13 14:39:21 | 鋼の錬金術師
財布2

(いつまで閉じ込めているつもりだ)
ルイ・アームストロングは開かれるのを忘れたかのようなドアを睨み付けた。北の戦場から生き残った部下を連れて『逃げた』のは4日前。あれほどの乱戦にしては負傷者も死者も予測より少なかった。そして、…ブイエはどう手を回したのか指揮官であったアームストロングを敵前逃亡と敗戦の罪状で逮捕した。他の佐官も取調べを受けていた。事情を知った兵たちは自分たちが無事に帰れたのは指揮官殿の奮戦と先生達のお陰と訴えたがことごとく退けられた。
(あの子はアース殿のところに着いただろうか。こんなことならばせめてどんなに嫌がってもブロッシュを付けてやるべきだった)
 セントラルに戻る汽車で、当初ラッセルは疲れを見せようとしなかった。他の佐官が眠った後も部下たちの様子を見て声をかけて回るアームストロングに従い、全車内を巡回し傷の痛みを訴える者には『申し訳ないが治癒まではできない』と言いながら鎮痛の陣を打っていく。
『あれだけの大技を使って、お疲れでは』と気遣ってくる兵には席に戻ったら休むからと微笑して答える。後ろに従うブロッシュを含め狭い通路を歩む彼らの指揮官たちの姿は、遠く海の向こうの国に有るという守護神像に見えた。
コバーメントに戻ってからも彼は休もうとしない。報告書を下書きしだしたルイの前でしっかり持ってきたダムダム弾の分析を始めた。
(この新型弾をあの国があれほど大量に用意できるはずがない。どこかの国が後ろで糸を引いているはずだ。金属の分析は無理だが、火薬の組成が読めれば出所が判るはず)
「ラッセル、もう休むんだ」
ルイが奥の簡易ベッドを指す。さすがのブロッシュもここへ来てすぐ眠っている。
「昼寝したせいか眠くなくて」
紅茶のカップをルイに差し出しながら答える。
(神経がまいっているな。大技を使わせたせいもあるが)
ルイにも覚えのある症状である。あのイシュヴァール殲滅線の後、彼は半年近く廃人同様になっていた。彼の治癒に手を尽くしてくれたのは妹とヒーラー(錬金術師専用の精神科医)であった。
「この弾の出所が判れば報告書にも加えられます」
「確かにこの戦場はなにか異常だった。まるで、何かの実験をされたようだ」
「そうです、はたしてどのレベルの陰謀…失礼」
ラッセルは慌ててコバーメントを出た。激しい嘔吐感が急にのど元まで競りあがってくる。洗面所にたどり着くどころかドアを閉めるだけで精一杯であった。
すぐにドアを開け追ってきたルイが見たのは床の上に数滴の黒い血とその脇で座り込む子供。
「ラッセル」
「すいません。酔ったみたいです」子供は明るすぎる笑顔を向けてくる。
「もうよいから休むんだ」
「大丈夫です。それより大佐がおやすみになって下さい。何かあったら起こさせていただきますから」
「眠るんだ」
子供の口調が余りに形式的なのに神経が切れかけているのを確信する。
「平気です。眠くないし眠れそうにないし、それにねむりたくない」
自分で言いながら、ラッセルは自分の言葉に戸惑う。
(ネムリタクナイ、ナゼ、コワイユメヲミルカラ、ソノママヒキズリコマレルカラ、ダレニ?)
「ラッセル、考えるな」
『誰にだって、決まっている。お前が一度助けてすぐ殺したもの達が、もう一度直してくれとお前を呼んでいるぞ』
誰かの声がラッセルには聞こえた。
「わかった。すぐ行くよ」
立ち上がりかけるが力が入らない。それに誰かに抱きとめられている。
「大佐。手を離してください。私を呼んでいます。行かないと」
「呼んでいる、だと。誰も呼んでなどいない」
「呼んでいます。ほらあのドアの向こうで」
ラッセルの指差す先には非常口がある。
なぜか鍵が故障しているのかがたがた揺れている。

そのときラッセルはある筈のないドアの向こうを見た。治癒を終えた兵が銃を手にする。外へ出て一歩目で飛んできた弾に胸を打ち抜かれる。
「俺はあの人をもう一度苦しめただけなんだ」
「ラッセル、落ち着け。誰もおりはせん」
「俺のやったことはあの人にとって何にもならなかった。あ、そうだ。今からでも行かなければ」
「ばかもの!どうしても行きたければ我輩の腕を切り落としていけ」
「私は治癒者です。誰も傷つけるわけにはいきません」
「行きたければ切れ」

言い争う声を闇に潜み聞くものがいる。
(ニエには傷をつけたくない。手を貸すとしようか)
コバーメントのドアが不意に開けられた。
黒髪黒目の兵がいきなり入ってくる。
「突然失礼いたします。先ほどご様子がおかしいように見受けましたので、私は第5小隊のプライドと申します。プロではありませんが心理療法士です」
「なに」
「診させていただいたほうがいいのでは」
「う、うむ。」
アームストロングはこの兵に見覚えはなかった。しかし、もともとすべての兵を覚えているわけではない。

ルイ・アームストロングのもとにぐっすり眠るラッセルが返されたのは30分後であった。
後にアームストロングはプライドと言う兵を探したが退役兵名簿に名のみが記されるだけであった。

人が目にすることのない闇の底、薄いドアをはさんで人ならざるモノが語りあう。
「プライドはニエを気に入ったようですね。」
「ずっと見ているとかわいいものだ。ラース、君が焔の錬金術師を手に入れたがるのもわかってきた。ヒトの中にはわれらの目で見ても興味深い者もいる」
「合理的ですね、プライドは。ニエを育てるのはお父様の目的にも適う」
「いずれ同じ鎖につなぐとしても途中を楽しませてもいいだろう」
「やさしいことですな。大兄(タイケイ)」
「どうだろうな」


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財布1

2007-01-13 14:37:49 | 鋼の錬金術師
財布1

アメストリス軍には大きく分けて二つの軍がある。ひとつは正規軍。普通に軍というときはこれを指す。もうひとつは軍団兵群。これはアメストリス建国以前からの地元軍の名残であり正規軍に対してある程度独立している。兵はすべて地元民であり、軍の費用も地元負担である。その代わりに地元の治安維持からどぶさらい、お祭り運営まであらゆることに使われる。兵のほとんどが地元の名士の子息である場合もあり、そういう土地の軍団兵団は社交クラブ化している。つまり個々の差が激しいのである。
 ここゼノタイム(ゼランドール市ゼノタイム地区)を管轄する軍団兵団は比較的軍としての形を守っていた。
今はマスタングが派遣した医師の運転手件助手をしているベルシオのもとに軍団兵団からの呼び出しが来たのは、ラジオが夕方のニュースを流し始めたころだった。
―北方国境戦で新型兵器を持つ敵軍をマスタング准将率いるセントラル軍が見事に撃退いたしました。なおこの戦線の負傷者は…いくつかの名が読み上げられた。…以下軍属でラッセル・トリンガム。
「なんだと!」
ペルシオはラジオのボリュームを上げる。しかしラジオは次のニュースに変わっている。
(そんな、あいつが戦場だと、しかも負傷、負傷っていったいどれぐらいの、こっちに連絡できないぐらい悪いのか?)
「べルシオ・アースだな。軍団基地への出頭を命じる」
花屋の息子の兵が書類を棒読みした。花屋の親父は息子が兵になったお陰で字が読めるようになったと喜んでいた。しかし、こんな物を読むだけなら字なんて読めなくていいとべルシオは思った。
「だから、おっちやん。僕と一緒に来てよ」
書類を手から離すと兵は花屋の息子に戻ってしまった。
べルシオは軍嫌いであった。それなのに大佐や少佐クラスの軍人に知己が多いのはひとえにトリンガム兄弟のせいであった。
「俺は軍団兵に用事は無い。それどころじゃないんだ。帰れ」
兵のにきび顔がたちまち泣き顔になる。
「えー、来てくれないと僕困るんだ。それにさーおっちゃんの名前の入った財布持ってるやつが捕ってるんだ。細くてきれいな顔したやつ、あ、髪の色が同じならラッセルに似てたな。遠くからしか見てないけど」
「髪、何色だ」
「銀だよ」
「案内しろ、早く (どうなってやがる。あいつめ、またトラブルを起こしたのか)」

案内されたのは地下の牢獄。薄暗い光の中でも冷え切った床に裸体で転がされているのがラッセルなのはすぐわかった。その背にあきらかにわかるムチの痕も。
「知り合いか?」見張りの兵が尋ねる。
あやうく、名を呼びかけたべルシオはこの状況を考えた。
「(本名はまずいな)私の息子です」
「名前は?」見張りの兵が書類を書いていく。
「ナッシュ」なにげなく、友の名が出た。
「こいつは,旧ゼノタイム地区に侵入した。今洗浄を済ませたところだ」
「つれて帰りたいのですが(こんなところに置いておけるか!)」
「その前に荷物を確認してもらおう」
出されたのはなんとなく覚えのある古い本。
「(あ、そういえば昔ナッシュがこの本に書き込みしてたな。)うちにあった本ですが」
「強情なやつでな。まるっきり何も言わん。ではこれを取りに入ったのか?」
「母親のものでした」嘘であったが、この際どうでもよかった。
「べルシオ・アースは独身となっているが」
「これは私の隠し子です」
「ふん、もっとしっかり教育することだな、口の利き方のなってないがきだ」
「申し訳ございません。隊長さん」べルシオはあくまでも低姿勢を通した。ラッセルがその気になれば軍団兵の司令の首ぐらい飛ばすのは簡単なはずだ。それをしていないのは何か理由があるはずであった。

洗浄済みの服はぐしょぬれであった。とりあえずコートに包んでやり意識の無いままのラッセルを家に連れ帰った。同居人の医師に手伝ってもらい服を着せすぐ点滴をつなぐ。
「17歳でしたね。いったいどんな生活をしたらここまでやせれるんです。とにかく少なくとも10日は安静にさせて、きちんと栄養のあるものをしっかり食べさせて、余計なことは考えさせないように」
さすがの医師もラッセルのやせ方にはため息しかでないようだった。
「過労に睡眠不足、栄養失調、かなり悪性の風邪も引いてますから油断すると肺炎を起こします。それに、・・・リバウンドですね。心臓がかなり弱っています。ただ、この人の場合薬もうかつに使えませんので」
今夜はついていましょうという医師に感謝の言葉を述べながらも、べルシオは私が見ているのでと言い切った。
べルシオのポケットの中には小さな黒い財布があった。しっかりと握り締められたであろうそれはラッセルの細い指のあとがついている。彼は軍団兵に捕らえられたときこれを握り締めていたという。
(ラッセル、偶然かもしれないがこいつを握ってお前は俺に助けを求めたのか?まさかな、誰かに助けを求めるようなかわいらしい性格はしていないな、お前は。いいさ、大事な隠し子だ。俺にできることは何でもしてやる)
黒い財布、それは一年と少し前もぐりオペが発覚し憲兵に追われたとき、セントラル行きの急行に飛び乗ったラッセルに窓越しに押し付けたもの。すぐ、動き出した汽車を追いかけるように窓越しに怒鳴った。
『まともにメシ、食うんだぞ!』

次に会った時、ラッセルはもう軍の中佐だった。リバウンドの為、体を悪くしていた彼を怒鳴りつけてひっぱたいたのをべルシオははっきり覚えている。しかし、そのときでさえ今ほどやせてはいなかった。あの時、べルシオは財布のことなど忘れていた。

そして今財布はべルシオのポケットに戻っていた。それはもう20年近く前ナッシュが送った物だった。


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嘘つき4

2007-01-13 14:36:06 | 鋼の錬金術師
嘘つき4

(奇跡の使い手か、ずいぶんと大げさな名と思ったが、噂以上ということもあるものだ。しかし、)
老医師はコーヒーの紙コップを片手に負傷者の腕を切り、銃弾を取り出す。
「ち、まずい入れ方しやがって」
まだ動ける衛生兵がラッセルのところにもコーヒーを運んでくる。ラッセルの表情にはっきりと怒りの色があった。パシャン。紙コップはそのまま床に落とされた。
「おい、中佐さんよ、俺達が倒れたらこいつらの手足を切るやつがいなくなる。少しは落ち着け」
老医師は初めてラッセルに声をかけた。ラッセルはようやく振り返る。わずかに動くだけでも体が重い。
(妙だな。体重は減っているのだから、軽く感じるべきなのに。・・・重い・・・)
もう何千の銃弾を抜いたのか、何百の傷をつなぎとめたか分からなかった。それなのに銃弾の種類がガノン弾であることは分かっている。最近開発されたばかりのその弾は急所に当たらなくても衝撃で肉をつぶし内臓を傷つける。殺傷力の高さで有名な弾。(この新型弾をこんなに大量に使えるとは?)敵軍にその余裕はなかったはずであった。
ラッセルの意識は分離しかけていた。いつもの冷静さと、自分自身に対するぼんやりとした意識と。
「衛生兵次を」
機械的に小さくつぶやく。次第に声を出す余裕が無くなってくる。背に打ち込まれた『命の錬成陣』の力は無限といってよいが、使い手のラッセルの体力には限界がある。
(熱い)
背にかなりの熱気を感じる。悪い兆候であった。あの最南端基地での暴走の折も最初は熱さを感じることから始まった。
「おい若造、コーヒーでも飲んだらどうだ。血が混じっているかもしれんがな」
老医師は笑うと紙コップを置いた。うめくことも無くなった重傷者に赤い札を置く。赤い札、それはもうこいつは無駄だから次を入れろという合図。ラッセルにはその札を置くことだけはできなかった。患者が生きているのにあきらめる。それは患者を殺すことだと彼には思える。入ってきた衛生兵が赤い札を見て機械的にテントの外へ出した。ラッセルは思わず目を閉じた。
「アメストリスの一番新しい英雄とやらは後方は初めてか」
揶揄するような言い方にラッセルの表情がはっきりと怒りを示す。ポーカーフェイスを保つ余裕は無くなっていた。
「表も地獄だろうが、ここはここで地獄だ。なにしろ殺すやつは何も考えてくれん。もっときっぱり殺してくれたらこっちも楽だが、半端に殺しやがって。こっちは命に見切りをつけるんだ、やってられるかよ」
医師はまた赤い札を置いた。また一人外へ出された。赤い札を置かれた時刻が正式の死亡時刻になった。
深いしわが刻まれた医師の表情は読めない。
(この人も苦しんだのだろうか)
「中佐さんは赤札を置けんようだな」
また、赤い練成光が輝いた。
「簡単な算数でな。一人助ける手間と時間に二人助けられるならそっちの方が優先だ。ここ(戦場)では重傷者が後回しだ。まぁ、お前さんのように20人もまとめて治せるならまともな戦場なら少しは余裕もあるだろうが」
「・・・」
「英雄殿は軍医風情とは口も利く気はないということか。(いや、それならそれでいいが、あの時のあいつのように壊れた後?なのか)」
「(これは)まともな治療法ではありませんから」
「ほう、(まだ話せたか)おいこっちでしばらく座れ。(これでは死んでるやつらのほうが生気があるな)生体への練成は体力勝負らしいな。昔組んだ治癒屋が言っていたが。あきらめの悪いやつで、医者、いや軍医なら赤札を置いて終わるような患者を次々に治した。(結局あいつは隔離病棟で自殺した。この年になってから、思いださすとは・・・まったくいやな若造だ)」

「トリンガム中佐、大佐がお呼びです。本部へ出頭して、」
切り落とされた手足にけつまずきながら,ブロッシュは若すぎる上司を呼んだ。転がされた手足を赤い練成光が照らした。
(これは、まずい。もう背の陣まで使っている。まだまとも、だよな?)
銃を手に出て行く兵士たちをはっきりしない視線で見送ったラッセルはブロッシュのほうを振り向こうとはしなかった。
「中佐・・・?、ラッセル君、(来るのが遅かったのか)」
ラッセルの目にはゼランドール市が見えていた。『もろい、ヒトなんてモノはどうしようもなくもろい!』ゼランドール市で幾度か遭遇した黒髪のちびの化け物の声が聞こえてくる。
(あぁその通りだ、化け物ども。ヒトの命は10グラム足らずの鉛弾で無くなる。それでも、だから、俺は人をあきらめない。)
また目の前が白くかすむ。(俺は絶対にあきらめない。エドを助けるために俺は奇跡の名を得たんだ。だから、エド、お前はいきていてくれ…)
むしろブロッシュの声をきっかけにラッセルの思考は混乱し始めた。この時点ですでにエドワードは奇跡のバーゲンセールとしか言いようのない1ヶ月間によって健康な肉体を取り戻していた。低下した体力は急には戻らないが、エドの性格からいってそれも時間の問題だった。
バシン
乾いた音が響いた。(ごめん、ラッセル君。でも早く正気に戻さないと困るんだ)
ブラッシュにひっぱたかれたラッセルはベッドに半分体重を預けるようにしながら幾度か瞬いた。
「痛」
「早いとこ正気に戻ってください。これだから(アームストロング)大佐がどうしても呼んでこいというわけですよ。とにかくすぐ来てもらいますから。先生、後はおねがいします」
「見切りをつけるのが軍医の仕事だ。せいぜい(赤札を)配ってやる。おい、そいつはもう連れてくるな。壊れるところは一度見ればたくさんだ」
「そうします。さっ、急いでください。作戦会議が始まります」
最初は返事もしなかったラッセルに、それでもブロッシュは話しかけ続けた。内容などなかった。会議室まであと少しの距離まで来たときようやく返答があった。
「今更、何を話し合うつもりだ。全滅か降伏か、決めるだけだろ」
ブロッシュに引きずられるように歩きながら、ラッセルは皮肉めいた言い方をした。
「やれやれ、そういう口が利けるならまだ大丈夫ですね。赤い練成光を見たときはもうだめかと思いましたが」
「少しは自分でも操作できますから」
「心臓の陣を利用してでしょう。マルコー先生が泣きますよ」
先天障害のあったラッセルの心臓に脱法治療ともいうべき生体長期適合型の練成陣を打ち込んだのがマルコーであった。
「世代ごとの見解の相違というものですね。使えるものを合理的に利用するだけです」
「ラッセル君のそのやり方に(アームストロング)大佐がどれだけ神経をすり減らしているかたまには考えて下さいよ」
ラッセルは何か言いかけたが、話題の相手がルイでは反論は出なかった。
(あの人にだけは・・・)
ルイのことを考えている横顔にブロッシュの視線を感じた。さらりと前髪をかきあげる。
ラッセルの表情にいつもの、もうひとつの皮膚と言うべき穏やかな微笑が帰ってくる。
「(この顔を造れるならなんとかなるかな)大佐から極秘任務です。よく聴いてください」
ブロッシュは手早く任務内容を説明した。
「まぁ確かに俺にしかできない任務だな。ここ(戦場)で軍人でないのは俺一人だから」
どこまでも皮肉な口調であった。

会議に集められた軍人達はいずれも疲労しきっていた。返り血か、当人の血か、青い軍服を赤黒く変色させた者。失った片腕を隠すすべも無い者。それはまだ乱戦が始まって間もないころラッセルが切った腕。痛みも出血も無い。ファントム・ペインに悩むことも無いことも保証されている。しかし、当人の喪失感までは治癒できない。
「全員そろったな」
ラッセルが部屋に入ってドアを閉めたところでアームストロングの声がかかった。
(ルイ、)
ラッセルの治癒者の視線が半ば無意識にルイの疲労度を測定する。
(120か)
70を越すと休養が必要とされ、80を越すと危険とされている疲労係数である。
(10分でいい、ルイと二人きりでいたい)
癒しの治癒は治癒師ごとの差が大きい分野だった。そのなかでラッセルのやり方は効率こそいいが他人の目に触れると誤解を招きかねない方法であった。
 地図を前に現状の説明が行われた。聞けば聞くほど落ち込むような内容である。
「以上が我々の現状だ。(一言で言えば、全滅か降伏して敵国でなぶり殺しになるのを待つかだ)あと一日持てば(マスタング殿が必ずやつらの穴をついてくれる、そうすればまだ再起は)・・・いや、これ以上は無理だ。すでに弾薬も尽きた。」
アームストロングの声に改めてラッセルを除く全軍人が落胆した。ラッセルは落胆しなかった。とっくに絶望していたからだ。
(ルイ、それでもルイが『この戦場そのものの治療』を望むなら)
「それなら、逃げましょうか」
明るくすら響く声はラッセルのもの。当初、軍人達にはその声は耳に届かなかった。
「ほお、軍人の言葉とは思えんな。トリンガム中佐」
「俺は軍人じゃないから」
言葉遣いそのものも軍の中で使っているものでは無くなっている。アームストロングは内密の命令が伝わったことを確信した。そして確かに厳密にはラッセルは軍人ではない。国家錬金術師で軍属で軍の委託を受けた研究者で軍大付属病院の補助員で中佐待遇で、これがラッセルのなんともあいまいな身分であった。
きっちりと直立不動の他の士官たちをしり目に彼は最初から壁に背中を預けていた。わざと大げさにため息をつくと手近のいすに腰を下ろした。これは軍の礼儀にかなり反する行為である。戦場での軍議は指揮官以外、全員立式で行う。これは士官学校で叩き込まれる軍での不文律のひとつである。
「トリンガム中佐、無礼であろう。立ちたまえ!」
彼より20は年上で5センチは背の低い佐官がとがめる。
「座っても立っても結論は同じだろ」
馬鹿らしい規則に従えるかよと言外に匂わせて、その佐官にわずかに視線を向けた。
「大体軍と言えるのは戦っているときだけだろ。負けた後は軍とは言えない、そうじゃないか?」
さらりと続けた。怒鳴りつけようとする他の佐官をアームストロングが片手で制した。
「では訊こうか。負けた軍はどうすべきと思う?トリンガム、君」
ルイ・アームストロングは意識的に階級を外した。

あっさりと負けを認める指揮官に佐官達は動揺を隠せない。
しかし、指揮官の声は開戦の時と変わらず力強いのだ。
「では、われわれはどうするべきなのですか。どうぞご命令を」
指揮官への質門というより懇願をラッセルは意識的に盗んだ。
「だから、逃げましょう。今ならまだ逃げられる。地図にも無い旧道があるんだ。一人か二人かがやっと通れる程度の道だそうだけど、逃げる分には好都合じゃないかな」
佐官達の幾人かは気づいた。これはこの若者と指揮官の共同作業なのだと。軍人が決して口にできない逃亡、それも不文律で禁止されていた。マスタングもアームストロングもつまらぬ不文律は廃止したいと思っているが不文律だけに廃止も難しかった。タブーに縛られない彼に虎の尾を踏ませたわけである。そもそもタブーだからといって確実に守られているわけでもない。軍では敵前逃亡も撤退も結構多い。ただそういう時多くの指揮官は方向転換とか他方面の敵部隊を攻撃のため戦略上移動するとか、別の言い方をするのである。
「詳しく聴こうか、トリンガム中佐」
「言っていいですか。軍に逃げ道は不要と言いたい人もいるみたいですが」
ラッセルはわずかに視線を流した。ある士官の前でわずかに眼光を強める。おそらく見られた当人以外気づかなかっただろう。ラッセルは気づいていた。『逃げよう』と口にした時からある佐官の銃が自分のほうを向いていることを。当然ながら血に酔っているのは戦場の現場にいる者が最も多い。そしてそれが何らかの感情と一緒になるとき・・・戦場での味方殺しは相手が上司で無い限り不問にされることが多かった。
「諸君、この国を担う子供の未来のために今を守るのは大切だな。」
アームストロングの言葉は全員に一般論を述べているようだった。しかし、彼の目はある少佐だけを見ていた。ドアが開いた。アレン少佐が無言で部屋を出た。
後にセントラルで作成された生存者名簿にアレンの名は無かった。

逃亡計画、あるいは撤退作戦はそれから20分で決まった。開かれた地図にラッセルは線を入れようとペンを手にした。
「ここから入って、あ、」
自分でも予測しない事態に思わず声が出た。旧道にそって書くはずの線は手の震えを示してぎざぎざの落書きになった。ラッセルはたとえ好意的な相手にでも自分の弱いところを見せられるような可愛らしい性格ではなかった。まして、他の軍人の視線のあるときに失態など!
(ここにはブイエの息のかかった者も多いのに!俺はどうすれば)
普段の彼ならば涼やかな笑顔とともにこの程度の失敗はいくらでも取り繕えた。しかし、さすがの彼も混乱しかけた意識では解決策を思いつけなかった。
(ラッセル、限界か)
ルイの前で青年は、いや子供はどうすることもできず立ちすくむように見えた。できることならすぐにでも抱きしめて安心させてやりたかった。しかし、ここは戦場しかも並ぶ部下たちは必ずしも好意的な存在だけではない。(せめてブラッシュを呼ばせよう。この様子ではいつ発作を起こしてもおかしくは無い)発作、正しくはリバウンドである。ラッセルが背中の練成陣を使っているのはルイの予測のうちである。さもなければあれだけの負傷者が短時間に戦場に戻れるはずが無い。
「トリンガム先生!無理をなさらないでください。」
アームストロングより早く声をかけたのは、今日片腕になったある佐官であった。先生という呼びかけに他の佐官も目の前の青年が何をしていたか思い出した。(無理も無い)その意識が全員に広がった。片腕の佐官は右腕で恩人とも言うべき先生を支えようとした。空っぽのそでがわずかに動いた。
「あ、そうだった。私の腕はもう、無いのだ」
ショックで立ちつくしているのは今や片腕の佐官のほうだった。どんな治癒ができてもけっして癒せないもの。いつでも義手をつけられるほどきれいにされた傷口のほかに、片腕の佐官には癒されないものが残されていた。銃弾の飛び交う中指揮を取っているときはそんなものは無視できた。しかし、
「そうだった。無いのだ」
もう一度、はっきり口にする。痛みを残さない錬金治癒の良さが裏目に出ていた。失った自覚ができない。
ラッセルの両手が空っぽのそでを包んだ。
「ありがとう、もう大丈夫だから」
現実に支えられたわけでは無かった。しかし明らかにラッセルは片腕の佐官に支えられた。そして、無いはずの支えを受け入れられたことで片腕の佐官をも立ち直れた。
ラッセルはもう一度ペンを握った。さっきのぎざぎざの線の続きからある村に向けて引いてゆく。
「この村の中央広場に出ることになります。ただ、もう使われていない道ですからかなり荒れているでしょう。先頭のものは道を切り開きながら進むことに成りそうです。よほど体力のある者でないと続きません。
かなり狭いので。交代は無理です。それにもし行軍中に倒れるものがいたら、そこで停滞しかねない」
ラッセルはしばらく無言だった。
やがて決意がついたかのようにはっきり言った。
「蔓を村の広場まで先に伸ばします。全員がそれを持っていさえすれば、私がすべて管理できる。そうすれば夜間行軍も可能です。先頭のものさえつぶれなければ、村まで3時間で到達できる。それぐらいなら何とか・・・もたせて見せます」
決意にあふれた言葉だったがきちんと理解できたのはアームストロング一人きりだった。
(ラッセル、我輩は君にそんな無茶をさせるためにここに呼んだわけではないぞ)
(ルイ、これが俺の治療です。あなたがいればできます。帰りましょう。みんなつれて、家へ)
錬金術師同士の視線は数秒からみあった。先に視線をはずしたのはラッセルのほうだった。
(まずい、心臓が)鼓動が急に早くなる。リバウンドの起きかけている前兆であった。
「大佐、どうぞご命令を」
(ラッセル?さてはリバウンドか。このうそつき坊主め。涼しい顔をして我輩に決めさせるつもりか)
(ルイ早く返答を!)
「よかろう。全員に夜間襲撃の命令を回せ。襲撃する振りをしてそのまま、逃げる」
にやりと笑ってあえて逃げると続けた。
「全員解散だ。トリンガム中佐は残れ。術上の相談がある」
全佐官が退室し気配が消えるとともにラッセルは崩れ落ちた。早すぎる鼓動は逆に血液を流さなくなる。医学上、空うちの状態が10分以上続くと危ないとされる。すでに3分ほど経過していた。
「ラッセル!」
ルイの強い腕が彼を支える。しかし銀の瞳は閉じられたままで、体にはまったく力が無い。ルイはラッセルの胸ポケットにいつも入っているドーピング剤とも言うべき人工血液のアンプルを探す。幸いケースはすぐ見つかった。しかし、大量のリバウンドが起きることがわかっているこの薬を打たねばならないか否かの判断ができない。それが判断できるのはラッセルただ一人である。彼は以前対ホモンクルス戦でこれを使用していた。
「ラッセル!」
銀の前髪がかすかに揺れた。癖の無い髪は以前と同じくきれいに切りそろえられている。前と違うのは色と髪の質。金の髪は強かったが、銀の髪はかすかな風にもすぐ揺れる。
当人の疲労もあったが、何よりもアームストロングはラッセルに気をとられすぎていた。彼は気づかなかった。窓の外、高い木の上、黒い髪黒い瞳の男が部屋を見ていることを。そのモノの名はプライド。ホモンクルスの一人であった。
(ニエはよく育ってきた。おそらく、この撤退作戦でまた力を伸ばすはずだ。お父様の目的のために、大切な小さな人柱に対応できるだけの力をつけさせるために色々手を打ったが、手間をかけただけの結果は出そうだ)

ラッセルのリバウンドは5分以内で治まった。
「ルイ。もう大丈夫だから」
ルイの腕でこうしてしっかり支えられているのは嫌いではない。しかし、これでは身動きも取れない。それでもラッセルは手を離してとは言わなかった。よりによってルイの見ている前でリバウンドを起こした。さらにやむを得ずとはいえ罠にかけるようなことまでしてしまった。会議の席でああいう言い方をされてルイが否と言えるはずは無い。(怒られてもなにを言われても仕方ないな)何も言わないから逆にルイがどれほど怒っているのかわかってしまう。(あぁ、でもこうしてると安心できる。戦場の真ん中なのに。もう何も怖いものは無い。暖かいし。少し眠い)
ラッセルの体からまた力が抜けた。こんどはさっきと異なり崩れ落ちはしなかった。軽い寝息が聞こえる。
(やっと、眠ったか。本当に悪い子だ。だが聡い。いっそ愚かであれば守るのも簡単であったが)
ラッセルにまた無理をさせるのはわかっていた。もうほかに手はないのだ。できることなら代わりにやってやるが彼にしかできないことがある。そしてアームストロングにも彼にしかできないことがあった。道を切り開き続けるものが必要なこの逃亡作戦。ルイの体力を計算に入れなければ不可能な話であった。そしてリバウンドが治まってからのラッセルはただ抱かれていたわけではなかった。彼はそんなかわいい性格では無かった。ルイにしっかりしがみつきながら疲労回復用の治癒の陣を流し込んでいた。練成光が光というより水に見えると言われるラッセルには他の術者にばれないよう術をつかうのは得意技の一つであった。
遠慮がちのノックの後、ブロッシュが点滴のセットを抱えて入ってきた。おそらくろくに食べていないだろう手のかかりすぎる上司のためにブロッシュはすっかり注射や点滴がうまく打てるようになっていた。


逃亡作戦は夜に始まった。村の広場の大木まで続いているという一本の蔓を示し何があっても手を離すなと全員に厳命する。雪の落ちるかすかな音とともに最初の斧が打ち込まれた。


翌日夜明けとともに進軍してきた敵軍は完全包囲したはずのアメストリス軍が一人残らず消えていることに呆然とすることになる。同時に彼らは気づく。包囲したはずの自分たちがこの狭い盆地に追い詰められっていることに。アメストリス軍の戦闘には怒りに燃える焔の准将の姿があった。

この勝利は対等の関係と見られていたマスタングとブイエの天秤をマスタング側にいくらか傾ける効果を持っていた。


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嘘つき3

2007-01-13 14:34:16 | 鋼の錬金術師
ある軍医のつぶやき

あいつ等は殺すだけでいいけどな、半端な殺しはよくない。
こっちは生きてるやつにみきりをつけるんだ。やってられるかよ。

戦線の最高指揮官であるルイ・アームストロングさえ、戦闘現場に出る戦場。それはすでに負け戦であった。敵軍は膠着した戦線を一気に押し返そうとし、信じがたいほどの兵力を投入していた。本来敗戦の責任はアームストロングにはない。それは戦線を広げまくったあげく膠着状態を作った北部司令官に起因する。さらに付け加えれば異常な敵軍の動きの分析を怠った司令部の情報部の責任でもある。しかし、今現場で殺されつつある兵士たちにとって後に会議室で展開される責任門題など何の意味もなかった。兵士たちの目には彼らの最高指揮官のいる空間だけが死や敗北と縁遠い場所に見えた。乱戦ゆえに正確な数は不明だが、兵士たちの証言によるとこのとき指揮官が直接助けた兵士だけで1000人、これに10倍する敵兵を殺したことになっている。とても信じられない数字だが、これが事実だとしても点の勝利をそのまま面の勝利とすることはできない。大局を読めるものにとって敗北はすでに決定された事であった。
 本来戦略とは国力とのバランスの上に成り立つものである。ひとつの戦場だけに大量投入するような戦略はすぐにつぶれる。しかし戦術レベルでは大量投入はそれなりの意味を持っていた。

 公式の命令書によって後方医療テントに縛り付けられたラッセルも大局を読み敗戦を予測する一人であった。
錯乱した負傷者が飛び出した腸を引っ張り出そうとする。それをとめようとする衛生兵が鎮静剤を打つが多すぎる負傷者に薬が切れる。そのころには衛生兵も次第に血に酔ってくる。鎮静剤が無くなったためやむを得ず銃で殴って昏倒させていたのが次第に殴り殺す率が多くなる。それをとがめるものもいない。衛生兵本人もそれをなんとも思わない。ラッセルがいるのはそういう現場だった。最初の一時間で彼は胃の中身を吐きつくした。2年間もぐりで治癒師をしていたといってもそれは風邪から生理通までの比較的穏やかな患者が多かった。裏治療を始めてからは重傷者が増えたが多くの場合医師の連れてくる患者達は、血まみれではなかった。これまで彼が人を切ったのはあの老人とエドの二人のみであった。
 従軍医師も衛生兵もあの若造はすぐつぶれると見ていた。しかし、胃の中身を出しつくしたころから若造の雰囲気が変わった。それまで一人ずつほどこしていた錬金治癒を20人単位に切り替える。ほとんど口を利くこともなく機械的に治癒をこなしてゆく。血に酔った衛生兵達は気づかなかったが、医師は練成光が青から赤に変わったことに気づいていた。医師は赤い練成光など聞いた事もなかった。それはアメストリス軍が始めてみる奇跡の実演であった。
また20人の兵士が治癒を終えて立ち上がった。
「いってきます、先生」
彼らは気軽にそういうと再び銃を取り医療テントを出る。ラッセルの錬金治癒の特徴は治癒後すぐに動けるところである。兵士達はすぐ戦場に帰っていく。というよりもテントの周りはすべて戦場である。後方も前線もすでになかった。ラッセルは気がついていないが出て行った兵士がすぐに同じ部位を打たれて帰ってきたこともある。     そして何度目かにはその兵士は、 帰ってこなかった。
「衛生兵、次を」
衛生兵が次の20人を運んでくる。もう死体を安置所に運ぶ余裕は無い。衛生兵は息の有る者のうち比較的軽症なものから適当につれてくる。そして直ったものがまた銃を取りまた殺されていく。衛生兵達にはあの若造の治癒がほんとうに役立っているのか、それとも完全に殺させるために治しているのか分からなくなりだした。衛生兵の一人が何か分からない言葉を叫んで座り込んだ。それが合図になったかのように数人が倒れた。
医師がかろうじて残っていた鎮静剤を打ち込んでいく。ラッセルは普段は銀に輝く瞳を深すぎる湖のような底の知れない透明さに変えて見ていた。


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嘘つき2

2007-01-13 14:33:02 | 鋼の錬金術師
嘘つき2


明朝はブイエの思惑通り前線である、そうラッセルは思っていた。
(これが本当の初陣か)
ため息が一つ出る。
「エド、フレッチャーお前たちだけは戦場にやらない」
自分に誓いを立てるように口にした。



それは一ヶ月ほど前のこと、いきなり呼び出されたブイエ将軍の執務室で、ラッセルは銃殺になりかねない失態を演じていた。
ブイエ将軍に殴りかかったラッセルはわずかにかすった直後、何が起こったかわからぬほど見事に床に押さえこまれていた。床に強く胸を押し付けられる。心音の乱れが自分でもはっきりわかった。
(まずい、このおっさんに気づかれる)
逃げようともがくがまったく動けない。すでに息苦しさを感じている。
「国家錬金術師を受けたときから当然わかっていたはずだ。それともあのマスタング准将の庇護の下にいれば例外が認められるとでも思っていたかね」
(いやみったらしいおっさんだぜ。いちばん大嫌いな!タイプだ)
「君の弟は貴族子弟特別枠を利用しての仕官学校在籍者でもある。早めの戦場経験は本人の将来を考えればむしろプラスなのだよ」
床に押し倒している若者に将軍はむしろ諭すように語る。(おっさん、あんたじゃ役者不足だ。あのブラッドレイ大総統ならこういう状況で聞いても説得力あったけどな。おっさんでは完全にいやみに聞こえる・・・俺も昔はそういうレベルだったか) 対ホモンクルス決戦とエドとやりあったゼノタイムでの喧嘩が思い出された。(若さゆえの未熟、認めたくないって所だな) 彼の名の元になったと言われた20年前の名作映画、「アラビアのロレンス」主役のラッセル・エドワード・ロレンスの台詞が唐突に浮ぶ。
「君のよくできた弟は兄の体を実験体にしたくなかったようでね、国家錬金術師機関に直接の指揮権を持つ私に完全な忠誠を誓ってくれたよ。美しき兄弟愛というところだな」
背中と両腕を押さえ込まれながらラッセルはむしろ冷ややかに答えた。
「これがアメストリス軍のやり方ですか」
(これではイシュバールの悲劇はまた起こる。このタイプの官僚軍人が上にいる限り、しまった、俺はなんてことを!これが知れればマスタング准将に傷がつく。俺があの人の走りを止めてしまう。どうしたらいい。考えろ!どうすればこいつの口を閉ざせるか)
「そうだ、軍は人手不足でね。利用できるものは何でも利用する。資源の有効利用を図るべきだ。君らに異常に甘いマスタング君では考え付かないかもしれないがね。それに、君自身も軍の手を借りられねば困るのだろう」
(軍属を離れる選択肢はないと言うわけか。は、情けない身だ。己の力では生きることさえできない)
ラッセルの体には2重に軍事機密が入っていた。ひとつは1歳のころ父ナッシュの願いを受け入れてドクターマルコーが心臓に打ち込んだ生体に長期に適合する練成陣、そしてもうひとつこちらの方がよりやっかいであった。父の遺品となった命の練成陣。そのエネルギーは無限といってよい。いまだラッセル自身にも正体をつかめない、16歳のときいきなり背中に現れた太陽の陣。
さらに付け加えるならばラッセルにはもうひとつ軍事機密並みの秘密があった。彼の肺は対ホモンクルス戦のおりあのエンヴィーにあけられた穴がそのまま開いていた。ドクターマルコーがぎりぎりで成功させた手術の1ヵ月後、傷口は急に治療前に戻った。大量出血によるショックで意識を失いかけた彼をひっぱたき自力で結界を張れと怒鳴りつけたのはあの温厚でおとなしい老人だった。マルコーはホモンクルスから救われた当初は完全に引退するつもりであった。しかしラッセルの件をきっかけに再び軍属を選び今は北部司令部にいた。
資源の有効利用という観点から見ればラッセルの価値は高かった。
そして今、ラッセルの身体はシン国から密輸される超高額の薬と、彼自身の開発物でもある人工血液が支えていた。どちらも軍でなければ手に入らない物であった。
「弟には出陣命令を」
「まだ伝えていない。今すぐというわけでもない。戦況次第だ。」
腕がきしんだ。ラッセル自身は重装歩兵5人を同時に素手のみ(もちろん錬金術もない)で叩きのめす戦闘力を持っている。それでもさして力を入れているとも思えないブイエ将軍の手から逃げられない。
「俺が行く。エドワードにも弟にも手も出すな!」
床に額を擦られるほど押さえ込まれながらも彼は強い声で返した。
「ほう、病身を押してかね。君の体のことは調べがついている。胎児性心筋萎縮と言うそうだな。よく(国家錬金術師に)合格したものだな。軍の身体検査担当者の首を取り替える必要があるらしい」
「おっさん老眼か、書類はよく見るんだな。俺の検査は完全だ。あんたのサインも入ってる」
「ほう、その辺が地かね。マスタング君の教育もメッキだけのようだな」
「戦場を見たこともないやつがあの人の名を口にするな!」
「確かに私はイシュヴァールには行っていない。(だが、若造。お前などにはわかるまい。ここもまた戦場なのだ)」
ラッセルはようやく床から跳ね起きた。
否、それはブイエ将軍が意識的に手を緩めた結果だった。
彼の手が卓上の万年筆を取った。テーブルに駆け上がり将軍の首を右手で巻き込む。左手の万年筆の先をブイエの首の神経節に当てる。
「一センチだ。たった一センチ切ったらあんたは一生動けなくなる。忘れるな。俺は練成なしでもこの程度のことはできる。もし、あいつらに手を出してみろ。一生全身不随にしてやる」
ラッセルはゆっくりと万年筆を引くと卓上に戻した。
「それが君の、上司に対する答えかね。それでは等価は成り立っていないな」
「俺一人で十分だろ。せいぜい派手に勝ってあんたの名に金メッキをつけてやる」
「二人と一人の交換か。まぁよかろう。(どうやら首輪をつけるのは成功したようだ)君には私の為に3人分働いてもらおう」
「俺はあんたの犬じゃない」
「マスタングには喜んで尻尾を振っているようだが私には懐かぬか。かまわない、君のようななまいきな子供に懐かれたくもない。私はアームストロング卿とは違ってまともな趣味でね」
ラッセルは無言で部屋を出た。これ以上一口でも口を利くと体が腐りそうな気がした。
その日一日中彼は水一滴すら口にしなかった。体内にあるものすべて吐き出しても、もう血さえも出てこなくなっても、まだ肺の中にあの男の部屋で吸った空気が残っている気がする。
ブロッシュの気遣わしげな視線をすっかり皮膚の一部になっている穏やかな微笑で受け流す。結局ブロッシュは尋ねるきっかけをつかめないまま星のない空の下で車を走らせ、若すぎる上司を緑陰荘に送り届けた。

その日の深夜、エドがぐっすり眠っているころ、フレッチャーは兄の部屋から異常な気配を感じた。兄が掛けた封印を叩き壊して部屋に飛び込む。
「兄さん」
返答はない。その代わりに肺を破るかと思わせるような激しい咳が聞こえた。
「兄さん!」
背中をまるめて発作に耐えている兄を抱き起こす。
(肺の結界がゆるんでる。何かあったんだ)
弟は兄をしっかり支えた。
「兄さん、落ち着いて。結界を強めるんだ。あわてないで」
兄の耳元でささやく。弟のささやきには一種の暗示の効果があった。震える兄の手をなるべくそっと握る。少しずつ震えが収まっていく。どうやら結界の強化に成功したらしいと見た弟は兄が眠らないうちに気になっていることを問いかけた。
「薬は?」
問いは短い。おそらく混乱しているであろう今の兄には長い質問は無理である。
「・・・だ、大丈夫だ。もう治まった・・・」
ろくに息も整わないのに兄はもう弟を安心させようと微笑みかける。しかし全身に残るショックは本人の意思を裏切った。
(かなりひどかったんだ)
弟は兄の手をそっと握る。心拍数が異常に多い。もともと兄の心拍数は1分間に平均して90を超している。
(120を超えてる。落ち着かせないと危ない)
「一緒に寝ていい?変な時間に起きたから一人では寝むれないよ」
小さいころと同じ口調で、少し位置を変えて下から兄を見上げる。
「甘えんぼだな。俺より大きくなってるくせに」
この時点で兄弟の身長差は2センチである。細く見える兄に比べ弟は骨格が大柄でこのごろはどちらが兄か間違われることがある。今になって、エドの気持ちのよくわかるラッセルだった。
弟は兄の返事をイエスと決め込みベッドにもぐりこむと、震えの残る兄を抱きこんだ。
「小さいころ兄さんが僕を抱き枕代わりにしてたでしょ。今度は僕の番だよ」
まだ、ショックが抜けない兄の緊張を解こうと、小さいころと同じ口調でささやく。
「お前はいつまでも子供だな」
(僕が子供でいてほしいのは兄さんのほうだと思うけど)
「いいよ、僕はずっと兄さんに守ってもらうから」
兄の思いが弟には読める。士官学校に特別枠で入学するときもどれほどこの兄が反対したか。 『僕の人生でしょ。兄さんが決めることじゃない!』あまりの反対振りにおもわず弟は叫んでしまった。そのときの兄の血の気のうせ方はあのゼノタイムのときよりひどかった。『せめて、お前だけは手を汚すな』うつむいたまま部屋を出る兄はそれだけを言い残した。その後兄弟が和解するのに一ヶ月以上かかった。
兄の肌はいつも冷たい。平均して35.5度しかない。典型的な低体温症である。
弟はその日から士官学校に帰る日まで毎晩兄を抱いて眠った。兄は口ではあれこれ言いながらも弟に抱かれて眠るのを楽しんでいるようであった。



いつまでも冷たいベッドの中で、ラッセルは昨夜までの弟との夜を思っていた。
「…フレッチャー、さむい、寒いんだ・・・」
気配を完全に消して入ってきたアームストロングは(アームストロング家に代々伝わる隠密術というところである)暖かいはずの寝具に包まれながら、いつまでも震えているこどもを見つけた。
「冷たいな、この子の身体は」
さらさらの細い銀の髪をなぜる。出会ったころとは手触りも色も変わってしまった髪であった。
最南端基地で彼を抱きとめた一年ほど前には、間違いなくまだ16歳だとはっきり感じさせた暖かな肌、17歳の今は生き物であることさえ疑ってしまうほど陶器めいた冷たさである。

ルイ・アームストロングの目には彼はあのエドよりずっと小さな子供に見えていた。世間ではエドが礼儀無視のお子様振りを見せ付けているので、冷静温厚の評価を定着させている彼はエドより5歳以上年上に見られている。それは違うとアームストロングは思っていた。(この子の温厚さも冷静さも身を守るための結界のようなものだ。エドワード・エルリックはいつもまっすぐに走っていく。誰よりも早く。そうだ、この子が前に言ったようにエドワード・エルリックは光だ。まっすぐに、誰よりも早く、思いのままに突き進める。
確かにこの子にはあの者のような強さはない。)
「だがな、光が届かぬ場所へも水はたどり着く。種を目覚めさせるのは光ではなかろう」
聞こえているとは思えない眠るラッセルに、アームストロングは語りかける。
「君は君で良いのだ。なぜ無理に光を求める」
「・・・ん・・・ルイ・・・」
起きたのかと思ったら寝言であった。ラッセルは無意識にルイにしがみついてくる。
「手のかかる子だ」
小さく縮こまっていた手足を伸ばし毛布にくるみなおす。
「夜泣きする子供を泣かせるのは添い寝するのが一番よい。キャサリンのときもそうだったぞ」


深夜に一度目を覚ましたラッセルは何か大きくて暖かいものに抱かれているのを感じた。
「・・・ルイ・・・」
その人の名を呼びまた眠りに落ちた。今夜は悪夢を見る心配は無いようだった。


ルイ・アームストロングは予定通り夜明け前に目覚めた。しがみついている子供を起こさないようそっと毛布にくるみなおす。耐寒用の軍服を着、ベッドサイドに公式の命令書を置く。

ラッセル・トリンガムに後方医療勤務を命ずる。

前線の指揮所にはすでに幕僚達が集まっている。
全員に指示を与え伝令を飛ばす。どこの戦場でもあるいつもの風景。
幕僚達の去ったすきにブロッシュはそっと尋ねた。
「トリンガム中佐はご一緒ではないのですか」
(まさか、もう前線に配備したのでは?)ほかの者の前では聞けないが、ブロッシュには銃さえ撃てない彼を一人で前線に出すことなど考えることもできなかった。戦場には独特の流れがある。それが読めないものはどれほど個人戦闘力が高くても敗退する羽目になる。他の幕僚も兵士たちもラッセルが西の砂漠の対シン戦で初陣を済ませたと思っている。だが、それは違うのだ。対シン戦は存在しない。あえて言えばあれは政治的な戦争だった。ラッセルは十分すぎるほど喧嘩慣れしている。しかし、戦場の流れを一人で読み取れるか?(あの坊やにはまだまだ誰かがついていないとだめなんだ)
「そうだな、そろそろ起こしに行っても良い頃か」
「?」
「ブロッシュ、あれは後方の医療勤務だ。奇跡の司り手の力を役立ててもらおう。連絡役を頼むぞ」
「あ、(そうか、そんな手があった)と、失礼しました、大佐」
「30分以内にたたき起こして医療テントに放り込め。がたがた言うだろうが、命令と押し切れ」
(ラッセル、我輩にできるのはこの程度だ。まだ手を汚すな。
何かを壊すことでしか何かを守れない、
いずれはそれがわかるときも来るだろう。だが、それは今でなくて良いはずだ。)
本来、ラッセルはブイエ将軍によって人間兵器としてこの戦場に送り込まれていた。ラッセル自身その覚悟であった。それが突然の事故で予定されていた司令官が動けなくなった。代打としてアームストロングが急に就任した。アームストロングはその時部下の配置を完全にまかすように要求した。作戦に口を挟ませないための条件のつもりであった。そのおかげで着任後のラッセルを後方に隠せた。
(マスタング殿はあまりに早く至上の座を実質的に得てしまった。まるで手の中で踊らされたように。いや、実際そうかも知れぬ。ホモンクルスの親玉は行方不明のままだ。本物のキング・ブラッドレイの行方もわからない。ともかくもマスタング殿は自由を失った。では、あの子達は・・・。我輩ももう一度上を目指そう。あの子達のために。マスタング殿を支えるために。いや、ごまかすのは止すべきだ。何よりも手のかかる子のために)
ブロッシュが手のかかりすぎる上司をたたき起こして医療テントに放り込むのには30分では足りなかった。



嘘つき3

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嘘つき1

2007-01-13 14:30:48 | 鋼の錬金術師
うそつき1

早朝にラッセル・トリンガムは旅立った。南方のゼノタイムに戻るはずの彼の姿は北への特急にあった。
先行したアメストリス軍を追って北の戦場に着いたのは太陽があらゆるものの影を伸ばし始まるころ。
「ラッセル・トリンガム、着任いたしました」
「よかろう。着任を認める」
命令書を受け取っていた他の部下の姿が消えると、ルイ・アームストロングの口調が変わった。
「ラッセル、エドワード・エルリックには何と言ってきたのだ」
「ゼノタイムに戻ると」
「(まったくこの子は平気な顔でうそを言うからな) じきに気づくぞ」
「ばれないうちに戻りますよ。この戦場を(俺が)勝たしてね」
前髪をわずらわしげにかきあげながら答える。
「自信家だな」
「追い詰められないと決断できませんからね。だから追い詰めるんです」
「悪趣味だな」
( この様子ではもうこの子は十分に追い詰められている。これ以上無理を続けさせると
壊れる。ましてこれが本当の初陣だ。銃撃の音にはたして耐えられるか?できることならこの子達だけは戦場に来させたくなかった。まして、この子の本性は『すくい手』だ。この子に人が殺せるのか?もしこの子がここで壊れるようなことになったら(ペルシオ)アース殿にどう言って…)
「大佐?」もの問いたげなラッセルの声に自分が長く沈黙していたことを知った。
「いや、よい。
ここでは我輩と同室だぞ」
「…ハイ・・・」
「不満か」
「…いえ、しかしまた噂になりそうですね」
「最南端基地のようにか。かまわん。戦場でのその手の噂は娯楽のうちだ」
(この子にはとても言えないがな、我輩との噂でほかの連中を牽制できればそれで良い)
「ラッセル明日早朝に第一陣を出す」
「ルイ」
「軍にいるときはその呼び方はやめるんだ」
「はい、大佐」
ラッセルはめったに見せない目的意識のない笑顔を見せた。彼の穏やかな微笑を見るものは多いが計算されてない表情を見るものは少ない。
「我輩が先か」
自分が先にラッセルを名前で呼んでいたことにルイ・アームストロングは気づく。
「まぁ、よかろう。ところでラッセル」
南方のゼノタイムに帰ると言ったためか、この豪雪地帯に来るのに彼はコート一枚しか着ていない。
「(手のかかる子だ) 着ていろ」
椅子に掛けていた厳冬用のコートを羽織らせる。
「大佐のでしょう」
脱ぎかけるのを包み込むようにもう一度コートでくるみ手早くベルトを締める。
「着ていろ。風邪を引く」もう一度言い、ついいつもの習慣で頭をなぜた。


司令室を出る。室内は燃え盛る暖炉の炎のお陰で暖かかあったが、外は2メートルを越す大雪である。
「こんな真っ白い場所で殺し合いか」
ラッセルのイメージに白い雪に横たわる金の髪の女がふいに浮んだ。女の片足には大量の鮮血がある。
ピクッ。
痙攣するように身体を振るわせた。
(なんだ?今のイメージ。記憶?いや、こんな記憶有るはずがない)
悪寒がする。暖かな厳冬地用コートを着ているのに震えが止まらない。
(兵にでも見られるとまずい。部屋に戻ろう)
部屋に戻っても震えは止まらない。司令官の居室とされたそこは十分暖かいのに、悪寒を感ずるばかりである。
汽車でろくに眠れなかった分眠っておかなければならない。軍では必要に応じて眠るのも仕事のうちである。しかし、目を閉じると先刻のイメージがまた浮んでくる。(こんな大雪は今まで見たこともないはずなのに)
ラッセルはずっとセントラルを含めた雪の少ない土地にいた。
彼の記憶にはなかった。5年前、ある町で100年に1度の大雪が降ったこと。その日町は暴徒の襲撃にあいそして・・・。
(母さんが亡くなったのはいつだったか?)
奇妙なことにラッセルの記憶の中では父の姿だけが鮮やかに残り、母は水煙の中にいるかのようにぼんやりと霞んでいた。以前にヒーラー(錬金術師専用の精神科医)に母親と何かあったのかと訊かれたことがあった。そのときもラッセルはあまり覚えていないとしか答えられなかった。
(いまさらだな。感傷に浸っていられる場合でもあるまい)
明朝はブイエの思惑通り前線である、そうラッセルは思っていた。
(これが本当の初陣か)
ため息が一つ出る。
「エド、フレッチャーお前たちだけは戦場にやらない」
自分に誓いを立てるように口にした。


嘘つき2

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空の高さは

2007-01-13 14:26:35 | 鋼の錬金術師
空の高さは

アメストリス、セントラルの中央近くに空見の丘と呼ばれる場所がある。そこは夜にはロマンを求める恋人達が集う場所。数日前この丘の前を北に向かう兵士の一団が通り過ぎていった。どれほどの兵がこの丘を見上げたことか。恋人との語らいを思い出したことか。どれほどの兵が再びこの丘で風を感じることができるのか。
いまだ神を持たぬこの世界で答え得るものはいない。
 今日風見の丘には二人の青年が、いや一人はとても小柄で少年にも見える。残る一人も身長こそ高いがやせすぎなほど細い。
 一人は金髪金目で鋼の二つ名を持つ。
 一人は銀髪銀目で緑陰の二つ名を持つ。
ともに17歳になったばかりの国家錬金術師である。
「帰るのか」金の髪が問う。
「お前も落ち着いたしな」銀の髪が答える。
「空見の丘か、こんな近くなのに初めて来たな」
「ここから見上げる空はセントラルで一番遠くまで見えるそうだ」
二人は申し合わせたように空を見上げる。
「ゼノタイム程ではないけどここの空は本当に高い・・・なぁ、空の高さってどのくらいなんだろうな」
「そうだな、目視する空は雲の高さが基準になるから」
「・・・夢の無いやつだな」銀目が笑う。本気ではない。銀目の笑みは保護者が子供を見ているときの笑み。大切な宝玉を見ている目。
「何だよ、お前が言い出したんじゃないか」
金の少年が少し膨れる。これも本気というより、9割以上甘えである。
「それなら、空の始まりはどこなんだ?」
金の瞳がいたずらを思いついた幼児のように輝いた。
「空の始まり?」銀目にはその発想は無かった。
「そうさ、こうして見上げているけどどこが始まりなんだ」
「空の始まり・・・空の底か、そうか、わかった」
銀目は両手の平を上に向け何かを持ち上げるしぐさをした。
「これが空の底だよ。・・・エドお前のほうが広い空を持っているな」お前の魂には自由が似合う。銀の鎖もお前を縛ることはできない・・・俺とは違う・・・
「広い空ねぇー。ふーん。ん、こらー!誰が豆粒ドチビかー!」
「あ、わかったか。いやぁエド君は背の低い分空が広くていいななんてな(笑)」
「このやろー、お前も縮めてやる!」
エドがゼノタイムの続きとばかりにラッセルにつかみかかっていく。
「病み上がりだろう、少しはおとなしく」
「うるせーこのバカ」
エドがぶっかった勢いで二人は岡を転がり落ちた。中腹まで落ちたところでようやく止まる。ラッセルが上にのったエドを持ち上げてそっと下ろす。
「もう、胸も痛まないようだな」
「ん、あれ、そうだな」
「何だ忘れてたのか、いいことだよ。本人が忘れるのがいちばんいいのさ」

風が変わった。暖かな南風が冷たい北風に変わる。
ごく自然にラッセルの足は緑陰荘に向かう。二人の影が横に並ぶ。そうしてみると一年前ほどの身長差は感じられない。この1年ラッセルの身長は完全に伸びが止まっていた。逆にエドは気がつくと3センチほど伸びていた。腕のオートメールが無くなったのが大きかったようである。またホルモンバランスを崩していた中毒もストレスも解決しエドの身長には明るい兆しが見えていた。
(お前とこうして歩きたかった。俺が手を汚す前に)
銀の瞳がほんの一瞬光を失った。しかし、次にエドを見たとき彼にはいつもの穏やかな微笑があった。
「明日の朝、帰る」どこにとは言わなかった。
「(そんなに早く)行くのか。そうか、長く足止めしたな」
この一年ですっかり長くなったエドの髪が風に揺れた。トレードマークだった三つ編みをしなくなって一年たった。毎日エドの髪をとくのがラッセルの習慣だった。
ドアを開く。今緑陰荘は二人しかいない。ずっと住み込みだったメイドもナースも休みとボーナスを持って家に帰っている。
「エド、髪 三つ編みにしていいか」
髪を梳かしながら何気なく聞く。
「いいよ」エドは本を読みながら返事だけする。
ずっとさらりと流されていた髪が昔のような輝く三つ編みになる。
(お前に言ったら怒るだろうけど、エドお前本当にきれいになった。この1年で大事に准将に守られてその間にどんどんきれいになった)
「なんだよ。人の顔見て楽しいのか」
偶然ではあったがそれは一年と少し前ラッセルがペルシオにいったのと同じ言葉。
「あぁ、楽しい」
答えるラッセルの言葉もあのときのペルシオと同じ言葉。
「俺はおもちゃじゃないぞー」
「エド、そういう時は見てていい。そういうのさ」
それはラッセルが以前に言ったこと。
「なんだよ、お前に言われたくない。どうせ(俺を置いて)行っちまうんだろ」
「エド・・・?そうか、それですねてたのか」
「誰がすねてるってんだ。勝手に決めるな」
ラッセルがエドの三つ編みの先にほんの一瞬口づけた。
エドさえも気づかない、ほんの一瞬だけ。
「戻ってくるさ。泣かずに待ってろよ」
「バッキャロー誰が泣くかよ!お前がいなくたって俺は・・・・・
いつ戻るんだよ」
「多少は掛かる。何もかもほったらかしてセントラルに来てしまったからな」
「そうだな。あそこをリザンブールみたいにするのがお前たちの夢だしな」
「気の長い話さ」(汚染の原因こそ特定できたが相手が軍では、どうにもならない。あきらめる気はないけど・・・)

「おい、ゼノタイムに夢中になって、・・・忘れるなよ」
「忘れられないな。特に裸にひん剥いて毛布にくるんだ猫みたいな姿とか、そうだ押さえ込んで直腸温測ったのも忘れられないなー(笑)」
「忘れろ!俺もお前のことなんかすぐ忘れてやる!」
「忘れろよ、この一年エドにはつらいことばかりだったから、なるべく早く忘れろよ」
「忘れてやる!(でもこいつと1年いたのはそんなにイヤじゃなかった) だから!
帰ってきたらまた本気で打ち合おうぜ」
「楽しみにしてるよ。エドワード」

翌朝夜明け前ラッセルトリンガムは緑陰荘を出た。


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言い訳しますが、書き間違えではありません。
うちのラッセルは銀髪銀目です。昔は金髪銀目でした。色変わりの原因については 緑陰荘物語の暴走する練成陣をご参考に。