立田山の道路を登ってきたが、いよいよ頂上に着くことになる
この道路は我々若かりし頃のトレーニングの場所であった。準備体操後ランニングで上ってくる時はやはり坂であるため15~20分かかった。しかし帰りは下りであるし10分で十分であった。一日一回の往復では飽きたらず二回行ったという人もあった。
龍南健児の碑
、五高の学生は試験時期になると頭冷やしに立田山(龍田山)にのぼり夜空を眺めたとか、その昔は寺田寅彦が龍田山頂でバイオリンを練習したとか、五高東光会は龍田山の中腹の民家で産声を上げたとか、五高生と龍田山との関係は切って切り離されない関係であった。それでは立田山とはどんな山であるのか、今日は立田山憩の森管理センターの解説を転載することにした。
熊本市のほぼ中央、海抜152メートルに位置する立田山(龍田山)は、その昔は濃い緑に覆われていたため黒髪山と呼ばれていましたが、平安時代の歌人清原元輔が国司として肥後へ赴任したとき、この山の姿に奈良の龍田の里をしのんで、名前を改めたといわれます。江戸時代は禁制の山として伐採が許されず、うっそうとした森でした。
しかし、戦中・戦後の伐採や開拓によりこの山の豊かな緑が失われ始め、その後植林などで一時期緑が復活したこともありましたが、昭和40年代の高度成長期の宅地開発により山の緑が深刻な危機に見舞われました。
このとき「立田山の緑を守ろう」という県・市民の声に答えて熊本県と熊本市は公有地化して保全することを昭和49年度に決定し、22年の歳月を経て,平成7年度に整備完了しましたのが、「立田山憩の森」(生活環境保全林)であります。
また、森の中での遊びや自然とのふれあいを通して、子どもたちが雑草のようにたくましく、やさしい心と体を育むようにと、平成14年に「立田山野外保育センター 雑草の森」が誕生しました。
面積 150.42ヘクタール
遊歩道 20.130メートル(内7,290メートルの管理車道等含)
東屋 6ヶ所
展望所 2ヶ所
休息所 1ヶ所
主な樹種 コナラ・コジイ・ヤブツバキ・ヤマザクラ
立田山憩の森管理センター
熊本市龍田町陣内1517-7
電話:096-346-5090
熊本市緑保全課
熊本市手取本町1-1
電話:096-328-2350
この道路は我々若かりし頃のトレーニングの場所であった。準備体操後ランニングで上ってくる時はやはり坂であるため15~20分かかった。しかし帰りは下りであるし10分で十分であった。一日一回の往復では飽きたらず二回行ったという人もあった。
龍南健児の碑
、五高の学生は試験時期になると頭冷やしに立田山(龍田山)にのぼり夜空を眺めたとか、その昔は寺田寅彦が龍田山頂でバイオリンを練習したとか、五高東光会は龍田山の中腹の民家で産声を上げたとか、五高生と龍田山との関係は切って切り離されない関係であった。それでは立田山とはどんな山であるのか、今日は立田山憩の森管理センターの解説を転載することにした。
熊本市のほぼ中央、海抜152メートルに位置する立田山(龍田山)は、その昔は濃い緑に覆われていたため黒髪山と呼ばれていましたが、平安時代の歌人清原元輔が国司として肥後へ赴任したとき、この山の姿に奈良の龍田の里をしのんで、名前を改めたといわれます。江戸時代は禁制の山として伐採が許されず、うっそうとした森でした。
しかし、戦中・戦後の伐採や開拓によりこの山の豊かな緑が失われ始め、その後植林などで一時期緑が復活したこともありましたが、昭和40年代の高度成長期の宅地開発により山の緑が深刻な危機に見舞われました。
このとき「立田山の緑を守ろう」という県・市民の声に答えて熊本県と熊本市は公有地化して保全することを昭和49年度に決定し、22年の歳月を経て,平成7年度に整備完了しましたのが、「立田山憩の森」(生活環境保全林)であります。
また、森の中での遊びや自然とのふれあいを通して、子どもたちが雑草のようにたくましく、やさしい心と体を育むようにと、平成14年に「立田山野外保育センター 雑草の森」が誕生しました。
面積 150.42ヘクタール
遊歩道 20.130メートル(内7,290メートルの管理車道等含)
東屋 6ヶ所
展望所 2ヶ所
休息所 1ヶ所
主な樹種 コナラ・コジイ・ヤブツバキ・ヤマザクラ
立田山憩の森管理センター
熊本市龍田町陣内1517-7
電話:096-346-5090
熊本市緑保全課
熊本市手取本町1-1
電話:096-328-2350