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「根拠のない臨時情報を出すべきでない」学者は座長を辞退した 官僚や政治家たちが「地震ムラ」を維持しようと…

2024年08月17日 | 自然・農業・環境問題

「東京新聞」2024年8月17日 

<南海トラフ臨時情報を問う③>
 政府が8月15日午後5時に終了した、南海トラフ地震臨時情報「巨大地震注意」の呼びかけ。自粛ムードを引き起こしたこの制度は、どのような経緯でできあがったのか。南海トラフ地震を巡り科学と政治の関係を問い続け、著書「南海トラフ地震の真実」で菊池寛賞を受賞した東京新聞社会部の小沢慧一記者が、問題点をたどった。(全3回の最終回です)

◆「臨時情報」誕生の経緯

 臨時情報は地震予知を前提にした大規模地震対策特別措置法(大震法)の「警戒宣言」に代わり、誕生した制度だ。経緯をたどると、予知が不可能だとわかった後も既得権益を維持したい官僚、自治体、政治家、研究者からなる「地震ムラ」の思惑が透けて見える。
 大震法は東海地震説を受け、1978年に制定された法律だ。東海地震の前兆現象を捉えると専門家たちで検討会を開き、東海地震につながりうると判断した場合は総理大臣が「警戒宣言」を出し、新幹線を止めたり、学校や百貨店などを閉じて地震に備える。

 東海地震説 1976年に神戸大の石橋克彦名誉教授(当時は東京大理学部助手)が「駿河湾で大地震が明日起こったとしても不思議ではない」として提唱した地震説。これを受け、1978年には地震予知を前提とした大規模地震対策特別措置法(大震法)が施行。東海地震の前兆が観測されれば総理大臣が強制力のある「警戒宣言」を発令するという仕組みが作られた。

 法律制定により地震予知は国家プロジェクトとなり、関係省庁や地震学者が大いに潤った。東海地震の震源を中心に観測機器が多数設置され、検討委員に選ばれることは地震学者としての成功を意味した。

◆大震法が存続する矛盾の中で

 ところが、95年の阪神大震災を契機に地震予知への批判が高まり、代わりに統計的に予測する「地震予測」にかじを切ったかのように見えた。ただ、内実を見ると看板をかけ替えたに過ぎなかった。
 地震予知ができないにもかかわらず、大震法は40年以上続いている。2016年の見直し検討時、新聞の社説などでは、その矛盾から大震法の廃止を求める声が上がった。
 だが大震法は廃止されず、警戒宣言に代わり、臨時情報を作り出した。国は基本的に情報提供を行うのみになり、それを受けて地方自治体、企業、個人がそれぞれ防災対策を行うことになった。対策は国から丸投げされた。

◆訴訟回避の名目で…

 なぜこのような不可思議な経緯を歩んだのか。16年に政府から座長就任を要請され、辞退した関西大の河田恵昭・関西大特別任命教授(防災・減災学)が23年、本紙に事情を話している。
 河田氏は「政府の見直しの目的は訴訟回避にあっただろう」と振り返る。大震法の枠組みでは、予知ができることになっている。河田氏は「予知ができるとしているのに、南海トラフ地震が予知情報なく突発的に発生し、避難所や応急救助で支障が出たら、予知を怠ったせいで支障が出たとして政府の不作為が問われかねない可能性がある」と指摘したという。
 「(16年の)熊本地震の規模でも対応はパンクした。想定する南海トラフ地震が起きたらもっとすさまじい支障が出るとは、火を見るより明らかだった」

◆「既得権益を尊重し合う地震ムラの構造は維持された」

 そこで、河田氏は内閣府の防災担当参事官と話し合い、「東海地震は予知できないことにしないと駄目だぞ」と助言したという。結局、政府が提案してきたものは大震法を廃止にもせず、警戒宣言の代わりに臨時情報を残すというものだった。「予知体制を維持するために科学的根拠もない臨時情報を出すべきではないと、私は座長を辞退した」と振り返る。
 政府はなぜ大震法の廃止を避けなければいけなかったのか。河田氏は「大震法は議員立法だが当時の政策立案者は既におらず、今の担当局長や参事官が矢面に立たされる。彼らは2年も経てば異動なので、それまで耐えられればよかったのだろう」とみている。
 
 「日本の地震予知130年史」を書いた科学ジャーナリストの泊次郎氏は、大震法を残すことで、各省庁はいつまでも予算と人員を確保できるし、国の委員となっている有力な地震学者は予算の配分に影響力を持てると指摘する。
 「大震法の廃止なんてはじめからできるわけがなかった。これで各防災機関や有力な研究者が既得権益を尊重し合う地震ムラの構造は維持された」
 

南海トラフ地震がこの猛暑に起きたら…たどり着いた避難所で命を失いかねない「エアコンなし体育館」の実態

2024年08月16日 | 生活

「東京新聞」2024年8月14日 

 こちら特報部

日本列島で災害が相次いでいる。日向灘で地震が起き、南海トラフ地震臨時情報が出たかと思えば、東北に台風5号が上陸。今後は東日本に台風7号が接近するとも目される。猛暑の今、特につらいのが避難生活だ。避難所になることが多い小中学校の体育館では冷房がない例が目立つ。そんな環境は人命を脅かしかねない。我慢に頼る避難所はもう、改めませんか。

(太田理英子、山田雄之)

◆20カ所のうち「冷房なし」は18カ所

 「今、避難所の準備を検討しているところです」。千葉市防災対策課の担当者は台風の進路に気をもむ。気象庁によると、13日に発生した台風7号は発達しながら北上し、15日以降に東日本に近づく恐れがある。

 市内の避難所は272カ所で、うち小中学校は160カ所。体育館にエアコンが設置されているのは1校もなく、設置工事は来年度からという。近年はコロナ禍も踏まえ、体育館を中心とした避難所運営を転換。現状ではエアコンがある教室の活用などを想定する。

 猛暑下の避難所に頭を悩ませるのは、8日の南海トラフ地震臨時情報を受け、防災対策推進地域になった自治体も。愛知県岡崎市は8日に20カ所で開設したが、小中の体育館の18カ所はエアコンがないため、2カ所のみに変更した。担当者は「高齢者らの避難も想定され、せっかく避難したところで健康の悪化を招くわけにはいかない」と語る。

◆「一部屋でもあれば」含め「冷房64%」

 避難所の暑熱対策は、能登半島地震で被災した石川県でも懸案だった。

 輪島市と珠洲市は5月、県に27避難所での冷房設置を要望し、急きょ取り付けられた。七尾市では最高気温が30度を超え始めた6月、当時5カ所だった避難所のうち、エアコンがない2カ所を閉鎖。避難者は移動を余儀なくされた。市防災交通課の担当者は「体育館は構造上冷えにくく、スポットクーラーだと20台以上が必要。真夏はそれでも足りないと考えた」と話す。

 文部科学省の調査では、全国で避難所に指定される小中学校や高校など約3万校のうち、冷房機器があるのは22年12月時点で64.9%だった。ただこの調査では設置場所に教室や会議室も含め、「利用可能な冷房機器を保有している部屋等が一部屋以上あれば、避難所として保有しているものとしている」と見なした。

◆「体育館に設置」は東京が82%と突出

 同省の別の調査では、小中の体育館に絞った設置状況が公表されており、22年9月時点で11.9%にとどまった。都道府県別の設置率は東京都が82.1%と突出する一方、20%超は大阪府や兵庫県など4府県に限られ、1桁台が大半だ。

 避難所になることが多いのに、なぜ小中の体育館で冷房設置が進まないのか。

◆1基数千万円…財政力の格差あらわ

 文科省施設助成課の担当者は「児童生徒が長い時間を過ごす普通教室や特別教室での設置を優先する自治体が多い。財政規模の違いも表れているのでは」とみる。体育館でのエアコン設置は1基で数千万円単位という。一部を国が負担する補助制度もあるが、整備が進んでいないのが実情だ。

 前出の岡崎市の教育委員会も「金額の規模に加え、一斉設置だと作業員の人手不足もある。設置を急がなければいかんという声もあるが…」と困り果てる。

 教育評論家の親野智可等(ちから)さんは「本来、体育館は学校や地域の行事の拠点。炎天下の校庭に出られない子どもの遊び場としても重要な施設。非常に優先度が高いと考えるべきだ」と強調。設置費に加え、ランニングコストも膨大になることを踏まえ「自治体任せでは限界がある」と指摘する。

◆真夏日の期間は半世紀で60日広がった

 親野さんは続けて「防災の観点から考えると、冷房設備がないのは命の危険に直結する問題」と語る。

 そう思わせるのが近年の猛暑だ。東京都心は昨年までの過去6年で、最高気温35度以上の猛暑日が年間10日以上となった年が5回あった。今年も12日時点で猛暑日を17日記録。過去最多だった昨年の22日に迫る。

 暑い時期も延びている。半世紀前の1973年は最高気温30度以上の真夏日を記録したのは7月上旬~9月上旬だったが、昨年は5月中旬~9月下旬。期間にして60日ほど広がった。

 危険な暑さが続く中で避難所に冷房がない場合、心配なのはやはり熱中症だ。

◆避難所生活で「熱中症」深刻化の恐れ

 全国有数の暑さで知られる埼玉県熊谷市で25年以上、年間100人超の患者を診察する埼玉慈恵病院の藤永剛副院長(内科)は「室温が高ければ熱中症になるリスクは高まる。冷房がない環境は、最悪と言ってもいい。体調変化に気付きにくい高齢者は特に注意してほしい」と強調する。

 体温が上がり、体内の水分や塩分のバランスが崩れて生じる健康被害の総称が熱中症。初期の症状は目まいや立ちくらみ、吐き気などで、重症化すれば脳や臓器などの深部体温が上昇、意識障害や全身けいれんが起き、死に至る場合も。

 「避難所生活は心身ともに疲れが出やすい。冷房がなければ、症状が深刻化する恐れが高い」

◆トイレ環境が悪いと水分不足…血栓が

 危ぶまれるのはエコノミークラス症候群もだ。同じ姿勢を長く続けることで、足の血管に血の塊「血栓」ができる。自覚症状がないことが多い一方、血栓が肺の血管に移ると呼吸困難や心肺停止に至る。震災後、狭い避難所やマイカーで寝泊まりが続く被災者にリスクがある。2016年の熊本地震ではエコノミークラス症候群を発症し、入院が必要と診断された患者は発生1カ月時点で50人いた。

 被災地でのエコノミークラス症候群を研究する新潟大特任教授の榛沢(はんざわ)和彦医師は「避難所生活でトイレ環境が悪いと、避難者は水分の摂取をためらい、水分不足となるため、血液がどろどろになって血栓ができやすい傾向にある。冷房で涼を取り、発汗を抑えて脱水症状を予防することは大切だ」と呼びかける。

◆停電でも使える「ガス空調」設置の動き

 避難所生活を左右する冷房だが、扇風機での代替は難しそうだ。大阪府八尾市で7月下旬、冷房のない体育館に宿泊する訓練が行われた際には扇風機やスポットクーラーが用意されたが、室内気温が36度以上になる時間帯があったほか、就寝時間の午後11時でも30度を上回り、湿度は70%以上になった。参加した大阪府災害対策課の大井祥之さん(35)は「全然眠れなかった。冷房の重要性を実感した」と話す。

 東京都が22年に公表した首都直下地震の被害想定では、避難所の冷房が使えないシナリオがあり、「停電等で空調が使えない場合、体調不良者が増加し、体力のない高齢者や乳幼児等は、最悪の場合、死亡する可能性がある」と記す。都の担当者は「避難所を運営する各市町村にはガス空調や非常用発電の導入を勧めている」と語る。足立区では小中学校102校の大半の体育館で、ガス管を通じて供給される都市ガスだけでなく、プロパンガスを使う冷房を設置している。

 ただ、冷房設備が整わない避難所は各地に少なからずある。この猛暑下で南海トラフ地震が起きればどうなるか。最大で950万人の避難者が想定される中、科学ジャーナリストの添田孝史さんは「地震や津波から生き延びられても、このままでは酷暑で避難所で亡くなるケースが相次ぐ。関連死を防ぐためにも、避難所が冷房を設置できるよう公費負担を早急に検討するべきだ」と訴える。

◆デスクメモ

 近年の猛暑は「もはや災害」と言いたくなる。平時でも倒れそうになる蒸し暑さ。熱中症を防ぐため、政府は室内でもエアコンをつけるよう勧める。それなのに冷房がない避難所が目立つ。この矛盾を前にしても政府は何も思わないのか。言葉だけの「寄り添う」は聞きたくない。(榊)


戦争をしない国造りが肝要だ。
武器購入予算を災害防衛予算に。
そんなこと、今の「自公政権」には無理な話。
早いとこ政権交代を!
原発が絡むとより複雑になる。


終戦の日に考える 凄惨な体験を語り継ぐ

2024年08月15日 | 社会・経済

「東京新聞」社説 2024年8月15日 

 79年前のきょうを境に日本人の運命が大きく変わりました。エッセイストで、初代林家三平さんと結婚して落語家一門を支える海老名香葉子さん(90)のいとこ「お咲ちゃん」もその一人です。

 お咲ちゃんは10歳下の海老名さんにとって絵本を読み、一緒に遊んでくれる、器量よしの憧れの存在。戦時中でもハイヒールにパラソルという洋装で海老名さん宅を訪ねたり、1944(昭和19)年のお正月には人目につかぬよう、もんぺ姿の下に振り袖を着て見せに来たりしたそうです。

 でも海老名さんにとってこれがお咲ちゃんの最後の姿でした。この年の夏、お咲ちゃんは2人の弟とともに、南満州鉄道に勤める長兄が住む旧満州(中国東北部)鞍山(あんざん)に縁故疎開したからです。

 未知の土地での暮らしに慣れ始めたころ、45(同20)年8月のソ連参戦と日本敗戦で状況は一変。ソ連兵が鞍山に攻め入った後も一家はしばらく鞍山にとどまりますが、日本人、特に女性は外出しないよう促される不安な日々です。

◆お咲ちゃん襲うソ連兵

 9月のある日、お咲ちゃんは弟の清水章吾さんを連れて鞍山駅の生計所(売店)へ食料調達に出かけました。途中の神社山の鳥居に手を合わせ、駅に向かって駆け出したときでした。眼前に突然、ソ連兵の一団が姿を現したのです。

 「うおおー」とうなり声を上げながら、お咲ちゃんのもんぺズボンを引き裂き、裸にして押さえ付けて暴行する大男。その横で5、6人のソ連兵がたばこをふかして笑い声を上げていました。

 姉の悲鳴が聞こえても章吾さんは恐ろしさで体が動きません。その後46年間、記憶を封印し、誰にも語りませんでした。

 お咲ちゃんは身ごもり、子どもを堕(お)ろした後は体調がすぐれず、伏しがちの日々。いよいよ最後の引き揚げ団で日本に帰ることが決まると、にわかづくりの担架に乗せられて、鞍山を後にします。

 家族が力を合わせ、ようやく葫蘆島(ころとう)まできて最後の引き揚げ船、氷川丸に乗り込みましたが、お咲ちゃんはあと少しで帰国できるというところで息を引き取ります。遺体は船内で火葬されました。

 海老名さん自身も静岡県・沼津に縁故疎開中の45年3月の東京大空襲で両親と祖父母、兄2人の家族6人を失い、戦災孤児になりました。

 海老名さんがお咲ちゃんの鞍山での暮らしやその後の運命を知ったのは91年、章吾さんとともに鞍山などを巡ったとき。章吾さんもそのときになって初めて、自分やお咲ちゃんがたどった凄惨(せいさん)な体験を話せたのです。

 少し長くなりましたが、海老名さんが今月出版した「大大陸に陽(ひ)は落ちて 満州引揚(ひきあ)げ者たちの哀(かな)しみの記憶」(鳳書院)から引きました。お咲ちゃんの思い出は97年にも徳間書店から出版されています。なぜ、この時期に再び出版を? 海老名さんからの手紙にはこう記されています。

 「毎年、終戦の日が近づくと、沖縄戦や広島、長崎の原爆投下などが取り上げられますが、満州での出来事が紹介されることは多くありません。日本に帰還した人たちも高齢化が進み、存命する語り部は少なくなっています。『満州引揚げ者たちの哀しみを伝えたい』、そんな思いをしたためたのが本書です」「平和の尊さを改めて感じ取って頂ければ幸いです」

 新版にはお咲ちゃん同様、少年時代を満州で過ごした漫画家ちばてつやさんの挿絵や、海老名さんとちばさんの対談、海老名さんが作詞し、歌手のクミコさんが歌ったCDも収録されています。

 先の戦争では日本国民だけで310万人もの命が奪われました。戦場はもちろん、空襲や原爆被害に遭った内地に加えて、お咲ちゃん一家同様、満州など外地から命からがら帰還し、塗炭の苦しみを味わった在外邦人も多いことでしょう。

◆戦争再び起こさぬため

 ちばさんは対談で「ウクライナやガザのことを思うと、戦争を知っている人間が、戦争が始まるとお互いの国が、世界中がまきこまれてめちゃめちゃな地獄になるんだよ、ということを伝えなければならない」と語っています。

 権力者が起こす戦争で犠牲を強いられるのはいつの時代も、何の罪もない無辜(むこ)の人々の命や平穏な暮らしです。権力者に戦争を思いとどまらせるためにも、凄惨な体験を語り継がねばならない。そう固く誓う「終戦の日」です。


戦争につながる小さなことも、徹底的に摘み取っていかなければなりません。「戦争できる国造り」を目指し、「改憲」に執念を燃やすキシダが不出馬を決めました。「表紙」を変えてみても、その中身は変わりません。「政権交代」に向けて世論の大きな盛り上がりが必要でしよう。勝共「連合」の道か、「非連合」の道か!

園のようす。

マユミの苗木


「過疎地の復興はムダ」「移住を考えよ」…財務省財政審が能登半島地震の被災者に言い放つ「許しがたい棄民思想」

2024年08月14日 | 社会・経済

 現代ビジネス 2024.08.14

     藤井 聡(京都大学大学院工学研究科教授)

 

「被災地の多くが人口減少局面にある」から!?

今日は、南海トラフ地震の「注意」情報についてさらに書こうと思っていたのですが、目を疑うようなトンデモナイニュースが飛び込んできました。

「能登の復旧・復興『コスト念頭』 財務省、被災地は人口減」

――財務省は9日、財政制度等審議会(財務相の諮問機関)の分科会を開き、能登半島地震の被災地の復旧・復興は「将来の需要減少や維持管理コストも念頭に置き、住民の意向を踏まえ、十分な検討が必要だ」と訴えた。「被災地の多くが人口減少局面にある」ことを理由に挙げ「過去の災害の事例も教訓に集約的なまちづくり」を提言した。復興が本格化する中、無駄な財政支出は避けたいとの立場を明確にした。――

要するに財務省の財政審議会は、

「過疎地の復興は無駄」

だと断じ、
「そんな過疎地に住んでいた人間は移住しろ」
と言っているわけです。

これはまさに棄民思想。「政府であるにも関わらず民を捨て去り、見殺しにする」思想そのもの。「政府は遂にここまで腐ったか」と思わざるを得ぬ暴言です。国民は「自衛」のためにもこんなあからさまな棄民思想を顕わにする政府を絶対に許してはなりません。

見殺しの思想そのもの

この政府の棄民思想は、この審議会の増田寛也会長代理の次の言葉にも明確に表れています。

「家の片付けが進んでない地域に、将来の議論をしようと言っても難しい」

あまりにも酷すぎるもの言いです。

家の片付けすら済んでいない方々だからこそ、「大丈夫、なんとかしますから安心して下さい。オカネの心配なんて何もしなくても大丈夫です」という態度を国家は取る必要があるのです。つまり、必ず街を復旧、復興させまるという「将来の議論」を通してはじめて、被災地の方々に希望が生まれるのです。

つまり増田氏は「家の片付けも済んでないから未来の議論はできない」と言うわけですが、それとは逆に「未来の議論があるからこそ家の片付けをしようと思うようになる」のです。誠に以て許し難い話です。

それにも関わらず、家の片付けも済んでいない被災者の方々に「もうオカネがないから復旧・復興なんて難しいですよ。移住考えてくださいよね」なぞと、政府が公式に言ってのけるなど、見殺しの思想そのものです。

棄民思想が文字通り蔓延ってしまっている

こうした政府による「棄民思想」的態度に対して徹底批判すべく、まさに今週、元国交省技監の大石久和氏と出版したのが書籍『日本人は国土でできている』です。

本書では過疎地における「棄民」や将来の災害における想定被災地における「棄民」など、様々な棄民思想批判を展開しましたが、その中でも特に強く非難したのがまさに、能登半島地震の被災者に対する棄民的態度です。

実際、大石氏は次のように本書の中で語っています。

「大石 能登半島地震ではもう一つ、非常に憤りを感じたことがあります。それは新潟県知事を務めた米山隆一さんがX(エックス)で、こう投稿したのですね。

『非常に言いづらい事ですが、今回の復興では、人口が減り、地震前から維持が困難になっていた集落では、復興ではなく移住を選択する事をきちんと組織的に行うべきだと思います。地震は、今後も起ります。現在の日本の人口動態で、その全てを旧に復する事は出来ません。現実を見据えた対応をと思います』(二〇二四年一月八日)

と。この人は、本当に過疎地を多く抱えている新潟県の知事をやっていたのだろうかと思うぐらい、ひどい発言だと感じました。

われわれは何をするにしても、誰一人として日本人を失うことがあってはなりません。それと同じで、寸土といえども毀損させていい地域があるはずはないのです。われわれは、いただいた日本の国土をそのまま次の世代に引き継いでいく責任があります。そこに人が住んでいなければ、国土は荒れていくしかないわけです」(『日本人は国土でできている』第六章『棄民思想がはびこっている』p.154)。

本当に酷い話ですが、恐るべきことに、この言語道断の米山発言は、SNS上でさして批判されることも炎上することもなく、世間からほぼスルーされたのでした。

つまり、この令和日本には、棄民思想が文字通り蔓延ってしまっているのです。そして今回の財務省の財政審の「過疎地の復興は無駄。そんな過疎地に住んでた人間は移住しろ」と言わんばかりの提言は、この空気を捕まえて出されたものなのです(無論、財務省は「そんな事言ってない!」「移住も選択肢の一つだと言ったに過ぎない」なぞと言うでしょうが、復興のための事業費を所管する財政当局が、被災者にそんな選択肢を提示するだけでもはや言外に「移住しろ」と言っているに等しいものです)。

補正予算が1円も組まれない

しかし、一昔前の平成日本では、そういう空気は必ずしも支配的ではなかったのです。『日本人は国土でできている』(p.155)の以下の一節をご覧下さい。

「藤井 東日本大震災のときも、実はそういう声を政府近辺で聞きました。主に経済官僚や財務官僚からそういう声が出ていました。霞が関、永田町ではずっと囁かれていた発言なのです。東日本大震災のとき、まったく米山さんと同じものの言い方が暴露されたニュースがありました。

経産省の役人が自身のブログに『復興は不要だと正論を言わない政治家は死ねばいいのに』『もともと滅んでいた過疎地』『じじぃとばばぁが既得権益の漁業権を貪る』等と暴言を書き込んでいたのです。これが発覚してこの役人は懲戒処分を受けていますが、この事案は単なる氷山の一角であって、多かれ少なかれこうしたメンタリティは霞ヶ関、永田町では潜在的に共有されてしまっていたのが当時の実態だったのです。」

つまり、一昔前の平成日本では、こういう棄民思想発言は、炎上し、大問題となり、懲戒免職を受けるに至ったのです。そして当時の財務省の財政審は決して、今回の財政審の提言のようなものは決して提言されはしなかったのです。

ところが、今やもう、そういう財務省的な棄民提言が正式に公表されても、さして炎上しないくらいにまで、棄民思想が世間一般に蔓延してしまっているのです。

事実、これだけの大震災なのに補正予算が1円も組まれないという異常事態に陥っているのです。

政府によって「見殺し」にされてしまう

このままでは、本当に能登の人達は政府によって「見殺し」にされてしまうことになります。

そしてそんな事態を放置すれば、今まさに起こるリスクが高まっている南海トラフ地震が起こった時に何百万人、何千万人と産み出されてしまう被災者達も全く同じ様に政府に見殺しにされることになるでしょう。

そんな日本で、本当にいいのでしょうか?

私は絶対にそういう日本を拒否したいと思います。

そしてそう思う方は当方や大石先生だけでは決してないでしょう。

日本がそんな畜生以下の下劣な棄民思想に支配された国家に堕落してしまうことを避けるためにも、心ある国民の皆さんには是非、今回の財政審の提言に対して徹底的にご批判頂きたいと、考えています。

それは被災者の方々を救い出すためだけでなく、災害大国日本の将来の国民を、そして何より自分自身と自身の子供達を守るために今、強く求められている姿勢なのです。


それにしても、この猛暑の中いまだ「避難所生活」や農業ハウスでの生活が強いられている現状、災害にも「自己責任」論?


NHK内部が激変し、劇的にドラマが面白くなった「最大の理由」…前会長時代は月に20人以上のペースで職員が辞めていった

2024年08月13日 | 社会・経済

YAHOOニュース8/13(火)

 NHK連続テレビ小説「虎に翼」が好評なのは知られている通り。同局「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」(火曜午後10時)も評判高い。この放送枠の前作「燕は戻ってこない」も話題になった。今、ドラマ界はNHKを中心にまわっていると言っても過言ではないくらい。同局で何が起きているのか。【高堀冬彦/放送コラムニスト、ジャーナリスト】

 

「虎に翼」は佐田寅子(伊藤沙莉)を主人公とするリーガルドラマ。ほとんどのリーガルドラマは現実と懸け離れているため、法曹関係者は冷ややかに観るものだが、この作品は違う。

 元東京高裁部総括判事の弁護士・木谷明氏(86)は筆者の取材に対し、作品のリアリティに太鼓判を押し、内容についても「素晴らしい」と絶賛した。リーガルドラマが現実から逸れるのは、そうしないと面白くならないからだが、「虎に翼」は事実に沿っていても面白い。

 思想家で神戸女学院大名誉教授の内田樹氏はこの作品の腹の括り方を評価する。7月30日放送第87回で、関東大震災後に起きた朝鮮人虐殺に触れると、同日のX(旧ツイッター)に「日本社会の朝鮮人差別を正面から描くという製作陣の覚悟を感じる」と投稿した。

 多くの研究者が事実と認定し、東京都が出版した『東京100年史』(1972年)にも記載があるが、小池百合子・東京都知事(72)が歴代知事の続けてきた犠牲者追悼式への追悼文送付を止めた。このため、事なきを得ようとする制作者なら触れないだろう。

 民放は「虎に翼」の放送自体が無理に違いない。民放が避けて通りがちな男女差別や民族差別の問題に奥深く踏み込んでいるからである。この作品の人気の一因は「民放では観られない内容」だからではないか。

 河合優実(23)が主演している「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」も評判が高い。約1年前にBSプレミアムで放送された作品が地上波に移行されたもので、BS放送時はギャラクシー賞奨励賞やATP賞テレビグランプリのドラマ部門奨励賞などを得た。

 新しいタイプのホームドラマで、河合は兵庫県神戸市の高校3年生・岸本七実に扮している。地頭が良くて明るく、ユーモアのセンスが抜群の女性だ。

 七実の父親・耕助(錦戸亮)は5年前に急性心筋梗塞で他界した。母親・ひとみ(坂井真紀)は整体院で働き、七実とその弟・草太(吉田葵)との生活を支えている。朗らかな女性だ。中学2年生の草太も明るい性格であるものの、ダウン症であり、やっと1人でバスに乗れるようになったばかりだった。

民放とは障がいの捉え方が異なる

 ひとり親家庭で、ハンデのある草太がいるため、周囲には岸本家に同情する向きもあった。もっとも、当の岸本家にはお門違い。仲良く幸せに暮らしていた。幸不幸は他人が決めることではない。幸せを決める物差しも存在しない。それをこのドラマは教えてくれる。

 ひとみはその後、大動脈解離で倒れ、車椅子での生活になる。その後ある時、 母娘で慟哭した。七実がひとみの車椅子を押して街に出た際、目的地だったカフェの入口に段差があったために入れず、道行く人も冷淡だったからだ。

 七実はしゃくり上げながら「ママ、一緒に死のうか」と言った。しかし、こう付け加えた。「ちょっと時間頂戴。ママが生きていたいと思うようにするから」。

 ひとみが将来に希望を持てるようにするには、どうすればいいのか。七実はそれまで興味のなかった大学進学を決意する。選んだ学部は人間福祉学部だった。

「やさしい社会にして、あのカフェの入口の段差、ぶっ潰す!」(七実)

 七実は草太を疎んじる人間も許さない。家族と自分が切り離せないのである。

 やはり民放ではつくれそうにない作品だ。民放作品に障がい者が登場する場合、どうしてもお涙頂戴にしてしまうからである。この作品は違う。障がいは不自由ではあるものの、不幸ではないという考え方が根底にある。障がいを悲劇にしてしまいがちな民放作品とは土台から異なる。原作が若手作家・岸田奈美氏(33)の自伝的エッセーなのが大きい。

 この作品が放送されている火曜日午後10時台の前作は「燕は戻ってこない」。やはり好評だった。 この作品も民放ではつくれなかっただろう。第1に代理出産がテーマだったからである。民放では前例がないに等しい。

 作家・桐野夏生氏(72)の同名小説が原作。非正規労働者として働く29歳の貧しき独身女性が、裕福で子供のいない夫婦の依頼で代理母となる。3人にとって当初はビジネス感覚だったものの、どんどん脱線していく。

 代理母となる大石理紀(石橋静河)は病院職員としてフルタイムで働いているが、非正規なので手取りは月約14万円。男女ともに20代前半でお洒落なマンションに住んでいる民放作品の登場人物とは異なる。

 代理母を依頼するのは元世界的バレエダンサー・草桶基(稲垣吾郎)とイラストレーターの妻・悠子(内田有紀)。悠子が不妊症だった。報酬は計1000万円。理紀の子供は出産後にすぐ夫妻に引き渡すことになっている。

 ほかにも条件があった。アルコールは口にしないこと、遠出はしないこと、ほかの男性とは関係を結ばないことなどである。理紀はこれらの条件を承諾した。あくまでビジネス感覚だった。

 ところが理紀は条件をことごとく破ってしまう。遠出をして、酒を飲み、ほかの男性2人と相次いで関係した。直後に妊娠したため、父親が分からなくなってしまった。

生活保護もドラマ化

 一方で悠子は理紀の行動を大目に見る。寛容なわけではない。基との暮らしを守るため、代理母プロジェクトを失敗させたかったのだ。一方、基の子供が欲しい理由は自分の遺伝子を残したいから。悠子の気持ちは二の次。エゴイストだった。

 リアリティに満ちた作品だったものの、登場人物の誰にも共感しにくかった。この点でも民放での作品化は難しかったはず。民放作品はほぼ例外なく共感を求める。ちなみに欧米ドラマは登場人物に共感できないものが多い。ドラマは共感できなくても面白くなるのである。

 5月6日に放送されたスペシャルドラマ「むこう岸」も大きな反響を呼んだが、やはり民放で放送するのは無理だったはず。生活保護家庭で暮らすヤングケアラーを中心に物語が進むからである。世間には生活保護を批判する向きもある。そういったテーマを民放は避けることが多い。

 主人公は生活保護家庭で暮らし、母親の介護をする中学3年生の佐野樹希(石田莉子)。やがて家庭の内情がクラスの男子にバレてしまい、酷い嫌がらせを受け、意気消沈する。看護師になる夢も捨てた。

 これに対し、元ケースワーカーは「生活保護は未来への投資なんだよ」と励まし、看護学校に進学できることを教える。その過程で行政の怠慢や生活保護批判の愚かさも描いた。やはりNHKでしかつくれなかった。

 どうしてNHKドラマは腹が据わっているのか。まずドラマの制作を担当するメディア総局第3制作センターは独立心が旺盛で、それぞれのドラマの制作統括は社内外から干渉を受けない伝統があるからだ。

 連続テレビ小説と大河ドラマはNHKドラマの生命線として高視聴率を求められるが、ほかの作品は質が良かったら文句を言われない。その分、文化庁芸術祭など大きなドラマ賞を最も受賞しているのはNHKである。国内のみならず世界中でドラマ賞を獲っている。

 例外だったのは元みずほフィナンシャルグループ社長・会長の前田晃伸氏(79)が会長だった2020年1月~23年1月。NHKドラマは失速気味だった。

 前田氏は故・安倍晋三元首相を囲む経済人の集まり「四季の会」の元メンバー。その縁で会長になると、若者の視聴者を強く意識し、2022年度から平日午後10時45分から同11時台を若年層ターゲットゾーンとした。まるで中高年の視聴者の斬り捨てだった。

 事実、高視聴率だった中高年向け健康情報番組「ガッテン!」は2022年2月に打ち切ってしまった。また、ドラマも含めた番組の合理化を進め、外部スタッフを増やした。これでは制作陣がやる気をなくす。前田会長時代には月20人以上のペースで職員が辞めていった。

 前田氏の在任中に生まれた朝ドラが、黒島結菜(27)主演の「ちむどんどん」(2022年度前期)である。沖縄の本土復帰40周年を記念した作品でありながら、政治に翻弄され続けてきた事実が全く描かれなかった。自民党への気遣いだったのか。タブーに斬り込んでいる「虎に翼」とは大違いである。

 外部からの会長はプロパー理事の意見を聞くことが常態化してきたが、前田氏はワンマンだった。

 一方、日銀出身の現会長・稲葉延雄氏(73)は以前と同じくプロパー理事の声を参考にすることで知られる。常識人だ。前田色の一掃がNHKドラマの好調につながっている。

デイリー新潮編集部

 

高堀冬彦(たかほりふゆひこ)

放送コラムニスト、ジャーナリスト。1990年にスポーツニッポン新聞社に入社し、放送担当記者、専門委員。2015年に毎日新聞出版社に入社し、サンデー毎日編集次長。2019年に独立。前放送批評懇談会出版編集委員。


なるほど、そんな事情があったのですね。
わたしはテレビをまったく見ないのでドラマの良しあしは他人の評価を参考にするしかない。
テレビを見なくなったきっかけは、テレビデジタル化の時を2年ほど過ぎたころ。
デジタル化によって、ベランダに備え付けられていたアンテナではだめでコンクリート「電柱」を家から5.6メートル離れたところに埋め、地上11メータにアンテナを設置したのである。
ここは豪雪地帯。
日頃のメンテナンスが欠かせない。
しかし「電柱」には何の足場、階段もついていない。
「契約書」を読むと、設置後のメンテナンスはすべて自分でやらなければならない。
雪でアンテナの向きが変わるごとに「高所作業車」を借りてか!
アホらしくなってそのままアンテナはあっちの方向を向いたままである。
もちろん、「受信契約」は破棄、おカネは返してもらった。
今はネットで大方のものは見れるので不便さはあまり感じていない。

 


“見えない若者のホームレス化”が急増! 背景に「毒親」「低賃金」「穴だらけの生活保護」か

2024年08月12日 | 生活

YAHOOニュース8/6(火) 

 “見えない若者のホームレス化”が急増

 「ここ数年、『安心して住める家がない』という相談が明らかに増えている」

 こう話すのは、若者の貧困問題に取り組むNPO法人POSSE理事の岩本菜々さんだ。

 厚生労働省の発表では、今年1月時点で全国のホームレスの人数は2820人と2003年の調査開始以来、過去最少としている。POSSEのが若者のホームレス化について相談内容などを集計し、7月にデータの公表・政策提言を行った調査によると…

 「2021年度には若い人の相談は全体の2割から3割程度だったが、2023年度は約半分(589件中304件)に増えており、“ホームレス状態”の人も増加している」(岩本さん、以下同)

 実は国のホームレス調査は路上生活者が対象となっているため、ネカフェ生活者など「住居喪失者」は2820人に含まれていない。その調査とは裏腹に、POSSEの調査では10代から30代のネカフェ生活者や友人宅への居候、家での虐待など、安心して住める家がない“見えないホームレス”を含めた生活相談件数が増えているという。

 なぜ“見えない若者のホームレス化”が進んでいるのだろうか?

 「安定した雇用の減少に加えて、家庭が経済的に不安定に陥っていることが要因だ。そんな中、実家に留まり、家族に虐待を受けているという人もとても多い」

 雇用の不安定や低賃金など、経済的な自立が難しくなっている。しかし、一度ホームレスとなってしまった場合、打開策はあるのだろうか?

 「私たちはまず生活保護を受けてアパートを借りてもらって、安定した家を確保してから仕事を探したり資格の勉強をするサポートをしている」

 生活保護の受給が一番の対応だという。しかし、一部の自治体では違法行為も…

 「ホームレス状態で生活保護の申請に行っても、アパート入居に向けて動き出すのではなく、“劣悪な施設”に入れられるという相談が多い。床一面にカビが生えていて壁や天井にはタバコのヤニがついている、そんな施設に収容されている方もいた。生活保護における自治体の費用負担があるため、端的に言ってお金を出したくないのだ。アパートの敷金・礼金などを負担するのを避けたいという理由で施設に入れている」

 岩本さんは、この生活保護の体制を見直しが“見えない若者のホームレス化”の解決に必要だと訴える。

 「生活保護は本来、健康で文化的な最低限度の生活を保障する制度だが、現場の運用は骨抜き状態だ。まず今ある制度をちゃんと使えるようにすることが大事だ」

【POSSEに寄せられた相談事例】

・宮城県20代女性:家族からも暴力を受け所持金も奪われ、友人宅に。工場の社員寮に入るも、うつ病の悪化で働けなくなる。パートナーからのDVで警察に保護され実家に戻る。毎月10万円入れるよう言われる。

・三重県30代女性: 父が毒親だが、市立図書館職員(非正規フルタイム)の仕事は手取りが平均月11万円前後で、6万円まで下がる時期があり、実家を抜け出せない。

 若者のホームレス状態が増えているという現状について、貧困の現場を取材した経験があるノンフィクションライターの石戸諭氏は「若者のホームレスに限った話ではないが、日本の生活保護行政の1番の問題は『もらうべき人に対して適切な受給が行われていないこと』だ。ホームレス状態の若者の中にも受給対象者がいるだろう。まず彼らが生活保護の対象となって住まいを確保する。これが第一に必要なこと」と指摘。

 その上で、「行政支援・生活保護にたどり着けない人が多いため、仲介をしている人たちのサポートが重要になる」と述べた。

 「“自分が困っていることを認めること”、そして“どのように困っているかを言語化して役所などに伝えること”は簡単ではなく、思ったより労力がかかる。適切なサポートは支援団体の方たちの“腕の見せどころ”とも言える。役所側も無下に断るべきではない。支援を必要な人に届けるという事例を一つずつ積み上げていくことが大事なのだ」(『ABEMAヒルズ』より)


 昨日に続き、「若者の貧困」についての記事を紹介した。前途ある若者を国が率先してバックアップしていかなければこの国の未来はない。「結婚問題」「少子化問題」の根本問題である。

 JAL123便墜落事故発生から39年。
もうすぐ18時56分を迎える。
乗員・乗客524人、生存者4人。

黙とうをささげよう。


令和の大学生が陥っている貧困の本質を、この国の「働き方」から考えてみる【田中洋子先生インタビュー】

2024年08月11日 | 教育・学校

低賃金・非正規雇用で働く行政職員や女性のパート、学生アルバイトの実態を綴った著書『エッセンシャルワーカー 社会に不可欠な仕事なのに、なぜ安く使われるのか』が話題の筑波大学・田中洋子名誉教授に話を聞きました。

認定NPO法人「D×P」

ハフポスト2024年08月08日

 

親世代の経済力の低下や、私立・公立ともに上がり続ける大学の学費、数百万の借金としてのしかかる奨学金が、いま大学生たちを経済的にも精神的にも追い詰めています。

D×Pにも日々、お金に困っている大学生や専門学生、短大生など、さまざまな若者からの切実な相談が多数寄せられています。

こうした学生たちは、18歳未満を対象とする児童福祉法の枠組みからは外れてしまい、生活保護の原則受給対象外であることから、実は、公的な支援からこぼれ落ちやすい存在でもあるのです。

しかしながら、「大学に通うことができる=裕福」というイメージを持ってしまってはいないでしょうか?あるいは「学生時代はお金がないものだよね、自分もそうだった」と決めつけてしまうことはないでしょうか?

大学生の貧困という社会問題の本質に迫るために、D×Pタイムズ編集部は今回、筑波大学の田中洋子先生にお話を伺いました。低賃金・非正規雇用で働く行政職員や女性のパート、学生アルバイトの実態を綴った著書『エッセンシャルワーカー 社会に不可欠な仕事なのに、なぜ安く使われるのか』が、大きな話題となっている田中先生に、現代における大学生の「働き方」「働かせ方」を聞いてみると、「大学生の貧困」問題の本質が見えてきました。

90年代、ゼロ年代、10年代、20年代。学生の「働き方」の変化

──先生は、教育の現場で長く大学生をご覧になってきました。学生を取り巻く社会の状況に、変化は感じますか?

すごく感じますね。私は同じ大学で30年以上教えてきたので、経年変化が見えやすいんです。

90年代までの学生は、家賃をはじめ生活費も、親からの仕送りで賄っている人が多くて、時々おもしろそうなアルバイトをしながら遊びに使う、という感じの人が多かったように思います。「生活が苦しい」「アルバイトが大変」という話は、あまり聞いた記憶がありません。

それが大きく変わったのが、リーマンショック後の2000年代末から2010年代にかけてです。学生の “働かせ方” が、目に見えてキツくなってきました。ゼミの学生が、バイトで大変な目にあうという状況を頻繁に目にするようになります。「ブラック企業」という言葉が社会的に注目される時期のことでした。

ショッピングモールのデザート屋さんで働いていた学生は、社員からの罵詈雑言、ひどいパワハラを毎日のように経験し、その後精神的に追いつめられた状態になってしまいました。もっと早く気がついてあげればよかったと後悔しました。

あるファッションブランドで働いていた学生の場合は、ゼミの途中に職場から電話がかかってきて、「スタッフに欠員が出て、現場が大変だからすぐ来て」と言われて、本当にゼミを抜けてしまったこともあります。びっくりしましたよ。学生だけど、ゼミより職場対応の方が大事なのか!って。

話を聞いてみると、そのファッションブランドは、セールの期間は仕事が過酷で、アルバイトがばたばたと過呼吸で倒れていくというんです。安いセール商品に喜ぶお客さんがいる背景に、そういう地獄がある。前はそのセールをよく利用していましたが、それを聞いてから行かなくなりました。

学生のアルバイトに大きな要求を押し付ける職場が増えてきたその時期に、「生活が厳しい」という学生も少しずつ増えてきました。

アルバイトを3つ掛け持ち、ギリギリで生きている学生たち

──第一の変化が学生たちの働かせ方のブラック化で、第二の変化が、学生たちの貧困化ということですね。

2000年代から2010年代にかけての不況の中で、学生の親世代がリストラにあったり、長時間労働で病気になったり、手取りや賞与が減るような状況になりました。結果として親の仕送り額が年々減り、「アルバイトをたくさんしないと食べていけない」という学生が増えています。

最近の例ですが、授業時間以外のすべての時間にバイトをめいっぱい入れている学生がいました。聞いてみると、お父さんが働きすぎでうつ病になってしまい,長く休職しているため、生活費や旅行代もとにかく自分で頑張って稼ぐしかない、と言っていました。

別の学生も、実家の収入がとても不安定で、仕送りをあてにできない状態でした。他のきょうだいが大学に行かずに就職した中、自分だけ大学に通わせてもらっているので、生活費も大学の費用も自分で払わないといけないと言っていました。飲食店2つとイベント系バイトの3つを掛け持ちしながら、ギリギリで生きています。

アルバイト先のイベント会社も、これがまたブラックなんですよ……。本人はやりがいを感じているそうなのですが、土日も朝早くから夜遅くまで働いています。

ほぼ3日寝てません、というもうろうとした状態でゼミに来たこともありました。しかも、聞くと、1万人の顧客管理を任されているというんです。21歳の学生がですよ。 「居酒屋のバイトより給料が良いから」とは言いますが、それでも時給1200円程度。真夜中まで働いても残業代は出ません。体調を崩したり精神を病んでも、誰も責任を取らない。ぜんぶ自己責任です。

「クリエイティブな仕事をさせてあげてるんだから、これくらい働いて当然」という企業側のやりがい搾取と、「お金が必要」という学生たちのニーズは、最悪のマッチングを起こしているんです。

安くて、やる気もある。企業にとって「都合がいい」学生アルバイト

──親の経済状況の悪化に加え、「学生だから安く使ってもいい」という企業側の思惑も絡んできているんですね。

日本はかつて、右肩上がりの経済成長の中の日本的雇用関係のもと、男性の正社員は子どもが大きくなる年代に、確実にお給料が上がっていました。80年代くらいまで、そうやって家族全員を養っていたんです。

そういう時代に学生アルバイトの数も増えはじめたので、「どうせ親に養ってもらっているんだろ」「給料は安くていいだろ」という感覚になりました。中にはすごく生活が苦しい学生もいましたが、あくまでも例外でした。

親の雇用や収入が不安定化する中で、学生のアルバイトの給与も改善されてしかるべきなのに、むしろ、安いアルバイトをめいっぱい利用しているのが、いまの状況です。企業としては、そりゃ都合が良いですよ。若くて元気がよくて、いろんなアイディアを持っていて、一生けんめいな人たちが、時給1000円やそこらでまじめに働いてくれるわけですから。

さらにそこへ、アルバイトのモチベーションを高めるため、という理由で、管理責任や、リーダー職など、どんどん店の「基幹的」な部分を任せていくようになっています。売り上げ管理や、シフト管理など、店の利益そのものに直結する重要な仕事を任される人がたくさんいます。それでも、時給はたいしてあがらないのです。

借金の返済で、明るい未来どころじゃない

──学生たちの貧困化の理由として、親の経済力、アルバイトの低賃金という問題以外の要因は何かありますか?

まず学費が上がっています。そして、奨学金も大きな重荷になっています(※)。今年の卒業式のあとに、ゼミ生から「これから〇百万の借金返済がはじまるんですよー」と暗い顔で言われました。卒業と同時に借金の重さで打ちひしがれてしまう学生が多いです。バイトだけでは生活がきついからと奨学金をもらってしまったがために、この先何十年も、数百万という負債を背負っていく。借金の返済で、明るい未来どころじゃないわけです。

大学の授業料免除枠も、どんどん枠が狭くなりました。私は、指導教員として奨学金や授業料免除申請の推薦状をいくどとなく書いてきました。学生の家庭の経済状況を聞くにつけ「これは厳しい状況だ」「絶対に受給(免除)になるだろう」と思うわけですが,これがある時期からどんどん通らなくなりました。予算削減の影響が、もろに学生の生活を追いつめていったのです。

ヨーロッパの多くの国では、そもそも大学の学費はゼロです。授業料や奨学金の問題は、もっと政治的な争点にするべきです。政治家に対して、「若者を卒業と同時に借金漬けにしない高等教育を実現する気がありますか」と、どんどん問うていかなければならない。個人的に話をしているだけだと、「お金がない」「辛い」と愚痴になってしまいます。でもそれは決して個人の話ではなく、多くの学生を共通して苦しめている問題なわけです。だから政治を変えるしかないんですよ。政治家の頭の中を変えていかなきゃいけない。

(※)現在、日本の大学生の半数以上が利用している日本学生支援機構では、無利子の第一種、有利子の第二種のうち第二種奨学金の比重が増している。令和3年度の貸与額は第一種奨学金が2,780億円、第二種奨学金が5,883億円で、2倍以上の開きがある。

私たちは、「ずっと、なんとなくそのまま」にしてきてしまった

──なぜ、日本の政治は若者を大事にするための政策に舵を切れないのでしょうか? 先生がご説明されていたように、「男性稼ぎ主型モデル」が崩壊していることは明らかです。しかし、学生アルバイトだけでなく、女性の働き方(非正規雇用で働く女性は男性の約3倍)もなかなか変わりません。先生は、著書『エッセンシャルワーカー』の中で、「女・子どもを安く使う」という言葉を使っていらっしゃいました。

日本は、同じ政権が長く続いてきてますからね。私たちが決定権や権力を持つ人たちをきちんとチェックしてこなかった。ずっと同じ政権なら、内部の人間関係を適当にいじるだけで維持できるので、社会全体の仕組みをもっと良くしていこうと考える必要もないんでしょう。これまでのやり方を変えるなんて面倒だと思う人が多いんじゃないですか。

結局「ずっと、なんとなくそのまま」にしてきたことが多くて、本質的な解決策が模索されてこなかった。それは、私たち自身の投票行動がもたらしたものでもありますね。

──とはいえ、ただでさえしんどい生活の中で政治に目を向け、アクションするのは簡単ではないですよね。

学生たちを見ていても、社会がこうなっちゃっている、ということを「受け入れている」ように見えます。『エッセンシャルワーカー』の中でも紹介したドイツのマクドナルドの事例をあげて、「ドイツでは正規・非正規の区別がなく、全員が同じ給与表に基づいた給与が支払われている」「学生は職業教育の一環で働いていて、使い捨て要員ではない」と話すと、学生たちはみんな「へぇ〜!」ってなりますよ。でも、そこから先に進まない。「ドイツいいな」「すごい」で終わってしまって、自分たちのやっているアルバイトの状況がおかしいぞ、という方向にはならないんですよね。

現実をそのまま受け入れ、批判的に考えないことに慣れすぎてしまっているんです。小さい頃から自分で考えて意見を言い、まわりとコミュニケーションを取って何かを変えてきたという成功体験が足りません。

でも、悲観ばかりではありません。ここ1、2年で入ってきた学生たちには、自分の意見を人前でてらいなく発表する姿勢が見られて、正直驚いています。小中高での教育が変わりつつあることの影響を、大学で実感しています。

自分が変えられる領域で、何ができるか

──学費値上げへの反対運動など、声をあげる大学生もいますね。長年、大学生を見てきた立場でこうした動きをどうご覧になっていますか。

これは難しい問題ですね。私は、SEALDs(※)のことがすごく心に残っています。マスコミが大きく取り上げて一時的なブームをつくって、世間でバッと消費されて、叩かれ、攻撃される。この国では、声を上げて目立つ人は、追い詰められて傷ついてしまう可能性が大きいと感じます。

だから、若者たちの消極的な態度をはがゆく思うことはあるけれど、同時に学生たちを守りたいから、「もっと声をあげるべきだ」とは言い切れない難しさがあります。苦しいところです。 ただ、年齢やポジションにもよりますが、自分が変えられる現実の領域は、確かにあると思います。例えば、一言だけでも、言いたいことを言うだけで違うはずです。「給料低すぎませんか」と店長に話すとか、「学費を上げるのではなくて下げて」とネットでつぶやくとか。もし小さいチームで自分が裁量をもっていたら、そのチームを変えてみることはできそうです。

──先生のお話で大学生の実態への理解が深まりました。「大学時代は貧乏で当たり前でしょ」と思っている上の世代の大人たちにも、しっかり受け止めて欲しいですね。

政治や社会を少しでもいい方向に変えていくためには、粘り強い活動が大事ですよね。私自身ネット上の発信がとても不得手で、うまくいきませんが、こうした取材で得られたつながりを大事にしながら、問題提起を広げていきたいです。

(※)シールズ:2015年5月から2016年8月まで活動していた日本の政治団体・学生団体。2015年、集団的自衛権行使を認める安全保障関連法案に反対する国会デモで注目を集めた。

 

田中洋子先生

認定NPO法人「D×P」

筑波大学人文社会系名誉教授。東京大学大学院経済学研究科修了。博士(経済学)。東京大学経済学部助手、筑波大学社会科学系専任講師、准教授、教授をへて2024年より現職。ベルリン・フンボルト大学国際労働史研究所フェロー(2015-16 年)、ハーバード・イェンチン研究所招聘研究員(2017-2018 年)。2024年よりベルリン自由大学フリードリヒ・マイネッケ研究所、法政大学大原社会問題研究所研究員。専門はドイツ社会経済史、日独労働・社会政策。2023年11月に刊行された『エッセンシャルワーカー 社会に不可欠な仕事なのに、なぜ安く使われるのか』が話題となり、元旦・NHKスペシャル 「2024 私たちの選択」など多くのメディアで取り上げられている。


今、さらなる「授業料値上げ」で追い打ちをかけようとしている。
「学問」を「特定階層」のものにしてはならない。
若者と「連帯」して跳ね返そう!
「社会」を変えよう!
「政権」を代えよう!

園のようす。

ヤマブドウ


長崎原爆の爪痕を残していた浦上天主堂。解体されて「幻の世界遺産」になった理由は?

2024年08月10日 | 事件

「原爆の恐ろしさを伝える歴史的資源にするべき」と市議会では保存を求めていた。長崎原爆の日に振り返る。

 
8月9日は「長崎原爆の日」。7万人以上が亡くなる結果となった長崎への原爆投下の日だ。平和祈念像が原爆の犠牲者に黙禱を捧げるモニュメントとなっているが、実は広島の世界遺産「原爆ドーム」に匹敵する原爆遺構が、かつて長崎市内には存在していた。
 
熱線と爆風で甚大な被害を受けたが、建物の一部が残っていた。しかし、終戦から13年後に解体撤去され、鉄筋コンクリートの建物に作り直された。一体、何があったのか。「幻の世界遺産」の謎を追った。

■浦上天主堂とは?

長崎市北部に位置する浦上地区は、戦国時代末期にイエズス会領になっていたこともあり、カトリックの信者が多い地域だった。その後、江戸幕府のキリシタン禁教令によって、4度にわたる「浦上崩れ」という激しい弾圧を受けるが、地元住民はキリスト教への信仰を捨てなかった。「潜伏キリシタン」として明治時代まで信徒が存続していた。

江戸末期から明治初期に起きた「浦上四番崩れ」が欧米から批判されたことを受けて、ようやく1873年に明治政府がキリスト教の信仰の自由を認めた。

釈放された浦上の信徒たちの間で、天主堂の機運が盛り上がった。1895年にフレノ師が設計、ラゲ師に引き継がれ、20年後の1914年に完成した

これが、石とれんが造りのロマネスク式大聖堂「浦上天主堂」だ。高さ25メートルの双塔の鐘楼を備え、「東洋一の大聖堂」と謳われるほどだった。

■市議会は保存決議をしていた

福間良明さんの著書「焦土の記憶」(新曜社)によると、原爆で倒壊した浦上天主堂はしばらく廃墟の状態だったが、被爆翌年の1946年末には木造平屋の仮聖堂が建築された。

 1949年のザビエル祭までにはガレキも取り除かれ、正面右側と右側面の一部側壁のみが残された。だが、復員や引き揚げ、転入によって増加した5000人の信徒を収容するにはあまりにも狭かった。

そこで浦上天主堂の「カトリック浦上教会」は、1954年に「浦上天主堂再建委員会」を発足。長崎県を管轄する長崎司教区の山口愛次郎司教が1955年5月から翌年2月にかけて、募金のためにアメリカとカナダに訪問。その後、再建の具体策を固めて1958年2月に信者達に説明会を実施した。

解体前の浦上天主堂

しかし、市議会の要請も空しく、教会は同年3月から解体工事を実施した。被爆した浦上天主堂は解体撤去され、鉄筋コンクリート製の新しい天主堂が作られた。外壁の一部だけが爆心地公園に移築された。

解体当時、山口司教は次のように述べていた。

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「原爆の廃墟は平和のためというより、無残な過去の思い出につながり過ぎる。憎悪をかきたてるだけのああいう建物は一日も早く取りこわした方がいい」

(週刊新潮 1958年5月19日号より)
―――-

■背景にはアメリカ側の意向が?

再建された浦上天主堂(2018年撮影)

再建された浦上天主堂(2018年撮影)leodaphne via Getty Images

長崎市長の諮問機関である原爆資料保存委員会が1949年に発足した。この委員会は毎年9回に渡り「浦上天主堂を保存すべき」と答申を出していた。51年に当選した田川務市長も当初は、保存に前向きな素振りも見せていた。

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「私は卒直に申し上げます。原爆の悲惨さを物語る資料としては適切にあらずと。平和を守るために存置する必要はないとこれが私の考え方でございます。この見地に立ちまして、今日浦上天主堂が早く元の姿に復興して、信者の将来の心のよりどころとして再建したいというこの希望に対しましては、私としては全幅の支援をし一日も早くそうした教会堂が出来上がることをこい願っております」

(平和文化研究 第32集 「旧浦上天主堂被爆以降の存廃に関する公的な議論」より)

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田川市長や山口司教が原爆遺構の撤去に前向きだった背景に、アメリカからの働きかけがあったと見る人は多い。ジャーナリストの高瀬毅さんは以下のように書いている。

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遺構撤去に米国の「圧力」があったのではないか。そういう疑惑はいまも長崎市民の中にくすぶっている。決定的な記録は、これまでのところ見つかってないが、「撤去」せざるを得ない状況や時代背景が、あの時代に集中的に生まれていたことは確かだった。ソ連との間で熾烈な核開発競争を展開する米国にとって、原爆の傷跡を示す天主堂は、目障りだったことは十分に考えられる。

(週刊金曜日 2017年8月18日号より)

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■幻の世界遺産に…

広島市の「原爆ドーム」も保存か撤去かをめぐって議論が起きていた。「悲惨な思いがよみがえる」として取り壊す案もあったが,1966年に広島市議会は永久保存を決議。被爆から51年後の1996年には、世界遺産に指定された。人類史上初めて使用された核兵器による負の遺産として、平和を願うシンボルとしての価値が評価されたのだった。

被爆当時の浦上天主堂が現存していたら「確実に世界遺産になっていたのに……」と、悔やむ声は今も根強い。青森公立大学教授の横手一彦さんは次のように著書で書いている。

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天主堂は、被爆後の13年間、最も象徴的な被爆遺構であった。そして、半ば崩れ落ちた煉瓦壁や、鼻先や指先を爆風に吹き飛ばされ、熱線に傷ついた聖像たちは、あの瞬間の恐怖を、無言のうちに語り続けたに違いない。天主堂は、原爆の極限的な破壊をありのままに示した歴史遺産になったであろう。しかし、今となっては、それは幻の世界遺産なのである。

(「長崎 旧浦上天主堂 1945-58 ― 失われた被爆遺産」岩波書店)

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熱線で傷ついた聖人像たち。再建された浦上天主堂の周辺にある

熱線で傷ついた聖人像たち。再建された浦上天主堂の周辺にあるJohn S Lander via Getty Images

2018年6月30日、バーレーンで開かれた世界遺産委員会で「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産に登録された。長崎周辺でカトリック教徒が「潜伏キリシタン」として、数々の弾圧にも信仰を曲げずにいたことが評価されたのだ。


今日のニュースにも、ガザの学校が標的になったと・・・

ジェノサイドやめろ!


「長崎平和宣言」

2024年08月09日 | 社会・経済

 「長崎平和宣言」

 

 原爆を作る人々よ!

 しばし手を休め 眼(め)をとじ給(たま)え

 昭和二十年八月九日!

 あなた方が作った 原爆で

 幾万の尊い生命が奪われ

 家 財産が一瞬にして無に帰し

 平和な家庭が破壊しつくされたのだ

 残された者は

 無から起(た)ち上がらねばならぬ

 血みどろな生活への苦しい道と

 明日をも知れぬ“原子病”の不安と

 そして肉親を失った無限の悲しみが

 いついつまでも尾をひいて行く

 これは23歳で被爆し、原爆症と闘いながらも原爆の悲惨さを訴えた長崎の詩人・福田須磨子さんが綴(つづ)った詩です。

 家族や友人を失った深い悲しみ、体に残された傷跡、長い年月を経ても細胞を蝕(むしば)み続け、様々(さまざま)な病気を引き起こす放射線による影響、被爆者であるが故の差別や生活苦。原爆は被爆直後だけでなく、生涯にわたり被爆者を苦しめています。

 それでも被爆者は、「世界中の誰にも、二度と同じ体験をさせない」との強い決意で、苦難とともに生き抜いた自らの体験を語り続けているのです。

 被爆から79年。私たち人類は、「核兵器を使ってはならない」という人道上の規範を守り抜いてきました。しかし、実際に戦場で使うことを想定した核兵器の開発や配備が進むなど、核戦力の増強は加速しています。

 ロシアのウクライナ侵攻に終わりが見えず、中東での武力紛争の拡大が懸念される中、これまで守られてきた重要な規範が失われるかもしれない。私たちはそんな危機的な事態に直面しているのです。

 福田さんは詩の最後で、こう呼びかけました。

 今こそ ためらうことなく

 手の中にある一切を放棄するのだ

 そこに初めて 真の平和が生まれ

 人間は人間として蘇(よみがえ)ることが出来るのだ

 核保有国と核の傘の下にいる国の指導者の皆さん。核兵器が存在するが故に、人類への脅威が一段と高まっている現実を直視し、核兵器廃絶に向け大きく舵(かじ)を切るべきです。そのためにも被爆地を訪問し、被爆者の痛みと思いを一人の人間として、あなたの良心で受け止めてください。そしてどんなに険しくても、軍拡や威嚇を選ぶのではなく、対話と外交努力により平和的な解決への道を探ることを求めます。

 唯一の戦争被爆国である日本の政府は、核兵器のない世界を真摯(しんし)に追求する姿勢を示すべきです。そのためにも一日も早く、核兵器禁止条約に署名・批准することを求めます。そして、憲法の平和の理念を堅持するとともに、北東アジア非核兵器地帯構想など、緊迫度を増すこの地域の緊張緩和と軍縮に向け、リーダーシップを発揮することを求めます。

 さらには、平均年齢が85歳を超えた被爆者への援護のさらなる充実と、未(いま)だ被爆者として認められていない被爆体験者の一刻も早い救済を強く要請します。

 

 

長崎79回目の原爆の日 鈴木市長が核兵器の廃絶訴え

 世界中の皆さん、私たちは、地球という大きな一つのまちに住む「地球市民」です。

 想像してください。今、世界で起こっているような紛争が激化し、核戦争が勃発するとどうなるのでしょうか。人命はもちろんのこと、地球環境にも壊滅的な打撃を与え、人類は存亡の危機に晒(さら)されてしまいます。

 だからこそ、核兵器廃絶は、国際社会が目指す持続可能な開発目標(SDGs)の前提ともいえる「人類が生き残るための絶対条件」なのです。

 ここ長崎でも、核兵器のない世界に向けて、若い世代を中心とした長年の動きがさらに活発になっています。今年5月には、若者版ダボス会議と呼ばれる国際会議「ワン・ヤング・ワールド」の平和をテーマとした分科会が、初めて長崎で開催されました。

 世界の若い世代が主役となって連帯し、行動する輪が各地で広がっています。それは、持続可能な平和な未来を築くための希望の光です。

 平和をつくる人々よ!

 一人ひとりは微力であっても、無力ではありません。

 私たち地球市民が声を上げ、力を合わせれば、今の難局を乗り越えることができる。国境や宗教、人種、性別、世代などの違いを超えて知恵を出し合い、つながり合えば、私たちは思い描く未来を実現することができる。長崎は、そう強く信じています。

 原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の誠を捧(ささ)げます。

 長崎は、平和をつくる力になろうとする地球市民との連帯のもと、他者を尊重し、信頼を育み、話し合いで解決しようとする「平和の文化」を世界中に広めます。そして、長崎を最後の被爆地にするために、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けてたゆむことなく行動し続けることをここに宣言します。

2024年(令和6年)8月9日

長崎市長 鈴木史朗

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長崎平和祈念式典 イスラエル不招待 あぶりだした虐殺応援団=旧白人帝国主義諸国 

広島瀬戸内新聞...  2024/8/8

(一部抜粋)

長崎平和祈念式典 イスラエル不招待 パレスチナは招待。

長崎市長は、うまく実を取ったやりかた。

日本を除くG7=旧白人帝国主義国が揃って懸念イスラエルとズブズブのガザ虐殺応援団であることを米独英仏伊加が自白。植民地から独立したカナダを除けば帝国主義国家だった。

日本政府はコメントする立場にないと冷静な反応。これでいい。

広島は2023G7サミットで、これら諸国を持ち上げ、米国核実験と言う形ではしごを外された。

人権だ、民主主義だとご高説を垂れていても、最大の人権侵害であるイスラエルによる戦争=虐殺を指示(支持?)する米独英仏伊。

所詮は、ダブスタだと自白する米独英仏伊。

これからも権威が失墜し続けるのは間違いない。

西側でもスペインやアイルランド、ノルウェーはパレスチナ国を承認。日本政府もパレスチナの国連加盟は賛成票。

 

 

長崎市長 あすの平和祈念式典 イスラエル不招待について説明

長崎市の鈴木市長は、9日の長崎原爆の日の平和祈念式典に、イスラエルの駐日大使を招待していないことに対して、日本を除くG7各国やEUの大使から懸念が示されたことについて、8日報道陣の取材に応じました。

“平穏かつ厳粛な雰囲気のもとで式典を円滑に実施したい”

この中で鈴木市長は「決して政治的な理由で招待していないわけではなく、平穏かつ厳粛な雰囲気のもとで式典を円滑に実施したいという理由だ。苦渋の決断ではあったが、そういう考えで決定した。判断に変更はない」と述べました。

“相手国の立場もあり書簡公表せず”

日本を除くG7各国やEUの大使から送られた書簡について公表しなかったことを報道陣から問われたことに対し「相手国の立場もあるので相手国が書簡の公表を望んでいるか確認が取れなかったので、あえてこちらから公表しなかった」と述べました。

“被爆者 参加の式典が妨害により影響受けてはいけない”

鈴木市長は「平穏かつ厳粛な雰囲気のもとで円滑に式典を実施したい」と説明した意図を問われたのに対し「あす8月9日は長崎市にとって1年で1番大切な日だ。被爆者の平均年齢は85歳を超え、式典には酷暑の中参加する被爆者もいる。被爆者が参加する式典が、妨害によって影響を受けてはいけない。支障が生じてはならないと考えている」と述べました。

“来年以降参加いただければ”

そして、今回大使の参加を見合わせると表明している各国について「残念ではあるが、来年以降参加いただければと思う。今回の式典に限らず、長崎にとっても日本全体にとっても大切な国々だ。われわれの真意が正しく理解いただけるように、あらゆる機会を捉えてお話しできればと思っている」と述べました。

米 駐日大使 長崎市に平和祈念式典 欠席の書簡

9日の長崎原爆の日に行われる平和祈念式典についてアメリカ大使館は、エマニュエル大使が長崎市の鈴木市長宛てに6日、書簡を送り、イスラエルを式典に招待しなかったのは政治的な決定だとしたうえで自身も欠席を余儀なくされたと伝えました。

アメリカ大使館によりますと、エマニュエル大使は長崎市の鈴木市長に宛てに6日、書簡を送ったということです。

この中で、イスラエルを式典に招待しなかったのは政治的な決定だとしたうえでそのために自身は欠席を余儀なくされたと伝えたと言うことです。

長崎市の平和祈念式典をめぐっては、7月19日付けで、平和祈念式典への招待を受けたG7=主要7か国のうち、日本を除くアメリカやイギリスなど6か国とEU=ヨーロッパ連合の東京に駐在する大使らが連名で鈴木市長に書簡を送っています。

書簡では「イスラエルを式典に招待しないことは、イスラエルを式典に招かれていないロシアやベラルーシのような国と同列に扱うことになり、不幸で誤解を招く」として大使らが式典への参加を見合わせる可能性に言及していました。

欧米大使ら 長崎市に懸念示す書簡

9日の長崎原爆の日に行われる平和祈念式典に、長崎市が、イスラエルを招かないことについて日本を除くG7各国とEUの大使らが連名で懸念を示す書簡を市長に送っていたことが明らかになりました。

その上で「式典の普遍的なメッセージを維持するためにイスラエルを招待することを求める。イスラエルが除外された場合われわれがハイレベルの参加を行うことは難しくなるだろう」として、大使らの式典への参加を見合わせる可能性に言及しています。

林官房長官「政府としてコメントする立場にはない」

林官房長は、8日の記者会見で「平素から長崎市との間で事務的なやり取りを行っており外務省から国際情勢などを説明することはあるが、式典に誰を招待するかは主催者である長崎市によって判断されたものだ。市主催の行事への各国外交団の出欠やその理由について政府としてコメントする立場にはない」と述べました。


 広島・長崎へ原爆を落とした当事者のアメリカが、イスラエルの不招待をめぐって不参加を決めることなど断じてあってはならない、アメリカの身勝手さがあらわになった。
 しかも「ロシアやベラルーシのような国と同列に扱うことに」なると批判する。
おいおい!冗談もいい加減にしろ!
 イスラエルのしていることは「戦争」ではなく、ジェノサイドだ。
学校や病院を狙い、多くの子どもたちや非戦闘員を殺戮しつくしている。
「民族浄化」である。
これを支持する米独英仏伊は虐殺応援団であることを表明した。


高濃度の「PFAS」が潜む意外な“食品” たった1杯で「1週間分の許容量」超え?

2024年08月08日 | 自然・農業・環境問題

デイリー新潮8/6(火)

 水道水やミネラルウォーターにおける検出が話題になる“発がん性物質”PSASが潜むのは、「水」だけではなかった。夏に使用頻度が高まる日用品から、日々の食卓に並ぶ食品まで、意外な“潜伏先”を紹介する。

 一度でも体内に入れば、排出するには40年もの時間がかかるという。それだけ長く蓄積されるにもかかわらず、「腎臓がん」をはじめ、「脂質異常症」「免疫不全」「胎児・乳児の発育低下」など、様々な健康リスクが指摘されているのが、PFASの恐ろしいところといえよう。

「人間がPFASに曝される経路としては、水道水が主ですが、これが全てではありません」

 とは、日本におけるPFASの汚染実態をいち早く調査、研究してきた京都大学名誉教授の小泉昭夫氏。 

「PFASには耐熱性、撥水・撥油性、紫外線への耐性などの特徴があります。熱に強く水や油をはじく性質を利用して、様々な日用品にも使用されているのです。問題なのはその残留性。PFASの化学結合は非常に強く、多少の熱や紫外線に晒されても壊れないため自然界ではほとんど分解されません。ゆえに土壌や人体にも長年蓄積されてしまうのです」

パッケージに『フッ素樹脂加工』

 例えば、夏場に出番のある日用品には、リスクが高いものが多いという。体に密接するという観点から気をつけるべき一例を挙げると、化粧品だ。特に、「“メークが崩れない”“色落ちしない”“水に濡れても大丈夫”などといった宣伝文句の商品に注意すべき」と話すのは、科学ジャーナリストの植田武智氏である。

「化粧崩れを防いだり、パウダーや顔料の伸びをよくしたりするため、撥水・撥油性の高いPFASが使用されている製品があります。具体的にはファンデーションやコンシーラー、マスカラ、日焼け止め、口紅などですが、体に直接的に触れるものですので、微量ながら口や皮膚から吸収される可能性が当然あります。人体への影響は未知数な部分が多いですが、だからこそ怖いと言えます」

 夏は撥水加工の衣料品や雨具、防水スプレーを使う機会が多いが、ここにも危険が潜んでいる。PFAS研究の第一人者で、京都大学大学院医学研究科(環境衛生学)の原田浩二准教授によれば、

「日本では2000年代半ばに国立環境研究所が撥水加工を施した衣料品の調査を行っています。すると、レインウェアをはじめ、ウィンドブレーカーなどからもPFOA(PFASの1種)が出てきました。撥水加工はシリコン系とフッ素樹脂系とに分かれていて、前者であれば自然界である程度は分解され、環境や健康への影響は比較的少ない。逆にタグやパッケージに『フッ素樹脂加工』と書かれているなら、PFASが含まれていることが多いです。明記されていなくても、メーカーに問い合わせれば、最低限のことは答えてくれるでしょう」

「フッ素樹脂加工」と聞くと、「テフロン加工」などが施された焦げつきにくいフライパンを真っ先に思いつく方もいるだろう。

「もともと『テフロン』は米国の大手化学メーカー・デュポン社の商標で、このフッ素樹脂をつくる過程で大量のPFASを使っていますが、フライパンを製品化するまでの間、高温の熱で焼きつけられ、大半のPFASは分解されます。そのためフライパンの表面にはほとんど残っていないとされ、京都大学が20年に行った調査でも、新品の表面からPFASは検出されませんでした」(同)

中国産のアサリが……

 直接、口から体内へ取り込んでしまうものとして危険性が指摘されるのは、「貝類」である。先の植田氏が言う。

「私は食の安全・監視市民委員会という組織に属しており、2023年に、市販の中国産と国産のアサリのPFAS濃度を、京都大学に依頼して調査しました。その結果、中国産は国産に比べて10倍以上、高濃度のPFOAが検出されたのです。これはEFSA(欧州食品安全機関)の基準に照らすと、アサリ汁一杯で一日摂取許容量の1週間分を超えるほどの量になります」

 国内で消費されるアサリの9割近くが輸入品で、うち約7割が中国産とされている。国産品は高価なため、巷の飲食店では、貝汁には安価な中国産アサリを使う店も多いのが実情だ。

 なぜ中国産アサリから高濃度のPFASが検出されるのか。一つには、アサリが陸地に近い水深の浅い海で採れるため、海に流れ込む河川や沿岸などに汚染源があれば影響を受けやすいからだという。

「山東省や河北省沿岸部の有機フッ素工場からの排水が原因と思われます。米国の研究でも、中国産アサリから高濃度のPFOAが検出されていますし、中国の研究では、渤海沿岸で採れた貝類でPFOAが検出され、アサリ、ムール貝、ホタテ、ツブ貝、カキの順に濃度が高かったそうです。中国産に限らずですが、高濃度に汚染された海域で採れた貝類を食べるのは、念のため控えた方がいいでしょう」

 貝類の汚染が深刻なら他の魚などは大丈夫なのか。植田氏に依頼されて先の「市販アサリの調査」を行った、前出の原田准教授が解説する。

「魚への影響も懸念されますが、海は非常に広いのでPFASが拡散しても海流などで希釈され、さほど蓄積しないのではないかと推察します。むしろ汚染された河川や湖に棲息する生物を口にする方が、体への影響は大きくなる傾向にあると考えられます。実際、我々が行った河川の調査では、ドンコやカワムツといった魚やザリガニなどから高濃度のPFASが検出されましたが、魚介類を一切食べるなと言うのは現実的に無理があると思います。現状では、PFASで高レベルに汚染された地域の魚介類はなるべく避ける必要があります」


園のようす。
ブラックベリー


エンビセンノウ再び咲き始めました。

スイレン



雨宮処凛がゆく!和歌山カレー事件をめぐる映画『マミー』を観て、「戦争」との類似点について考えた。

2024年08月07日 | 事件

マガジン9 

 

 公開初日となるその日、映画館は満席だった。

 待ちわびていた映画を、私はやっと観ることができた。

 その映画とは『マミー』(二村真弘監督)。今から26年前に起きた和歌山カレー事件を巡るドキュメンタリーだ。

 1998年、夏祭りで振る舞われたカレーに猛毒のヒ素が混入、67人がヒ素中毒となり、4人が死亡。逮捕された林眞須美に、あなたはどんなイメージを持っているだろうか。

 住民をヒ素で殺した「毒婦」。保険金詐欺をしていた「極悪」夫婦。家の庭からホースで報道陣に水を撒く傍若無人な女一一。

 そんなイメージを持つ人が多数派だろう。

 しかしここ数年、あの事件に対して「冤罪では」という声があちこちから聞こえ始めている。この映画を見終えた今、私の胸の中にも「冤罪」という言葉が去来している。長男の記憶。目撃証言への反証。そして何よりも驚いたのは、当時の科学鑑定へ異議を唱える専門家の存在だ。

 数年前までは、「林眞須美が犯人」と当たり前のように信じてきた。というか、それほど関心も持っていなかったというのが正しい。

 一方、カレー事件について話題になる時、自分も含めて多くの人が「半笑い」「苦笑い」の表情を浮かべていたのもこの事件の特徴ではないだろうか。「ああ、あの人ね」「ヤバい人だったよね」「ミキハウスのおばさんね」とその「特異なキャラクター」をなぞり、話はそこで終わるのが常だった。

 そんな中でも2000年代、唯一くらいに彼女を擁護していた著名人がロス疑惑の三浦和義氏だ。

 今も三浦氏が何かの雑誌に書いた文章を覚えている。内容は、「あの夫婦は保険金詐欺で暮らしてきて、そうやって詐欺で収入を得ている人が、保険金も入らないようなあんな事件を起こすはずがない」というようなもので、不意打ちを食らった気分になったことを覚えている。そういう見方があるのか、と。

 だけど、私はそれ以上考えなかった。なぜなら、そうは言っても林眞須美は保険金詐欺をするような「疑わしい」人なのだから、と。そこで思考停止したのだ。

 今、思う。このような「怪しい人だから」という人々の無意識が、多くの冤罪を作ってきたのではと。誰もが認める清廉潔白な人であれば疑惑が晴れるかもしれない。しかし、そんな人などどこにいるだろう。

 これまでの冤罪事件を振り返っても、隠しごとがあってそれを隠そうとしていたり、本人に犯罪歴があったりと、何か「都合の悪いこと」が必ずといっていいほど背景にある。それは私が冤罪被害者たちと実際にこの十数年出会って知ってきたことだが、当時はそんな知識などなかった。そうして林眞須美氏の強力な味方だった三浦和義氏は、08年、亡くなっている。

 それと前後する頃だと思うが、林眞須美氏から私の元に手紙が届いたことがある。

 出版社から転送されてきた大きな茶封筒には蛍光ペンで「HELP ME!」と書かれ、「林眞須美」という差出人名に驚きながら封を開けると、機関紙的なものが同封されているだけだった。直筆の手紙などはなかったことから、おそらく多くの人に送っているのだろうと思い、そのままになってしまった。そのことをこの数年、やけに思い出している。

 さて、映画の内容についてはぜひ観て欲しいので詳しくは語らないが、この映画の公開を前にして、少なくないメディア人と和歌山カレー事件についての話をした。

 食事の席などで、「こういう映画が公開されるんだってよ」と話題になったのだ。

 その中には、新人時代にあの事件の報道に少し関わっていた、あるいは同僚がまさに取材していたという人などもいた。そんな人々が当時を振り返りつつ語ったのは、事件当時の「空気」の異常さだ。

 とにかく「あいつが犯人だ」という強固な決めつけ。時間が経てば経つほどそれは既成事実のようになり、誰も異論など挟めないような空気が形成されていたというのだ。

 みんなが言ってるから。保険金詐欺をしていたような人物だから。マスコミに水を浴びせるような常識知らずだから。そして何より、ヒ素が発見されたから。しかし、これについては映画の中で重大な事実が明かされるのだが、当時は繰り返し繰り返し彼女の様子がテレビや雑誌、新聞で報じられ、それが警察の捜査や司法にも重大な影響を与えた。そうして09年、彼女には死刑が確定してしまった。

 映画を観て、当時、すべてがひっくり返るかもしれないようなことが捜査されていないことを知った。あえて捜査されなかったのは、やはり「空気」のなせる技なのだろうか。

 「あいつが犯人だ」「あいつが悪だ」となると一方向に一斉に走りだし、メディアも司法もその暴走をさらに煽り、一人の人間が死刑台に立たされる一一。

 そんな構図に強烈な違和感を抱きながら、これってまさに「戦争」と同じではないかと思い至った。

 79年前の戦争でメディアはそれに加担し、ことあるごとにその「反省」が語られるわけだが、その反省がまったく生かされていないことが明確になったのが和歌山カレー事件ではないのか。とにかく他社に抜かされないようにというスクープ合戦も、なんだか戦争報道を彷彿とさせる。

 そしてそんな「暴走」は、今、SNS上で日々起きているとも言える。

 死刑台に立たされずとも、人を死に追いやるような集団リンチ。ちょうどこの映画を観る直前、『小山田圭吾 炎上の「嘘」』を読んだのだが、そこにも「戦争」という言葉が登場する。

 それを口にしたのは、小山田氏が所属する五輪開会式のクリエイティブチームの一人。オリンピックの開会式を見ながら呟いたのだ。

 「本当の戦争って、こんな感じなのかもしれませんね。ひとり、またひとりと関わった人がいなくなってしまう。最後、残された人だけで空を見上げるんですね」

 開会式直前、小山田圭吾氏が過去のインタビュー記事をめぐって「大炎上」したことは皆が知る通りだ。本書では、彼がインタビュー記事で書かれたようないじめをしていないことが同級生の証言をはじめとして綿密な取材から綴られるのだが(なぜあのような記事が出たかの背景事情についても明かされている)、その渦中にいた人が語った「戦争」という言葉は重い。確かに、今の時代の戦争は、SNSでの扇動なくしてはあり得ないだろう。

 さて、もうひとつ書いておきたいのは、映画の撮影中に起きたある悲劇だ。林眞須美氏の長女と幼稚園児の子どもが橋から飛び降りて死亡。また、自宅からは16歳の女性の遺体も発見された。長女の娘だった。

 「死刑囚の娘」として生きる困難さがどんなものなのか、私には想像することしかできない。しかし、心中に追い詰められるほどの心のうちを思うと、ただただ言葉を失う。

 「正義」は暴走する。そして時に、簡単に人の命を奪う。「取り返しのつかないこと」は、私たちのすぐ隣にあるのだ。そんなことを、改めて考えさせられた。

 「誰が林眞須美を殺すのか?」

 監督はディレクターズノートの最後をそんな言葉で締めくくっている。
 『マミー』は現在、イメージフォーラムなどで公開中だ。


わたしにも「真実」は判らない。
「真実」が明らかになるよう、「冤罪」が起こらないよう、国民の「目」が重要になる。


こども代表 平和への誓い

2024年08月06日 | 社会・経済

平和への誓い

目を閉じて想像してください。

緑豊かで美しいまち。人でにぎわう商店街。まちにあふれるたくさんの笑顔。

79年前の広島には、今と変わらない色鮮やかな日常がありました。

 

昭和20年(1945年)8月6日 午前8時15分。

「ドーン!」という鼓膜が破れるほどの大きな音。

立ち昇る黒味がかった朱色の雲。

人も草木も焼かれ、助けを求める声と絶望の涙で、まちは埋め尽くされました。

ある被爆者は言います。あの時の広島は「地獄」だったと。

原子爆弾は、色鮮やかな日常を奪い、広島を灰色の世界へと変えてしまったのです。

 

被爆者である私の曾祖母は、当時の様子を語ろうとはしませんでした。

言葉にすることさえつらく悲しい記憶は、79年経った今でも多くの被爆者を苦しめ続けています。

 

今もなお、世界では戦争が続いています。

79年前と同じように、生きたくても生きることができなかった人たち、

明日を共に過ごすはずだった人を失った人たちが、この世界のどこかにいるのです。

本当にこのままでよいのでしょうか。

 

願うだけでは、平和はおとずれません。

色鮮やかな日常を守り、平和をつくっていくのは私たちです。

 

一人一人が相手の話をよく聞くこと。

「違い」を「良さ」と捉え、自分の考えを見直すこと。

仲間と協力し、一つのことを成し遂げること。

私たちにもできる平和への一歩です。

 

さあ、ヒロシマを共に学び、感じましょう。

平和記念資料館を見学し、被爆者の言葉に触れてください。

そして、家族や友達と平和の尊さや命の重みについて語り合いましょう。

 

世界を変える平和への一歩を今、踏み出します。


令和6年(2024年)8月6日
 こども代表 広島市立祇園小学校          6年 加藤 晶
           広島市立八幡東小学校         6年 石丸 優斗

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原爆忌に考える 「語り継ぐ人」になる

「東京新聞」社説 2024年8月6日 

 79回目の原爆忌の今日6日、一冊の歌集が世に出ます。広島市などの書店に並ぶ予定で、インターネットでの購入も可能です。

 タイトルは「ひろしまを想(おも)う」(レタープレス)。著者は、同市安佐南区在住の切明(きりあけ)千枝子さん(94)。15歳の時、爆心地から南東約2キロで被爆しました。

 当時切明さんは、県立広島第二高等女学校(現・広島皆実高校)の4年生。その日、勤労動員先の軍用たばこ工場から休みをもらい、けがの治療のために医院へ行く途中、すさまじい閃光(せんこう)とともに地面にたたきつけられて、倒壊した家屋の下敷きになりました。

 暗闇の中で意識を取り戻し、何とか自力で抜け出して、廃虚の中を無我夢中で母校へたどり着いたのですが、そこにもやはり地獄絵図。全身にやけどを負って変わり果てた姿の学友たちが、力尽き、次々と死んでいく。亡きがらは、校庭に穴を掘り、重油をかけて荼毘(だび)に付しました。

 燃えながら泣きながら母校へたどりつき果てたる友よ八月六日

 原爆の犠牲になった学友や親族への鎮魂と平和への祈りを込めて短歌を作り始めたのは1967年ごろ。「朝日歌壇」へ投稿したのがきっかけでした。70年代から被爆の「語り部」としての活動を始めています。

 そんな切明さんに歌集の出版を勧め、実現のために奔走したのが、仙台市出身で、一橋大大学院で社会学を研究する佐藤優(ゆう)さん(23)。切明さんからみれば、ひ孫の世代です。

◆悲しみを短歌にぶつけ

 広島市立大国際学部の2年生だった2021年の秋、証言会の開催を手伝いながら切明さんの語りに触れて、「もっと聞きたい。おうちへ行ってもいいですか」と頼み込み、翌週から卒業するまで、毎週のように通い詰めました。

 「悲しい記憶は全部、短歌にぶつけてきたんだよ」

 あるとき、切明さんがふと漏らしたひと言が、気になって仕方がありませんでした。ところがいくら「読ませてください」と頼んでも「恥ずかしくて見せられない」と、なかなか応じてくれません。あきらめず、3カ月間、しつこく迫ってようやく、書きためた原稿の束を預けてくれました。

 かくれんぼかくれしままに消え失(う)せし友を探して今日まで生きぬ

 特売の林檎(りんご)の包み持ち替へて核廃絶の署名をなせり

 「限られた文字数の中に、切明さんの人生や思いの丈がぎゅっと凝縮されている。私たちが私たちの未来について考えるためのヒントがそこにある。この歌と言葉の中に詰まったものを絶対に消してはいけない。本にしよう」

 佐藤さんはカンパを募り、「ヒロシマ平和創造基金」の助成を受けて資金を準備。託された歌の中から500首を厳選し、わずか5カ月で出版にこぎ着けました。

◆バトンを渡したからね

 巻末には、切明さんが子どもたちへの「証言」を締めくくる、いつもの言葉を添えています。

 <『平和』はね、じっと待っていても、自分から来てくれるものではないからね。力を尽くして、引き寄せ、つかみ取り、離してはいけないもの。みんなで必死に守らないと、すぐに逃げてしまうのよ。私の大切な人たちのように、戦争、ましてや核兵器なんかで、死んではいけないからね。>

 出来上がった歌集を手にして、佐藤さんは言いました。

 「まかせたよ、バトンを渡したからねと、切明さんはおっしゃいますが、私は何を受け取ったんだろうって、ずっと考え続けているんです。ただ、たとえ切明さんがいなくなったとしても、これまで話してもらったことを忘れない人、語れる人の一人でい続けようと思っています」

 私には想像できぬあの夏の日しかし必死に描きつづける

 最近ひそかに短歌を作り始めたという、佐藤さんの作品です。

 核兵器の使用をほのめかす国があり、核軍縮に対する逆流が進んでいます。

 今日原爆忌。平和を引き寄せ、つかみ取って離さぬために、ヒロシマの声にあらためて耳を傾け、「想い」を寄せて、唯一の戦争被爆国から世界に向けて、語り継がねばなりません。


原水爆禁止2024年世界大会 国際会議宣言

2024年08月05日 | 社会・経済

「しんぶん赤旗」2024年8月5日

 広島市で4日閉会した原水爆禁止2024年世界大会国際会議で採択された「宣言」(全文)は次の通りです。

 79年前、米軍によって広島と長崎に投下された原子爆弾は、人類が体験したことのない、この世の地獄をもたらした。子どもを含め民間人が無差別に殺戮(さつりく)され、その年の暮れまでに21万人の命が奪われた。来年は被爆80年である。かろうじて生き延び、苦難の人生を歩んできた被爆者たちは、現在の緊迫した情勢の中で、「生きているうちに核兵器廃絶を」と渾身(こんしん)の力をふりしぼって立ち上がっている。被爆地に集った私たちは、「核兵器のない平和で公正な世界」へと流れを転換していくために、ともに行動することをよびかける。

 私たちは今、核破局の「瀬戸際」ともいえる状況にある。ウクライナを侵略するロシアは、核兵器による威嚇をくりかえしている。アメリカなどの核兵器国も先制核使用の政策を維持し、北大西洋条約機構(NATO)諸国からは公然と核兵器の配備や「核抑止力」の拡大・強化を求める声があがっている。核兵器関連の軍事支出も増大している。ガザ攻撃をつづけるイスラエルは核をちらつかせ、東アジアでも核保有国がからんだ緊張と対立が続いている。アントニオ・グテレス国連事務総長は「今こそ、狂気を止めるときだ」と強い危機感をこめて、核軍縮を訴えた。戦後、核兵器を独占し、「管理」してきた核大国のやり方が、今日の危機的状況をもたらしたことは明らかである。いまこそ、この危機をのりこえる展望を示し、行動をおこすときである。

 「希望の光」は核兵器禁止条約である。これは人類生存のための大義を体現したものであり、核大国などの妨害にもかかわらず、署名国は93、批准国は70へと広がっている。発効した条約は大きな力を発揮している。核兵器使用が取りざたされる危険な状況にあっても、禁止条約とそれを支える世論と運動が規範力をもち、その使用を許さぬ壁となっている。いくつもの金融機関が核兵器関連産業からの投資引き上げを決定しているように、人道の立場から核兵器を違法化したことがもつ倫理的な力も現れている。核使用と核実験被害者への支援、それらによって汚染された地域の環境修復など、条約の6条と7条に基づく具体的な活動もはじまっている。禁止条約の第3回締約国会議(2025年3月)はこれらの活動を前進させる機会となる。ジェンダー視点を盛り込んだはじめての核兵器に関する条約として、国連の平和軍縮活動全体に影響を与えている。この禁止条約を力に、世論と運動をさらに発展させ、核兵器に固執する勢力を追いつめていくことで、核兵器廃絶への展望をきりひらくことが出来る。

 核保有国は「核抑止」を唱え、核戦力の維持・増強をすすめている。「核抑止」とは、いざとなればヒロシマ・ナガサキを再現する、との脅しであり、人道に反する行為である。それは、武力による威嚇又は武力の行使を禁じた、国連憲章への重大な違反である。「核抑止」は核対核の悪循環を加速させ、誤解や誤算も含む核衝突の危険を高めており、そのすみやかな放棄が強く求められる。禁止条約の第3回締約国会議では、「核抑止」論の克服が重要議題の一つとなる。市民社会としてこれに積極的に貢献していかなければならない。

 米ロ中英仏の核五大国が参加する核不拡散条約(NPT)の再検討会議は、核固執勢力に核兵器廃絶を迫る重要な機会である。2026年会議の準備が始まっている。

 核保有国は、NPTと矛盾すると主張して、禁止条約に反対している。しかし、禁止条約は核軍備撤廃誠実交渉義務を定めた第6条の具体化であり、NPTを補完するものである。第6条をはじめとする条約の義務、核兵器廃絶の「明確な約束」をはじめとする再検討会議の累次の合意を誠実に履行することを強く求める。さらに核兵器禁止条約を支持し、これに参加するよう訴える。戦略核兵器削減条約の履行と米ロ両国間でのさらなる削減、包括的核実験禁止条約(CTBT)の発効、非核国への核兵器の不使用(消極的安全保障)、核兵器の先制不使用も重要である。

 3年目に入ったロシアのウクライナ侵略戦争は、両国市民に大きな犠牲をもたらし、世界の人々の暮らしと経済、気候危機など、深刻な影響を与えている。国連総会は加盟国の7割の賛成で、国連憲章を侵犯するロシアを非難し、武力行使の停止と即時・無条件の完全撤退、ウクライナの主権回復と領土保全を求める決議を採択してきた。核五大国も参加する20カ国首脳会議(2022年・インドネシア、2023年・インド)は、国連総会決議を「再確認」し、「武力による威嚇又は武力の行使は慎まなければならない」とするとともに、「核兵器の使用と威嚇は許されない」と宣言した。国連憲章に基づく国際秩序の再建・強化が、「核兵器のない平和で公正な世界」の実現にとって急務となっている。

 国連憲章を守る世界的な結束が求められているときに、米政権は「民主主義対専制主義」という価値観による分断をもたらし、米日、米韓、米豪などアジアでの同盟関係の強化や、アジアとNATOとの連携など、軍事同盟のグローバルな危険を高めている。

 しかし、世界の各地域では、非核と包摂を特徴とする流れが発展している。東アジアには、朝鮮半島、南シナ海、台湾など、緊張の火種がある。これらはすべて外交と対話によって解決されなければならない。非核地帯条約を結ぶ東南アジア諸国連合(ASEAN)を中心に、米ロ中も参加する東アジア首脳会議(EAS)を活用した、ASEANインド太平洋構想(AOIP)という、地域の平和と安定をめざす取り組みがすすんでいる。非核地帯条約を結ぶラテン・アメリカ、アフリカにも包括的な地域の共同体がある。南太平洋非核地帯とあわせて、南半球には非核と包摂のたしかな流れがある。市民社会と諸国政府、政府間地域組織との共同で、これらを東アジアはじめ全世界で発展させていくことが求められる。

 朝鮮半島の非核化と平和を一体的、段階的に追求するあらゆるとりくみを支持する。中東における「非大量破壊兵器地帯」の創設は、NPT再検討会議(1995年)の決定であり、そのすみやかな実行を要求する。これはNPT体制の信頼性と中東の平和と安全にとって重要な意義を持つ。

 唯一の戦争被爆国である日本が、すみやかに核兵器禁止条約に参加することを求める。アメリカの戦略爆撃機と自衛隊機との共同訓練や、「拡大核抑止」に関する日米閣僚会議に見られるように、アメリカの核戦略に加担していることは重大である。アメリカの「核の傘」への依存をあらためるべきである。

 沖縄を含む南西諸島と九州では、アメリカの対中戦略の最前線基地として軍事化がすすめられている。さらに日本は、アジアとNATOを結びつける中心的役割を果たしつつある。これらの根本には、日米軍事同盟がある。岸田政権はアメリカの求めに応じて大軍拡をすすめたうえに、日米共同声明(2024年4月)で、自衛隊を米軍の指揮下に置くことをはじめ、日米軍事同盟の歴史的な大変質を行った。我々は、戦争放棄の憲法を持つ国にふさわしい行動をとることを、政府に求める日本の運動に連帯する。アジアの反核平和運動の連帯と共同をいっそう強化する。

 2025年の被爆80年にむけて、核兵器廃絶を求める壮大な運動を展開しよう。

 ―核兵器の使用と威嚇を絶対に許してはならない。ヒロシマ・ナガサキの被爆の実相、核実験による被害を広く知らせ、核兵器廃絶の世論を大きく発展させよう。日本と韓国の被爆者や世界の核実験被害者を支援し、禁止条約を具体化する活動に協力・貢献しよう。

 ―核兵器廃絶を求める運動、とりわけ核兵器禁止条約への参加を求める運動を強化しよう。核保有国や「核抑止力」に依存する国々で、条約への参加を求める運動を強めよう。

 ―第79回国連総会、核兵器禁止条約締約国会議、NPT再検討会議などを節目に、各国の運動を発展させ、国際共同行動、諸国政府と市民社会の共同を推進しよう。

 ―軍拡反対、外国軍事基地の撤去、軍事同盟の解消、枯葉剤など戦争被害者への補償・支援と被害の根絶、平和教育の推進、国連憲章の原則に基づくウクライナにおける戦争の外交的解決と終結、イスラエルによるジェノサイド攻撃とガザ封鎖の停止、ハマスによるテロ攻撃反対、即時停戦など、さまざまな平和運動との共同を発展させよう。

 ―世界の対立と分断、軍備拡大の流れを転換して包摂的な平和を構築し、人類が直面する諸問題の解決へと資源を振り向けよう。持続可能な開発目標や気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の勧告、平和の文化に関する国連諸決議の確実な履行を求めよう。くらしと命、人権を守り、原発ゼロ、気候危機の打開、ジェンダー平等、自由と民主主義を求める運動など、多様な運動との連帯を発展させよう。

 戦争と核破局か、平和・安全と非核か―世界の進路を決するのは、主権者である私たちである。被爆者とともに、そして若い世代とともに、声と行動を広げよう。


式典には109カ国と欧州連合(EU)代表が出席予定という。
「原水爆禁止世界大会」への大きな共感と広がりが感じられる。
「気候変動」で大変な時、「核」で地球を吹き飛ばす前に「地球生命体」を守る「知恵」をだそうではないか!

今日は免許更新前の「高齢者講習」を受けてきた。
暗いところから明るいところへ出た時の視力の回復に時間がかかっていることが告げられた。
他は問題なし。
運転実能は「満点だよ」と言われました。