イスラミック・ブルー

スペイン、エジプト、イラン、トルコ、チュニジアへ、イスラミックな旅へ。
スペイン/地中海レストランガイド

かばんひとつで…

2008-09-16 23:23:06 | イラン・トルコ編

 今から約70年前、許婚がいやで、東京に出てきたという祖父。
 その時、持っていたのが手前の柳小折。祖父は旅に出るとき必ずこの小折を持っていたそうだ。
 祖母によると、夏休み、終業式の朝には駅に本を詰めた小折を届けて、滞在予定の駅に先に届けてもらったそうだ。教員であった祖父は学校が終わるとその足で、どこかの旅館にこもってしまい、勉強していたと言う。
 バック一つで旅に出る。
 出たきり、今度はどこへ行くとも知れず、荷物を送った駅名だけしか家族は知らない。
 祖父が生きていたら、「なんだ、俺と同じ旅だなあ」と、私に言ったに違いない。
 この小折を持って旅に出たいところだが、私にとっては大事な祖父の形見。門外不出、納戸で私の宝物の布類を大事に保管していただくことにしている。

 さて、バックを転がしながら街中を彷徨った私。
 「ホテルへ行って」と、タクシーを捕まえた。
 旅の荷物は少なめに。
 あてどない旅もいいけれど、メリハリをつけて。
 旅には必ず終わりがある。
 
 ホテルに連れて行った貰った私は、とにかくシャワーを浴びて寝た。
 それはもうぐっすりと寝た。
 起きて、私はまずフロントのおじさんに話しかけた。
 おじさんはまったく英語が出来なかった。

 仮にもホテルで、英語が通じないとは!
 それが功を奏するとは、後々わかること。
 そのとき私は、ウスパルタにきたはいいけれど、
 ホテルにたどりついたはいいけれど、
 薔薇にたどり着けるのか、お先真っ暗でありました…

 

 

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スペイン・ラテンアメリカ映画祭

2008-09-11 22:50:05 | スペインを求めて…

 閑話休題

 スペイン・ラテン映画祭が始まりました。
  私が一番見たいのは、EL POLLO, EL PAZ Y EL CANGREJO REAL(鶏肉、魚、そして蟹)。
 世界一のシェフのオリンピックに挑む、スペインシェフのドキュメンタリー。
 そして、FADOS(ファド)。ファドと聞けば、ポルトガルの唄。運命という意味の、深い、歴史の重みを感じる歌声に、時に身を詰まらせるのは、フラメンコに近い。これもドキュメンタリー。
 そのほかにも、毎日時間割と上映作品を入れ替えながら17日まで新宿で開催される。19日からは大阪へ。

 公式サイトはこちら

 なぜか、スペインの映画はいつも一人で見に行く。
 きっと、誰にも邪魔されたくない。心の思うまま、懐かしい世界へ、自らを沈めていた。
 でも今回は、誰かと行って見たいな。
 「ほら、スペインの音がする…!」

 

 

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薔薇の街へ

2008-09-01 21:49:45 | イラン・トルコ編

 今回の旅は、「イランへ来ませんか」というお誘いから始まった。
 ペルシャ、行きたくても行かれないと勝手に思い込んでいた、ペルシャ文学の地。
 よくよく調べてみれば、内陸は外務省の危険情報でも「きわめて平穏」とのこと。
 薔薇の時期を狙い、計画は進められていった。
 最初のうち、私はイランだけ1ヶ月いるつもりであったが、2月に行ったエジプトで、「トルコで会おう」という話が持ち上がったり、日本でもタイルの専門家に「トルコのタイルを見に行こう」と誘われたりした。
 エジプト人の誘いはともかく、タイルの専門家の話は捨てがたく、私はトルコ訪問も視野に入れて考え始めた。
 結局のところ、トルコで日本人やエジプト人の友達に会えるかどうかは、未知数になっていた、出発直前。
 私は、またイランに1ヶ月いようかと思い始めていた。スパイさんからも、そのように要請が来ていた。
 しかし、ふと、私の脳裏に舞い落ちてきた花びら。
 イランが薔薇の時期ならば、隣のトルコも薔薇の時期なのではないか?
 イランからは、スパイさんから薔薇情報がやってきたが、トルコの薔薇情報は乏しかった。
 ウスパルタ。そこに、ダマシュク・ローズの農園があることだけは知っていた。
 有名な日本のガイドブックに、奇跡のように「薔薇の街ウスパルタ」と、5、6行の情報が、小さな写真入で出ていた。
 大きな町なのか、小さな村なのかもわからず、薔薇の咲き乱れる一山の畑を想像しながら、私はバックを掴んで、遠くのウスパルタへと、第一歩を踏み出した。

 そう。情報はなきに等しかった。
 日本でウスパルタを紹介しているのは、フランスのお洒落を日本に紹介している、伊藤緋紗子さんぐらいであろう。
 イランからイスタンブールへ出た私は、そこかしこでウスパルタについて聞いてまわった。
 イスタンブールの誰もが、「そんなところは知らない」と言った。
 そんなことはあるはずがなかった。
 しばらくして判ったことは、「ウスパルタを知らない」のではなく、「日本人がウスパルタへ行くと思わなかった」ということであった。
 「日本人はカッパドキアさ!カッパドキアへ行くんだよ!ああ、もちろん知っているさ。薔薇の街、ウスパルタだろう?日本人が何の用があるんだ?薔薇しかないぞ」
 薔薇しかない。
 だから行くのです!
 
 私が降り立った街、ウスパルタ。
 降り立った瞬間、飛び込んできたのは、ショッキング・ピンクの薔薇製品。
 天井から、歩道に至るまでピンクが溢れかえった店…

 バスターミナルを出た私は途方にくれた。
 そこは街であった。
 ただの街であった。

 薔薇のばの字もなかった。

 ホテルもなかった。

 店と言えるような店も、観光案内所も、交番もなかった。

 この時、この街が薔薇と織物の街で、私が来るべき処であったと実感できるとは思っても見なかった。
 ウスパルタの街のマークは織機と、織り出されている織物が薔薇であることを、マンホールに発見すことも出来ないほど、私は余裕がなかった。
 東西南北、どちらへ行けばいいのか判らなかった。
 

 ウスパルタ、私を呼ばなかった…?

 私は寝ることにした。
 判らなくなったら、考えるのを止めよう。
 ゆっくり眠って、ご飯を食べて、のんびり茶を飲んでから、聞いてみよう。

 「薔薇はどこですか?」と…

 

 

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