今回の旅は、「イランへ来ませんか」というお誘いから始まった。
ペルシャ、行きたくても行かれないと勝手に思い込んでいた、ペルシャ文学の地。
よくよく調べてみれば、内陸は外務省の危険情報でも「きわめて平穏」とのこと。
薔薇の時期を狙い、計画は進められていった。
最初のうち、私はイランだけ1ヶ月いるつもりであったが、2月に行ったエジプトで、「トルコで会おう」という話が持ち上がったり、日本でもタイルの専門家に「トルコのタイルを見に行こう」と誘われたりした。
エジプト人の誘いはともかく、タイルの専門家の話は捨てがたく、私はトルコ訪問も視野に入れて考え始めた。
結局のところ、トルコで日本人やエジプト人の友達に会えるかどうかは、未知数になっていた、出発直前。
私は、またイランに1ヶ月いようかと思い始めていた。スパイさんからも、そのように要請が来ていた。
しかし、ふと、私の脳裏に舞い落ちてきた花びら。
イランが薔薇の時期ならば、隣のトルコも薔薇の時期なのではないか?
イランからは、スパイさんから薔薇情報がやってきたが、トルコの薔薇情報は乏しかった。
ウスパルタ。そこに、ダマシュク・ローズの農園があることだけは知っていた。
有名な日本のガイドブックに、奇跡のように「薔薇の街ウスパルタ」と、5、6行の情報が、小さな写真入で出ていた。
大きな町なのか、小さな村なのかもわからず、薔薇の咲き乱れる一山の畑を想像しながら、私はバックを掴んで、遠くのウスパルタへと、第一歩を踏み出した。
そう。情報はなきに等しかった。
日本でウスパルタを紹介しているのは、フランスのお洒落を日本に紹介している、伊藤緋紗子さんぐらいであろう。
イランからイスタンブールへ出た私は、そこかしこでウスパルタについて聞いてまわった。
イスタンブールの誰もが、「そんなところは知らない」と言った。
そんなことはあるはずがなかった。
しばらくして判ったことは、「ウスパルタを知らない」のではなく、「日本人がウスパルタへ行くと思わなかった」ということであった。
「日本人はカッパドキアさ!カッパドキアへ行くんだよ!ああ、もちろん知っているさ。薔薇の街、ウスパルタだろう?日本人が何の用があるんだ?薔薇しかないぞ」
薔薇しかない。
だから行くのです!
私が降り立った街、ウスパルタ。
降り立った瞬間、飛び込んできたのは、ショッキング・ピンクの薔薇製品。
天井から、歩道に至るまでピンクが溢れかえった店…
バスターミナルを出た私は途方にくれた。
そこは街であった。
ただの街であった。
薔薇のばの字もなかった。
ホテルもなかった。
店と言えるような店も、観光案内所も、交番もなかった。
この時、この街が薔薇と織物の街で、私が来るべき処であったと実感できるとは思っても見なかった。
ウスパルタの街のマークは織機と、織り出されている織物が薔薇であることを、マンホールに発見すことも出来ないほど、私は余裕がなかった。
東西南北、どちらへ行けばいいのか判らなかった。
ウスパルタ、私を呼ばなかった…?
私は寝ることにした。
判らなくなったら、考えるのを止めよう。
ゆっくり眠って、ご飯を食べて、のんびり茶を飲んでから、聞いてみよう。
「薔薇はどこですか?」と…
人気blogランキングへ