3・11から12年 つながりが生きる力に
「東京新聞」社説 2023年3月10日
福島から娘たちを避難させた選択は間違いではなかったと、無事に成人して安堵(あんど)している。その一方、自分たちだけが逃げ出したような負い目から逃れられない−。
東京電力福島第一原発事故からの十二年は、今は京都市に住む団体職員の高木久美子さん(56)=写真=にとって、葛藤の渦の中で過ごした時間でもありました。
事故が起きた二〇一一年三月十一日、原発から五十キロのいわき市に家族五人で暮らしていた高木さんは、同居する実母と小学生の二人の娘を出身地の秋田に避難させ、夫婦はいわきに残りました。
でも夫は娘たちの長期避難に反対でした。娘たちは九カ月後、いわきに戻りますが、高木さんは放射線量を気にしてばかりの生活に疲れてしまい、震災翌年に娘二人を連れて京都に移ります。
災害救助法に基づいて福島県が原発避難者に無償提供し、京都市が用意した公営住宅でした。京都に知る人がいなくても娘たちの命と健康を守りたい一心でした。
つらかったのは国や東電が福島の人々を、避難指示区域の「内」か「外」かで選別したことです。
高木さんら区域「外」の人に母子避難が多いのは、東電からわずかな賠償しかなく、夫は妻子の避難生活を支えるため地元に残って働かざるを得ないためです。いわきの夫と二重生活になった高木さんも仕事を必死で探しました。
◆自主避難の葛藤の中で
京都では放射線の心配から解放されましたが、夫との別れが待っていました。
「一緒に避難を」と説得しましたが、夫は「そこには四十歳すぎの男に仕事はない」。夫婦の溝は埋まらず、避難の翌年、離婚に至ります。父親と会えないことは娘たちを不安定にし、不登校になった次女は「お父さんに会いたい」と言って泣きました。
いわきの家は夫婦で働いて建てた家でした。家を出るときに持ってきた家族写真には、娘たちと若い母親の自分が写っています。撮ったのは夫…。家族と離れる夫のつらさも、今なら分かりますが、原発事故は思いやりも正気も奪い、多くの家族に苦悩と離散をもたらしました。
「事故さえなかったら、今も家族は一緒だった」。高木さんの胸には、抜けない悔恨のとげが刺さったままです。
国と東電は原発事故の痛みや犠牲の多くを被災者個人に押しつけてきました。「反省」を口にはしますが、責任逃れの言葉の陰に隠れてしまっています。
原発事故避難者の取材をしていると、区域外避難者の離婚をよく耳にします。しかし、国と東電は自己責任で避難した人たちを「自主避難者」と呼び、まともな賠償をしてきませんでした。あちらこちらで発せられる家族の痛みなど聞こえないかのようです。
京都に来てからの高木さんは行動する人に変わりました。
一三年、京都府に自主避難した人たち五十七世帯百七十四人が国と東電に計八億四千万円余の損害賠償を求めた集団訴訟の原告に加わりました。一八年春、京都地裁は国と東電の責任を認め、一部原告を除いた百十人に計約一億一千万円の賠償を命じました。国の賠償基準を超える内容で、審理は大阪高裁で続いています。
原発賠償裁判で勝ち取った判決は、国が昨年、九年ぶりに着手した原発賠償基準(中間指針)の見直しにつながりました。
ただ、避難指示区域外の避難者も賠償の増額対象ですが、その額はごくわずかです。区域内賠償の増額に主眼が置かれ、「区域内外で格差が広がる恐れ」を指摘する専門家もいます。
国は被災者を分断するような政策はやめ、区域外の人々にもまともな賠償をすべきでしょう。
◆寄り添い合う仲間得て
高木さんは「風評被害をまき散らすな」と非難され、福島では放射線被害を語れませんでした。避難先での生活費が続かず福島に戻った母子も見てきました。
原発事故で失った多くのものを私たちは忘れてはなりません。だからこそ、原発事故の問題を福島に閉じ込めず、広く問いかける必要があるのです。そのためには人と人とのつながりを太く、強くしたい。それが、原発事故の被災者にとって未曽有の核災害を乗り越え、生きる力になるはずです。
寄り添い合える仲間を得て、京都に根を下ろして生きると決めた高木さん。表情に明るさが戻り、力を込めてこう語るのです。「次世代に対する責任として福島の人の分まで京都で声を上げたい」と。
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いわき市民訴訟 原発事故 国の責任認めず
控訴審で一転 仙台高裁
「しんぶん赤旗」2023年3月11日
東京電力福島第1原発事故で、避難指示が出ていなかった福島県いわき市に居住していた住民1339人が東電と国に約13億6000万円の損害賠償と原状回復などを求めた「いわき市民訴訟」(伊東達也原告団長)の控訴審判決が10日、仙台高裁でありました。小林久起裁判長は、国の責任を認めず、東電だけに計3億2660万円の支払いを命じました。
2年前の一審判決では国の責任を認めていました。同種の集団訴訟で国の責任を認めなかった昨年6月17日の最高裁判決後、初の高裁判決ですが、最高裁判決に従うものになりました。
小林裁判長は、国の機関が地震予測「長期評価」(2002年7月)を公表した翌年の03年から事故の発生まで8年2カ月の間に、国が東電に規制権限を行使しなかったのは「違法な不作為」であり、「極めて重大な義務違反」と繰り返し述べました。さらに規制権限を行使していれば、防潮堤の設置や建屋の水密化で事故が避けられた可能性は「相当程度高いものだった」と認めました。
その上で小林裁判長は、津波対策には「幅のある可能性があり、内容によっては、必ず重大事故を防げたはずだと断定できない」と判断。国の規制権限の不行使によって「違法に損害を加えたと評価できない」と、国の責任を否定しました。
東電については、長期評価で重大事故を起こす危険が具体的に予見されながら、津波対策を先送りしたのは「原発の安全対策についての著しい責任感の欠如を示すもの」と指摘しました。
他方、損害の因果関係が及ぶ期間の延長が一般のおとなや子ども・妊婦で認定され、賠償額が一審判決を上回りました。また、東電が対策をせずに「経営上の判断を優先させ」たことを、精神的苦痛の評価で考慮しました。
政府への忖度だ
原告ら「たたかい続ける」
「いわき市民訴訟」の原告と弁護団は判決後、仙台市内で報告集会を開きました。オンライン参加を含め約300人が参加しました。
原告団長の伊東達也さん(81)は「国に忖度(そんたく)した残念な結果だ」と語りました。国の責任を認めなかった昨年の最高裁判決に全国から怒りの声が多く寄せられたと述べ、「国民の声を聞かない今回の判決に、政府への忖度があったと思わざるをえない」と強調しました。
弁護団の高橋力弁護士は、判決で事故の予見可能性や国の不作為などを認め、原告側の主張に沿うものであったのに「結論は国の責任を否定した昨年の最高裁判決に準じてしまった」とくやしさをにじませました。
渡辺淑彦弁護士は、判決が東電の「悪質性」を認め、賠償額が増額になったことを「前進した」と評価しました。
各地で原発避難者訴訟をたたかう原告たちも駆けつけ「絶対許されない判決だ」などと発言。昨年の最高裁判決をくつがえすために、たたかい続けるとの決意が語られました。
原告団・弁護団は声明で、今回の判決について「国策に追随する硬直的な判断にほかならない」として、「福島原発事故に対する国の責任を明らかにする最高裁判決を勝ち取るために全力を尽くす決意」を表明しました。
原発、電気を供給してくれるものと考えるのはよそうじゃないか。
人類にとって危険極まりないもの。
戦時の目標になるもの。
電気は「原子力」以外からいくらでも作れる。
それをしてこなかったのは政府の責任だ(懐に心地よいようだ)。
昨日は1日中☂
だいぶ融けただろうと期待していたが、それほどでもなかった。
まだ70cmある。
沼の水も現れ、岸辺の土が顔を出した。
ウサギの足跡も縦横に。