ごまめ~の~いちょかみ・Ⅱ

趣味(落語と本)の話と大好きなうどんを中心に、ごまめになってもいちょかみで幅広くお届け

こんな噺家は、もう出ませんな~京須偕充

2011-06-21 05:40:38 | 本の少し
こんな噺家は、もう出ませんな 落語[百年の名人]論
クリエーター情報なし
講談社


いたって難解、京須偕充が云う、「名人」とは、誰とは一切明言していない。
ただ、始祖、三遊亭圓朝であり、四代目橘家圓喬、初代三遊亭圓右とかが紹介されているが、
音源もなく、いたって過去の「名人」をロマンとして、あげている。

昭和の名人として、「文楽、志ん生、圓生」そして、更に範囲を拡大して、三木助、小さんを含める
でも、それも、ご自分のことばではなく、小島政二郎氏のことばとして述べている。

昭和に活躍した、その他多くの噺家をあげながら、「名人」とは、ほど遠いことのみをクドクドと
述べている、そこには「名人」とは現存の人材に対する称号であるよりも、いささかの、あるいは
それ以上に過去の人材に捧げる尊称になっている。

「名人」を語るという作業は、過去を懐かしみ、その時代を知っている年寄りの特権なのか。
私にとっては、あまりににも古すぎて、難解の一言でおます。

著者も、最後に自省なのか、名人談義に疲れたので、あと少々お付き合いとして、
「私が見てきた亡き十人の噺家」を追加しているが、ほとんどが世間の名人談義の
立役者ではあるが、これは私のの選んだ「昭和の名人」ではないと断っている。

年代順に、一、五代目古今亭志ん生・ 二、八代目桂文楽・ 三、三代目三遊亭金馬・ 四、八代目林家正蔵
五、八代目三笑亭可楽・ 六、三遊亭圓生・ 七、三代目桂三木助・ 八、五代目柳家小さん・
九、十代目金原亭馬生・十、三代目古今亭志ん朝であるが、誰もが、著者にとっては名人ではないらしい。

読んで感じるのは、落語「百年の名人」論とあるが、生の落語が最高なように、落語家の好みを語るのも、
落語という芸が、聴き手の頭の中での想像に委ねる芸だけに、同時代に生きなければ、
語る資格はないようですな。




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« なにがなにやらわからない~... | トップ | 弟子ってええもんやなぁ~桂... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

本の少し」カテゴリの最新記事