カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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A年 四旬節第三主日

2014年03月20日 | 神父様からメッセージ(A年)
第三の日曜日にあたり、主日の喜びは洗礼志願者の存在でも飾られています。洗礼の準備のために、四旬節は年間中もっともふさわしい時期ですが、毎週典礼から勧められた福音書も、洗礼式の神秘的な内容と価値を紹介してくれています。キリスト信者は四旬節の間精神を高め、人生を見直します。特別に共同体の中で赦し合うことと心くばりを大切にして、神様の慈しみを伝えることです。そして謙虚な心も欠かせないことです。私達の主はイエス様だけです。キリスト信者はイエス様の真似をしながら、何も自慢せずイエス様の姿を先にして世界に示しています。それだけではなく、いつも仕える者になるのです。
「ヨハネによる福音書 」4・5-42
 当日曜日の福音書は、イエス様がサマリアの井戸で出会った婦人との対話を語ってくれています。暑い日中のお昼ごろ、喉が渇いたイエス様がサマリアにあるシカーの井戸に近寄った時に、信仰へ導く話をある婦人に仕掛けました。その対話の結果、婦人はイエス様に対する信仰だけではなく、自らの人生を見つめてそれを見直すようになりました。実は心の中でイエス様に出会う人が、イエス様を信じることによって、自らの人生を見つめ、自分自身をさえ再発見することが出来ます。そこから自分の人生も見直すことが出来ます。サマリ人の女との出会いが語られる聖ヨハネの福音書が、とても象徴的な話しで細かく書かれているのは、洗礼を受ける人のための重要な手段であり、同時に一般のキリスト信者の為には信仰に達する道しるべです。まずイエス様はメシアであること、そして丁寧に自分のことを紹介して、救い主であることを公に明らかにします。サマリア人の女の信仰への歩みを語りながら、三つのテーマが強調されています、第一「水のシンボル(象徴)」、第二「どこで、、どのように神様を拝むか」、第三「メシアはどのようなものなのか」と。それに加えられたのはいろんな役割を果たしたサマリア人達のことと、イエス様の弟子たちの反応についての話しです。聖書によるとユダヤ人にとって、水は法の中に含まれた智恵を象徴していました、だからいつも法の中から智恵を汲むことが出来ました。イエス様にとって水は、聖霊の命を象徴しています。だからわたし達が汲むべき井戸は、智恵と霊で満たされているイエス様自身のことです。それからサマリア人の女も、わたし達にもその井戸の中から普遍的な「水」を汲むように勧められています。イエス様の井戸からわたし達が汲むのは、聖霊の力、人生を導く智恵です。だから聖霊と智恵に導かれているわたし達の行いは、法に縛られている行いではなく、愛の霊と智恵に満たされた自由な行いです。同じように、このような井戸に水を汲むことによって、神殿でだけではなく、どこででも自由に自分の日常生活の中で、自分のよい行いを通して、神様を拝むことが出来ます。わたし達の人生を満たされるのは、欠かすことの出来ない唯一のメシアであるイエス様です、それが分かったサマリア人の女、それに従ったサマリア人達、イエス様の弟子達も、救い主であるイエス様の福音を多くの人達に告げ知らる事になりました。        モヨリ神父


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