祈りを捧げるとき
いつのころからか、心が空っぽになるようになった
神様に、お願い事はするものではないという
日々の感謝の気持ちが、
くりかえし、くりかえし、幸せをもたらすと
時に、愚痴をこぼしてしまうことも
そして、必死の願いを、強く訴えてしまうことも
もちろんあれど、
最後には、
真っ白な心で祈っている自分がいる
祈りの場所があるとは、
なんと幸せなことか
祈りの時間があるとは、
なんと幸せなことか
愚痴でも、お願いでも、祈ろうとする時をもてること
その小さな余裕を与えられたことを
神様に感謝する
おそらく、
その事に気がついた時から、
祈りの時、
無限に広がりを見せる、まっさらな、真っ白な、祈りの時に、酩酊
祈りに酔いしれる
ラマダーン月の今
イスラームの人々は断食し、その辛さを体感することで、
日々の糧のありがたさを、神に感謝する。
満たされているはずの日々
満たされていない時も、
祈りの時は常に空っぽになる
真実の酩酊
phot:Sidi Bou Said in Tunisia