私の終の棲家は、
青い空、
碧い海、
白壁の家、
そして咲き乱れる薔薇、薔薇、薔薇…
そんな夢の家を髣髴とさせる、
静かな処へたどり着いた。
薔薇の町へ行きたくて、
薔薇の町でバスを降りて、
数少ない英語を話すお姉さんを紹介され、
「この町にある素晴らしいものは、薔薇と湖よ」と言われ、
たどりつた小さなカフェテラス。
紅茶に添えられた一輪の薔薇、
「ゆっくりしていって」と、ウインクして、どこかへ行ってしまった店員。
迷い込んだすずめがパンくずを探し、
風に揺れる、海岸沿いの薔薇を眺め、
日記を書いたり、手紙を書いたり、
ただ、海を見たり…
紅茶のおかわりがそっと差し出されたり、時間がゆっくりと流れる。
この町に、かつて私がいたかといえば、
その気配はかけらもなく、
私の大好きなものが、トルコという宝石箱の中に、
詰まっていた事を、紅茶の甘さに感じる。
思えば、初めて地中海を見たとき、
私の地中海はここではないと愕然とし、
そのショックに口も聞けないで、流し込んだ甘ったるい紅茶。
まるで溶岩が流れるがごとく、いつまでたっても胃に到達しない、
どろどろとした感触。
美しい甘さは、なんと軽く、さらさらとしたものか。
みぞおちを突き刺すような、ガラスのような鋭さも、
べたべたするしつこさもなく、とけてなくなるただ、甘い余韻。
この湖を、
この町を、
思い描いた事は一度もないけれど、
イメージする世界にぴたりと当てはまる処にこられた喜びは隠す事も出来ず。
帰りぎわ、お金を払おうとする私に店員は、
「なにもいらないよ。君はここに、居たいだけいたらいい。
もっと薔薇を摘んでこようか?お茶のおかわりは?
帰るのかい?またいつでもおいで」
まるでここが、ずっと昔から私の指定席だったかのような店員の態度に、
ただただ、嬉しい顔を見せる私。
店員はそれ以上何も聞かず、追いかけてもこないで、私がまた明日、そこに腰掛けるかのような態度でいた。
この町が、かつてイスラームにとって重要な地であったことを私が知るのは、帰国してだいぶ経ってからのことである。