イタリア語聖書の勉強会に参加してみませんか?!
山鹿教会では、毎月第3火曜日午後2時から1時間余り、イタリア語聖書から「イエスのたとえ話」をテキストにイタリア語の勉強をしています。 ベルガモ生まれのモヨリ神父さまが先生です。生徒は初めてイタリア語を目にする人がほとんどなので、初歩の初歩から、かたつむりの歩みです。
5月20日は、マタイによる福音書25章1-12節「十人のおとめ」のたとえがテキストでした。 天の国を10人のおとめがともし火をもって花婿を迎えに出て行くことにたとえた箇所です。 イタリア語の文を見ていて、おとめは10人なので複数形なのは当然ですが、花婿が単数形なので、なぜだろうと先生に質問しました。
なんとおとめとは花嫁ではなく、付き添い、侍者のようなものだったのです。勉強仲間が横から、「集団結婚式?」と声をかけてきて、私は自分の大きな誤解に気付きました。四十余年もおとめが花嫁と思い込んでいたのです。
日本語では名詞の表現に、単数か複数かわざわざ表記しません。この箇所でも日本の聖書では「十人のおとめ」です。 花婿も複数と頭の中で勝手に思い込んでいたのです。
神父さまは、花婿はイエスであり、花嫁は重要ではなので表面には出てこないことなども説明してくださいました。 イタリア語聖書のおかげで、長年の誤りを正すことができて、私は心から感謝です。
こんな大きな誤解をしている方がほかにもおられるとはとても思えませんが、思いがけない気付きもある、この勉強会に出席してごらんになりませんか。 (山鹿教会 川本清美 記)
山鹿教会では、毎月第3火曜日午後2時から1時間余り、イタリア語聖書から「イエスのたとえ話」をテキストにイタリア語の勉強をしています。 ベルガモ生まれのモヨリ神父さまが先生です。生徒は初めてイタリア語を目にする人がほとんどなので、初歩の初歩から、かたつむりの歩みです。
5月20日は、マタイによる福音書25章1-12節「十人のおとめ」のたとえがテキストでした。 天の国を10人のおとめがともし火をもって花婿を迎えに出て行くことにたとえた箇所です。 イタリア語の文を見ていて、おとめは10人なので複数形なのは当然ですが、花婿が単数形なので、なぜだろうと先生に質問しました。
なんとおとめとは花嫁ではなく、付き添い、侍者のようなものだったのです。勉強仲間が横から、「集団結婚式?」と声をかけてきて、私は自分の大きな誤解に気付きました。四十余年もおとめが花嫁と思い込んでいたのです。
日本語では名詞の表現に、単数か複数かわざわざ表記しません。この箇所でも日本の聖書では「十人のおとめ」です。 花婿も複数と頭の中で勝手に思い込んでいたのです。
神父さまは、花婿はイエスであり、花嫁は重要ではなので表面には出てこないことなども説明してくださいました。 イタリア語聖書のおかげで、長年の誤りを正すことができて、私は心から感謝です。
こんな大きな誤解をしている方がほかにもおられるとはとても思えませんが、思いがけない気付きもある、この勉強会に出席してごらんになりませんか。 (山鹿教会 川本清美 記)