明野友愛農場

農業日記ー新規就農事情
  山梨県北杜市明野町浅尾にて

味噌の天地返し

2009-07-29 08:56:47 | Weblog

この春味噌の仕込をしましたが、天地返しをしました。味噌つくりで重要な作業になります。大豆を煮て米麹と混ぜ塩を入れて樽に入れましたが、夏になり樽を開け混ぜて醗酵を均一、促します。最初に仕込んだ樽は重しをしてありますので、上の方に「たまり」ができますので、よーく混ぜて天地返しをします。

1樽35~40キロ入っていますが、これを天地返しをするのが大変。よーく混ぜて空気をいれて、また平らにして重石をします。

味噌倉に入れて秋まで保存。秋には美味しい味噌になるはずです。200キロ天地返しをして腕が棒になりました。

明野ひまわり畑

2009-07-27 08:05:54 | Weblog
今年も明野のひまわりが咲き始めました。観光協会と農協が協力して遊休農地にひまわりを植えました。普段は静かな村も、夏休み中は大賑わいです。直売所や食堂は大賑わい。観光客集めにはひまわりは有効です。この畑は9月大根の播種まではあまり使われていませんので、有効利用です。お隣の清水さんのひまわり畑にはミツバチの巣箱を持ち込んでいます。ひまわりのはちみつはどんな味かしら。

田無いもほり隊

2009-07-27 07:51:03 | Weblog
7月26日「田無いもほり隊」の皆さんがジャガイモ(男爵)堀りに来ていただきました。最近は雨ばかりでしたが、この日は梅雨の晴れ間で非常に蒸し暑い日でした。みなさん早起きして来ていただきました。さっそく新府の桃選果場で桃をたくさん買い込みました。ここの桃を食べてしまったら、都会のスーパーなどで買って食べる気は起きません。新鮮で安価で美味。午前10時前にはイモ堀をはじめ4畝掘っていただきました。土が湿っているためイモに泥が付いてしまっているので、ビニールハウスで少し乾燥させで泥を落して袋詰め。お土産たっぷり車に積みこみました。お昼ご飯はカレーライス。道路が混雑する前に皆さんお帰りになりました。みなさんお疲れ様でした。

満開の月見草畑

2009-07-15 06:38:27 | Weblog
梅雨明けの朝、早朝散歩していたら、月見草畑がありました。観光客が歓声を上げていました。富士山も見えます。一面月見草が満開です。これは栽培しているわけではなく、放置畑に雑草として生えている状態です。月見草は太陽が出るとすぐしぼんでしまいます。早朝だけの風景です。この畑を復活させるには相当手間がかかりそうです。月見草は茎が硬く、除草作業が大変。根も張っていますからハンマーナイフモアなどで茎を粉砕し、大馬力のトラクターで2,3回耕運しないと使い物にならないでしょう。厄介な雑草です。

ニンジンと大納言小豆、黒豆の播種

2009-07-15 06:31:36 | Weblog
ニンジン(向陽2号)の播種をしました。この日梅雨が明けてしまいました。ろくに雨らしい雨もないうちに梅雨が明けてしまいました。畑は砂漠状態。シーダーテープを溝に埋めて、よーく踏んずけ乾燥に備えました。播種後散水しましたが、この暑さと乾燥状態でうまく発芽してくれるのかしら心配です。11月収穫予定です。左側のマルチは大納言小豆、丹波の黒豆を播種しました。

落花生の除草

2009-07-15 06:20:45 | Weblog
今年の落花生は大失敗です。播種直後からまったく雨が降らず芽出しに失敗してしまいました。播種後用事が重なり散水など養生できず、発芽が不ぞろいになり欠株も目立ちました。仕方ないので、複数発芽したところから、そーっと苗を移植などして何とか畝にしましたが、なんとも貧弱な様子です。お隣の畑はビッシリ発芽がそろいうらやましい限りです。雑草だけはビッシリ発芽。せっせと草取りをしました。2畝きれいにするのに1日半かかってしまいました。

福井永平寺に行ってきました

2009-07-08 08:15:35 | Weblog




鈴木大拙著「禅と日本文化」岩波新書を読んでみて、曹洞宗の本山に行ってみたくなりました。今回念願かないお参りが叶いました。福井の哲学者の鈴木大拙先生と西田幾太郎先生が中学からの同級生だったとはビックリ。「禅と日本文化」はアメリカでの講義録のようなものらしく、先生の教え子さんが翻訳され出版したようです。ヨーロッパなどの英語圏の人が禅に興味を持ったのはこの鈴木先生の影響が大きかったのかも知れません。
梅雨の晴れ間の蒸し暑い日でしたが、まことに見事なお寺を拝見してきました。200人もの若い修行僧の方々が、修行と言うことでお寺は隅から隅までピカンピカンに磨き上げられお見事。生活そのものが仏教の勉強なのだそうです。座禅をし労働奉仕をし勉強すると言うことは非常に大切なことだと思いました。開祖の道元和尚は宋に渡り、本場の禅宗を勉強しこのような立派な道場を開き、今日まで営々とつながっていることは、その思想がいかにしっかりした本質的なものであると感心しました。まじめに生きるとはここでの生活のようなものかもしれないと思いました。