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特殊清掃業

2018年05月16日 | 社会・経済

特殊清掃業 
 5年間で15倍増 家族関係の希薄化背景に

  毎日新聞2018年5月13日

 

民間資格の特殊清掃士が在籍する業者数と高齢者の独居世帯数の推移

 孤独死した人の自宅を清掃・消毒して原状回復する「特殊清掃業者」が急増している。業界団体によると、全国で5000社以上が参入しており、団体が民間資格の認定制度を始めた5年前から業者数は15倍超に膨らむ。高まる需要の背景に、家族・親族関係の希薄化が浮かび上がる。

 特殊清掃業者は故人の住宅の管理人や親族らから依頼を受け、清掃や消毒のほか、遺品整理を請け負うこともある。孤独死の場合、遺体発見まで時間が経過すれば、室内の臭いや汚れがひどくなる。業者は特殊薬品や殺虫剤、電動のこぎりなどを使って室内を原状回復し、感染症予防のため防護服を着て作業することも多い。

 業界関係者によると、特殊清掃は一部のリサイクル業者や引っ越し業者が始めたが、近年は葬儀や廃棄物処理など幅広い分野の業者の参入も目立つ。

 だが、悪質な業者による高額料金の請求や雑な作業を巡るトラブルも少なくない。こうした業界の健全化を目指し、2013年に一般社団法人「事件現場特殊清掃センター」(本部・北海道)が設立された。

 センターは民間資格「特殊清掃士」の認定制度を創設。遺族対応や質の高い清掃方法などをテーマにした約2カ月間の通信講座を受け、試験に合格すると特殊清掃士に認定される。13年は資格取得者が在籍する業者は326社だったが、昨年末現在で5269社まで急増している。

 厚生労働省の国民生活基礎調査などによると、16年の1人暮らしの高齢者数は約655万人(推計)で、10年前の約1・6倍に上る。核家族化も影響して孤独死は全国で相次いでおり、特殊清掃業の需要が高まっている。センターの小根英人事務局長(41)は「需要は今後も増える。遺族らに寄り添える業者を育てたい」と話す。【千脇康平】

孤独死の男性宅に張り紙 

「明日もまた 生きてやるぞと 米を研ぐ」

 近畿地方を中心に特殊清掃を請け負う「メモリーズ」(堺市)の横尾将臣代表(49)には忘れられない現場がある。

 大阪市内の一軒家で8年前、住人の60代男性が風呂場で孤独死した。疎遠だった親族からの依頼だった。

  「メモリーズ」が特殊清掃を請け負った大阪市内の一軒家には、孤独死した住人男性が記したとみられる張り紙が冷蔵庫の扉に残されていた(同社提供)

 台所や居間には食べかけのコンビニ弁当が散らかっていた。近所付き合いも避けていたという男性。冷蔵庫の扉には、自分に言い聞かせるように黒色のペンで書かれた張り紙があった。「明日もまた 生きてやるぞと 米を研ぐ」

 横尾さんは「生きようとしていた形跡を目にすると、こんな最期しかなかったのかと切なくなる」と嘆く。

 同社には毎月150件近い依頼があり、その数は約10年前の15倍に上る。

 「クリーンメイト」(大阪市生野区)の西村訓典社長(35)も半年前、高齢女性が孤独死した大阪府内の自宅を特殊清掃した。依頼主は関東地方の息子だった。ギャンブル好きの父親と仲たがいし、20年前に家を飛び出して家族と疎遠だった。

 電話台の棚から、先に亡くなった父親の言葉を妻の女性が書き留めたノートが見つかった。「(息子に)悪いことをした。もう一度会いたかった」。だが、息子は「家族とは縁を切った」と告げ、室内に残されていた百十数万円の現金だけを受け取った。

 西村さんは「どんなに疎遠でも、故人は家族のことを思って生活していたはず。思いがこもった遺品を届けるのも仕事だが、親族から拒まれることも少なくない」と話した。【近藤大介】


やっぱり、この環境ではスマホの選択肢はないそうで、「多機能携帯」に落ち着きました。写真も今までよりはずっといい感じです。

傾いたなしの木。花もたくさんつけています。助かったようです。

勿忘草。

菜の花が咲き始めています。江部乙地区は車も多くなっています。月末が見どころでしょう。


小児生活習慣病対策を

2018年05月15日 | 健康・病気

 毎日新聞2018年4月20日

  ニッポンの食卓 第2部 育ちの現場から

 ●やせ、肥満両極化

 東京都内の中学3年生の女子は毎日欠かさず、食後に便秘薬の酸化マグネシウムを飲んでいる。ネットではスタイルの良い女性タレントの写真を付けて「ダイエット中の方へ」とのキャッチフレーズで販売されている製品だ。彼女は太ってもいないのにダイエットのために飲む。お菓子を食べ過ぎ、偏食も目立つが、親も本人もそれほど気にしていないようにみえる。

 文部科学省がまとめた「学校保健統計調査」(2017年度)を分析した杉浦令子・和洋女子大学准教授(小児保健)は「小中学生の肥満は1980年代から増えていたが、00年あたりからやや下がってきている。それ以後は、やせ(痩身)が増加傾向にある」と説明する。しかし、肥満の割合は、80年代よりも高く、両極化が進んでいるといえる。

 地域によって差があり、肥満は地方で多く、東北や九州の多くで10%を超える。やせは千葉、大阪、愛知など都市部で高く、12歳女子では5%前後に上る=表。杉浦さんは「やせた児童は朝食をほぼ食べない割合が高く、自己流ダイエットで朝食や夕食を抜くこともある」と指摘する。

 杉浦さんも関わった日本学校保健会のサーベイランス事業報告書(16年度)によると、女子は小学生の約3割、中学生の約7割、高校生の約8割が「やせたい」と思っていた。杉浦さんは「ダイエット志向の大人の社会的な風潮が子供たちの心理や行動にも影響を及ぼしているのでは」と見る。

 ●将来に影響

 子供時代のやせは、次世代の生活習慣病を増やす要因になる。やせたまま成人となって子供を産むと、2500グラム未満の低出生体重児が生まれやすくなる。その低出生体重児が大人になると糖尿病や高血圧、脂質異常など生活習慣病になりやすいことが内外の研究で分かっている。また、肥満も小児生活習慣病にかかる危険がある。

 富山県高岡市は小児生活習慣病予防健診に熱心だ。94年から、小学4年と中学1年全員を対象に血中の脂質や血糖値などを測る健診を続けている。健診の前には子供や親に生活習慣病の学習をさせる。結果を踏まえて、野菜をよく食べて脂っこいものは食べ過ぎない▽ジュースを飲み過ぎない▽一口で20回かんで食べる--といった家庭への食事指導もする。

 ●健診と学習で効果

 健診業務に長く携わってきたJCHO高岡ふしき病院小児科の宮崎あゆみ医師は今年2月、06年度と14年度の健診データを比較、分析した。中1女子のやせの割合は約8~9%と両年とも高く、やせの低年齢化が進んでいる。肥満は減少傾向とはいえ、小4男子で約11%、女子で約8%と依然として高いことが分かった。ただ悪玉コレステロールの高い子供は明らかに減少していた。宮崎さんは「健診を実施すると子供、学校、家族が健康に気を使うようになる。その成果があったのでは」と見ている。

 長年、小児生活習慣病対策に取り組んできた青木内科循環器科小児科クリニック(福岡市)の青木真智子医師は「動脈硬化の兆しは小児期から始まる。小中学生で小児生活習慣病を発症するケースがあるが、周囲が気づいていない」と訴える。

 福岡市が小4児童1万791人を健診した結果、治療を必要とする小児肥満症が約3%、脂質異常や高血糖、高血圧など動脈硬化のリスクが高いメタボリック症候群の子供は約0・5%いた。

 青木さんによると、肥満児童は「ジュースを水のように飲む」「お菓子をごはん代わりに食べる」「よくかまないでのみ込む」などの特徴がある。やせ形の児童は「自分で作った食事しか食べない」「自分の体形にこだわる」などの傾向がみられるという。親が子供の体重に関心が低く、やせていることに気づいていないケースもある。

 ●家庭での食育も

   学校保健安全法では、学校の健診で、心臓検診や運動器検診などの項目はあるものの、高血糖など小児生活習慣病の項目は対象になっていない。福岡市や高岡市のような健診を実施している自治体や学校がどれくらいあるかの調査はないが「実施しているところは少ない」(文科省学校健康教育課)のが現状だ。

 福岡市医師会は医師用と家庭用で別々に肥満編とやせ編の「今日からできる小児生活習慣病の対策マニュアル」をつくり、市内の約150人の医師が活用している。青木さんは「小児生活習慣病は子供のうちに見つけて、食事や運動で改善していけば、治りは早い」と子供でも大人のような保健指導が必要だと指摘する。また、バランスの良い食事を家庭で出さなかったり、子供の好きなままにさせたりすることが不健康につながる。家庭での食育も同時に必要だといえる。【小島正美】=おわり

 ◆都道府県別のやせの割合

 上位10道府県

 長野  5.94
 
千葉  5.71
 
栃木  5.42
 
京都  5.36
 
愛知  5.24
 
滋賀  5.19
 
北海道 5.12
 
埼玉  5.08
 
群馬  5.03
 
大阪  4.98

 下位10県

 青森 2.64
 
沖縄 2.72
 
茨城 2.74
 
佐賀 2.75
 
香川 2.82
 
長崎 2.86
 
熊本 2.95
 
広島 3.03
 
山梨 3.12
 
宮崎 3.17

 (12歳女子)=学校保健統計調査(2017年度)から。数字は%。


カッコー鳴くー異常に早い・・・

2018年05月14日 | 自然・農業・環境問題

 携帯を購入して2年目か、バッテリーが送られてきたはずだ。その時交換したバッテリーはまだ使えるのではないか?ということで探して交換したところ、うまく充電できています。写真も撮れました。今度はスマホかな。ここに住んでいると携帯の電波さえ届かないので、スマホなんて考えてもいませんでした。
 体調も良くなりましたが、ひんやりとした風がやや強く、外での仕事、躊躇しましたが久しぶりに体を動かしてきました。
 ところで、今朝半月も早くカッコーが鳴きました。カッコーが鳴くと霜の心配もなく、何を植えてもいいですよという目安なのです。まだ全然準備ができていないのに・・・・・。異常です。
 江部乙に行ってきました。

もう、ほとんど桜は散っていました。
そして、新たに山菜が出てきました。

ワラビです。

ウドも顔を出しました。
フキも大きくなりました。

ジュンサイも見えるようになってきました。


セクハラも漢字読めぬも罪じゃない(東京都 林明倫) & 教育は生産性向上術にあらず

2018年05月14日 | 社会・経済

2018年5月8日 朝日川柳 西木空人選

     *****

情報・知識&オピニオン imidas  連載コラム2018/05/13

 教育は生産性向上術にあらず

 浜矩子  (同志社大学大学院ビジネス研究科教授)

  とっても気になる新聞記事が目に留まりました。日本経済新聞が掲げた連載企画「生産性考」シリーズの第4回目(2018年5月4日付朝刊)が教育現場の状況を取り上げていました。

 内容的には、日本の学校が生徒たちに押し付けるしゃくし定規なルールや、画一性を問題視しています。そこにまったく異論はありません。若者が、伸び伸びと生き生きと、そして目一杯、創造性を花開かせる。それが教育に与えられた使命ですよね。元々、奇麗な茶髪に生まれた生徒さんに、「黒染めか、退学か」などと迫る。そんな話にならない校則を糾弾する。上記の記事のこの姿勢には、喝采を送りたいと思います。

   ですが、このテーマが、「生産性考」という枠の中で取り上げられていいものでしょうか。この点が、どうしても奇異に感じられるのです。この記事の中には「学力が高い国が生産性が高いとは限らない」と題する図が示されていました。こんな問題が提起されることに、何とも強い違和感を覚えます。

 我々は、自分たちの生産性を高めるために教育を受けるのでしょうか。生産性を高めることに寄与しない教育は、子どもたちにいくら高い学力を提供することが出来ても、意味ある教育ではないのでしょうか。生産性の向上を生み出さない教育は、教育ではないということですか?

  筆者には、自分の生産性を高めるために学校通いをしていたという認識はありません。今日の先生方は、学生さんや生徒さんたちの生産性を高めることを目標に、教育に携わられているのでしょうか。そんなことはないはずです。皆さん、若者たちのみずみずしい知性を開花させることに注力されているに違いありません。ところが、ひょっとすると、今の先生方は、若者たちの生産性向上に寄与することが出来なければ、教員として高い評価を得られないのでしょうか。

 人の髪の毛の色を、偽りの画一色に変えさせる。そんな教育は、最低よりもさらに愚劣さ極まる教育だとしか、言いようがありません。そんな教育は、変えなければいけません。これは、言うまでもないことです。ですが、そのような変革が必要なのは、生産性の向上に資するためではありません。ここが混同されてはいけません。そもそも、こんな混同と履き違えの過ちを犯さないためにこそ、教育があるわけでしょう。

   皆さんは、フランスの文豪、アレクサンドル・デュマの大作、「モンテ・クリスト伯」をご存じでしょうか。この物語の主人公、モンテ・クリスト伯爵は、かつて無垢な若者、エドモン・ダンテスでした。彼は、仲間にだまされて投獄されてしまう。その時、仲間の裏切りを彼のために解明してれたのが、隣の牢獄にいたファリア神父でした。ダンテス青年は、神父様の謎解き力に感服します。そして、その謎解き力の源となった知性と教養に強い憧憬(しょうけい)を抱きます。

 知性と教養は、このような時のためにあるのです。生産性を上げるためにあるわけではありません。

 


面白料理

2018年05月13日 | 食・レシピ

「クマさんオムライス」2013年07月17日 | 食・レシピ
が、またアクセスされていますので、画像も増やして再度掲載してみました。

 

 これじゃあ食べられません。Fbで見つけた面白い写真です。

 さらに見つけた面白料理。作者は不明ですが、画像にらしきものが記載されているのもあります。


これ、どこからスプーン入れますかね?

 今朝はようやく熱も36℃台まで下がりました。まだ完全ではありませんが、だいぶ楽になりました。
 もうそろそろ雨が降ってくる予報です。今日も無理せず、寝ています。
2日も更新しなかったのに多くの方が訪問くださいました。ありがとうございます。

2020.12.18の記事より

大根おろしネコ

イナリ

 

 


「#私は黙らない」!! 雨宮処凛がゆく!第445回:

2018年05月10日 | 社会・経済

雨宮処凛がゆく!第445回:

 止まらない「#Me Too」ムーブメント。「#私は黙らない」!! の巻(雨宮処凛)

 

  2018年5月9日 マガジン9

 少し前、近所の安い焼肉屋で友人と食事をしていた時のこと。

 近くの席には大学生くらいの男子とその祖父らしき人がいて、楽しそうに食事していた。漏れ聞こえてくる会話から孫の方は大学に入ったばかりのようで、おじいちゃんとのお祝いの食事っぽかった。彼女はいるのかとか将来は何なりたいのかとか、おじいちゃんは孫を心配するように聞いていて、孫ははにかむように笑っては「うーん」などと答えあぐねていて、その光景は微笑ましいものだった。

 そんな食事の最中、おじいちゃんは店員を呼び止め、写真撮影をお願いした。自分と孫の写真を撮ってほしいという。快く応じる、大学生くらいの女子店員。撮影が終わると、おじいちゃんは店員に、次は自分と一緒に写ってほしいとお願いし、孫にカメラを渡した。やはり快く応じて、椅子に座ったおじいちゃんの隣で腰をかがめる女子店員。するとおじいちゃんは突然、野獣に変身。店員の腰に手を回して自分の方に引き寄せ、顔をうんと近づけると、「いいか、女はこうやって誘うんだよ! 女にはこうすればいいんだよ!」とカメラを構える孫に叫んだのだった。

 慌てて手を振り払うように身体を離す女子店員。店内を漂う、「爺さんやっちまった…」という空気。近くにいた男性客が、女子店員をフォローしようとしたのか「いやー、大人気ですね…」と声をかけると、彼女は爺さんには見えないように思い切り顔をしかめ、「最悪」と呟いた。顔を真っ赤にして俯く孫。しかし、爺さんだけは場の空気の変化にちっとも気づかず、「女を誘う時は、ああいうふうに強引にしてやるもんだ」などと言って悦に入っている。こんなふうに孫に大恥をかかせた上に、「貧しいことこの上ない女性とのコミュニケーション方法の伝授という名のハラスメント」を撒き散らす「昭和の忘れ物」を久々に目撃し、「まだ絶滅していなかったのか…」とため息をついた。

 それまで、なんとなく微笑ましい光景としてみていた二人の姿だっただけに、ただただ「おじいちゃんの変貌ぶり」が怖かった。これが道端で、その辺を歩いてる女性に対してだったら爺さんだって絶対にやらないだろう。普通に通報案件だ。が、自分は客で相手は店員という立場だからやるのだ。客だから、多少のことは許されると思っているのだ。

 かように、セクハラ男はいついかなる時も自分が1ミリでも上に立てる「段差」(客という立場とか、仕事上の上下関係とか)を探している。おそらく爺さんには「セクハラ」という意識などかけらもなく、ただ「孫にいいところを見せたかった」のだろう。理想としては、「キャ、何するんですかやめてくださいよー(嫌なんだけど仕方なく笑顔)」「ハッハッハッ、ほーら見ろ、女はこういうことしたら喜ぶだろ?」という光景を出現させたかったのだろう。今までの「成功体験」もあるのだろう。が、爺さんの手は振り払われ、孫と同世代の女性店員は去っていった。その後、二人の食事の席が以前の盛り上がりを取り戻すことはなかった。孫が明らかに不機嫌になっていたからだ。祈るのは、その後、爺さんが「せっかくの食事の席なのに女性店員の態度が悪くて盛り下がった」などとクレームを入れたりしていないことだ。セクハラの加害者が「客」だった場合、この手の「復讐」は少なくない。

 冒頭から不快なエピソードを書いてしまったが、私は不快さを剥き出しにして爺さんの手を振り払った店員女性の姿に、心の中で拍手を送っていた。その瞬発力。愛想笑いで誤魔化したりしない毅然とした態度。自分が彼女くらいの歳の頃には、決してできなかったことだ。バイト中だし、お客さんだし、あとで店長とかに怒られるかもしれないし、自意識過剰って言われるかもしれないし…。バイト中にセクハラに遭遇しようとも、一度だって毅然とした態度を取れずに「えー、ハハ…」と曖昧に笑っていただけの過去の自分。しかし、時代はやっぱり少しずつ変わっているのだとしみじみ思った出来事だった。

 \ そうして最近、本当に、心の底から「変わりつつある」ことを感じた。

 それは4月28日、東京・新宿アルタ前で開催された「#私は黙らない0428」。財務省のセクハラ問題をきっかけに開催された街宣だ。

 集まった人々が手にするプラカードには、「#Me Too」「どんな仕事にも『人権』がある」「STOP GENDERING ME」「年齢はただの数字です」「セクハラ許さん」などなど。ゴールデンウィーク初日のこの日、多くの人が行き交うアルタ前で、世代や性別、背景や職業など多様な人々がそれぞれの思いをスピーチした。

 最初にスピーチした大学院生のカリンさんは、ある映画監督のインタビュー記事を読んだ時の違和感について、語った。プロデューサーから映画監督が言われたという「バカな女子高生、バカな女子大生、バカなOLでもわかる映画を作らなきゃダメなんだよ」という言葉。

 「なぜ、バカな大学生じゃなくバカな女子大生なんですか。なぜ、バカなサラリーマンじゃなくバカなOLなんですか。なぜ、女性はバカが標準設定とされているんでしょうか」

 そして自身がこれまで投げかけられてきた言葉について、語る。

  「高校生の時、『そんなんじゃ良いお嫁さんになれないよ』『元気な赤ちゃんを産みたいなら、そんな短いスカートはいちゃだめ』と言われ、驚愕しました。なぜ私の将来はお嫁さんなのか、私の身体なのに赤ちゃんを産む身体だと決めつけられなければならないのか。大学院に進学した時も、『勉強ばっかしてると結婚できなくなるよ、幸せになれないよ』と言われました。ものすごく余計なお世話だし、うるせえとしか思えません」

 ゲイの男性も登壇し、中学生の時、部活の顧問に一年間にわたって受けた性暴力についてスピーチする。高校生になってから、自分は男性が好きかもしれないと気づき、その時に思い出したのは性暴力の記憶。自分もあの顧問のようになってしまうのか、そのような経験があるから男性を意識するようになったのかと悩んだ日々。現在は自らのセクシャリティはオープンにしているものの、性暴力被害を話していいものか悩んでいた時期に起きたMe Too運動。

 「Me Too運動について、自分はそんなことしてないから大丈夫、女性たち、告発頑張って、と思っている男性が多数いると思います。しかし、Me Too運動が告発しているのは単純に個人ではなく、そのような人物、行いを見過ごし、隠蔽し、さらには促進さえするような文化と行動であり、そこからは誰一人、たとえ女性であっても自由ではありません。明らかにこれはだめだという行為と、習慣になってしまって意識にさえ上らないような性差別を助長する行為は繋がっています」

   京都から駆けつけてくれたという元セックスワーカーの女性・げいまきまきさんもスピーチした。彼女は普段、セックスワーカーの安全や健康を目指すグループ「SWASH」で活動しているという。彼女は自らがセックスワークをしている時によく言われた「そんな」という言葉を引き合いにして、言った。

 「『そんなん仕事じゃない』『そんな仕事をしてるからそんなひどい目に遭う』『そんな仕事してる人かわいそう』『その仕事辞めれないの』。『そんな仕事をしてるんやったらもう来ないでくれ』って病院から言われたこともあります。でもね、こういうことを言う人みんなが悪人か、悪意で言っているのかと言ったら、そうじゃないんですよ。みんなね、そんなことから助けてあげたい一心なんです。善意です。『そんなこと』ってなんやと思います。大体はね、『そんなこと』っていう人たちは、セックスワークのお仕事のことを、モノになるお仕事とか、自分の心身を他人に好き勝手にさせることがお仕事だと思っているんですよ。そういう人が多いです。でもさっきも言ったようにね、性的なコミュニケーションのサービスを商品にしているんです。自分で、いろんなことを仕事をしているうちに考えて。セックスワーカーは、私はモノではありません」

 「だからこれからは、『そんな』を『どんな』に変えて、どんなことが変わったら、このお仕事は安全になるんやろう。どんなとき、このお仕事でも楽しいと思える?私もみんなに聞きたい。どう?」

 彼女はずっと満面の笑顔でスピーチしながら、最後にみんなでコールした。

「どんな仕事にも人権がある」「セックスワークはお仕事です」

 女子高生や主婦、男性も次々とスピーチし、最後に登壇したフェミニストの和香子さんは、自身のレイプ被害について、触れた。

 「自分の叫びも身体の痛みも、身体の震えも全部しっかり覚えてる。壊れてしまったお気に入りだった金の時計も、すぐそこにあるホテルの部屋のドアが遥か遠くにあるかのように見えていたことも、全部全部覚えてる。被害に遭った直後に言われたこと。『あんたがそんな格好しているからそういうことが起こるんだよ』って。その言葉は私を殺した。私はしばらく死んでいた。そして私はこの国を離れる決意をした。その時私が必要としていた言葉を、私はついに聞くことはできなかった」

 涙を拭いながら、彼女は絞り出すように続けた。

 「私はおそらくそしてこれからもずっと、社会の求めるいい女になんかなれない。だから私は今日、ここに立つことを決めた。

 自分が聞くことのできなかった言葉を、どこかで必要としているであろう女たちに届けるために。

  私の痛みは、あなたの消費のためにあるわけではない。

  私の選ぶ洋服は、あなたへの招待状でもなければ許可証でもない。

  私は棚に陳列された商品ではなく、笑顔を貼り付けられた人形でもなく、自分を定義するということを覚えた私は、お前の、お前みたいなやつの一時的な欲求とシステムにコントロールされた物言いに負けることはない!」

  集まった聴衆から、地鳴りのような拍手と歓声が沸き起こった。

 気がつけば周りの女性たちはみんな目頭を拭っていて、私の目からも涙が溢れていた。

 「必ず覚えておいてほしい。立ち上がること、言葉にすること、怒りを恐れないこと。自分とその未来の持つ可能性に目を背けないこと。そして、そこにいない人について、いつも考え続けること。あなたが自分の可能性に向き合うことを、それを諦めなければ、あなたはきっと呪いに打ち勝つことができる」

   大拍手の中、「#私は黙らない」は終わった。みんな、泣きながら笑っていた。あちこちで女たちが抱き合っていた。「#Me Too」の動きは、もう止められないことを確信した。

 あの日、語られたすべての言葉を、私はずっと忘れないと思う。街宣では、伊藤詩織さんからのメッセージが読み上げられた。

 「敬意と愛があれば、暴力は生まれない。想像してください、これがあなたの愛する人に起きたら。もし、あなたの娘だったら。もちろん、あなたも彼女たちが傷つくところは見たくないと思います。私たちはこれを止められる。今、この瞬間から」

 そう、今この瞬間から、変えられる。だから、私も声を上げていくのだ。改めて、誓った。


 昨夜から悪寒を感じていたのだが、きょう昼からさらにひどくなった。今日は皆さんのところへは行けそうもありません。夕ご飯を食べて横になります。悪しからず。
 ここ数日寒い日が続いていたので、皆さんもお気を付け下さい。


雨宮処凛-土俵問題と「女は華」

2018年05月09日 | 社会・経済

Imidas  連載コラム 2018/05/09

 土俵問題と「女は華」問題

   雨宮処凛  (作家、活動家)

 「女性の方は土俵から降りてください」

 2018年4月4日、京都府舞鶴市で開かれていた大相撲の春巡業会場に、耳を疑うアナウンスが流れた。多々見(たたみ)良三舞鶴市市長が土俵上で挨拶の途中に突然倒れ、救命処置に駆けつけた女性たちに浴びせられた言葉である。

   人命よりも伝統やしきたりを優先する姿勢に非難が殺到し、日本相撲協会は謝罪。心臓マッサージをした女性たちへ感謝の言葉を述べたものの、その後、土俵に大量の塩がまかれたという報道も問題となった。これについては「病人が出たから」という説もあり、相撲協会の広報担当は「女性が上がったからまいたのではないと思う」と弁明しているが、女性=不浄というのは「女人禁制」にはつきもののイメージである。

 その2日後、兵庫県宝塚市の中川智子市長が土俵上での挨拶を申し入れ、断られたことも大きく報じられた。

 「女性ということで土俵の上で挨拶できないのは、悔しいです、つらいです」

 中川市長がそう述べると、観客からは大きな拍手が起きた。

 そのまた2日後には、静岡市で開催された大相撲春巡業の「ちびっこ相撲」で、小学生女児が土俵に上がることを「遠慮してほしい」と言われ、女児が上がれないという事態が発生。日本相撲協会は「安全面を考慮した」などと述べているが、昨年までは女児も土俵に上がれていたという。

 人命救助のために尽力すれば「降りて」と言われて塩をまかれ、市長という立場でもそこに立ち入ることを許されず、子どもであっても上がることを拒否される――。たった数日の間に、「土俵のしきたり」という「女は決して越えられない壁」の破壊力を散々見せつけられ、もやもやした気分は大きくなるばかりだ。

 しかも相撲の世界は、土俵は女人禁制だが、相撲部屋で献身的に働き、力士の世話をするのは女性である「おかみさん」だということは誰もが知っている。そして、それがどれほど大変な仕事かということも、多くの人が知っている。

 下働きの多くは女に押し付ける一方で、神聖な土俵には女など入れないというしきたり。なんだかこれって、この国の「男社会」をそのまんま体現しているようではないか。

 一方で、現代社会では多くの場で、ジェンダーバランスをとることが「いいこと」「進歩的なこと」「現代的なこと」とされている。女性議員の少なさについては、以前から一定数を女性と定めるクオータ制導入の必要性が叫ばれ(叫ばれてるだけでちっとも実現していないが)、企業なんかでも女性役員などを積極的にアピールすることがいいこと、という空気がある。

 が、そのような「私たち、ちゃんとジェンダーバランスに配慮してますよ」という場においても、もやもやすることは起きる。

 例えば私は作家・活動家という肩書きゆえ、イベントやシンポジウム、さまざまな種類の集会などに呼ばれるのだが、結構な頻度でもやもやに遭遇する。

 それは大抵、複数が登壇するイベントなどで起きる。ゲストとして何人かの男性のあとに紹介され、なぜ、私をゲストとして呼んだのかを主催者や司会者が話す時。結構な確率で、「女だから呼んだ」という内容のことを言われるのだ。

 そこにまったく悪気はない。貶めているわけでもまったくない。ただ、どんなに意識高い系のテーマのイベント・集会だとしても、この世はやはり男社会。パネリストやゲストにはどうしたって男性が多くなる。5人くらい登壇者がいる中で女は私一人、というケースも多々ある。

 そんな中、主催側はおそらく「男性ばかりではなく、女性ゲストも呼ぼうと配慮した結果、この人を呼んだんですよ」「私たちはちゃんとジェンダーバランスについても考えているんですよ」ということを強調したいからこそ、女性である私を呼んだことをアピールするのだろう。

 だけどそれって、「“女”という属性だけで呼んだ」ということである。別にこの人の活動や意見を評価しているわけでなく、「女の頭数」が必要だったので呼んだだけですよ――深読みしすぎかもしれないが、そんなふうに聞こえることもあって、ものすごく、もやもやしてしまう。

 しかも場合によっては、そこに「華」という言葉が加わることもある。「おじさんばかりじゃ華がないから」という言い分だ。

   が、そんなことを言われるたびに、思う。賑やかし要員のために呼ばれるほど暇じゃないんだけど、と。なぜなら「華」という言葉で私がまず連想するのは、テレビ番組なんかでゲストの後ろにずらりと並ぶ若い女性たちなどの光景だからだ。

 画面に映りはするものの、一切発言の機会を与えられず、拍手と笑顔だけを求められるという謎の存在。そんな光景を見るたびにやっぱりもやもやするのだが、私が「華」とか「女だから呼んだ」的なことを言われるのは、ステージに上がった瞬間。出端をくじかれつつ、みんなの前でバカにされているような気分もこみ上げる。

 これって考えすぎ? 被害妄想? と思っていたのだが、ある時「あんな言い方失礼すぎる! 雨宮さん、怒ったほうがいいよ! 私も客席から怒ろうかと思ったもん!」と言ってくれる知人の女性がいた。

 あ、このもやもやって、私だけじゃなかったんだ。違和感を持っていいことだったんだ。そう思うと、心の底から安堵して、思わず泣きそうになった。

 「え、そんなことで?」と思う人もいるかもしれない。だけどあなたが男性の場合、想像してみてほしい。イベントなんかにゲストとして呼ばれて登壇した瞬間、「女ばかりだとよくないと思って男だから呼んだ」と紹介されたら?

 もちろん、「男だから」という理由だけで呼ばれたわけじゃないことはわかってる。でも、決していい気はしないだろう。そして多くの女性は、もうずーっとそのせりふを言われ続けているのである。私自身は、デビュー以来18年間、言われ続けている。最近は言われなくなったが、30代前半くらいまでは「若い女だから呼んだ」というバージョンもあった。

 なんだかさらに露骨である。だけど、「華」や「若い女」などと言う人には本気で悪気がなさそうで、「喜ばなくてはいけないのでは?」なんて思っていたのだが、やっぱりその言葉はちっとも嬉しくなんかないのだった。

 さて、そんなイベントが終わった後、だめ押しのようにさらにもやもやすることがごくたまに起きる。例えば、私はいじめや生きづらさについての自らの経験を書いていることからそのようなテーマのイベントに呼ばれることも多いのだが、終了後、来ていた人に「励まされる」ことが時々あるのだ。私が子どもの頃いじめられ、それからリストカットを繰り返したなどの話を聞いたからなのだろう。

「そういうことを乗り越えてきたから今があるんだね、頑張って」などだったら非常にありがたい。しかし、数年前のある日、話を聞いていたオジサンは私に言った。

 「大丈夫! いろいろあったけど、雨宮さんのような人こそいいお母さんになれるから、大丈夫!」

 は? 思わず露骨に顔に出すと、「だから絶対、いいお母さんになれるから!」と私の背中をバンバンと叩き、満足そうな顔で立ち去った。

  ……なぜ、この人は、私が「お母さんになる」ことを勝手に前提にしているのだろう?

 そんなことは、プライベートのお酒の席なんかでもある。少し前も、大人数での会食の場で、よく知らないオッサンに結婚してるのかとか彼氏はいるのかとか、プライベートに土足で踏み込むような質問を連発され、答える必要など微塵もないので答えずにいたら、「大丈夫! いつかいい人現れるから! ちゃんといいお母さんになれるから大丈夫!」とまたしても謎の励ましにあった。

 なぜ、一部のオジサンは、女が全員「結婚して子どもを産むこと」を望んでいると思い込んでいるのだろう? そしてなぜ、女の最終形態が「母」だと強固に信じているのだろう?

 しかし、この手のことをやってくるのは男性だけではない。少し前も、知り合いに連れていかれた飲み会(全員初対面)で、たまたま近くにいた女性は、私が単身・子なしだと知るやいなや「子どもだけは産んどいたほうがいい」ということを力説し始めた。

 は? 初対面の女つかまえて何言ってんのこの人、と思ったものの、その女性はいかに出産や子育てが素晴らしいものかを語り続け、「だから絶対、結婚なんかしなくても子どもだけは産んでおいたほうがいい」と繰り返したのだった。げんなりしたものの、この手の「女からの悪気なきセクハラ」はよくある話でもある。

 私自身、別に積極的に「絶対一人で生きていく」と決めているわけでもないし、「子どもはいらない」と思っていたわけでもなんでもない。ただ、気がついたら独り身の子なし40代だっただけである。

高卒後、浪人生活を経てフリーターとなり、25歳で物書きとしてデビューし、出版不況が深刻化する中、とにかく仕事を切らさないよう、働いてきた。毎年1冊は本を出すことを自分に課し、18年間、なんとかそれを続けてきた。もちろん、それは多くの人の助けがあってこそのことなのだが、「いいお母さんになれるよ」とか「子どもだけは産んだほうがいい」とかの言葉たちは、そんな私の紆余曲折をあっさりとなかったことにするような、暴力的なほどの無神経さに満ちているのだ。

 一方で、私の周りには様々な理由から「子どもはつくらない」と決めている人もいるし、経済的な理由から諦めたという人もいる。不妊治療を続けている人もいるし、パートナーの不在という問題を抱えている人もいる。

 こうしてちょっと書き出しただけでも、この問題の周りは見渡す限り地雷原なのだ。他人が軽い気持ちで口を出していい問題ではない。

  それにしても、ハマチがメジロになり、ブリになるという「出世魚」的な自然現象のように「母」になることを決めつけられ、時に「華」とか言われながらも同時に「不浄」な存在であり、それでいながら男社会の底辺で下働きを求められる、女という存在。一方で「土俵」には上げないのに、「男の品定め」のためのリングにはいつも勝手に上げられている。

 それがこの国のごく当たり前の光景だと思うと、生きづらくて当たり前だよな、という気持ちが込み上げてくるのだった。


なぜこれほどお粗末なのか?

2018年05月08日 | 社会・経済

Imidas  連載コラム 2018/05/08

元財務事務次官セクハラ問題への対応はなぜこれほどお粗末なのか?

   香山リカ  (精神科医・立教大学現代心理学部教授)

   財務省の福田淳一事務次官(当時)による、テレビ局の女性記者へのセクハラ発言問題は、思わぬ方向に進んでいる。ここで「思わぬ」と記したのは、この問題が明るみに出たとき、私自身は「これはどう考えても許されない問題。事務次官の懲戒免職、場合によっては財務大臣の責任問題にも発展するだろう」と考えたからだ。なぜなら、国家公務員の人事管理に携わる人事院の規則には、セクハラ防止や対策、処分などについて細かく定めたものがあり、その中で各官庁の長、つまり中央官庁の場合は大臣の責務についても述べられているのである。ところが、事務次官には懲戒などの処分は下されず、本人からの辞任の申し出が承認される形での退職となった。その後、財務省への信頼を落としたなどの理由で減給処分が下され、退職金から差し引かれることにはなったようだが、一定の金額は支払われるのだろう。

   さらに、麻生太郎財務大臣は、問題が発覚した当初こそ「事実であればアウト」と語っていたが、その後、被害を訴える女性が出てこないことには確認できないとして、事務次官の辞任を承認したあとでさえ、「福田の人権はないのか」「はめられたとの意見もある」と一貫してセクハラを認めない、あるいは問題にしようとしない姿勢を見せている。

   また、事務次官が辞任したあとに代行を務める矢野康治官房長は、被害女性が財務省にではなく「弁護士に名乗り出て名前を伏せておっしゃるということが、そんなに苦痛なことなのか」と発言したが、ここで言う弁護士とは財務省サイドが指名した顧問弁護士のことである。財務省はあくまで、顧問弁護士によるヒアリングを要求しているようだ。

   私は勤務する大学で人権・ハラスメント対策センターの委員として活動しているが、セクハラなどのハラスメントでは、まず申立人の安全や保護が最優先される。当然、申し立ての内容が事実かどうかの確認は重要なのだが、その場合も加害者とされる人に申立人の個人情報を知らせるようなことは絶対にしない。ヒアリングは中立的立場の対策センターが被害側、加害側それぞれに対して行うものであって、加害者が弁護士を雇うなどして「申立人の話を聴かせてほしい」と言ってくることなどありえないし、言ってきたところでもちろん応じられない。

 申立人はハラスメントを受けた被害者でありながら、「こちらにも落ち度があったのでは」と自分を責めていることが多い。また、申し立てにより相手から恨まれたり、さまざまな被害を受けたことが公になって悪い評判が立ったりすることをおそれ、周囲からの推測以上に神経が過敏になっているのだ。被害によって傷ついたことが、この過敏さの誘因になっているのだろう。それもあって、ハラスメント対策センターではあらゆる方向から、「とにかく被害者保護を徹底させる」というのが原則になっているのだ。

 今回の場合、財務省は先に事務次官へのヒアリングを行い、「セクハラはしていない」「記事を載せた雑誌の出版社を名誉棄損で提訴する」という言い分を公表した上で、女性記者に対して名乗り出るように求めた。しかも、そのヒアリングは事務次官の部下に当たる矢野官房長が行ったという。官庁のようないわゆるピラミッド型の組織で、身内、しかも職位が下の人間が調査に当たるというのも不適切だ。

 もし、省内では十分なヒアリングなどができないとしたら、そこですべきなのは「セクハラがあったとしたら由々しき事態なので、完全な第三者による調査委員会を立ち上げる」といったことであって、「やってません」という当事者の言い分をそのまま公表するなどということは、ハラスメント対応としておよそ考えられない。

 このような動きを見ると、官庁ではこれまでもハラスメント事案が発生したときに、こういった非常識な対応をしてきたのか、と疑いたくなる。少なくとも管理職に就く人たちはハラスメントに関する研修なども受けているはずであるし、省内や人事院には苦情や相談の窓口が設けられているはずだが、もしかするとそれはまったく機能していなかったのではないだろうか。それとも、事務次官という最高幹部が当事者だったので、特例として通常とは異なる対応をしたのだろうか。もちろん、後者だったとしたら問題はさらに深刻だ。

 繰り返しになるが、私も大学という組織のハラスメント対策委員として、これまで啓発のために学生の前で講演をしたり、ときには具体的な事案に対応したりしてきた。そして、「ハラスメントはいけない」ということや、「万が一、ハラスメントが発生した場合は、あくまで被害者保護を念頭に置きながら、きちんと事実を確認して処分を含む適正な対応を行うのが再発防止につながる」ということが、学内にも社会にもかなり浸透してきたと思っていたところだった。ところが、このたびのわが国の中枢部ともいえる財務省でのあまりにもお粗末な対応を見せられ、個人的にも大きな衝撃を受けた。

 政治家も官僚も、ハラスメントに関して一から学びなおしてほしい。

 


 

  しかし、麻生太郎財務相にとってはナチから学ぶ点はあっても、これは問題外なのだろう。
それでもさらに
「セクハラ罪という罪はない」とか「どの組織でも改ざんありうる」などとその精神構造を疑ってしまう。

 今日も寒い一日だった。晴れてはいるのだが寒い。今夜の日付が変わるころの予報気温は1℃。おそらくこの山のなかでは氷点下になるのではないだろうか。もう2.3日このような寒さが続くようだ。


“こどもの本”総選挙

2018年05月07日 | 本と雑誌

「ざんねんないきもの事典」好き こどもの本総選挙トップ

  東京新聞 2018年5月6日

   いま子どもたちが一番好きな本は? 全国の小学生の投票による「小学生がえらぶ!“こどもの本”総選挙」の結果発表会が五日、東京都内で開かれ、昨年ベストセラーとなった児童書「ざんねんないきもの事典」(高橋書店)が一位に輝いた。全都道府県の小学生約十三万人が投票したという。

 子どもたちに本を身近に感じてもらおうと、出版社のポプラ社(東京都)が企画。昨年十一月~今年二月、小学校や書店を通じ「一番好きな本」への投票を呼び掛け、計約十二万八千人が参加した。

 動物の進化をユーモラスに紹介した「ざんねんないきもの事典」は、四位に入った続編と合わせ、累計発行部数は約百八十三万部に達している。

 監修した動物学者の今泉忠明さんは「残念な面があっても何とかやっている生き物がいることに、共感が集まったのでは」と語った。

 発表会では、投票した子どもの代表が、トップ10に入った作品の著者らに賞状を授与。ヨシタケシンスケさんの絵本「りゆうがあります」を選んだ神奈川県の小学三年、西城風花さんは「『自分もそうだ』と思うことが、たくさん書いてある。絵が面白い」と話した。

 発表会に参加した芥川賞作家でお笑いタレントの又吉直樹さんは「総選挙をきっかけに、自分が選んだ作品以外の本も読んでみようと思ってほしい」と呼び掛けた。


 GW明け、良い天気に恵まれ、江部乙の桜も満開となった。写真を数枚撮ったところで画面が真っ暗になってうんともすんとも動かない。てなわけで、満開の桜のお披露目は無し。しばらくは写真無しです。
 それにしても寒い。最高気温が12℃だそうで、しばらくこんな寒い日が続きそうです。


食料品、値上げの春

2018年05月06日 | 食・レシピ

 昨日の記事「食べものを捨てる」で、私の認識が誤っていたことがわかった。個人の日常の食においては、ほぼないだろうとの認識だったがどうやら間違いだ。

 さて、ゴールデンウイークの締めも雨。農作業の一番忙しい時なのだが雨のため動けず。それでも今日は午前中はいいということで、江部乙へ行ってハウスの妻面作り。これがなかなか面倒。

 お昼は、外でお湯を沸かしコーヒーを入れて菓子パンを食べながらのお花見。


家ではクジャクサボテンが咲きだしました。


 

食品の値上げにどう対処 必要な量買う意識大切 冷蔵庫や冷凍庫 配置に工夫を

   道新 04/27

 納豆やワイン、業務用ビール…。今年も値上げの春がきた。懐はなかなか温まらず、節約しよう、と思ってもどこから手をつければよいのか。買い物と冷蔵庫整理で「無駄をなくせばエコにもなる」と目標を立てて取り組めば、楽しく家計防衛できるかもしれない。 近年、人手不足を背景にした人件費増や原油など原材料高による値上げが続く。昨秋はサラダ油やかつお節などが値上げされ、6月は業務用小麦粉の値上げも控えている。こうした中、消費者の対応について札幌のファイナンシャルプランナー星洋子さんは「安く買おうとする自衛意識は根付いていますが、生鮮品のほか調味料など日持ちするものまで買いすぎる人が多い」とかえって無駄な買い物が多い点を指摘する。

 星さんが講演などでテーマにするのが《1》簡単な家計簿作り《2》取捨選択《3》予算立て。レシートを貼り付けたノートを家計簿にし1~2カ月分を比較すると、無駄を洗い出しやすいという。取捨選択では、「○」(必要)、「×」(不要)、「?」(なぜ買った?)と3分別し、「○」を買うようにするという。

 最後には家族に必要な分量を把握し、予算を立てること。星さんは「まとめ買いで得したと思ったら、賞味期限切れで捨てることになった、という家庭はシニア層によくみられます。『使うかも』よりも、必要な量を買う意識づけが大切です」と話す。

 買い物で無駄を減らしたら、次は買ったあと。冷蔵・冷凍庫や保管スペースに使いかけたり忘れたりした食材はないだろうか。結局は捨てられてしまう。農林水産省の2014年の推計によると、家庭からの年間食品廃棄量約820万トンのうち、本来食べられたものが約280万トン。国民1人につき1日に茶わん1杯分のごはん約130グラムが捨てられており、食料廃棄率世界一ともいわれている。

 札幌市はごみ減量キャンペーンの一環として、15年度から「さっぽろゴミュニケーション」と題し、毎週日曜に冷蔵庫を片付け、食材を使い切ることで食品廃棄防止を狙う「スリムサンデー」事業を進めている。

  17年度の札幌市民モニター調査では、生ごみの原因の1位は自分で作った料理、2位が手つかずの野菜。4人家族の場合、年間で40キロ、2万3千円分が廃棄されているという。ごみ減量推進課では「食品ロス削減で、家計のロスを減らすことにもなる」と強調する。

  「さっぽろゴミュニケーション」事業で、冷蔵庫の片付け法を監修した札幌の収納コーディネーター広沢かつみさんは、冷蔵庫の片付けポイントとして《1》仲間をまとめて使い忘れ防止《2》中身を把握し食べ忘れ防止《3》食材の指定席を作り二重買い防止―を挙げる。

 「冷蔵庫や冷凍庫を過信し、長期保存するうちに賞味期限切れや冷凍焼けで食材が傷んでしまう家庭が非常に多い」と広沢さん。また、各家庭で実際に冷蔵庫の片付けをアドバイスすると、詰め込みすぎをよく目にするという。冷蔵庫の収納として、目線に近い棚には賞味期限の近いものや普段使うものを、高い棚には缶や保存のきくものを置くのを勧める。冷凍庫は、積み上げると下の方に古いものが隠れるため、立てて収納すると上から見渡せて取り出しやすいという。

  冷蔵庫を片付けると生活全般の整理整頓にも通じるという広沢さん、「食材費だけでなく電気料金の節約にもなり、気持ちもすっきり。冷蔵庫は週1回、冷凍庫は月1回は片付けましょう」と呼び掛けている。(末角仁)


「食べ物を捨てる」

2018年05月05日 | 食・レシピ

BLOG

竹下友里絵  神戸大学農学部4年 

 2018年05月02日

「食べ物を捨てる」という行為はなぜ社会問題なのか。フードロスを語る上で最も大事にしているたった1つの質問。

 「フードロス」、それは「まだ食べられるはずだったのに捨てられた食べ物」。

   先日発表された農林水産省の平成27年度における日本のフードロスの量は、約646万トンだと推計されています。これが世界における食糧援助の倍の量というのは、よく耳にするような事実ですね。

  2017年から日本でもパブリック・ビジネス・ソーシャルセクター問わず(まま、意味わからんーわたし))に声をあげる組織が増えてきたと思います。一部では2017年がフードロス元年と言われていたりしました。

  そういう私自身も、フードロスはすごく大事にしているトピックです。きっかけは高校2年生のときに行ったカナダ留学でした。ある日の晩ごはんを終えた後、ホストシスターがたくさんの食べ残しがのったお皿を持ってキッチンの方に行くと、なんの躊躇もなくゴミ箱に捨てました。母親に「もったいない精神」を教えこまれていた私にはすごく衝撃的で、今でもその光景を鮮明に思い出すことができます。

国際協力にもともと興味のあった私がそこで思ったのは、

「なぜ一方では捨てられるほどの食べ物があるのに、世界のもう一方では食べ物を得られずに死んでいく人がいるんだろう。世界全体で食の分配を実現できたらみんなハッピーじゃないか。」

というなんとも安直な(笑)想いでした。

  特に大学に入ってから「フードロスを解決するんだ!」と言い続けていると、「ゆりえの前ではご飯残されへん(笑)」って言われ始めたりしました。また、「フードロスを解決したい」という同じ想いを持った人がSNSなどを通して連絡してくれるように。

 「フードロスってどうやったら解決できると思いますか?」

 よく聞かれる質問です。実は私はフードロスは1つ1つ原因を紐解いていくと、減らさなければならない量は多いけれども解決は難しくないと思っています(食の安全とのバランスと国際貿易の歪みが難しいポイントだと思っていますがまた別の機会に執筆させていただきます)。

 なので私は解決方法よりも、「あなたはなぜフードロスを問題だ/解決したい思っているのか」という質問のほうが興味があります。

 「食べ物がもったいない」から?

 「ゴミがでるということは環境によくない」から?

 「捨てられた農産物が売れていれば農家さんの収益に繋がる」から?
  (ちょっと意味不明ーわたし)

  フードロスに限った話ではないですが、メディアの発達によって「みんなが問題だと言っているから解決したほうがいい」と思ってしまうのは当たり前で、でもそんな中でも「なぜ自分が問題だと感じているのか」という問いと向き合うことは大事だと思います。

  私がフードロスを解決したい思っている理由は、「世界の食のアンバランスを解消したら世の中の飢餓問題の解消に貢献し、世界がおいしさで満たされるのではないか」という仮説が私の信条だからです。

みなさんは、なぜ「食べ物を捨てる」という行為が社会の問題だと思いますか?

 


 

  2015年の国連世界食糧計画(WFP)の食糧援助量は約320万トン。日本人はその2倍近くの食料を廃棄していることになる。日本国民が1人あたり毎日茶碗1杯のご飯を廃棄していることに相当するという。世界の栄養不足人口は減少傾向にあるものの8億人と推定され、依然として高水準だ。特に成長期の子どもにとっては未来へとつながる重大な問題だ。
 一般家庭の日常においてはそんなに問題にはならないと思うが、日常ではない食事が問題になる。気心の知れた友人なら分けて持ち帰っていただく。

 問題は食ビジネスなのだが、その根本には貧富の格差があり、「食」をビジネスにしてしまう「社会構造」がある。先般の「恵方巻騒動」を見ればわかるはずだ。

 今日も寒い一日。最高気温が8℃とやら。
今日の江部乙

寒いおかげで長い間桜が楽しめそう。


拉致問題

2018年05月04日 | 社会・経済

元家族会副会長・蓮池透に南北首脳会談と拉致問題の今後を聞く

 蓮池透が安倍首相を「いまも北朝鮮との対話をする気がない」と批判!「私も安倍さんから現金を渡された」の衝撃発言も

  リテラ 2018.05.04.

   本サイトでは先日、4月29日に放送された『池上彰緊急スペシャル 激動の朝鮮半島!どうなる拉致問題!平成の宿題 徹底解説』(フジテレビ)での拉致被害者・蓮池薫氏の発言を紹介した。これまで自身の立場や、北朝鮮に対する国民感情、そして安倍首相による圧力を考慮して沈黙せざるを得なかった薫氏だが、南北首脳会談の実現、そして米朝首脳会談が行われるこのタイミングが拉致問題解決の最大にして最後のチャンスと捉え、日本政府の圧力一辺倒に疑義を呈し、その転換を国民世論に訴えたのだ。

 しかし、こうした薫氏の言葉はほんとうに日本政府に届くのか。本サイトでは薫氏の兄である「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(家族会)元副代表・蓮池透氏のインタビューを行った。

 蓮池透氏は近年、安倍首相らによる拉致問題の政治利用と圧力一辺倒を真っ向から批判している。2016年には『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』(講談社)を出版し、安倍首相のいくつのも嘘を暴き、安倍首相の「私が申し上げていることが真実であることはバッジをかけて申し上げます。私の言っていることが違っていたら、私は辞めますよ。国会議員を辞めますよ」という国会発言を引き出すきっかけともなった。

   その透氏に、南北首脳会談や、これからの米朝首脳会談について訊いたところ、透氏は対話の動きを高く評価しながらも、それが拉致問題の解決につながらないのではないかという強い危機感を表明。安倍首相が実は拉致解決よりも政治的面子を優先して、拉致問題解決の障害になっていることを厳しく批判した。

   しかも、蓮池氏は安倍首相による圧力路線誘導について語るなかで、驚きの事実を明かした。なんと、安倍首相は15年前、蓮池氏らに現金を渡していたというのだ。いったいどういうことなのか。そして、蓮池氏がいま、拉致問題解決に向けて抱いている最大の危機感とは何なのか。ぜひ最後まで読んでほしい。 (編集部)

 

安倍首相はいまも北朝鮮と対話したくない、拉致問題を解決するつもりもない

 ――今回の南北首脳会談は朝鮮半島の平和に向けての一歩となったと思います。また弟さんの薫氏は「拉致問題解決の大きなチャンス」と踏み込んだ発言をしました。

  蓮池 たしかに南北の接近は歓迎すべきだと思いますが、日本が圧力一辺倒でやってきたせいで、北朝鮮との対話は米国と韓国に主導権を握られてしまった。そうなると、ほんとうに拉致問題がきちんと話し合われるのか、進展するのか。

   それに気になるのは、安倍政権の姿勢です。私は安倍首相が拉致問題を自分の野望のために政治利用しているだけだということを主張してきましたが、南北会談によって、安倍政権の圧力路線はやはり間違いで、日本政府、安倍首相は拉致問題に関してやはり何もしていないということが明らかになった。

   今回の会談についての発言を見ても、安倍首相は拉致解決より自分の面子を優先しているとしか思えない。おかしいなと思ったのが会談後、文在寅大統領からその結果の説明を受けて、金正恩党委員長が「日本と対話の用意がある」と表明したことを説明したのに、安倍首相はその内容を詳細には語らなかったことです。

 ――4月29日に安倍首相は韓国の文在寅大統領と電話会談をして、南北会談について報告を受けた件ですね。文大統領が金正恩党委員長に拉致問題を含めた日本の立場を伝えたと、安倍首相に報告しました。しかし安倍首相は「詳細は控える」と。

 蓮池 なぜ言えないのか。しかもこの情報は日本政府から出たものではなく韓国の大統領府からのものです。日本政府や、安倍首相は何も情報を出していない。それはおそらく文大統領が南北首脳会談で「安倍首相も北朝鮮と“対話”する意思があり、とくに過去の清算を基盤に“日朝国交正常化”を望んでいる」と伝えたからではないでしょうか。圧力一辺倒の安倍首相が“対話”という言葉を使ったことを公にしたくなかった。そう勘繰られてもしかたがない。

   というか、安倍さんは本当は対話などしたくないんじゃないか。その行動を見ていると、拉致問題を解決するつもりがないとしか思えないのです。29日には逃げるように中東歴訪に行ってしまった。中東へ行くんだったら北朝鮮へ行けと思いましたよ。金正恩委員長は「日本と対話の用意がある」と言って、文大統領もそれを仲介すると言った。そうである以上、中東行きを取りやめて、すぐにでも北朝鮮に行くべきではなかったのでは。

  しかし、驚いたことに訪問先のヨルダンでアブドラ国王と会談した際に、同国の北朝鮮との国交断絶を評価し、最大限の圧力を維持する方針を確認したという。本当に懲りない人ですね。北東アジアの平和などまったく望んでいない。

拉致問題解決には日本が主体的に動き、事前交渉が必要なのに…

 ――たしかに、安倍首相から自分たちが積極的に北朝鮮との交渉に動くという姿勢はまったく感じられない。日本政府の対応は、韓国頼み、トランプ大統領頼みという感じです。

 蓮池 そもそも、南北首脳会談と拉致問題は別で、それを韓国に頼むというのは筋が違う、過大な期待はしてはいけないとも考えています。この調子でいくと、5月に行われるとされる米朝首脳会談も楽観はできません。「正恩氏は拉致問題は解決済みだと言っていたぞ、シンゾー。賠償しろと言ってたぞ」なんてトランプ大統領に言われたら目も当てられませんからね。私は北朝鮮に対する戦後賠償が拉致解決のための唯一の交渉カードだと主張してきました。しかし米朝首脳会談で、金正恩委員長の請求書をトランプ大統領が預かってきて安倍首相に渡すなんてことになったら、そのカードが役に立たなくなる。それが心配です。

 ――いまの安倍政権の様子を見ていると、日朝首脳会談が実現するのかさえ、怪しい感じです。

 蓮池 それはわかりませんが、日朝首脳会談が実現するとしても、いまの情勢では米朝首脳会談の後でしょうから、最後の搾りかすみたいな会談になってしまう。だから、そうならないように、日本は首脳会談前に積極的に交渉して、具体的な道筋をつけることが大切になってくる。今回の南北首脳会談で金正恩委員長も話せばわかるということがわかった。日本はこれまで戦略なんてなく、圧力一辺倒のバカのひとつ覚えでやってきたわけですから、対話の局面になったとき、どうするのか。時すでに遅しかもしれないですけど、こうした状況になったいま、具体的な交渉戦略を検討すべきだと思います。

   そのためには、以前から言っていますが、“拉致問題の解決とは何か“をきちんと定義しなければいけません。「ここまで到達したら解決だよ」と北と協議し合意を得た上で、会談をする。いまは日本が守勢に回っていますから、それを挽回する必要がある。

 ――たしかに、拉致問題解決には蓮池さんの言う通り日本の主体的な働きかけが必要ですが、マスコミもこうしたことを指摘するどころか、安倍首相を擁護するかのように、「北は信用ならない」「何度も裏切られてきた」とヒステリックに報じるばかりです。

 蓮池 安倍首相の応援団となっている日本のマスコミもひどいと思います。なぜ朝鮮半島が分断されたのかを念頭において話していない。分断の原因をつくったのは日本なのですから、それをまず念頭に置いて、基本として報道しないといけないと思う。しかしマスコミはその視点が欠けていて、まったく歴史的視点を棚にあげて勝手な批評をしている。「非核化の道筋がない」「金委員長がまたデタラメを言っている」「何度も裏切られているから」なんていうコメントばかり。そんなことはどうでもいいでしょう。北の肩をもつわけではないが、朝鮮半島の平和に向けての第一歩なはずで、南北があれだけ親密にしているんですから、それがもしパフォーマンスだったとしても、日本としては大いに歓迎すべきだと思うんです。もっと素直になれよと思うんです。会談を見ていて金正恩委員長は話がわかる人なんだなということが垣間みえた。「狂気の男」「残虐な素顔」とかそんなことを言っていないで、きちんと分析しないといけないと思います。マスコミの論調は“北に対し疑心暗鬼になるのは当然”というもので、しかし、朝日新聞までもが「信用していいのか」なんて書いています。元外務官僚の天木直人さんはこれを“一億総安倍化”と言っていましたが、その通りですね。南北首脳会談の成果を素直に受け入れて、歓迎すベきは歓迎することです。

蓮池透が「安倍からですと手渡された封筒に20万円が入っていた」と自ら告白

 ――しかし、この“一億総安倍化”は、拉致問題以降、安倍首相や「救う会」が圧力を加え続けた結果でもあります。蓮池さんはインタビューや著作で、「家族会」も安倍首相や「救う会」に洗脳され、政治的に利用されていたということを告発されていましたが、それも「北朝鮮への圧力を強める」という以外の選択肢を許さない空気に支配されてしまった理由ではないでしょうか。

 蓮池 私も含めて「家族会」が安倍首相らに誘導されて、拉致問題解決とは関係のない政治的主張をし、その空気づくりに加担させられてしまったという問題はあると思います。安倍首相は当時、いろんなかたちで私たちを洗脳し、懐柔していましたから。そういえば、先日、あるメディアから「森友問題で籠池理事長が安倍首相夫人から100万円をもらったと言っているが、蓮池さんは安倍首相から金銭をもらったことはないか」と問い合わせがあったのです。で、記憶をたどって思い出したのですが、たしかにあったんですね。2003年3月、家族会の事務局長として、アメリカ・ワシントンに行ったときのことです。ホテルに着いてロビーにいたら政府関係者が近寄ってきて「安倍からです。ワシントンで使ってください」と茶封筒を渡されたのです。中には20万円が入っていました。当時はつい受け取ってしまったのですが、安倍さんは、こうやってお金を渡すのが常態化していたのでしょう。他の家族会や拉致被害者のなかにももらっている人は当然、いると思います。

 もちろん安倍首相からお金を受け取ってしまったことは、いまは反省していますし、強く後悔しています。それ以前に、アメリカに行くべきではなかった。

 実際、日本政府が勝手にどんどん米高官との会談日程を入れて、完全にパフォーマンスとして利用されただけでしたから。でもあの状況下では、自分たちを助けてくれるのは安倍首相だ、安倍首相の言うことを聞いていれば、拉致問題は解決するというふうに思い込んでしまっていたんですね。

 ――お金まで配られていたとは驚きですが、「家族会」はいまも安倍政権や「救う会」に操られ、政治的に利用されているんじゃないかという気がします。その結果、マスコミもいまだ「対話などあり得ない」という呪縛から抜けきれない。ただ、一方で、横田早紀江さんなどは「日本政府を信じてきて良かったのか」という発言をするなど、騙されていたことに気づき始めた人もいるのではないかと思いますが。

 蓮池 「家族会」は米朝首脳会談を前に、4月30日、米国政府に協力を求めて渡米しましたが、これは、日本政府はあてにならないと言っているようなものですからね。日本政府もそれを止めるわけでもなく行かせてしまった。でも、これは私のときと同じで、たんにパフォーマンスとして利用されるだけだと思います。そうではなく安倍首相に「安倍さん中東行かないで一緒に北朝鮮に行きましょう」と言うべきだったんじゃないでしょうか。とにかく、「家族会」には一刻も早く目を覚ましてほしいと思う。そして世論に「圧力でなく対話」を訴えていかないと、拉致問題はこのまま放置されてしまいますよ。

 ――たしかに南北首脳会談、米朝会談で拉致問題解決にも希望が見えたとはいえ、まだまだ障害はありますね。しかも、最大の障害は北朝鮮でなく、日本だということですよね。

 蓮池 繰り返しになりますが、圧力では拉致問題解決はできない、そして安倍さんに拉致問題解決の意思がないことは、今回の南北首脳会談で浮き彫りになったんです。安倍首相は“好き嫌い”や“敵味方”で外交をしてきた。そのつけがいま回ってきている。一方、韓国の文大統領は極めて戦略的に自ら打って出て、朝鮮半島の危機回避、非核化への確実な成果をあげた。しかし、日本政府も日本マスコミもそのことを認めようとはしないで、逆に、安倍首相の失態を隠すために南北首脳会談を矮小化している。でも、そんなことをしていたら拉致問題はどうなりますか。まずは会談の成果を認めた上で、日本はどうするか、具体的な道筋や交渉条件を考えなくてはいけない。本当に時間がないんです。

 (構成・編集部)


パッとしない天気が続きます。
昼から江部乙へ行ってきました。
桜が咲き始めています。



北コブシ


行者ニンニク


ゼンマイ
ふき


ヤチブキ


移植したアロニア


水俣病チッソ社長は誠実に社会的責任を!

2018年05月03日 | 社会・経済

水俣病「救済終わっている」チッソ社長発言 慰霊式後に

  朝日デジタル 2018年5月1日23時39分

  水俣病の公式確認から62年を迎えた1日、水俣病犠牲者慰霊式が熊本県水俣市の「水俣病慰霊の碑」前で営まれた。参列した原因企業チッソの後藤舜吉社長(83)が式後の取材に対し、水俣病被害者救済法(特措法)に盛り込まれた事業子会社JNC株売却要件の一つである「救済の終了」について「異論はあるかもしれないが、私としては救済は終わっている」と述べた。

  現在も患者認定を求める人がおり、訴訟も続いていることから患者・被害者団体からは「加害企業としてあるまじきことだ」と批判の声があがっている。

 後藤社長は、JNC株の売却について「ぜひやりたいと思っています」と意欲を示した。チッソはこの株を売却した後、会社の清算が可能になるため、補償の主体が消えるとの懸念が患者・被害者団体にある。

 水俣病の「最終解決」を掲げる特措法では「市況の好転」と「救済の終了」を条件に、環境相の承認を得てJNC株を売却できる手続きが盛り込まれている。今回の発言を受け、中川雅治環境相は「現時点で救済の終了とは言いがたい」との見解を示した。

 後藤社長は昨夏、最高顧問から社長に異例の復帰を遂げ、7年ぶりに慰霊式に出席。取材に「救済とは特措法(水俣病被害者救済法)による救済という意味。あたうかぎり(可能な限り)広く救済したわけです」と答えた。特措法に基づく救済策は2014年に対象者の判定が終わっている。後藤社長は現在も続く訴訟の原告らを念頭に「いろいろ紛争がありますけども、その広い範囲の救済にもかからなかった人たちですから」とも述べた。

 原告らが所属する水俣病不知火患者会の元島市朗事務局長は「被害者が救済を求めて裁判を続ける現実を見ていない。被害者に対する冒瀆(ぼうとく)だ」と批判した。水俣病被害者互助会の谷洋一事務局長は「自分たちが水俣病で何をしたのか理解していない」と述べた。(田中久稔、奥正光)


 一日中雨だった。午前中は苗の鉢上げ作業、昼からは車の点検に行ってきた。ちょっと肌寒さを感じ、近くの山々を見るとうっすらと雪が積もったようだ。週間天気予報を見ると晴れ間はあまりないし、気温もやや低め。


耳を疑う安倍政権の破廉恥!

2018年05月02日 | 社会・経済

内閣府がヘイトスピーチや在日特権デマを「国民の声」として政府のウェブサイトに大量公開!

  リテラ2018.05.02.

   内閣府の「国政モニター」のウェブページに、在日韓国・朝鮮人や中国人に対するヘイトスピーチや、ヘイトクライムを招く差別デマが大量に掲載されていたことがわかった。

  「国政モニター」は、内閣府の大臣官房政府広報室によって運営されており、「政府広報オンライン」にもリンクがある政府のウェブサイト。同サイトによれば、〈国の重要施策に関して、国民の皆さまからご意見、ご要望などを聴取し、国の行政施策の企画、立案及び実施のための参考とすることを目的〉として、集めた意見を2014年からウェブ上で公開してきた。また、〈全てのご意見は、内閣府が関係する府省庁に毎月、行政施策の企画、立案及び実施のための参考にするよう送付〉しているという。

  ところが4月30日、あるネットユーザーがこの「国政モニター」でむき出しのヘイトスピーチが多数公開されていることをブログで指摘。その情報がいっきに広まり、いま、大きな問題となっているのだ。

  本サイトも確認したが、たしかにこの政府運営サイトには、差別を扇動しているとしか言いようがないヘイトコメントが掲載されていた。一つや二つではない。内閣府が収集した意見は「行政改革等」「危機管理・防災」などと分類されており、2016年度分では「外交・防衛」カテゴリーのなかの「日韓関係」に最多のコメント(139件)が寄せられていたが、その中身を見てみると、まるでネット右翼御用達の掲示板と見間違うほど。控えめに言っても8割がヘイトコメントだった。一部を引用しておこう。

 〈中華人民共和、韓国、北朝鮮は何で平気で嘘をつき続けるのでしょうか。嘘つきは泥棒の始まりと言いますが、竹島、仏像、尖閣諸島問題をみても、世界一信用の置けない民族です。毅然とした強い態度、行動を日本国民のためにお願いいたします。〉(内閣府運営「国政モニター」より)

 〈少なくとも全ての慰安婦像を撤去するまでは駐韓大使を返す必要はないと考えます。国内にいる在日と呼ばれる方々が嫌われるのも同じ理由なのですが、かの民族に対する対処はよく考えていただきたい。〉(内閣府運営「国政モニター」より)

 〈竹島を不法占拠されているだけでなく、日本を貶めれば愛国無罪、日本が好きだと言えば親日罪。しかも露骨に日本を仮想敵国としているとしか思えない行動。何故、そんな事実上の敵国を救う必要があるのだろうか。関係を持つことすら無用なはず。〉(内閣府運営「国政モニター」より)

在日特権デマや在日韓国人・中国人を「工作員」「テロリスト」扱い

  しかも「国政モニター」が掲載しているのは、韓国との国交断絶をヒステリックに叫んだり国籍をもって十把一絡げに罵倒するようなネトウヨコメンだけではなかった。韓国・朝鮮人、中国人や在日コリアン、あるいは沖縄の米軍基地に反対する人々を「排除せよ」「逮捕しろ」と扇動する内容まであったのだ。

 〈機動隊に対する暴力行為は公務執行妨害で逮捕に値します。メンバーの中には朝鮮や中国から来ている者も多く、これは完全に内乱罪です。一刻も早く彼らの排除を断行すべきです。日本人でこれに参加している者達も外患誘致罪が適用されるべきです。彼らのような過激派には毅然たる態度で臨んでいただきたいと思います。〉(内閣府運営「国政モニター」より)

  また、とっくのとうに事実無根であることが明らかとなっている「在日特権」のデマを言いふらすなど、ネトウヨ的妄想を書き殴った内容も少なくない。

 〈北朝鮮が核実験やミサイル発射をしたこの時期が、特権停止の絶好のチャンスであると思う。住んでいる日本に対して何かと反日的な言動や行動をし、北朝鮮の資金源になっている在日半島人に戦後70年近くになるにも係らず、様々な特権を与えたまま放置している現状は極めて遺憾である。特に、徴税における日本人には許されていないような特権は即刻停止すべきである〉(内閣府運営「国政モニター」より)

 〈日本を在日朝鮮人のものにしようとしているのは名実。与党カルト教団の政権分離違反も報じないマスコミ。日本は中国の前に在日朝鮮人に牛耳られている。大問題。竹中平蔵氏など在日企業の息の者は即刻排除するべき。〉(内閣府運営「国政モニター」より)

 〈現時点で外国人に対して支給している生活保護はおそらく違法であるから、個別事情を吟味する必要もなく、即時一律に停止すべき。のうのうと1100万円も得ている在日韓国人は叩き出せ。〉(内閣府運営「国政モニター」より)

  さらに、関東大震災時の朝鮮人虐殺を彷彿とさせる、明らかなヘイトデマも垂れ流されていた。

 〈安易な外国人受け入れはとても危険な事だと思います。まず、日本にはスパイ防止法がありません。日本に住む反日日本人や在日外国人も含め何があるかわかりません。テロ対策、入国検査をしっかりしてほしいと思います。〉(内閣府運営「国政モニター」より)

 〈国内には多くの朝鮮人・中国人がいます。かれらは工作員、潜在的な戦闘員になります。学校・病院・遊技施設・大型店舗等で人質を取っての立てこもり、ダムや浄水場への毒混入、送電線の爆破等々、考えられる破壊活動はいくらでもあります。〉(内閣府運営「国政モニター」より)

  1923年9月、関東地方を襲った大地震発生直後の数日間で、「朝鮮人が暴動を起こした」「井戸に毒をいれた」「放火している」等のデマが広がり、日本人らによる大規模な朝鮮人のジェノサイドが行われた。最近では、自称国際政治学者の三浦瑠麗氏が“北朝鮮のテロリスト、スリーパー・セルが潜伏していてとくに大阪がヤバイ”いう旨をテレビで発言し、大きな非難を浴びた。このように、在日外国人を根拠もなく「工作員」と決めつけたデマを拡散することは、紛うことなきヘイトスピーチであり、虐殺を扇動するヘイトクライムに他ならない。

  一方で、「国政モニター」のサイトには、留意事項として〈立法・司法・政治関係のご意見や、誹謗中傷、差別的な内容、その他国政モニターウェブサイトに掲載することが不適切であると判断されるご意見等については、ご提出いただいても公表いたしませんので、あらかじめご了承願います〉との記載がある。では、内閣府はこうしたヘイトスピーチ、ヘイトデマが「差別的な内容」に当たらないとの認識でサイトに掲載しているのか。

ヘイトスピーチの掲載を判断した内閣府の説明は矛盾だらけ

   本サイトはこの問題についての事実確認と認識を聞くため、1日、内閣府に電話取材をした。

 内閣府の担当者によれば、「国政モニター」は平成28年度で休止し、「より幅広い意見を聞きたいということで、いま見直しをすすめているところ」という。今回、ネット上で、多数のヘイトスピーチが掲載されていると指摘されていることについては、「承知しています」という。

  本サイトが具体的なヘイトのコメントを読み上げたうえで、内閣府はこうしたヘイトスピーチを全世界に配信していることをどう認識しているのかと尋ねると、担当者はこう回答した。

 「国政モニターは、国民からいろいろな政策にかんするご意見を聞いて、政策に生かすための制度でありまして、ホームページのほうにも書いてあると思うんですけど、個人のご意見はいただいたものをそのまま、原文のまま掲載しています。ご意見をそのまま尊重させていただいて、掲載したということです」

  担当者は「原文のまま」というが、実際には、コメントをひとつひとつ見ていくと〈「〇〇人は殺せ、出ていけ」〉というような伏字になっている箇所がときおり見あたる。本サイトはそれを指摘したうえで、あらためて編集の有無を尋ねたが、担当者は「そこは確認できませんが」として「基本的には原文のままです」と繰り返した。

  さらに、サイトで「差別的な内容」等は〈ご提出いただいても公表いたしません〉との断り書きがあることを指摘し、内閣府は掲載されているコメントが「差別的な内容」にあたらないと判断しているのかと質問したが、担当者は「いただいた意見をなるべく尊重して掲載しているということでございます」と、同じ回答にとどめた。

  その後、何度か質問を変えながら、「在日特権」や「ダムや浄水場への毒混入」等のヘイトデマを掲載していることなどについても認識を問うたが、やはり「いただいたご意見を尊重して掲載している」との返答だった。

  一方で、担当部署はコメントの内容に目を通していないのかという質問に対しては、「目は通していると思います」との回答。であれば、目を通した上で「原文のまま」掲載したのかと確認すると、担当者は「そういうふうに対応していたのではないのかと思われます」と他人事のように答えた。

  現担当者の回答が確かならば、内閣府は、ヘイトスピーチやヘイトデマを読んだ上で、それを政府のサイトに堂々掲載していたことになる。「ご意見を尊重」というが、明らかな差別扇動や事実無根を公権力が垂れ流すことなどあってはならないことだ。「原文のまま」というのは責任逃れの言い訳でしかない。

  いずれにしても、今回の問題は、単に、政府系のサイトにネトウヨ的な投稿が殺到していたという話ではない。あろうことか、政府が大量のヘイトスピーチ、ヘイトデマを「尊重」すべき「ご意見」として扱い、ネットを通じて全世界に発信していたのである。

  安倍政権が裏で応援団を使って、自分たちの批判勢力へのヘイトやデマ、「反日」攻撃を展開し、自民党がJ-NSC(自民党ネットサポーターズクラブ)などによってネトウヨを“組織化”しているのは周知の通りだが、いよいよ行政組織までが安倍政権を忖度して、ネトウヨのヘイトデマを「尊重すべきご意見」「国民の声」として扱い始めたということらしい。

  このまま、安倍政権を放置しておいたら、日本中がグロテスクな思想におおいつくされてしまうだろう。

(編集部)

 

 


 

耳を疑う安倍政権の破廉恥!
一刻も猶予ならん!
安倍政権、自公政権打倒!

 今日の雨はなくなった模様と昨日書いたが、なんと昼前から降りだした。
それでも今日は二人でしなければならない仕事をこなさなければならない。
少々濡れたが何とか最低限終わらすことが出来た。
後は一人でもできる。
こんな天気で桜の開花も待った。
明日も昼まで雨の予報。
気温も低い。


さくら

2018年05月01日 | 野菜・花・植物

札幌では今日、桜の満開を迎えたという。

江部乙の方面も咲きだした。
我が圃場にある桜を見上げたが、つぼみが膨らんでいる。
明日か明後日には咲き始めるだろう。

桜の花の寿命は北へ行くほど短いらしい。
咲きだしたと思ったら、その日のうちに満開となり、次の日には散り始めるという超スピードだ。

明日の雨はなくなったようだ。
GW後半の天気はあまり期待できないようだ