修学旅行の依頼があった。中学生の修学旅行のようであるので小学生に比べて熊本城についてもより多く説明してやらねばならない、そのためにはより勉強しておかねばならないだろう。
ここでは説明する資料として書きつづって見ることにした。数々の歴史ドラマの舞台となった熊本城は、日本三名城のひとつであり、加藤清正が実戦の経験を生かし、慶長6年(1601年)から7年の歳月を要して、築城したもので、大小の天守をはじめ、49の櫓、18の櫓門、29の城門が存在した。
城郭の広さは約98ha、これは東京ドーム20個分に相当する広さである、周囲が約5.3kmにも及ぶ豪壮雄大な構えで、清正流石垣と呼ばれる反りのある優美な石垣は、自然の地形を巧みに利用した高度な築城技術で知られている。
熊本城が築城された茶臼山丘陵の地層は阿蘇火砕流が堆積したもので、そのため水の浸透は激しく地下水は貯まらない。熊本城が築城された茶臼山丘陵の最高部が40メーターではあり熊本城大天守はその頂上にあり、阿蘇の火砕流の堆積が約40メーターと言われ40メーター近く掘らなければ水は出なかった。そのため清正は深い井戸を120ヶ所も掘っている。現存している井戸が17ヶ所残っている。
清正が建てた熊本城の中心部はは、明治10年(1877年)、西南戦争の年に焼失している。現在の天守閣は、古い写真や絵地図などを基に、昭和35年(1960年)に再建されたもので、瓦の列や数まで細部にわたって忠実に再現してある、大天守は高さは約32mの3層6階の建物で、2層の千鳥破風の上に唐破風を備えている。各階の白壁は軒下部分を除いて、黒の下見板で囲まれており、黒を基調にしたどっしりとした風格がある。
大天守に続く小天守は、大天守と同じ建物のようにも見えるが、色々資料を調査したり研究者の熊本城に関する講演を聴いたりして大天守の石垣が出来上がった後に追加されたものであることがわかった。小天守は高さ約19mで2層4階の建物である。(kaminokawa)