イスラミック・ブルー

スペイン、エジプト、イラン、トルコ、チュニジアへ、イスラミックな旅へ。
スペイン/地中海レストランガイド

私の背中の白くかぐわしい花

2010-10-28 00:17:23 | ないしょ ないしょ

マグノリアの咲く家に生まれた。

大人ばかりの家で、
赤ちゃん言葉も、子ども扱いもされず、
存在すらを忘れられ、
誰も、長時間私を見ていないことに不安を覚えない。

「パンツが木の上に飛んでいますよ!」と、
通りすがりの人がわざわざ、声をかけるほど大きな花。
「あれは、花なんです」と答えると
「ええ!!?」と、目を凝らして見上げるほどの、大輪の花。

マグノリア。
花びら一枚が、幼い私の両手よりも大きかった。

いつも、いつも、
マグノリアは私を見ていた。
生まれたときからずっと、ずっと私を見ていた。

3つになると、ひとりで遊んでいるときは、
いつもマグノリアの根元にいた。

家族の誰もが、自分のことに忙しく、
新しい赤ん坊に忙しく、
病に倒れた祖父に忙しく、
私は、家族みんながふと私を忘れた瞬間、
いつも、マグノリアの根っこの上に立ち、
大きな幹に寄りかかっていた。

「あっちゃんは?」という声が家の中から聞こえてくるまで、
いつも私は、マグノリアに抱かれていた。

マグノリアの後ろに咲く、
誕生の記念に植えられた、赤い薔薇を見ながら、
いい匂いに包まれていた。

人が怖い。
人が怖い人は、知らない人が後ろに立つのは、恐ろしい。
刃物を持った人が立つのは尚、恐ろしい。
だから、私は誰にも私の髪を切らせなかった。
ずるずると、いつの日か、
その髪をつたって、どこか自由の国へ降りてこうかと、
囚われの姫君ぶって、
伸ばして、伸ばしていた髪。

その人は、
いつも、さりげなく、手を差し伸べる。
細やかさは、木漏れ日のようで、
誰しも寄りかかりたくなるような雰囲気を持っている。

ああ、なんと、お名前がマグノリアですもの。
私は安心して、背を向け、髪をあずけた。

私の背にあるのは、いつもマグノリア。



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私と泰山木(マグノリア)のお話は
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心の落とし物

2010-10-19 18:00:00 | ないしょ ないしょ
 「忙しい、忙しい」を連発する人に、
 親友が静かに言った。
 「みんな忙しいわよ。
  今までに本当に忙しい人と言っていい人にはほとんど会った事がない。
  ここにそう言っていい人が一人いるけど、本人は忙し過ぎて、判らないようだけどね」
 と、私の方を見た。
 
 私?

 私はこのライオンのように、番をしつつ、惰眠をむさぼっているような、
 のんき者である。
 ぼんやりしているうちに、明日になっている。
 
 「ぼんやり!聞いてあきれるね!」と、親友が言った。
 
 その昔、祖父が言っていた。
 「忙しいという字は心が亡くなると書くんだよ。心を失ってはいけないよ」
 
 忙しがって失うものは計り知れない。

 物理的忙しさに、翻弄され、
 肉体的にどんなに忙しくても、
 分刻みのスケジュールをこなしていても、
 自分の為に、自分の大事な何かの為に、心があれば手を差し伸べられる。

 心がなければ、ただ疲れて、病を得るだけである。
 
 「宅急便で~す」と、誕生日プレゼントを届けたり、
 興味のありそうな情報を見つけたら、メールを送ったり、
 ちょっと寄り道、移動時間にメール…
 楽しいばっかり。
 楽しいことを考えられる時間を持てる喜び。
 
 誰かの為じゃなくて、自分の為にすることは、
 どんなことも忙しく思わない。
 結果的に、一緒に喜んでもえらえる人がいれば、
 もっと嬉しくなって、幸せな気持ちは心を大きくする。
 
 心をどこかに落としてきちゃった?
 落としたことにも気が付いていない?

 どんなに走り回っていても、私の心の中はいつでもこのライオンのよう
 地中海を目の前に、頭上にたわわに実るオレンジを、鳥にさらわれているのも気がつかず…

                                               phot:Sidi Bou Said in Tunisia