先週の3日(木)~5日(土)まで、新城建設業協会の東北視察研修に参加。
行先は宮城県南三陸町。
自分自身は、昨年の6月に新城地域協議会の人材育成研修で訪れて以来、
2回目の南三陸町への訪問となる。
はじめに、防災庁舎を訪れる。
はじめに驚いたのが、庁舎の後ろに積み上げられた盛土の高さ。
こちらが1年3ヶ月前の状況。
周囲がうず高く嵩上げされている様子に、復興が進んでいる印象をうけるものの、
今後、この嵩上げされた上に住宅移転がされていく時間を考えると、
復興にはまだまだ遠いことを実感する。
こちらも同じく、1年3ヶ月前との比較。
上が昨年、下が今年。
左の造成箇所は、昨年と比べかなり整形されたことが分かるが、
その先では、まだまだ造成工事が行われている。
今回、南三陸町を訪れることとなったのは、協会員である豊根村の伸和建設さんに、
被災後に、同町の漁師の方が2名、一時避難されていたことからである。
そして、その方々のご紹介で、同町で建設業や生コン会社を経営される
高野グループの社長さんの話も聞くことができた。
防災庁舎の近くにあり、震災時に300名超の方を救った、あの「高野会館」の経営もされていた方だ。
※写真は昨年のもの
高野社長のご紹介は以下のHPに詳しく記してある。
http://www.doyu.jp/topics/posts/article/20110712-134154
高野社長は、震災以前より防災意識が非常に高く、
いざというとおきのために、社員一人一人の行動計画も策定されていた。
そのため、震災直後には、生コンクリートミキサー車を高台に移動させるなど、
社員は自主的な対応を図り、被災を最小限で免れることができた。
そして、そのおかげで、ミキサー車は被災後は給水車として活躍したり、
高台にあった鉄鋼場は、避難所として使用されたそうだ。
また、国交省や警察とも激論を交わしながらも、
土砂崩壊により陸の孤島となっていた地域への道をいち早く切り拓き、
支援物資の補給体制を整えられた。
「地域のために」とは、我々、建設業者が常に口にする言葉であるが、
実際に、あの状況下で、ここまで地域のために尽くされた姿勢に、頭が下がる。
震災前は、地域全体で5万立法メートルしかなかった生コン需要は、
いま、1社だけでも5万立法メートル以上の需要があるそうだ。
そのために設備投資にも相当の費用をかけているそうだが、
おそらく2~3年すれば、また、以前の需要量に戻り、
投資したその設備が、会社経営の重荷になるかもしれないなぁ、と。
「でも、いまは復興のためにやるしかないから」
明るく笑い飛ばすその姿に、スケールの大きさを感じた。
地域における企業のあり方、そして経営者の資質について、
多くの学びを得た研修であった。