師匠は針 弟子は糸 | |
クリエーター情報なし | |
講談社 |
☆☆
「師匠は針、弟子は糸」
師匠の突進んでいったところは、弟子は有無を言わずついて行くだけということか。
前座名「朝助」、二つ目「朝太」、そして真打ちで襲名した「古今亭志ん輔」さんのエッセイ本。
大師匠の志ん生のこと、馬生のこと、そして師匠志ん朝のこと・が語られる。
でも、今ある自分は、師匠があってこそ・・「針と糸」。
例えば・・・バーのカウンターに座った二人、明治座の「文七元結」の舞台を話題に、
「懐から紙入れを出すでしょう。あん時、身体の外に出した方がようござんすよ」
「身体の外に」・・・のり平は水割りのグラスを自分と志ん朝の前に構え、
「シルエットとして見なさいね。私のシルエットの中にグラスは入っちゃったでしょ」
「テレビや映画ならグラスをアップで抜くとこなんでしょうが、舞台では、小道具を際立たせ
たい時には身体の外に出すんだな。・・こんなふうにさ」と実演するのり平さん。
そしてそれを聞くなり、すぐ稽古がしたくなりソワソワしだした志ん朝さんに
、「帰ってもいいよ。」・・のり平さん。
奥深い、志ん朝師匠とのり平さんの芸談。
志ん朝の志ん生襲名にまつわる噺も凄い・・・、
ある日志ん生師匠は馬生師匠を目の前に鎮痛な面持ちで「あの、あの」を繰り返す志ん生を
見かねて馬生師匠が「大丈夫だよ、志ん生は志ん朝に継がせるから」・・・あの静かな馬生師匠が
穀然としかも自分の親に、それも天下の志ん生を諭すように言った。
言われた志ん生は滂沱の涙を流しながら「すまねえな」を繰り返したと・・・惨い。
馬生さんのダメージは、思いは、いかほどだったのか、高座さながらの人間味が述べられている。
話は、ガラリと変わって、志ん輔さんのケータイ日記。
これが、単に、スケジュール替わりの日記であるが、
毎日、浅草や池袋、新宿の高座へと忙しく動き回り、その日のネタと、食事の様子が述べられている。
でも、凄いのは、その合間をぬってカラオケで行われる稽古・・・・
時間があれば稽古、調子が悪ければ稽古、まさにウォーミングアップ替わりに行われる。
この、裏で行われる、素振りの凄さに、どの世界でも真のプロの真摯さを感じる。
芸を究める、噺家の、日常が垣間見れますよ・・・・。
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