五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

寄宿舎に於ける酒禁止は五高開校時には制定してあった。

2011-05-24 03:51:07 | 五高の歴史
色々五高に関するエピソードを掲げてきたが、自分の知識確認のため時々はその復習をしている。
明治時代は未成年でも酒を飲むことは自由であり五高ではまだ創建当時の高等中学校の時代に既に寄宿舎に於ける酒禁止は制定してあった。

五高の禁酒令は第五代校長桜井房記によって実施されたと言うことは有名であるが、五高では既に創建当時から酒禁止は行われていた。

明治二十年十一月九日付けで発議者が書記による寄宿舎細則がある。明治二十年十一月といえばまだ五高が開校してまもなくである。
初代野村校長の発令が明治二十年六月四日であることを考えあわせば寄宿舎細則の設定は開校と同時であったということになる。
更に寮の場所はまだ黒髪ではなく古城の時代であることも考慮しなければならないだろう。

その第十一条第一項に
「凡ソ舎内ニ於テ酒類は勿論其他不必用ノ飲食物ヲ貯フル事若クハ飲食スル事」
という規則が定められている。これは即ち寄宿舎内に酒を貯蔵して置いたり、酒を飲んだりすることは出来ないということであると思われる。

寮の自治制度を確立した藤本充安氏(第一回入学者)に依ればこの細則は余り遵守されなく以下のように定められている。
我々五高生は九州における最高学府の生徒である。そのためには
一、各自自重しいやしくも校名を汚す事がないようにすること
一、飽くまで校風を維持すること
一、男らしく元気を保つこと。
一、学生の体面を保持すること。
一、酒は呑んでも乱れがましき振舞せざること。
上記の条々に触れる者は鉄建制裁をもって制裁すること。と規定されている寮生が自らの自治を確立させる為に定めている。

ここでは酒については酒は飲んでも乱れないようにすることというようになっている。

自治制度の確立のための規定と学校側の細則の制定では寮生が守ったのはやはり自分等の定めた規定であることは疑えないことである、
寄宿舎細則の修正は二年後の明治二十二年十月十一日舎監によって建議され改正されている。(t-higashi)