カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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C年 年間第十八主日 

2013年08月01日 | 神父様からメッセージ(C年)
人間であるだれでも、神様の神秘的なしるしを探し求めています。神様のしるしは、そよ風のようにわたし達の中で思いを変えて、素晴らしい世界、神様のふところの愛を見せてくださいます。八月のルカの福音書の個所の特徴は、神様の思いです。あるいは、どのようにして人間と違って神様が考えてくださるのかを語られています。
「ルカ福音書」12・13-21
キリスト信者は、出来るだけ欲張らないように生きることをイエス様の言葉は強調されています。います。人間は自力でこのような欲望から自身を解放することができないので、それに打ち勝つ為に神様の力と支えが欠かせないのです。
ところで、ルカの福音書のテキストは、二つに分けられていますが、両方の場合とも、欲張る心にならないようにとのイエ今日のミサの最初の祈りも、自己中心的な心から、欲張りな心を解放できるように神様に願ってス様の注意につながっています。神様は自分より財産を頼る人を望まれないし、人生の成功も財産を目標にして望む人は神様の前に豊かになりません。当福音書の第一部は自分の兄弟と分けようとする遺産について、イエス様に相談にのってもらうように願うのです。第二部は自分に出来た財産について、満足して喜んだ人の思いのたとえ話です。上記のたとえ話に正しい望みが含まれていても、イエス様が強調するのは、どちらにしても欲張る心も隠されてあるから、注意しなければならないということです。自分に対する正義を求める時、あるいは自分の出来た仕事に対して喜ぶのは当たり前ですが、物や財産に欲張りな心がとらわれれば神様の心から離れてしまいます。実はイエス様が批判されるのは自己中心的な心の態度で、そして全て自分の為に何でも欲しがりながら、隣人には何も分かち合わない心です。このように「欲張り」という単語によってイエス様が心の硬さ、偶像崇拝、自分の欲望を満たすために人の尊さと権利を踏みつける心の態度も示し、その改心を求めています。だからイエス様が注目されるのは単なる欲望のことではなく、人に対する無私の心です。言い換えれば欲望とは人間の愛に対して総合的な罪の源だということです。イエス様は一般の人の考えの見直しを求めています。どんな時でも人生の素晴らしい経験の中で、欲張る心に縛られないように暖かく勧められています。モヨリ神父