枝雀らくごの舞台裏 (ちくま新書 1030) | |
クリエーター情報なし | |
筑摩書房 |
☆☆☆☆
座付作者である小佐田定雄さんが、枝雀らくごの舞台裏をつづる。
裏ばなしの様なエピソードが並べられているが、
生活すべてが落語だった枝雀さんにはそれが表だったりして、
色んなところで、芸談が語られる
一つ、例を抜粋すると
>枝雀さん曰く「落語というものは落語家のおしゃべりと身振りを頼りに、聞き手の皆さんが
各自の頭の中に世界を描くことで成立している芸能である。聞き手の想像力にほぼ頼り切っ
ているわけで、それぞれの頭の中に描かれている景色は聞き手の数だけあると言っていい。
例えば、昔の名人が真夏の寄席で雪山で道に迷っているシーンを演じていたら、お客が
寒さを感じたというたぐいの「名人伝説」があるが、その場合は落語家の演技力を誉める
より、そんな景色を見ることができた聞き手の想像力を誉めてあげるべきである。
ただ、極めて主観的なものなので、全員が同じ思いをするわけでもなく、ひょっとしたら
、その場で一人だけが見た錯覚かもしれない。そこが落語の芸がおもしろいとこですが」と、
そして、さらに続けて「落語というものは演じ手の思いと聴き手の思いが一致することは
大変難しい芸能である。演じ手である落語家が「今日は一度もトチらなかったし、テンポ
よくしゃべれた」と満足している時は、お客の反応はいまひとつで、ボロボロの二日酔いで
舌は噛むわ、リズムは狂うわでほうほうのていで高座を降りてきた時に限って
「今日の高座、良かったですね」斗お褒められることがある。」
「自分でうまいこといったと思うてる時は、芸が高座の上で完結してしもうてて、
客席まで届いていないのとちがいますかなあ。ところが、こっちが不調で脂汗流しながら
やっていると、舌を噛んだり、言い間違いした時に「あ、お客さん、ちょっと待っとくなはれ」
という気が客席に飛んで行って芸がいきわたるんやないかと思うんです。
うまいこといってるのにウケず、ボロボロやのに褒められる・・・
・・・・気色の悪さでギャラを頂戴してますのとちがいますかな」と、
演じる側と聴き手の評価は必ずしもすべて一致するわけでは無いと、
よく客層や場所によって、ウケるネタが違うと良く聞きますが、
その空気を読みながら、落語家さんは噺を進めているんですな。
この微妙な笑いの“間”、不思議なもんですな。
枝雀精選48席と、各演題を紹介しながら、そのネタにまつわる裏ハナシを紹介。
これから、枝雀さんのCDでも聴こうという方、是非聴きながらのお供に最適でおます。
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