イスラミック・ブルー

スペイン、エジプト、イラン、トルコ、チュニジアへ、イスラミックな旅へ。
スペイン/地中海レストランガイド

コルドバ~ヴィアナ宮殿とアルカサル

2005-02-28 23:04:03 | アンダルシア
 趣味は迷子の私にとって、コルドバのユダヤ人街が迷いがいのある処。迷路のような小道をあてどなく歩いていると、城壁の一端が古い家々に飲み込まれている。かつての宮殿がフラットになっている。玄関の鉄格子の向うに見えるパティオ。オリーブや木の葉をかたどった格子。日本の横丁にあるお地蔵さんやお狐様のようなマリアや聖人のタイル、そして像。こうしたものを見ながら歩いていると、どこをどう歩いたのかも判らなくなってしまう。
 メスキータの脇に初めて宿を取った私は、こうして歩きながら灯火のキリスト広場へ出た。
 広場と言うには、少々小さな、住宅に囲まれた一角。十字架に掛けれたキリストを囲む8つのランプ。足元には、赤い蝋燭が沢山あげられている。昼間通ると、通り過ぎてしまいそうなひっそりとした場所。しかし、日が暮れてくると一転、そこはとても幻想的な、そして神聖な空間になる。薄紫の空の光とランプと赤い蝋燭の透き通るような揺らめき。キリストを囲む家々の真っ白な壁にそれらが映る。
 キリストの脇を抜けて歩いていくと、立派な家の門前に出た。地図も見ずにヴィアナ宮殿へとやって来た。それは、かつて自分がそこに住んでいたかと錯覚するしそうなぐらい、あまりにも自然に私の足はこの宮殿に向かっていた。
 14世紀に建てられた貴族の館。この館は別名パティオの館とばれる。12の中庭には、それぞれ名前がついており、その庭の景色がタイルに描かれている。タイルに描かれているままの庭がそこにある。井戸もナツメヤシも洗濯板さえも、時が止まったように同じ場所にある。中でもPatio Principalは、私に安らぎを与える。庭の真中にそびえるナツメヤシ。アンフォラの壷が、地中海への望郷の念を呼び覚ます。そして、転がっている、クルアーンの「アッラー」と読み取れる石片。緑に覆われ、こじんまりとした庭では、乙女の持つ壷から静かに水が落ちる。そして、拓けた空間に横たわる、長い池と水盤を組み合わせたイスラーム様式の静まり返った庭に、水音が響く。壁には真っ赤なブーゲンビリアが茂っている。洗濯場の庭では、ぬれた洗濯物を叩く音と、笑い声が聞こえてきそうだ。そして、オレンジの木が茂る庭。月明かりの晩には、恋人達が戯れに、追いかけごっこをする。次から次へとうかんでくる情景。私はかつてここにいたのかもしれない。

 しかし、薔薇のむせ返るような香りに包まれた庭といえば、アルカサルである。ヴィアナのこじんまりとした庭と違い、王宮の庭は広大である。ヴィアナと同時代、アルフォンソ14世により、イスラーム王宮跡を改造した要塞。オレンジの香りが漂う小道を抜け、広い庭に出る。歴代のキリスト教国王と王妃の像が並ぶ庭は、天に届く柱のように円柱に刈り込まれた木々の間に長い池がある。両端からアーチを描くように水がほとばしる。そして、階段状に長く続く池には、睡蓮が浮かび、薔薇がぐるりを囲む。水の音と薔薇の香り。まさしくイスラームのジェンナ。天国の庭。
 春のコルドバは、阿片。知らぬうちに、古の世界へといざなう。

コルドバ~メスキータを平和の象徴に

2005-02-27 22:54:54 | アンダルシア
 コルドバといえば誰もがまず思い浮かべるのはメスキータであろう。メスキータの存在は、その栄華を極めた頃、コルドバを欧州のメッカと呼ばせた。レコンキスタの後、モスクをカトリック教会にしたことで知られている。
 メスキータは8世紀、後ウマイヤ朝に立てられ、その後3度の修復により世界最大級のモスクになった。13世紀にキリスト教国軍の手に落ち征服され、カテドラルに改造される。
 光を多く取り込んだ、明るいモスクの入り口は一つを残して全て塞がれた。真っ暗な中でゆれるランプと宗教画。丸天井には天使が戯れ、鳩が翼を広げている。百合と薔薇があしらわれ、気高さと純粋さを表している。壁には聖人がかかれ、天窓から差し込む明かりが、幻想的である。暗い壁に、大きなクルアーンの石板が立てかけてあるが、目を留める者は少ない。足元には聖者の遺骸が納められ、髑髏や獅子が守っている。誠にふしぎな空間である。
 赤と白の馬蹄型アーチ。856本の柱が整然と立っている。壁際にしゃがんで柱を見上げると、どこまでも続いているかのような錯覚を覚える。この柱は、ナツメヤシの林を思わせたとも言われている。
 モスクであった頃、この柱の隅々にまで光が行き届いていたのである。その柱に寄りかかって居眠りする人。メッカに向かって祈る人。疲れを癒すために寝転ぶ人。いろんな姿が目に浮かぶ。今は失われたその床に敷いてあった絨毯はどんなものであったのか。スペイン原産のメリノで織られたものか。それとも土耳古?波斯から?
 美しきミフラーブ。このメッカの方向をさす壁のくぼみは、現在鉄柵の向うである。スペインにはモロッコからの移住者や労働者をはじめ、多くのイスラーム教徒がいる。イスラーム教徒は、今日メスキータでの礼拝を望んでいる。地元のイスラーム団体は「イスラーム教徒に還して欲しいというのではない。昔のイスラム統治時代のように異なる宗教が共存できる場にしたい」とローマ法王に許可を求める手紙を出している。しかし、コルドバ司教区では「モスクでキリスト教のミサができないように、聖堂でイスラム教の礼拝が出来ないのは当然」と言う。法王庁も「イスラーム教徒は歴史的事実を受け入れるべきだ」と拒否している。しかし、実際にイスラームの民と共存している地元の人々は、「礼拝してもいいのでは。それが共存していく上で大事」と考えているそうだ。
 キリスト教徒聖壇は中央。ミフラーブは壁。キリスト教の礼拝は日曜。イスラーム教の礼拝は金曜。重なり合うことはない。住民の反対もないのであれば、祈りの場を与えて欲しい。もとはモスクであったのだ。イスラームとキリスト教は兄弟宗教。世界に類を見ない、この特殊な建物を、世界の平和のためにも、二つの宗教が分かり合ってあることを示す手本にしてもらいたい。
 コルドバのように、キリスト教徒とイスラーム教は分かり合えるのだと、スペインは世界に訴えてもらいたい。
 中庭で、ミナレットの鐘の音を聞きながら、かつてはアザーン(祈りの時間を知らせる声)が響いた時代に思いをはせる。オレンジの木々の間で、祈りの前の清めを行う人々。手を洗い、口をすすぎ、頭と耳と足を洗う。そして、美しいアラベスクのモスクへ入ってゆく。
 水場の脇にあるオリーブの木は、幹の中身が殆どなく、皮ばかりという姿である。それでも毎年たわわに実をつけている。オリーブの幹の隙間から見える空。そこに歴史は息づいている。

花の都~メディナ・アサーラ

2005-02-25 22:35:14 | アンダルシア
 花、日本で花といえば桜をさす。イスラーム世界で花といえば薔薇。サウジアラビアでは、良いことがあると、噴水に薔薇水をいれる。薔薇の原産国はイラン。花びらの巻きがよく、大輪の薔薇は欧州で品種改良されたものだ。野生の香り高い薔薇野原はあこがれ。

 薔薇と水。イスラームの美。この二つはアンダルシアの家々の中庭、公園には必ずといっていいほどある。スペインの薔薇は、大輪だがふわっとした花びらをつけている。白にピンクに赤、紫。色とりどりの薔薇が、風にゆれる。

 かつてその名の都があった。メディナ・アサーラと呼ばれるそこは、今遺跡である。アルハンブラのようにしっかりとした建物も、庭も残ってはいない。ただ宮殿の遺構と柱、復元された建物があるだけ。メディナ・アサーラ。これをアルファベットに直すと、これがアラビア語のスペイン語訛りであることが直ぐにわかる。Madinat Al-Zahra。アラビア語ならマディーナトルザハラ。花の都。
 アブドル・ラーマン3世が寵妃のために立てた宮殿。妃は生まれ故郷であるシリアの雪山を恋しがった。アンダルシアは言わずと知れた南国。雪のかわりにアーモンドとさくらんぼの木を沢山植えたそうだ。満開になった木々は、真っ白な花びらを風にのせ、妃の心を慰めたであろう。
 宮殿跡から広がる広大な草原。遠くにかすむ街。この草原にかつて、雪山を思わせるほどのアーモンドがあったのを想像する。小高い丘の上の遺跡で目を瞑る。今、杉とオレンジと椰子がぽつぽつと生えているだけの遺跡。…気のせいだろうか。風に乗って白い花びらと薔薇の香りが私を取り巻く。月夜の晩に、中庭の噴水の音だけが響く中、王と王妃が語らう姿が目に浮かぶ。見つめあう二人。花の都には、そんな二人の伝説が残る。

ファティマの手

2005-02-22 00:02:46 | いにしえの話
 スペインでイスラミックなものを見ようとすれば、それはコルドバのメスキータや、グラナダのアルハンブラを思い浮かべることだろう。とにもかくにも、アンダルシアに行かねば見られないと思いがちである。しかし、今日のスペインにも、イスラミックなものはあふれている。いたるところにある噴水は紛れもないイスラーム文化である。
 そして8世紀から15世紀まで栄えたイスラーム王朝は、地名、言語、生活に大きく浸透した。現在の地名や食品の多くにアラビア語との類似性が見られる。そしてスペイン語のうち約1万語はアラビア語が語源である。なにより、スペイン人の「今日出来ないことをムリしてやるなよ。明日やればいいじゃないか」と言う考え方は、「ボクラ・インシャッラー」という意味の「明日。神がお望みならば」という考えと同じではないだろうか。イスラームでは、絶対に出来ると確信があることでも、簡単にハイとは言わない。答えはいつも「インシャッラー(神がお望みならば)」である。砂漠のような気候の厳しい地では、何が起こるか判らない。大丈夫と確信があっても、ダメなこともある。だから常に「インシャッラー」である。そして物事が終わった後は「アルハムドリッラー(神のお陰で)」である。

 私の旅はいつでもインシャッラーである。ガイドブックも殆どなく、ネットでの検索もスペイン語に堪能でないと難しかった頃、私はグラナダやコルドバからバスに乗って、小さな村へと入っていった。バス停の周りが拓けている。そしてオスタルの標識のある村でひょいと下車する。時には、高級ホテルしかない村に。またあるときは、大きな商店街があり、人も多いと安心して下車すると、宿泊施設の全くない村であったり。そんな時はうろうろ探し回り、またバスに乗りなおす。次の村にたどり着いて、部屋があると「アルハムドリッラー」と心の底から思う。

 荷を置くやいなや、私は村の中へ飛び出す。シエスタの時間の楽しみは、村の家々をジックリ見るよい時間だ。静まり返って、人通りも殆どない時間。壁や瓦、ゼラニウムの花を遠慮なく見ることが出来る。そして古い建物のベランダを見上げる。ベランダは大抵タイル張りである。そして、現代のタイルは目に付く表面だけに模様を配しているが、古いものは違う。道路から見上げると、普段は気にしない裏面にも、きちんと模様が焼き付けてある。それらを首が痛くなるほど見るのが楽しい。そして、表にはどんな模様が焼き付けてあるか想像するのである。
 そして、ドア。古ければ古いほど良い。手のドア・ノッカーを探す。これぞまさしくイスラームのもの。これは魔よけ。ファティマとは、予言者ムハンマドの娘であり、四代カリフの妻。彼女は非常に献身的な女性として、民衆から慕われた。彼女の手が悪いものを跳ね除けると考えられている。また五本の指はイスラームの5行(信仰告白・巡礼・礼拝・断食・喜捨)を意味し、魔よけの護符として使われる。リアルな節や爪まで表現された手から、小学生が彼氏にはじめて編んだ手袋のような、なんとなく手の形?というものまでさまざま。骨董市で探すのも面白いが、やはり使われているファティマの手がすばらしい。まるでアリババと40人の盗賊気分で、家々のドアを舐めるように見て歩くのである。
このときばかりは「シエスタっていい」と思うのだ。店も美術館も閉っている時間。郷に入りてはで、昼寝するも由。ただ、こんな楽しみもあることをこっそりとお知らせする。

Ruta del Califato

2005-02-20 23:32:59 | アンダルシア
 アンダルシアの日本語ガイドブックが出始めたのはここ一、二年。アンダルシアの小さな村々に足をむけた日本人はどれだけいるのだろう。近頃は年金でスペインに半移住する人達もいる。
 私がアンダルシアの旅を始めた頃、日本語のガイドブックはおろか、英語のガイドブックすらまともなものはなかった。時折、旅行雑誌などに取り上げられることがあっても、詳しいルートや宿の情報は皆無といってよかった。未だ、私は旅の間日本人に会ったことがない。博物館などの、メモリーノートに記されている日本語に出会うことも少ない。グラナダやコルドバには訪れても、その間は通り過ぎてしまうのだ。
 15分も歩けば一周できてしまうのどかで小さな村は、ドアの外にカーテンがある。ドアは開け放され、そのままシエスタを取っている村人達。マドリーやバルセロナの治安の悪さが嘘のようだ。
 村の中には、いたるところに噴水や水場がある。ライオンの口からほとばしる水を背に、石囲いに寄りかかって日向ぼっこする老人達。美しい彫像が置かれた噴水。道端にあるちょっとした水場を探すだけでも楽しい。
 イスラームに水は欠かせない。涼をとるためであるが、それが一番のもてなしであったからだ。アラブでは敵にも水を与える。
 時折、残念な光景を目撃する。イスラーム朝からある湧き水の石囲いは朽ち、鳥の羽や犬の糞が浮いている。そんな水場は、もはや飲み水の利用には使われていない。もっぱらモップを洗いに来る女や、散歩中の犬が立ち寄るだけである。普段は、今のままこののどかな村であって欲しいと願う。しかしこの哀れな光景を目にすると、少しは観光化され、整備されると良いかも知れないと思う。
 
 グラナダからコルドバをつなぐ、カリフの街道はスペインでは有名な観光ルートである。どんな小さな村にも、かつて王国であったところには「Ruta del Califato」の白地に赤の看板が立っている。この観光ルートが、世界的に有名になる日は遠くないと思われる。
 村人が鍵をかけずにシエスタを取ることができる世の中が続くことを祈り、そして、観光客がこなくとも水場や城、歴史的建造物を維持し、保護されることを願いつつ、私は歩みを進める。

ナツメヤシの木に導かれ

2005-02-20 00:41:45 | タベルナ・マタアム・食いもの屋
私のアルバムに数多く見られるアングル。それはナツメヤシの木。知らず知らずのうちに、私のファインターには、必ずと言っていいほどナツメヤシが納まる。まるで、それがないと落ち着かないかのように、世界中どこにいても、ナツメヤシがあれば、無意識にカメラを向けている。ナツメヤシは青く高い空に映える。
イスラーム社会でナツメヤシは重要である。ナツメヤシは少ない水で育つ。そして植物の少ない世界で栄養価の高い食物として欠かせないものだ。干し柿のような見た目と味がする。素朴で、何の加工もされずに全世界に出荷されるため、検疫のうるさい日本に入ってくることは殆どない。「アッラーは誠に偉大なお方だ。ナツメヤシは消毒などしなくても、熱い砂漠で腐ることもなく、熟れそして私達の口に入るようにしてくださった。アルハムドリッラー(アッラーのお陰である)」とサウジアラビアの駐日大使がおっしゃっていた。

アンダルシアには、ナツメヤシが多い。ここがかつて、イスラームの国であった名残である。アッラーより与えられた、大地の宝石。その実は、オレンジから熟れると真っ赤になる。たわわになる小さな実は、真っ青な空のアクセントとなる。
南国のイメージと言えば椰子の木。スペインの南国にあるのはナツメヤシ。
ナツメヤシの木を追って、古のイスラーム王国へ。アンダルシアの村へ。

アルハンブラの裏山

2005-02-18 23:40:06 | アンダルシア
アルハンブラが美しいことなど、今更述べるまでもない。小高い丘に立つ城は、青い空の中にくっきりとそして、緑に包まれている。中に入ると、花と水に包まれた美しき空間。そして、水に映る建物。光の中に浮かび上がるアラベスク。かつては、選ばれし美姫が甘い姿態と息をはべらせたパライソ。

ふもとのヌエバ広場から川を遡っていくと、アルハンブラの森の中に入っていかれる。そこには、アルハンブラの歴史を感じさせるようなものも、ふもとのにぎやかな街の様子も何もない。ただ、静かな林道があり、往来も少ない。山は奥深い。アルハンブラの城壁にはなかなかたどり着かない。賢明な旅行者は、途中でサクロモンテに通じる道へ足の向きをかえるであろう。私は静かな道を空を見上げながらただ歩いた。鳥の声と、トカゲがたてる枯れ葉を踏む音。そして風。
途中、別荘地帯があり、人の声と車の音がする。王宮のならびに広がる別荘に眠る。どんな夢を見るのであろう。私なら想像が膨らんで眠れない気がする。セビージャやコルドバ、マドリーナンバーの車を眺めつつ、私はさらに奥へと進む。木立が開けたそこにはなんと、なんと牧場が広がっていた。悠々と草を食む牛たち。なんということか。こんな世界を私は想像だに出来なかった。アルハンブラの壁の向うに別荘、牛。牛はアルハンブラの栄華のころからずっといたのではないか。城壁の裏門からそっと出る僕。乳を入れた壷を抱えてまたそっと宮殿に戻る後姿が目に浮かぶようだ。
アルハンブラは、見晴らし良いところに建てた城砦というよりは、王都である。別荘があるのは、居住区があった名残かもしれない。

アルハンブラ

2005-02-17 22:58:58 | アンダルシア

まだ、日本が地球上のどのあたりにあるかもままなる、幼き頃。私は夢を見た。
星の見えない満月の晩。こうこうと照らす月明かりの中。花、花、花。
葉からこぼれ落ちる露の音。
甘いオレンジの香り。
絶え間なく流れる水。
宮殿。
そして現れる紳士が一人。

朝、目を開けた瞬間にそれまで見ていた夢をすっかり忘れてしまう。そんな私が、唯一覚えていた夢。
ある日私は知る。この場所が実在することを。
それはアルハンブラ宮殿。
800年におよぶイスラーム朝が栄えた、グラナダ。
白壁の家々の間から見えるくっきりとした青い空。
坂を登っていくとある宮殿。その「赤」という意味の宮殿の中は、まさしくパライソ。
長い歴史の中で、宮殿は時に赤い血で染まることもあった。
イスラームの庭に欠かせない水。その水路を真っ赤な血が流れることもあった。しかし、流れつづける水は、いつしか元の透明さを取り戻す。
何事もなかったかのように、水は流れ、花は咲き、香る。

夢を見てから20年後、私は花の盛りにアルハンブラを訪れた。
夢に見たままの光景が広がっていた。
そして、待っている人がいた。
その晩、空を見上げると鏡のような月が輝いていた。
ソル・イ・ソンプラ
光と影の国
私の歴史もまた、新たな章が始まった。
光と影、月明かりの元、物語は始まる


旅立ち

2005-02-16 22:11:15 | プロローグ
泰山木の花が大きな蕾をつけると、私を呼ぶ。庭の真中にある大きな大木の根元に私はいつも寄りかかっていた。木は、私を送り出す。新しい友達のところへ。学校へ。新たなところに踏み出す勇気をくれた。 「さあ、行ってごらん」と。
東京の泰山木は、耐えている。葉は硬く、器のように丸まり、朽ちることすらしない。それは「東京に骨を埋めたくないんだ」と言っているようだ。南国のプライド高き木は、雪が降るとその寒さと重さに耐えられず、大きな音をたてて、折れる。

あるとき、木が倒される日がきた。
木は私に訴えかけた。「私の祖国に行って、仲間に伝えて欲しい。はるか東方の国でも、仲間は生きていると、そして私の花や葉の本当の姿を君に見て欲しい」
幹が引き裂かれるとき、悲鳴のようなそんな叫びが聞こえた。

東京で泰山木の花が咲くと、私は空を見上げる。
この大きな白い花が映える空は、こんな灰色がかった空ではない。
真っ青な空を求めて大きく開いた花にささやく。
「還ろう。あなたのふるさとに」

スペインのアランフェスで、咲き乱れる泰山木を見た。柔らかく平らで艶やかな葉。そして青い空に生える白い花。
この木が赤い実をつけることを、私はスペインで初めて知った。
香しい花びらに想いをのせて、春になると青い空と海を持つ国へ私は旅立つ。


旅人それは羊飼い

2005-02-14 21:31:21 | プロローグ
パウル・コエーリョに『アルケミスト』という作品がある。
貧しい農家の少年が、「広い世界を知りたい。そのために旅に出たい」という大きな希望を胸に父親に相談する。父親は「私たちの仲間で、旅ができるのは羊飼いだけだ」と息子を送り出す。
少年は夢に出てきたエジプトのピラミッドを目指して、アンダルシアの平原から旅をはじめる。彼の前には占い師やセイラムの王様と名乗る老人が現れ、彼を後押しする。羊を売り、マグレブに入った少年はスーク(市場)でだまされて一文無しになる。クリスタル商人に出会い、アラブ式の商売を歯がゆく感じつつも懸命に働き、ピラミッドへの夢をあきらめない。
商人は少年に、そしてこの本を読んでいる間中、私たちの耳に残る「マクトゥーブ」という言葉を印象的に投げかける。
「『それは書かれている』というような意味さ」と商人は言う。
「しかし、アラブ人に生まれなければわからないよ」とも。
そして少年はついにキャラバンと共にピラミッドを目指し、再び歩き始める。そこで出遭ったアルケミスト(錬金術師)に「何かを強く望めば宇宙のすべてが協力してくれる」という言葉をかけられる。
エジプトのオアシスではべトウィンとの出会いと、恋。
人生においての試練と教訓を学び、人間の弱さに負けそうになりつつも少年は自分の夢を信じて旅を続ける。

私の旅は羊飼いの少年とシンクロする。
欧州の片田舎から列車を乗り継ぎアンダルシアへ。そして船でマグレブへ。飛行機でエジプトへと私は向かった。そこで見た青の数々。
時を越えて、私は糸を紡ぎタペストリーを織って売る。売れるとまたピラミッドの影を感じつつ、青い空と海を渡り、アラブ世界へと帰ってゆく。
「旅をできるのは羊飼いだけ」
私は今様の羊飼いならぬ羊使い。
私は天の子ども、白い雲をつれて青を求める。

それはダーウィンから

2005-02-14 00:18:48 | プロローグ
羊。雲が地上に降りてきた。
天から使わされた子ども達。

私が羊について書くとき、必ずダーウィンの一節を引用する。
「羊の家畜化の起源を探るのは徒労に終わる」
この情緒的な文章は、論文の場合最後に削除することになる。
それでも私は必ず記す。
人類を象徴するもの。それは衣類。
羊は私たちに肉、毛そしてミルクを与えた。
しかし、一番重要なことは文化をもたらしたことだ。
毛を固めフェルトをつくり、そして糸にすることを覚えて織った。
もっとも、糸から織の行程は植物繊維を使ってのほうが早い。
しかし、毛を利用することを思いつくのに、そう時間はかからなかったであろう。
羊は、いつでも私たちとともにある。

羊飼いは語り部。
天の使いを連れて、何処へ…。
月明かりの夜、羊飼いは語る。
さて何から語り始めようか。