ヘミングウェイの『日はまた昇る』は夕日の落ちる時間に合わせて、舟に揺られながら読む。毎日少しづつ読む。ふと見上げると、ナツメヤシの向うに沈む夕日はとても大きい。静かな夕暮れ。真っ赤に燃える空。そしてヘミングウェイ。夕日を見つめすぎ、チカチカした目の向うに見えてくるマタドール。そして歓声。瞬き一つしない牛が、こちらに向かって突進してくる。
「おい、もう起きろ」帆掛け舟の中でいつしかまどろんでいた。ネグリジェみたいな民族衣装を来た船長に起こされ、私はまた村へと帰っていく。気温が落ちないうちにひよこを家の中に入れなければ。
闘牛と聞いて、私が思い出すのはアフリカのとある村に居候していた時の事。私はまだ闘牛を見に行ったことが無い。闘牛とフットボールのゲームだけは一人で行ってはいけないと思っている。一人はさびしすぎる。
前の日に「明日の朝開けてあげるよ」と言われていたので、翌朝起きると直ぐ、カステージョ・ルナへと向かった。オスタルとバルの兼業のほかに博物館を持っている。バルの戸を開けると、主がこちらを見て「ちょっと待って」と言う。スペインのちょっとはあてにならない。「じゃあ、カフェ・コンレチェを」と頼む。主はカウンターの客と話しこんでいる。客は常連のようだ。鍵を開けてからまた話せばいいのに…なんていうことは言っても仕方が無い。店内を見回すと、所狭しと闘牛のポスターがかけてある。それを見ているだけでも楽しい。常連との話しに区切りがついたようだ。と、その男が博物館に案内してくれた。なんだ。この人が博物館の担当者だったのか。カマレロが客に給仕しながら朝食をカウンターで食べ、タバコを吹かしている国だ。さもありなん。
二匹の可愛い子犬に案内されて、裏庭から小さな闘牛博物館に入った。処狭し…なんてもんじゃない。天井から何からとにかく闘牛と名のつくものは何でもある。小さなお土産からポスター、衣装、牛の耳まで、どこをどう歩いていいのかわからない。担当の男は私がいくら「スペイン語は判らない」といっても、身振り手振りをくわえて丁寧に説明してくれる。判らないなりも興味を示す私を気に入ったのか「ビノは好きかい?」と聞く。「ええ」と答えると、ちょっと待っていてといなくなった。戻ってくると二つのグラスを手にしている。「この土地のビノだ」と渡してくれる。なんとワインを飲みながらの見学。最後は食品庫にまで案内してくれた。天井からはハモンが下がり、大きな冷蔵庫が唸りを上げている。積み上げられた食品のまわり、隙間という隙間に飾りきれない闘牛のポスターや小物が置かれている。
見学を終えてバルに戻ると、またビノを振舞ってくれた。主と男になんでこの街にやってきたか聞かれる。「カリフの街道をたどっているの」と答えると、非常にうれしそうだ。そして、「あいにくだったね。この街のカステージョは壊れている」と言う。「壊れていても、あった所を見てみたいからこれから行く」と言うと「歩いていくのかい?それならこの男に送ってもらいなさい」と主が言う。丁重に断ったが、「歩いていくのは大変だよ。この男は今日は休みだから大丈夫」と主にすすめられる。男は、学芸員どころか、博物館の担当でもなくやはりただの常連だった。男の車で坂を上がった。オリーブの畑が眼下に広がる場所で車は停まった。遊園地のようなところで、屋外ステージがあり、とても城跡とは思えない。不安そうにしていると、「大丈夫、こっちだよ」と歩き出した。遊園地を通り過ぎると、きのこのような岩がそびえている小高い丘が現れた。男はずんずん上っていく。ついていくと、岩のほかに遺構が少し残っていた。「城は?」と聞くと、男は「これさ」と大きなきのこ岩に手をついた。「銃撃戦があったときに壊されてしまったんだよ」という。「こっちへ来てごらん」と言われついていくと、柱の上部のような石が一つ。横から見るとチューリップのような、二つのくぼみがある。「このくぼみにそれぞれ手を置くんだ。そして首を差し出す。ギロンチン台だよ」というではないか。なんということだ。そして、これこそが、ここに城があったことを証明する遺物だ。
周りをよく見回してみてはっとする。昨日祈りを捧げた教会の十字架が見える。ここは教会の真裏だ。昨日、祈りを捧げる前に、教会の周りを歩いた。真後ろまで来たとき、門が見えた。教会を一周することは出来ないんだ。民家へと入ってしまうと思った私は、そのまま引き換えしたのだった。あのまま、臆せず門をぬけていたら、この場所に立っていたのだ。しかし、そうするとギロチン台の説明は受けられなかっただろう。アルハムドリッラー。
宿まで送ってもらい男と別れる。街の中を散策。ファティマの手だけでなく、この街の扉は面白い。東洋的な動物のついた扉が目に付く。ワイン工場の中庭には、古い大きな石臼等が転がっている。イスラーム朝もこの街では香り高い白ワインが、王宮で振舞われたのではと思いをはせる。
「おい、もう起きろ」帆掛け舟の中でいつしかまどろんでいた。ネグリジェみたいな民族衣装を来た船長に起こされ、私はまた村へと帰っていく。気温が落ちないうちにひよこを家の中に入れなければ。
闘牛と聞いて、私が思い出すのはアフリカのとある村に居候していた時の事。私はまだ闘牛を見に行ったことが無い。闘牛とフットボールのゲームだけは一人で行ってはいけないと思っている。一人はさびしすぎる。
前の日に「明日の朝開けてあげるよ」と言われていたので、翌朝起きると直ぐ、カステージョ・ルナへと向かった。オスタルとバルの兼業のほかに博物館を持っている。バルの戸を開けると、主がこちらを見て「ちょっと待って」と言う。スペインのちょっとはあてにならない。「じゃあ、カフェ・コンレチェを」と頼む。主はカウンターの客と話しこんでいる。客は常連のようだ。鍵を開けてからまた話せばいいのに…なんていうことは言っても仕方が無い。店内を見回すと、所狭しと闘牛のポスターがかけてある。それを見ているだけでも楽しい。常連との話しに区切りがついたようだ。と、その男が博物館に案内してくれた。なんだ。この人が博物館の担当者だったのか。カマレロが客に給仕しながら朝食をカウンターで食べ、タバコを吹かしている国だ。さもありなん。
二匹の可愛い子犬に案内されて、裏庭から小さな闘牛博物館に入った。処狭し…なんてもんじゃない。天井から何からとにかく闘牛と名のつくものは何でもある。小さなお土産からポスター、衣装、牛の耳まで、どこをどう歩いていいのかわからない。担当の男は私がいくら「スペイン語は判らない」といっても、身振り手振りをくわえて丁寧に説明してくれる。判らないなりも興味を示す私を気に入ったのか「ビノは好きかい?」と聞く。「ええ」と答えると、ちょっと待っていてといなくなった。戻ってくると二つのグラスを手にしている。「この土地のビノだ」と渡してくれる。なんとワインを飲みながらの見学。最後は食品庫にまで案内してくれた。天井からはハモンが下がり、大きな冷蔵庫が唸りを上げている。積み上げられた食品のまわり、隙間という隙間に飾りきれない闘牛のポスターや小物が置かれている。
見学を終えてバルに戻ると、またビノを振舞ってくれた。主と男になんでこの街にやってきたか聞かれる。「カリフの街道をたどっているの」と答えると、非常にうれしそうだ。そして、「あいにくだったね。この街のカステージョは壊れている」と言う。「壊れていても、あった所を見てみたいからこれから行く」と言うと「歩いていくのかい?それならこの男に送ってもらいなさい」と主が言う。丁重に断ったが、「歩いていくのは大変だよ。この男は今日は休みだから大丈夫」と主にすすめられる。男は、学芸員どころか、博物館の担当でもなくやはりただの常連だった。男の車で坂を上がった。オリーブの畑が眼下に広がる場所で車は停まった。遊園地のようなところで、屋外ステージがあり、とても城跡とは思えない。不安そうにしていると、「大丈夫、こっちだよ」と歩き出した。遊園地を通り過ぎると、きのこのような岩がそびえている小高い丘が現れた。男はずんずん上っていく。ついていくと、岩のほかに遺構が少し残っていた。「城は?」と聞くと、男は「これさ」と大きなきのこ岩に手をついた。「銃撃戦があったときに壊されてしまったんだよ」という。「こっちへ来てごらん」と言われついていくと、柱の上部のような石が一つ。横から見るとチューリップのような、二つのくぼみがある。「このくぼみにそれぞれ手を置くんだ。そして首を差し出す。ギロンチン台だよ」というではないか。なんということだ。そして、これこそが、ここに城があったことを証明する遺物だ。
周りをよく見回してみてはっとする。昨日祈りを捧げた教会の十字架が見える。ここは教会の真裏だ。昨日、祈りを捧げる前に、教会の周りを歩いた。真後ろまで来たとき、門が見えた。教会を一周することは出来ないんだ。民家へと入ってしまうと思った私は、そのまま引き換えしたのだった。あのまま、臆せず門をぬけていたら、この場所に立っていたのだ。しかし、そうするとギロチン台の説明は受けられなかっただろう。アルハムドリッラー。
宿まで送ってもらい男と別れる。街の中を散策。ファティマの手だけでなく、この街の扉は面白い。東洋的な動物のついた扉が目に付く。ワイン工場の中庭には、古い大きな石臼等が転がっている。イスラーム朝もこの街では香り高い白ワインが、王宮で振舞われたのではと思いをはせる。