カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
菊池教会の電話:0968-25-2381

A年 年間第八主日

2014年02月27日 | 神父様からメッセージ(A年)
 聖書の言葉は神様の言葉、み言葉とも言われていますが、私たちの心の中にしみ込んで永く残ります。香りのある花で部屋を飾つたとき、花がなくなってもその香りが残ることがあり、美味しい料理を食べたあとで、その香り、その味が口の中、又周囲に残ることもあります。では神様の言葉のことですが、それを耳にした時、それを心に受け入れて、自分の思いにしみ込んで身につけてしまえたら、簡単に忘れることは出来なくなると思います。永く、いつまでもそれは自分の中に残ります。さて、先週の日曜日にイエス様が愛について話してくださった所も、心から簡単に消し去ることは出来ないと思います。神様は皆を愛しておられます。神様のことを知らない人でさえも愛しておられます。それで私たちに、敵までも愛するように勧められます。愛すること、愛されることは人生の一番素晴らしい目標だと思います。それは人生を満たします。愛によって人は幸せになります。愛は人間の心の欠かせない喜びです。このような素晴らしいメッセージを語ってくださるそのみ言葉は、簡単に心から消え去ることは出来ません。是非、神様の言葉を心の中に残し、留め、味わって生きて欲しいと思います。
「マタイによる福音書 」6・24-34
 預言者イザヤの書では、神様が人類を産んだ母親のように描かれています。主に見捨てられたと感じる時もこの神様への信仰をもって生きるべきです。人は一所懸命に働く時に、神様と一緒にこの世を創造し続けて、神様から与えられた役割を果たせるようになります。だから当福音書の中に、イエス様が強調されたのは、この世の物理的なものに心を奪われないようにということです。人間にはまず心の自由、神の国の正義のような言葉より、大切なことが沢山あります。典礼の祈りの中で、教会は神様に向かって、自己中心的な行動と思いから解放されるように願っています。同じようなことが当福音書にも願われています。人は普通、いろんなことを心配しています。心配し過ぎると不信仰を表し、人生の不適切な考え方も起きてきます。特に財産を貯め込んだり、未来についてまた、現在の日常生活についても無事に過ごせるかどうかと無駄に心配することです。キリスト信者は未来について、又日常生活、財産などについて心配し思い悩むことはありません。自分に必要なことは神様が全て備えてくださいます。神様は大自然の花、空の鳥も大切にして、それを養っておられます、まして人間を大事になさらないことがあるでしょうか。今日の福音書の中心になる言葉は、心配しないように、と同時に一所懸命努力して神様の協力者として生きるようにとの教えてす。イエス様の時代に奴隷は、同時に二人の主人に属する場合もありました。しかし、それによっていくつかの問題が生じていたことも事実でした。イエス様がその制度に例えて、富と主人とに同時に仕えることは出来ないと教えられています。富は人間の心を奪い、絶対的な存在になりがちで、それだけが人間の人生の目標になってしまうこともあります。神様に造られた人間は神様に属するものですから、富は身を縛る鎖になるばかりなので、神様から奪い取られるのです。神様を選んだキリスト信者はなにも心配せず、心の平和を味わいながら、神様と一緒に働き、自分のことも、隣人のことも大切にすべきです。

                                 モヨリ神父  

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。