「裁判所による障害者差別だ」盲・ろうの支援弁護士が語った判決への異論
JBpress 2023.3.3(金)
柳原 三佳(ノンフィクション作家)
交通事故で死亡した聴覚障害児の逸失利益(将来得られるはずだった収入)は、どのように算出されるべきか……。
2月27日、注目の判決が大阪地裁で言い渡されました。
約3年にわたって続いたこの裁判では、亡くなった女児の両親(原告側)が、「全労働者の平均賃金を基礎として算出すべき」と主張。一方、被告側は「聴覚障害者の平均賃金(全労働者の約60%)で算出すべき」としていました。近年はAI技術等の発達で、高性能の音声認識アプリも生み出され、聴覚障害者であっても活躍の場を広げています。そうした時代の変化を裁判所がどうみるかが大きな争点でした。
「聴覚障害者の労働能力が制限されること、否定できない」
大阪地裁の判断は、「全労働者の平均賃金の85%を基礎収入とする」というものでした。裁判官は「被害者には将来さまざまな就労可能性があった」と前置きしながらも、「聴力に障害のある人はコミュニケーションに影響があるため、労働能力が制限されることは否定できない」として、全労働者の平均賃金(497万2000円)から15%減額し、被告側に約3800万円の賠償を命じたのです。
原告である両親は、判決直後に開かれた報告集会で、無念の思いをこう語りました。
「国が障害者差別を認めるという悔しい結果になり、怒りを通り越して言葉になりません。お金じゃなく、娘が努力した11年間を認めてほしかった……。私は今日、最後の最後まで気を緩めずに、やれることをやると、亡き娘と約束しました。そして、差別的な発言をした相手に、娘の前で謝罪をさせるまで頑張っていきたいと思います」(父親の井出努さん)
「この3年間、弁護団の先生方が本当に頑張ってくださり、また聴覚障害者協会の方々も、最後の最後まで署名活動に尽力してくださいました。先生方は、聴覚レベルと学力はイコールではありませんと言ってくださり、これだけみなさんが訴えてくださったのに、司法は障害者に対し偏見を持ち、差別の目は変わらないんだと思うと、これ以上どうすればいいんですか、という気持ちになりました……」(母親のさつ美さん)
持病のてんかんを隠していた加害者
事故は、2018年2月1日、大阪府立生野聴覚支援学校の前で発生しました。
同校の5年生だった井出安優香さん(当時11)は下校中、小学部の先生や友達と横断歩道の前で信号待ちをしていました。そこへ、道路工事をしていたホイールローダーが突然暴走し、至近距離から突っ込んできたのです。
この事故で安優香さんが死亡、一緒にいた児童2人と教員2人が重傷。歩道にいた安優香さんら被害者には何の落ち度もない、不可抗力の事故でした。
自動車運転処罰法違反(危険運転致死傷)などの罪で起訴された加害者の男(当時36)には、「難治てんかん」という脳の持病がありました。
この病気は、意識を失うような重篤な発作がいつ起こるかわからないため、医師や家族は再三「運転しないように」と注意していたそうです。にもかかわらず、男は虚偽の申請をして免許証を取得し、仕事で重機の運転を続けていたのです。
刑事裁判で大阪地裁の裁判官は、「本件事故時はてんかん発作で意識を喪失していた」と認定。その上で、「てんかんの危険性を軽視していたと言わざるを得ず、厳しい非難に値する」として、危険運転致死傷罪の成立を認め、2019年3月、懲役7年(求刑懲役10年)の判決を言い渡しました。
加害者は現在、刑務所に収監されています。
当初は女子平均賃金の40%と主張していた被告
本件裁判については、一昨年、以下の記事で取り上げました。
(参考)「障害あっても努力家だった娘の人生、なぜそんなに軽んじる」 あまりに非道、「逸失利益は聞こえる人の40%」の被告側主張(2021.6.9)
上記タイトルにもある通り、裁判が始まった当初、被告側(損保会社は三井住友海上)は、女性平均賃金の40%(153万520円)で算出すべきだと、極めて低額の主張をしていました。安優香さんが生まれつきの難聴だったことから、「聴覚障害者には『9歳の壁』という問題があり、高校卒業時点での思考力や言語力・学力は、9歳くらいの水準に留まる」というのがその理由です。
逸失利益を「女性平均賃金の40%で算出すべき」という被告側の主張に、安優香さん側の支援者と父親はデモ活動で不当を訴えた(井出さん提供)
ところが裁判の途中で、被告側は突然それまでの主張を変えてきました。「原告らの指摘により、聴覚障害者の平均賃金の存在を知った」ということで、今度は「聴覚障害者の平均賃金(294万7000円)」を基礎収入として、算出しなおしたのです。
井出さんは語ります。
「結果的に裁判所が下した85%という判断は、数字だけを見れば被告の主張(60%)と原告の主張(100%)の間を取ったかたちになりました。中には、60%から引き上げられてよかったという方もおられるかもしれません。しかし、私どもを支援してくださっている弁護団は、この15%の減額自体、『障害者差別』だと、厳しく批判されています」
筆者も判決後の報告集会を視聴しましたが、実際にご自身が聴覚、視覚障害者である弁護団の方々の報告会でのコメントは、大変説得力のあるものでした。
被告側(実質的には三井住友海上)は、本裁判で「聴覚障害者の逸失利益は健常者の60%」だと主張していましたが、こうした弁護士らの活躍を同社はどう説明するのでしょう。そして裁判所は、15%減額の根拠をどこに求めるのでしょうか。
ぜひ多くの方に読んでいただきたいと思います。
裁判所は「障害者権利条約」の契約国としての義務を怠った
まず、先天性のろう者である田門浩弁護士のコメントです。
<障害者権利条約第6条では、次のように言っています。
1、締約国は、障害のある女子が複合的な差別を受けていることを認識するものとし、この点に関し、障害のある女子が全ての人権及び基本的自由を完全かつ平等に享有することを確保するための措置をとる。
2、締約国は、女子に対してこの条約に定める人権及び基本的自由を行使し、及び享有することを保障することを目的として、女子の完全な能力開発、向上及び自律的な力の育成を確保するための全ての適当な措置をとる。
裁判所も締約国に入っているわけですから、裁判所こそが積極的に複合差別をなくするための措置を取らないといけないです。今回の判決は、この義務を怠ったと言わざるを得ません。このような司法の在り方は今後変えていく必要があると考えています>
無限の未来を図るために新しい物差しが必要
次に、全盲の大胡田誠弁護士のコメントです。
<私も皆さんと同様に、今回の判決に関しては非常に憤りを感じております。
障害のない年少者について言うと、女子が事故に遭った場合には全労働者の平均賃金で計算する、だけれども、障害があるということで逸失利益を15%割り引くということですね。年少者の事故について、女子の場合には全労働者で計算するというのはやっぱり、男女差別はいけないことだということが一般的になっているからだと思うんです。一方で、今回、障害があるということで逸失利益を割り引くというのは、障害を理由とする格差、これは差別ではなく区別なんだから許されるんだというのが裁判所の考えなんだということがよくわかりました。
これは一番やってはいけないことだと思うんですよね。障害があることは事実で、これは区別なんだから仕方がないというのは、これまで多くの障害者がそれによって悩まされてきた。一番それを打破しないといけないことだったにもかかわらず、一番やってはいけないことを裁判所がやってしまった。そんな気がいたします。
この判決は、過去の偏見、差別によってつくられた古い物差しによって安優香さんの未来を測ってしまった。安優香さんの無限の未来を測るためには、やはり新しい物差しが必要で、それは、田門弁護士が言うような、障害者権利条約を批准した我が国が持つべき物差しなんだと思います。
まだ裁判所にはその物差しがなかったんだなということがわかった。これから司法を変えていくためには、新しい物差しを導入しなければならないと強く思いました。
聴覚障害があるとコミュニケーションに問題があると裁判所はしきりに言っていますけれど、今回の弁護団には、全く聞こえない弁護士が3人います。難聴の弁護士も入っています。この弁護団の中で、コミュニケーションにまったく問題がなかったということ、私はとても強く印象に残っています。
今、さまざまなテクノロジーとか、さまざまな工夫があれば、コミュニケーションには全く支障がないんだということを実感として感じたので、これを何とか裁判所には伝えたいと思いました>
娘の無限の可能性、なぜ否定するのか
安優香さんは11歳で、危険運転の暴走車に命を奪われました。彼女の未来には、無限の可能性があったはずです。それなのに、なぜ、命を奪った側の被告に差別され、その可能性を制限されなければならないのか……。母親のさつ美さんは、その理不尽さがどうしても受け入れられないといいます。
「私は安優香が11年間、どれほど頑張ってきたかを間近で見てきました。裁判官にはぜひ、聴覚支援学校に直接行って、子どもたちがどれだけしっかり勉強を頑張っているか現状を見て、聴覚障害者について学んでいただきたいと強く思います」
原告側が控訴をするかどうかはまだ決定していませんが、まもなく方針が決まる予定です。
「後進国日本」の姿がここにも現れました。