五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

下駄履きはどうしていたのかを調査した

2011-05-28 04:19:20 | 五高の歴史
五高記念館は五高時代は教室であった。昨日喧しいと言うことを述べたが、今日は下駄履きで廊下、教室を闊歩するのはさぞう喧しかった事だろうと想像し下駄履きはどうしていたのかを調査した、既に明治の末頃には問題になっていたようである。

下駄と長髪について
明治の末頃は、本館東西の入口に、下駄を脱棄することに注意を与えていた位なのが、大正四年九月には下駄のまま廊下に上がる者に対して警告を発するようになり、やがて更に教室に於ける下駄履きまで問題になったのは、中学生活の反動もあろうが、青年の心理に就いて考慮すべきものの一つである。

下駄履廃止(大正十一年十一月実施)
何時の頃からか建物内で下駄を履く悪癖がつき、神聖な教場を土足で汚し、喧騒のため他人の迷惑を及ぼすと云うので、自発的に生徒の代表が集っての会議で、下駄履廃止を決議し学校からは立派な下駄箱まで造って貰って、大正十一年十一月より愈々励行する事にしたことも序に附記しておく

然り而して歴代校長並びに職員の努力に依って、良好なる成績を示すに至ったのは喜ぶべきものである。又、一時巷間にまで噂の種になった所謂長髪は、近頃余り目に付かなくなったが、五部刈で入学した者が、一月経ち二月過ぎて髪を伸ばし始め、二年になる時はその数約半数に達し、三年は五指を屈するに過ぎなくなった。社会一般がそうなったので、本校に限ったことではないが、明治三十七年頃には、生徒のコスメチックは言うにも更なり、教員の髪まで問題にされることを思えば、世の中も変ったものである。