カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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A年 復活節第5主日

2017年05月08日 | 神父様からメッセージ(A年)


 陰暦四月を卯の花月、または卯月というのは、このころに卯の花が咲くからで、その卯の花を腐らせるかのように、しとしと降る雨を「卯の花腐し」といいます。卯の花は白色から紅色へと花が変化するものや咲き分け種など種類が多いが、そんないろんな花が雨に打たれて山路を染めている様はとても風情があります。この時期、全体にしっとりと濡れそぼった暗さの中にも新緑の葉先がきらりと光を含んでいたりして、自然の趣が一段と深みを増します。
 キリスト信者には復活節の間、欠かせない目で見えるしるしの深さを勧められています。その一つはパンのこと、(私は命のパン)です。もう一つは良い牧者であるイエス様の世界のことです。この背景の中にイエス様が場合によって、いけにえとして捧げられた羊になったり、囲いの門になったり、良い牧者の姿にもなられます。この優しい例えによって、神様のこころを語り続けています。
「ヨハネによる福音書 14・1-12」
 復活節の第五主日のメッセージは、どこへ行くかを知らない私たちにとって、大きな慰めの言葉になっています。まずヨハネの福音記者の思いによりますと、イエス様が失望しないように励まされています。イエス様はこの発言をされた時に、ご自分の受難の直前でしたが、同時に弟子たちの心を見抜いて、自分との別れによって、心をさわがせたりしないように、悩まないで、悲しまないように慰めようとします。例えば私たちも、神様がありのままに弱い私たちを受け入れられるか、愛されているかどうか、信じたい希望をもっていても、それに不安や不満をもって悩んでいる時があります。特別に思い通りに良く行わない時に、または自分の生き方についてよいかどうか判断しにくい時、神様の憐れみに不安と不満を持っています。けれどもイエス様が「心を騒がせるな」と言ってご自分の限りない愛を示しながら、神様の約束された慰めの言葉に信頼をおくように勧められています。さてイエス様は私たち一人一人のために住める場所、永遠にいる場所を準備してくださるとおっしゃっています。その場所の特徴は、神様の家であり、皆が集まる場所です。そしてイエス様がおられるところと私たちが神様に誘われて、行くべきところもまったく同じです。イエス様自身がご自分の死によって準備してくださった場所で、そこで私たちと一緒に永遠に生きるために待っておられます。イエス様自身が私たちを迎えにきて、ご自分がおられるところに、つまり神様の懐で私たちのことを大切にしてくださいます。では神様の家、イエス様が準備されるところへ行くために、どうしたらいいでしょうか。まず、そこにつながる道はイエス様自身です。イエス様自身が「私は道である」とおっしゃってくださいます。イエス様に従うことにすれば、神様自身を見つめることが出来ます。イエス様のことは深く知ることにすれば、神様の心を知ることが出来ます。そのようにイエス様は私たちの「道」です。人間はどんな時代でも、自分の元の姿、自分の本来の姿を探し求めました。それは神様だけです。人間は自分自身を神様の姿に(神道の鏡の意味を参考にして)自分を写す事によって、自らの素晴らしさを知ることができます。それを人類に教えたのは自らの大きな愛によって人生を捧げたイエス様です。イエス様は人間でありながら神様の姿を写してくださいます。神様として普通の人間の姿、つまり貧しい人、小さい人、弱い者の心を通して自分の姿を見せてくださいます。そのように神様へ導く道であるイエス様は、私たちがあこがれている真理、私たちの日常生活の命です。
モヨリ神父

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