イスラミック・ブルー

スペイン、エジプト、イラン、トルコ、チュニジアへ、イスラミックな旅へ。
スペイン/地中海レストランガイド

アザーンと鐘の音

2020-07-13 18:15:38 | エジプト編

ダウンタウンが好き。
エジプトらしい生活がそこにはあるから。
エジプトというとイスラーム教徒ばかりの国と思っている人も多いだろう。
イスラームが認めるキリスト教とユダヤ教もダウンタウンでは感じることができる。
残念ながらユダヤ教徒は絶滅寸前である。
シナゴーグの前には銃を持った警官や軍人がおり、破壊されないように守っているが、朽ちていく姿が痛々しい。
そこここに朽ちていくユダヤ教徒の建物がひっそりとたたずんでいる。

ある日のこと、イスラーム教徒とコプト教徒の大工が一緒に仕事していた。
イスラームの祈りの時間を知らせるアザーンと、教会の鐘の音が同時が聞こえてきた。
二人は手を止めて窓辺で紅茶を飲みながら、お互いの心地よい音に耳を傾けていた。
その後ろ姿と穏やかな空気に、世間を騒がすコロナやテロが醸し出す灰色で重たい雰囲気はなかった。


小さなお店

2018-03-11 23:47:34 | エジプト編


夏暑いエジプトでは、造花が多く飾られている。
生のお花は贅沢な楽しみ。
まだそれほど暑くない、3月のとある日。
近くにオープンした可愛らしい、フイッシュ&チップスの店先に、花々がさきほこっていた。

本当はきっちりしているんですよ!エジプト人

2015-10-07 22:25:17 | エジプト編
本当はきっちりしているんですよ。
ピラミッドの石には、紙1枚入る隙もないし。
市場で並べられた野菜や果物も、きれいに積み上げられているし。
家の中は整然としているんですよ…



ナツメヤシの樹の皮で作る箒の美しさといったらない。
そこいらで売っている安物の箒は、イライラするくらいきれいに掃き清めるということができない。
ぐうにもつかないその安っぽい中国製の箒が8£で買える。
この芸術的箒は10£!なんという破格!



メンフィスのナツメヤシで生計を立てる人達の村では、実を干して売る一家、その隣では、幹を健在として売る家、
こうして小さな小屋の中で箒を作るおじさん、
果物や野菜を入れる籠や家具を作る若い職人のいる工房などが、ひと固まりになっている。
ナツメヤシの樹が一本あれば生きていかれるというのが、この村に来るとよくわかる。
きゅっと巻かれた古い書物の束のような箒は飾っておくのもいい。
問題は、エジプト人は箒の柄が短いのが好きで、長いものが中々見つからないこと。
工房に立てかけてあったこの柄の長い箒は、どこで売っているのだろうか?


憧れのキューカンバ・サンドウィッチ

2015-08-15 00:42:57 | エジプト編

イギリスの本を読んでいると出てくる、キュウリのサンドイッチ。
自分で作って食べても、ぜんぜん文学の世界に入り込めない、「胡瓜サンド」
母は、物語に出てくる食べ物をなんでも再現して作って食べさせてくれた。
私はいつでも物語の世界に、胃袋も満たされつつ飛んでいくことができたが、時にそうならない食べ物がいくつかあった。
その代表が「キューカンバ・サンドウィッチ!」 
日本の我が家で食べるのは「キュウリのサンドイッチ」か 「胡瓜サンド」で、まるで「具がキュウリしかなかった」サンド。

まさか、憧れのキューカンバ・サンドウィッチの本物に、カイロで出会うとは夢にも思っていなかった。
とある、夏の午後。
たまにはマダムを気取って、フォーシーズンズホテルでハイティを と、友だちに誘われて出かけた。

 向かいの動物園の、
カバに餌を上げたり、クーラーを楽しむクマを見たり、
美大生にフェイスペインティングをしてもらう子どもをほほえましく思ったり…
そんなことはすっかり忘れてしまう、別世界。

温かなスコーンに、たっぷりと塗るクロテッドクリームとジャム。

 
どれにしようか迷うお茶。

海老とサーモン!

素敵な建物と部屋と時間。

 

19世紀のイギリスの貴族たちにとって、贅沢品だったきゅうり。
当時イギリスの植民地だったエジプトの高級ホテルに、おいしいキューカンバ・サンドウィッチのレシピはあって当然。
キュウリのサンドイッチ しか知らなかった子どもが、キューカンバ・サンドウィッチを知って、大人になった気分。
あれだけをたくさん食べたいと言う衝動を抑え、またいずれ、優雅なマダムを気取ってハイティに… 


待つ…

2015-08-13 23:29:41 | エジプト編

静かな朝。

静かな午後。

静かな夕暮れ。

静かな夜。

避寒地の王宮の夏。

130年の歴史はゆるやかに時を重ねていく。

外をゆく馬車の音も、130年前と変わらないかのように。

ソファのクッションがちょっと沈みすぎるのも、時の流れを感じさせる。

時の流れにだんだんと沈んでゆく躰と心。

私は何を待っているのか。

チェックインなのか、それとも新たな出会いなのか、それとも封印した思い出を開ける鍵なのか。

待つ。

心穏やかに、待つ時間のなんと贅沢なことか。

いつか、この階段の上から、誰かが降りてきて私に手を差し伸べてくれるまで、

待つ…

 

それとも、ナイルから…?

庭園から…?

lロビーのソファに体をあずけて、待つ。

 

 

 Winter Palace Luxor hotelにて、夏休みの最初の朝。

 


そんなにのんきでいいのかい?

2015-02-17 11:41:39 | エジプト編

エジプトの大通りの道の真ん中で爆睡する野良犬を見ると思う。

おいおいおいおい!
この国は今とても大変だと思われているんだけど、大丈夫!

人が近寄ろうが、話しかけようが、とにかく車さえ来なければ、欲も得も無く眠っていて実にうらやましい。

 

最近は毛並みもいい。
お肉をもらっているのだろうか?
狂犬病の注射をしていないので、街の人たちは犬には触らない。
パンや野菜くずばかり食べている犬も多い。

 

 

 

犬が道端でぐうぐう寝られる世の中が続きますように。
国が荒んで、八つ当たりを受ける筆頭は、小さな動物たち。
すべての生きとし生けるものが、小さな幸せのともしびを、心に持てますように。
 


幸せな時間

2014-12-14 19:00:27 | エジプト編

「まったく飽きずによく見ているねえ…」

エジプトのカイロの市場、ハンハリーリの路地の奥にある、
精巧なイミテーションのファラオニック小物を売る店のおじさん二人はため息をつきながら、私を見ている。
日本大使館はじめ、ツアーガイドにも有名であり、世界のオリエンタルビーズコレクターがやってくる小さな店。
価格は定価で、ほとんど値引きも吹っかけもしない。
その店の大小のざるに入ったビーズを、私は来店するたび、ひっくり返して一粒一粒見ていく。
私が探しているのはイミテーションに混ざった、本物のアンティークビーズ。
私みたいなバイヤーがイタリア、フランス、ドバイ、中国…かつては日本人も訪れた。
革命以降私の独占市場に近かったが、最近また戻ってきている。
買い手が誰もいなかった時期に、たくさん買った私には、特別価格が与えられている。

「いったい何度ひっくり返せば気が済むんだい?」

何度でも、何度でも繰り返しひっくり返すに違いない。
なぜならば、どんなに分類しても、次行くともう混ざっているから。
そして、新たな物をまた足しているから。
いつまでもいたちごっこ。

この店の在庫は、おじさんの家のストックに至るまで、見られるものはほとんど触ったに違いない。
最近はさすがに、ざるの底まで総ざらいはもうしないけど(新しいものは上に撒いているはず)

近頃の私はこの古代のビーズののれんを眺めている。
色とりどりの古代と同じ泳法で今も作られている素朴なビーズ。
これを使って、あれも作りたい、これも作りたい。
アトリエにも、同じようにかけておきたい。
見ているだけで幸せになる。
そんな私を見ている店主兄弟もまた幸せな笑顔を見せる。

この国に起きている問題が嘘のような、暖かな空気と時間が流れている。


お盆です。

2014-08-15 23:42:50 | エジプト編

お盆です。
何してるんですかって?
お盆ですからねぇ
やっぱり、茄子ときゅうりじゃないでしょうか?
ただし、私、割り箸をたくさん持っていないので、牛と馬には足をあげられませんでしたけども。

8月14日は私たち家族にとってはとても大切な日です。
祖父を早くに亡くした私たち孫全員を、大おじが毎夏8月14~16日まで、「おじいちゃんの代わり」と、夏の家に招待してくれました。
質素倹約に努めて、私たちの為にお金をためてこの3日間大きな大きな花火を、毎年打ち上げるかのような大イベント。おじさんの望みは、「私が死んでもこの日にみんな集まってね」というものでした。
その願いがどれほどのものだったか…
おじさんがこの日に亡くなって、ひしひしと感じました。

そして、2013年。
エジプトでは800人以上の人が、バキュームカーで吸い取られるように「排除」されました。
日本と違って、あの道路を埋め尽くしていた場所には、当時も今も、冷たい風が吹くような、おどろおどろしさは全くありません。
私がこの目で見ていた、座り込む人達。武器を振り回す人。遊んでいる子供たち。睨み合う軍隊…
すべては、あっという間に「なくなってしまいました」。
日本だったら絶対、魂がうようよしていそうなのに…

お盆は関係のない国ですが、
心静かにすごしたい、カイロの「お盆」です。

さて、この茄子ときゅうり、どうやって食べたかと言うと…
実はまだ、ぬかみそに漬かっています。
お盆休み、日本に帰国中のマダムからお預かりした糠床、毎日楽しくかき回しています。



三匹のこぶたのおうち

2014-07-26 21:17:48 | エジプト編

「ちょっと!ちょっと!大丈夫なの?この家??」

私が建てたんじゃなかろうか?と、錯覚する家が軒並み建っているエジプト。
ちゃんと大工さんが建てているんですけども…
どうしたらこんなめちゃくちゃな家が建てられるのかと、あんぐり口をあけてみてしまう家がたくさん。
特に革命以降、違法建築の横行がすさまじく、建てた者勝ちということもあり、
突貫工事であっという間に建つビルが少なくない。
これは特にひどい。
レンガはぐずぐず。窓枠ががたがた。
さすがに誰も買う人がいないとのこと。
オーナーは、大金持ちでドケチの変人。大きなピカピカの外車で見に来るけど、足元を見るといつもビーサンなんですって!
何なの!

これでも…

これでも…

いずれにしても、耐震建築には程遠く、どれもこれもこぶたのおうちに見えてしまうのは気のせい?
なんか変だと思いませんか?
窓が少ないでしょう。
暑い国ならでは。日当たり良好南向きが好物件なのは、寒い日本のお話。
地震、最近カイロであるんですよ。
私はまだ感じたことがないですがね。
いいのかな?いつまでもこぶたのおうちで…


花の生け方

2014-07-05 23:21:49 | エジプト編

日本にいた時は、近所の早稲田大学の一般公開されている講演会や勉強会によく通った。
どのくらい通ったかといえば、大学から学部生を上回る単位取得をしたとして、立派な修了証書と記念品をいただいたぐらい通った。
そこでお世話になった先生が現在カイロに赴任されている。
私がカイロに来たご挨拶に行くと「講話やセミナーをやっているから来なさい」と強制…じゃなくて、ありがたいお言葉を頂戴した。
まさかカイロで日本語のレクチャーを受けられるとは思わなかった。
そして、「来る時、花を買ってきて」とお願いされるようになった。
お花は大好き!それは喜んで引き受けた。
自分で買うのとはまた違ったセンスを要求されるが、日本と違って、花の種類が極端に少ない。
カーラーやふんわりした薔薇、蘭は予算オーバーでいつも買えない。
いつも手ごろなお値段で買えるのは菊。
菊ですよ…菊。
変なところで日本人が顔を出して、白い菊がたくさんの花束はなんとなく、テンションが上がりません。
今回もまた、少ない予算で大きな花束にするには、菊が威張っています。
そしてグラジョウラスの使い方にびっくり。
そもそもまがったグラジョウラスを日本で見たことがない気がしますが、
花を内側に、菊を抱えるような配置。
エジプトならでは…


あいも変わらず、世はこともなし

2013-08-03 15:02:32 | エジプト編

「大丈夫!?どうしているの??」

日本からかかってきた電話に、私は今回もまた間抜けな返事をしました。
1月25日革命の際は、ルクソールに引きこもり「ロバとお話している」と答えて、みんな、あんぐりと口を開けていました。

ええ、私、危ないとか、痛いとか、嫌なんです。
だから、のびのび生活できない所にはいません。

今回は以前よりも状況が判っていることに加えて、カイロで仕事をしているので、
早々カイロを離れることができません。
やっているんだかいないんだかわからない勉強も続けています。
私の興味ある時代は古王国時代です。
サッカーラの人々の生活のレリーフは私の心を魅了してやみません。
その近所の村も大好きです。
現代エジプトには古代が生きています。
しかし、職人の技を子どもたちは継がない傾向にあります。
日本人よりも寿命の短いエジプト人のおじいたちからいろいろ聞いておかねばなりません。
目下、私は籠職人に弟子入りしています。
そんな時、電話がかかってきたのです。

いなかの村にデモやもめごとはほとんどありません。
「サッカーラで籠作ってるよ。これが終わったらね、イスとテーブル、親方と作るの」
そんな私の答えに、日本の友人は言葉もありません。

帰り道は絶景です。
ナツメヤシ畑に沈む巨大な夕日を見ながら、運河沿いをバスは走ります。
そして、ピラミッドに近くなると夕日もピラミッドの向こうに消えます。
そこからまたさらにバスとメトロを乗り継いで帰宅するともうバタンキューです。
近所のタハリール広場で何をしているかなぞ、知る由もありません。
翌日ニュースを見て「へ!」などと思うこともしばしばです。

あと数日でラマダーンが終わります。
断食月の間は日中飲み食いができません。
職人は仕事ができないため、昼夜が逆転します。
いなかに深夜、女一人で行くことはできないのでこの間はお休みです。
静かな村。あのすばらしい夕日。
そしてどこに置くのか?日本に持ち帰るのか?
そもそも私は作ることができるのか?
ヤシの家具を…
インシャッラー

地球散歩にも書きました。
こちらは新市街の仕事の話です。
http://blog.goo.ne.jp/pinacordoba/e/bca9a90df7db410f364d3deb478dd480


ある日、大当たりを引く

2013-04-22 23:25:26 | エジプト編

丸ひと月何もしないでこもっていた。
時が止まったように、誰からも連絡も来ず、
寝たいだけ寝ていた。

ある日、むっくり起き上った。
ふと開いた不動産屋の物件を見てメールを送ったものの、
エジプトポンドとユーロを見間違ったことに気がついて、すぐに取り消しのメールを送った。
エジプトポンドとユーロでは10万円単位で家賃が違う。
ところが、その不動産屋からすぐに電話がかかってきた。

「あなたにぴったりの物件があるかもしれないから、希望を全部言ってみて」
私の希望を聞くとすぐに折り返しますと言って電話は切れた。

不動産屋から15分後再び電話がきて
「今あなたのいるところから10分のところに、ぴったりの物件があるから、10分後に見にいきませんか?」
きけば、そこは言わば銀座の和光の前…
そんなところに人の住むところがあるのか?
散歩がてら出かけてみると、とても門番とは思えないお兄さんが立っていて、案内してくれた。
この国の門番のイメージは、いつでも民族衣装である。

エジプト人の友人が誰しも「エジプトにワンルームはないよ」と言っていたが、
私にちょうど良い小さくてきれいにリフォームされた部屋がそこにはあった。

アマルナのレリーフが壁を覆い、
マリメッコのような花模様のピンクの新品のソファがリビングにしつらえてあった。
キッチンは新しいシンクに、新しい食器と鍋が並べられていた。

不動産屋から電話がきて一時間後、私はもう契約する返事をしていた。

エジプト有数の会社の本社が並び、
きらびやかなブティックが軒を連ねる。
映画やドラマのロケに使われる、古い建物やホテル。
王宮。

国立図書館。


銀座通りから少し入ったところに広がる19世紀から20世紀初頭のフラット。
市場。

これぞ神様のおかげで!


薔薇一族

2013-03-22 23:58:47 | エジプト編

カイロの迷宮の入り口。
ハンハリ―リ市場の裏通りにに張り巡らされた、薔薇一族の小さな店。
エジプト人に苗字がある人は少ない。
たいていは七代前までさかのぼった名前が正式名称。
寺町の門前の七味唐辛子屋のような存在の香水屋がモスクの傍にはある。
薔薇の名字を持つこの一族は、いつから薔薇香水を作り続け、門前で売っているのか…
蜘蛛の巣のように、小さな店を増やし、立ち寄った観光客を最終的には、香水屋へと導く。
何事も最初が肝心。
私の手から生まれたものが、エジプトに根を下ろすのはいつになるのか。
それは神のみぞ知る。
でも、最初に世に出すのは薔薇一族の店からと決めていた。
今、その店頭に、所狭しと並べられたものの中に、私の真珠も身を潜ませている。
誰かの目に留まるのか? 手に取る人はいるのか?
いくらで売れるのか?
誰にもわからない。
ずっとそこにかけられたまま、朽ちてゆくのかもしれない。
それもいい。
「どこで売っているのですか?」そう聞かれた時、
私は

「カイロの城壁の中、18世紀から続く軒下の、薔薇一族の店に」

そう答えたいだけ。
おそらくは何千年も作り続けている、薔薇香水の魔法にかかって、
千夜一夜の夢をのせた私の何かが生まれるきっかけになるかもしれない。


基地

2013-02-28 12:49:55 | エジプト編

潜伏生活も終了。
あの灰色の空気はどこへやら。
カイロは、いつもの喧騒に包まれている。
隣の小学校からは、始業とともに国歌斉唱する元気な子どもの声が響いている。
さて、まだ定住には至らないが、前線基地は決定。
どこへ行くにも50分以内。
ネット回線も抜群。
しばらくはここでのんびりと過ごそう。

 


ホテル・ロータス

2013-01-31 18:37:41 | エジプト編

19世紀の建物を改装して若者たちが始めたこじゃれたホテルは居心地が良いけれど、
潜伏生活には向きませぬ。
革命とは?
何やら大それたことのように聞こえます。
しかしその場、その時は、何が起こったのかよくわからないものが革命と、
身をもって知った二年前。
革命から二年立ったその日、人々はあの革命の日に夢見た世界が現実になっていないことを憂いています。
それから一週間後の明日。
国を揺るがす何かが起きるかもしれない。
革命の日よりも、新たな指導者を選ぶ選挙の日よりも、
明日が見えない不安に包まれています。
そう感じるのはなぜか?
もしも、抗議するデモ隊があふれかえって、どこにも出ることができなくなったら?
そんな時は、楽しいところに泊まっているに限ります。
ホテル・ロータスは1950年代に建てられた、アールデコの家具のあるホテル。
設備は古くて、骨とう品みたいな家具と従業員。
そして、やっぱりいました!
いると思っていましたよ。
真っ白な白髪の肌の白い西洋人のおばあちゃんが、きちんとスーツを着こなして、
いつもロビーに座っています。
話しかけても、耳が遠いのか、振り向きもしません。
きっと、何かロマンスがあったのでしょうね。
このホテルを終の棲家にした訳を、もう彼女は忘れてしまったかもしれません。
お掃除のおばあちゃん、ベルのおじいちゃん。
レセプションのおじさんたちは、彼らの子どものようです。
ホテルとともに、年老いていく従業員たちのきらきらとした瞳。
あまり冗談も言わないけれど、優しいまなざしに、ふと手を見ると刺青があります。
コプトの人たちです。
コプトの人たちは、穏やかで優しくまじめです。
外でどんな大騒ぎがあろうとも、
ここではナイルの流れのごとく、ゆっくりとした時が流れていることでしょう。