カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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「今週の公教要理の錠剤」24

2012年05月03日 | メッセージ(その他)
B年 復活節第五主日          2012・5・6
 「カトリック教会の教え」から
「教会の姿」
外から教会の姿を見てみると、単なる大勢の人の集まりにしか見えないことでしょう。しかし本来教会はイエス様の名によって呼び寄せられた人々の集まりなのです。さて集められた人々は神の民と言われています。神ご自身が一人ひとりを呼び集めて自分の大事な民とされ、自分の花嫁、大切なブドウ園として心を寄せておられます。神様の民は集まると大勢であっても心は一つになり、一つの共同体として共に祈り、共に神様の言葉を聞き、思いとその愛の中で生きるのです。つまりキリスト信者は、旧約聖書のイスラエル人と同じように神の民であり、復活されたイエス様を信じて自分の生き方でイエス様の姿を示しています。イスラエル人達は奴隷としての日々を神様から解放され、砂漠の中で長年神様に導かれ、神様の民として神様に愛の約束でむすばれました。神様は彼らに新しい土地、新しい国を与えました。ミサの時にイエス様の言葉、イエス様の体をいただく共同体は、昔のイスラエル人と同じように神様に愛の約束で結ばれイエス様の体になって、イエス様の腕、イエス様の手、イエス様の足、イエス様の心になって、復活されたイエス様の体を世界に示すようになりました。イエス様はこのように一つの教会を望みましたが、長い歴史のなかで、イエス様の体である教会は分離し、いくつもの宗派に分かれました。それはカトリック教会から離れたプロテスタントのいろんな宗派のことです。しかしそれぞれが違った方法で、神の国を求めてイエス様の愛を示しています。復活されたイエス様は現在の社会の人々にも、自分の唯一である群れのような共同体に属するよう呼びかけられています。祈る共同体がある所、そこにイエス様がおられます。イエス様の教会は聖霊に支えられ、聖霊に導かれ、聖霊の風の力で進んでいます。イエス様の教会の目標は一つだけです。復活されたイエス様の愛をより多くの人々に告げ知らせることです。
                         モヨリ神父