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北原みのり いやいやいや「良き話」じゃないよ サッカー森保一監督の発言も純度の高いヒムパシー

2025年06月06日 | 事件

AERA DIGITAL 2025/06/06

 もう10年以上前のことだが、男友だちと言い争いになったことがある。

 某有名高校で盗撮事件が起きたのだ、と彼が話しはじめた。たまたま彼の知人の娘が、その学校に通っていた。盗撮の犯人は2年生の男子生徒で、被害者はクラスメートの女子だった。その後、女子生徒は被害のトラウマから登校が難しくなり、学校は男子生徒の退学処分を検討したが、退学に抗議する嘆願書が生徒の親たちから出され、結果的に男子生徒は退学をまぬがれたという話であった。

 聞きながら話の展開に雲行きの危うさを感じていた。彼の声のトーンから「良き話」というくくりでこの「事件」が語られているのがわかったからだ。いやいやいや違うでしょう、それって「良き話」じゃないよ、「事件」だよ?!と心の中で叫んだことをそのまま、少し揉めるかもねと思いつつ私は声にした。

「被害者からすれば、加害者と同じ場で学ぶなんて、ムリな話。しかも、大人たちが一丸となって庇うなんて、女の子がかわいそうです」

 私の反応が彼の期待していたものと違っていたからか、その男性は憮然としながらもこう言った。

「それは、間違ってる。間違いを犯した子どもに道を示すのが教育です。若いうちの一度の失敗で人生を奪うべきではない」

 それから私たちは混じり合わない会話に突入し、どちらも譲らず最後は黙った。彼は私の言うことを全否定していたが、私は彼の言うことを一般論として理解できるだけに、もどかしかった。私だって、正義感の強いリベラルな彼と同じようにシンプルに信じたい、「教育とはチャンスを与えることだ」と。そして加害者にも更生の道が与えられるべきだと。でも一方で、彼の“信念”が、マッチョで嘘くさく性差別的に感じるのを止められなかった。

 その学校は、難関校として知られていた。

 卒業生の多くが一流と呼ばれる大学に入り、その後官僚になったり、大企業に勤めたり、医師や弁護士などの国家試験に挑戦する機会を得たりしていた。そういう高校だからこそ、加害者となった男の子の失うものの大きさに大人たちは同情したのではないか。「教育とは……」と教育論を装ってはいるが、女の子が失った学ぶ機会のことは考えてないのではないか。性被害者が失った未来と、男の子が失う未来を天秤にかけているのではないか。性被害なんてたいしたことないと、思っているのではないか。モンモンとした。

 そしてその種のモンモンを、もしかしたら私はこの国に生きている限り、一生晴らすことはできないのではないか……とずっとモンモンとし続けている。

 5月、サッカーの日本代表に佐野海舟選手が選ばれた。私はサッカーには興味はないのだけれど、やはりちょっと不意を突かれるような思いになる。

 佐野選手は昨年7月に不同意性交等容疑で逮捕されている。逮捕後に本人が「間違いありません」と容疑を認めたと報じられたが、その後、不起訴処分になった。

日本サッカー協会は佐野選手の選出理由を3つあげた。「相手の方に対して話し合いと謝罪をしたと確認した」こと、「本人が深く反省している」こと、「不起訴処分という判断が警察によって下された」ことだ。そして、日本代表の森保一監督はこう語った。

「彼はミスを犯したと言えるかもしれないですが、(略)私は指導者として向き合う中で、ミスを犯した選手をそのまま社会から葬り去るのか、サッカー界から葬り去るのかということに関しては、再チャレンジする道を、家族として与えるほうが良いのではないか」

 わかりにくいことだけれど、性加害の場合、加害者が行為を認めた場合でも不起訴になるケースは珍しくない。性被害は、被害者が事件後に背負う負担があまりにも大きいため、本人の意思を尊重し、検察が不起訴にすることがあるからだ。また、示談が成立している場合にも不起訴になるケースは多い。そして、恐らく佐野選手の場合も、相手の女性との間で話し合いと謝罪が行われているということは、示談が成立したと考えられる。

 何が実際に起きたのかについて第三者が断定できることはない。ただ監督の言葉を聞き思い知るのは、この監督が若い佐野選手に向ける感情は、彼がしたことへの怒りではなく、深い同情だったということだ。プロサッカー選手として最も輝ける機会を自ら失った男への愛と同情だ。

 フェミニズムはそれを「ヒムパシー」と名付けてきた。

 加害者が男性で被害者が女性だった場合、被害者よりも「未来を奪われた」男性に同情を感じる心理のことで、彼(ヒム)+同情(シンパシー)の造語だ。森保監督の今回の発言は、かなり純度の高い典型的なヒムパシーと言えるだろう。

 ヒムパシーはたいていの場合、良心的な判断として語られる。10年以上前に私と言い争った男性がキラキラした目で、「一度の失敗で人生を奪うべきではない」と私を諭したように、“彼ら”に女性への悪意はゼロなのだろう。ただただ被害女性の顔が見えない、というだけで。

 とはいえ、今回の森保監督の発言には激しい批判がSNSを中心に巻き起こり、佐野選手の起用に抗議して招集の撤回を求めるネット署名なども始まっている。10年前、私はヒムパシーという言葉を知らなかった。それでも、今は“それ”に名前が付けられSNSなどでフツーに語られるほどには、この社会の歪みに挑む人々が声をあげているということなのだろう。家族愛とか正しい指導者のあり方とか、そういう“良きもの”が蓋をしてきたものの正体が、暴かれつつある。一筋の希望は、強い怒りから生まれることもあるのだ。

「ミスを犯した人を社会から葬り去らない」

 私も心からそう思う。だけれど、それは、今じゃない。そこじゃない。それじゃない。そして、それは「ミス」と名付けるものではない

 今回、多くの人が抗議の声をあげている。その声に、日本サッカー協会は応答できるのだろうか。


 今日は全国的に暑い日と言われたが、ここではまた午前中ポータブルストーブを点けた。


ジャーマンアイリス


フランス菊

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