イスラミック・ブルー

スペイン、エジプト、イラン、トルコ、チュニジアへ、イスラミックな旅へ。
スペイン/地中海レストランガイド

折り紙

2006-08-07 23:51:07 | いにしえの話

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 紙。紙は中国で生まれて、地球を東へ、西へ。人の手を渡って日本へ。スペインへ。スペインから広くヨーロッパへと伝えられた。 
 宗教にとって紙は、信仰を伝える大切なものであった。 
 イスラーム文化が、スペインに紙をもたらせた。不思議なことに、スペインと日本の紙の歩みは非常に似ている。 日本人で、折り紙を触ったことのない人はまずいないだろう。そして、大方の人が一度は鶴を折ったことがあるはずだ。
 スペイン人もしかり。スペイン人で折り紙を知らない人はいないと思われる。そして、小鳥を折ったことが遠い記憶の中にあると思われる。日本の児童教育に折り紙が取り入れられているように、スペインの児童教育に折り紙は入っているのである。折り紙のアジア起源は日本。そしてヨーロッパ起源はスペイン。 
 その昔、中国が地球の中心であった。地球の果ての国で、紙は折られ、鳥になって羽ばたいている。折り紙といって、イメージするものまでが同じ、この偶然は何であろうか?  
 スペイン語で折り紙はpapierflexiaだが、小鳥(の折り紙)を意味するパハリータ(pajarita)でも通っている。  
 
 折り紙の小鳥は、歴史と想いを乗せて、何処までも羽ばたいていく。  

 スペインの折り紙を知りたい方は、スペイン折り紙協会をご覧ください。そして、翻訳して私に教えてください!


オリーブ

2005-05-21 11:36:57 | いにしえの話
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 日本人にとって万能薬であり、郷愁の木の実といえば梅。地中海世界の梅はオリーブ。オリーブなくして、地中海世界の歴史は語れないといっても過言ではない。
 バルでのつまみは、オリーブが一番。ぷっくりとしたみどりのオリーブをまず注文する。カウンターではそれだけで「オ!通だね!」と話し掛けられ、常連の人たちとの会話の糸口となる。オリーブの旨いバルは会話も旨い。(スペインでは、まずい食べ物に当る事のほうが難しい)
 
私を象徴する木は、泰山木とアカシヤとオリーブ。泰山木の大木のある家に生まれた。真っ白い大きな花が咲き、香しいかおりが家を包んでいた。そして、私の誕生記念で植えられたバラの脇に、鳥が種を落としていったアカシヤが芽を出した。たくさんの芽が出てくる裏庭で、私はこの小さな苗を小石で囲い、草むしりのときに抜かれてしまわないよう気をつけていた。そして、鉢植えにして今でも大事にしている。当時オリーブの木を日本で見ようとしたら、小豆島ぐらいでしかなかったと思う。オリーブの種を、鳥が運んでくるのを未だに夢見ているが、あるのは漬物オリーブの種ばかりである。
 
 地中海世界で発掘していると必ず出てくるのはオリーブの種である。紀元前2千年のオリーブの種は、掘りおこされると、スミレ色である。それはまるで古代の雨粒が結晶になって、残っているようである。青い空の化石。(古代オリエント博物館所蔵・サンシャインシティー内) 
古代ギリシャ、ローマ、キリスト教、イスラーム教…地中海世界文化圏で、オリーブは重要な意味を持ち、また象徴である。油が取れることから、火を生む。古代世界において火はとても神聖なものと考えられていた。光の元となる火を生み出すオリーブ。イスラームではオリーブを、世界の中軸をなす木と考え聖なる木と考えられている。
 地中海世界の宗教画の多くに見られる「生命の木」のモチーフ。この葉はオリーブだろうなと思えるものがたくさんある。
 桃栗3年柿8年というが、オリーブが実をつけるのは、苗木になってから10年から15年もかかる。植えてもすぐ収穫が出来ないため、農家は地代が払えない。このことから、土地所有に関する契約が生まれたり、また収穫ができるようになると、労働者に対する問題が出てきた。オリーブは手がかからない。収穫の時期だけ大量の労働力を必要とする。そのため、まるで古代エジプトの神殿建築の労働体制のようなシステムが引かれた。古代エジプトでは農閑期に、神殿やピラミッドを建て、人民が餓えないようにしていた。オリーブ栽培地域では収穫期以外、人々は石工となり、岩場を切り開いてオリーブ農園の建築工事を担うようになった。
 
 「毎日大さじいっぱいのオリーブオイルが健康の秘訣」とはイタリアのマンマの言葉だったか?バルに立ち寄りながらの酔いどれ散歩旅。長生きの極意がここにあるかもしれない。

青と白のパティオ

2005-04-06 22:28:22 | いにしえの話
 暖かくなって、花という花がいっせいにほころんだ。桜が咲き乱れ、美しい日本晴れに文字通り花を添えている。スペインも花の美しい季節がやって来た。5月に入るとアルハンブラなどの庭園や、マドリッドのバラ園は地上の楽園となる。もちろん各家庭のバルコニーやパティオも、ゼラニウムをはじめとする花々でいっぱいになる。
 そのスペインのパティオに、大きな湯船みたいな綺麗なタイル張りの一角を見ることがある。大抵は屋根がついていて、そして、洗濯板がおいてある。かつて、人々はここで洗濯していたのだ。実際にまだ洗濯しているのを私は見たことが無い。大抵水は無く、真中だけが磨り減った洗濯板はひび割れが入る。
 私は昔から洗濯板で手洗いするのが大好きである。洗濯機に入れる前に、ちょっと部分洗いすると洗濯物は真っ白に仕上がる。水が温んで洗濯板が大活躍の季節がやって来た。
 洗濯板でぎゅっぎゅっと洗濯物をこすりながら思い浮かべるのは、パティオの洗濯場。真っ青な空の下で、真っ白に洗い上げるリネン。パンパンと威勢良く広げて干すのはどんなにか爽快だろう。今以上に洗濯が好きになるに違いない。
 そして、密かに思っていること。あそこで犬を風呂に入れたら楽だろう。家中を水浸しにされることも無く、オレンジかぶどう棚の木陰で体を震わせて水気を飛ばし、体を舐める犬の姿はきっと絵になる。
 パティオで洗濯。私の夢。

ファティマの手

2005-02-22 00:02:46 | いにしえの話
 スペインでイスラミックなものを見ようとすれば、それはコルドバのメスキータや、グラナダのアルハンブラを思い浮かべることだろう。とにもかくにも、アンダルシアに行かねば見られないと思いがちである。しかし、今日のスペインにも、イスラミックなものはあふれている。いたるところにある噴水は紛れもないイスラーム文化である。
 そして8世紀から15世紀まで栄えたイスラーム王朝は、地名、言語、生活に大きく浸透した。現在の地名や食品の多くにアラビア語との類似性が見られる。そしてスペイン語のうち約1万語はアラビア語が語源である。なにより、スペイン人の「今日出来ないことをムリしてやるなよ。明日やればいいじゃないか」と言う考え方は、「ボクラ・インシャッラー」という意味の「明日。神がお望みならば」という考えと同じではないだろうか。イスラームでは、絶対に出来ると確信があることでも、簡単にハイとは言わない。答えはいつも「インシャッラー(神がお望みならば)」である。砂漠のような気候の厳しい地では、何が起こるか判らない。大丈夫と確信があっても、ダメなこともある。だから常に「インシャッラー」である。そして物事が終わった後は「アルハムドリッラー(神のお陰で)」である。

 私の旅はいつでもインシャッラーである。ガイドブックも殆どなく、ネットでの検索もスペイン語に堪能でないと難しかった頃、私はグラナダやコルドバからバスに乗って、小さな村へと入っていった。バス停の周りが拓けている。そしてオスタルの標識のある村でひょいと下車する。時には、高級ホテルしかない村に。またあるときは、大きな商店街があり、人も多いと安心して下車すると、宿泊施設の全くない村であったり。そんな時はうろうろ探し回り、またバスに乗りなおす。次の村にたどり着いて、部屋があると「アルハムドリッラー」と心の底から思う。

 荷を置くやいなや、私は村の中へ飛び出す。シエスタの時間の楽しみは、村の家々をジックリ見るよい時間だ。静まり返って、人通りも殆どない時間。壁や瓦、ゼラニウムの花を遠慮なく見ることが出来る。そして古い建物のベランダを見上げる。ベランダは大抵タイル張りである。そして、現代のタイルは目に付く表面だけに模様を配しているが、古いものは違う。道路から見上げると、普段は気にしない裏面にも、きちんと模様が焼き付けてある。それらを首が痛くなるほど見るのが楽しい。そして、表にはどんな模様が焼き付けてあるか想像するのである。
 そして、ドア。古ければ古いほど良い。手のドア・ノッカーを探す。これぞまさしくイスラームのもの。これは魔よけ。ファティマとは、予言者ムハンマドの娘であり、四代カリフの妻。彼女は非常に献身的な女性として、民衆から慕われた。彼女の手が悪いものを跳ね除けると考えられている。また五本の指はイスラームの5行(信仰告白・巡礼・礼拝・断食・喜捨)を意味し、魔よけの護符として使われる。リアルな節や爪まで表現された手から、小学生が彼氏にはじめて編んだ手袋のような、なんとなく手の形?というものまでさまざま。骨董市で探すのも面白いが、やはり使われているファティマの手がすばらしい。まるでアリババと40人の盗賊気分で、家々のドアを舐めるように見て歩くのである。
このときばかりは「シエスタっていい」と思うのだ。店も美術館も閉っている時間。郷に入りてはで、昼寝するも由。ただ、こんな楽しみもあることをこっそりとお知らせする。