カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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A年 年間第21主日

2017年08月21日 | 神父様からメッセージ(A年)
 

 イエス様の言葉の意味を、毎週この解説の言葉の中に探し求める人々にとって、どうして今日の解説がこの季語で始まっているかと考えをめぐらしたかもしれません。実はイエス様の言葉は強烈な日差しのように、私たちの日常生活の中に、時によって厳しく入り込んで、私達の人生を全て照らしてくださいます。そのように照らされた私達の心は新しい、素晴らしいことをたくさん見出すことができます。パウロの文章【使徒パウロのローマの信徒への手紙 11・33-36】を読んでみると、これは理性で書いたものとは違って、感情で書いた文章だとみられています。パウロは珍しく同じように3回繰り返して自分の思いを述べています。パウロはイエス様の定め、イエス様の知恵に捕らわれ感動しました。それに従ってイエス様の心を知り、イエス様の相談相手になり、イエス様の報いを受けるだけのために生き、そして人生の中で、それだけを頼るべきだと宣言します。私たちは神様から出るもの、私たちは神様に保護されるもの、神様に向かって生きるものですから、大いに喜ぶべきでそのためだけに生きるはずなのです。パウロは、強く強くその真実を述べ伝え続けています。

「マタイによる福音書 16・13-20」
 今日もイエス様が弟子たちにも私たち
にも質問してくださいます。「あなた方は私が何ものだというのか」その答えによって、様々に生き方は大いに異なって、または変化します。殉教者たちの答えは、イエス様は自分の命、自分の血であるということでした。修道者たちも、上記の質問には全てを捨ててイエス様を第一の宝とすることで答えました。信徒の皆さんも社会的な恥より、社会的な利益よりもイエス様を一番素晴らしい理想にして、一番欠かせない友人としてイエス様だけに従う者になりました。このような答えが自分の参考になりませんか。では使徒ペトロの答えを分析してみましょう。まず、ペトロの答えは自分の才能から発生した答えではなく、聖霊の知恵と力からでた答えです。同時にペトロは、時代を渡ってイエス様に従ったものたちの代表になりました。ペトロの答えによって、イエス様がペトロの名前を変えペトロの運命をも変え、自分の教会の土台に任命されました。二千年以上のキリスト教の歴史の中で、聖ペトロと聖パウロに設立されたローマにある教会は、キリスト教の中心でありイエス様の言葉通りにキリスト教の土台であり、全世界の信徒を指導し、イエス様の教えをと戒めを正しく勧める権利を持ってずっと守って来ました。最後に、イエス様は自分がメシアであることを言い広めないようにと弟子たちに頼んでいます。それはメシアは宣伝する対象ではなく、一人ひとりの心の内からの答えだけを望んでおられるからなのです。
                                    モヨリ神父

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