瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

あるがままの受容

2022年12月05日 | 臨死体験

2022年11月24日、代々木公園にて撮影。

昨日書いたように、臨死体験者の体験後の意識変容をまとめると、およそ次のようなものだ。(一)「死への恐怖の減少」、(二)「死後の世界への確信」、(三)「人生に対する態度の変化」、(四)「あるがままの受容」、(五)「生きる目的の自覚」、(六)「愛、思いやり、寛容さの増大」、(七)「物質的欲望から霊的・精神的関心へ」、(八)「宇宙の全一性という感覚および宇宙との一体感」。

私はこのうち、とくに(四)「あるがままの受容」を重要なものと考えている。一般に私たちが心理的に成長するというとき、この受容性の増大が根底にあると考えるからだ。そして受容性の増大は、まずは自己受容から始まる。自己受容とは、自分の中の様々な感情に気づき、そして受け入れるということである。通常私たちは、自分をあまり受容できていないのだが、それに気づいていない。いわゆる無意識の世界とは、自分で受容できずに意識から排除してしまった自分やその感情だともいえる。

私たちは、何層にも重なった様々な感情を抑圧して生きている。自分のなかの本当の感情に直面するのは辛いから、それを避けたり無視したりしているのだ。そして抑圧した感情を周囲の人々に投影させて、誰かを激しく嫌ったりする。

そして、自分自身の受容ができていなければ、他者や周囲の世界の受容もできない。自分の嫌な部分、見たくない部分をどれだけ受容できるかに、精神の成長がかかっている。可能な限り自己が受容され尽くされたとき、それが「魂の目覚め」のときだともいえる。

人は、自分を受容できる程度にしか他者を受容することもできない。受容とは自分のあるがままを愛することだともいえる。だから人は、自分を愛する程度にしか他者を愛することもできない。成長とは、自分の一切をどれだけ受け入れ、愛しうるかにかかっている。

臨死体験者には、確実に上に述べたような意味での「あるがままの受容」が起こっている。つまり、本物の精神の成長がある。とすれば、そのような本物の成長を引き起こした体験も「本物」と言わざるを得ない。それを単純に、死にゆく脳が見た「幻覚」として片づけるわけにはいかない。


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