カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
菊池教会の電話:0968-25-2381

A年  キリストの聖体 

2014年06月19日 | 神父様からメッセージ(A年)
現在人間は豊かな食べ物に恵まれていますが、その中で食べることが問題になってきています。場合によって食べ過ぎることで、又一方で心身の不健康により食べ物を拒否したりすることでそれは起きています。しかし、イエス様が私たちの信仰を支えながら、「これは私の体、これは私の血」と言って「私を食べる者は永遠に生きる」とおっしゃっています。

「ヨハネによる福音書」6・51-58
 キリストの聖体の祝日を迎えることになりました。この時、若い頃を振り返りその頃を思い出すようにすると、この祝日の意味を深められると思います。では、当時の麦秋の場面を思い浮かべて下さい。それぞれの故郷の習慣によって、キリストの聖体の祝日の時に、信者たちは教会から出て大きな行列を作って、実り豊かになってきた麦畑を通って歩いていました。「恵みのパン…いつくしみと愛に…」を歌いながら、とても身近に神様のいつくしみと愛を感じていました。麦畑をみつめながら畑の間を歩いたキリスト信者の心に、何が語りかけられていたのでしょうか。まず私たちはイエス様のたとえ話によって、一粒の麦のようなものとされています。その麦をつぶして粉にすることによって、私たちは皆で一つのパンになれます。そのパンはイエス様の体、復活されたイエス様自身です。そのパンは教会の心を現わしながら、イエス様から教えられた愛を語ってくれています。焼きたてのパンをオーブンから取り出すと家中に香りがただよってきます、それを割いて皆で一緒に食べると、私たちは一つの家族、一つの心、一つの教会、共同体であることを明らかにされます。そのパンはイエス様の言葉によって天から降ってきたパンです。つまり物理的なパンであるだけではない、心や人生も全て満たすパンです。そのパンはイエス様の肉です。イエス様は私たちに、これほどご自分を身近な存在に現わして語ってくださいます。そうして、私たちに限りのないイエス様の無償の愛の意味を示してくださいました。人間は親の愛によって生まれ、生きています。そのお母さんから受けた愛は命であり、生きる肉と血になっています。洗礼によってイエス様から限りなく愛されて、その愛は身近にパンの形で示されています。このようにイエス様が私たちの命でありながら私たちの肉と血になって、私たちと完全に結びついて下さいます。このように、キリスト信者は生きて居るものです。キリストの祝日にあたり、このような思いで心を満たすことにすれば、イエス様の言葉の「私を食べるものも私によって生きる」という真実が実現します。
                                モヨリ神父

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。