カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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毎週の一言 B年 年間第三十三主日

2009年11月13日 | 神父様からメッセージ(B年)
イエス様のことを愛される皆様へ、

七五三は11月15日に、3歳5歳の男児、3歳と7歳の女児を祝う行事です。男児、女児とも三歳の髪置き、4歳の紐解きに当たる子が、親に付き添われ着飾って産土神(うぶすな神)に参拝し、お世話になった方々を招き小宴を張ったりします。今まで息災に育ってくれたことへの感謝と、これからの健やかな成長を祈ります。思いのこもった晴れやかな祝いごとです。同時に日本人のキリスト信者も日本の伝統的な文化を祝いながら、神様から頂いた命のため、また子供を与えてくださったことに対して大きな感謝を持ち、弱い、特別に神様が愛される小さい者たちのために祈ります。確かにどんな文化の中でも、神様の種がまかれており、その中から成長します。子供達は神様の大きな贈り物ですから、大切に受け入れて、宝のように預からなければならないのです。神様からいただいた命を大切に育てながら子供たちに一番おいしいもの、一番綺麗な服を準備し、一番素晴らしい理想を与えるようにしながら、その中に一番価値のある心の喜びを与えるようにしましょう。それは、私たちに洗礼式の時に神様が下さった信仰の宝です。この時こそ日本の文化が人間の命を尊ぶように、キリスト教はその命が神様からの欠かせない贈り物である事を目が覚めるように悟るのです。
マルコ福音書13・24-32
典礼による一年間の最終の年間の主日を迎えることになりました。今度の日曜日(22日)の「王であるキリストの祭日」で完全にイエス様の生涯、行いと言葉の朗読などの典礼も閉幕になります。典礼が最後に強調するテーマはこの世の終末、イエス様の再びの来臨、最後の審判、そしてそれに従う救いの時の始まりです。この世の終わりを考えると、人間は不安な思いにかられるのですが、今この時、この一瞬もその時と同じように神様のみ旨に属している事だと考えれば、すべての出来事は神様の計画に属しているとわかります。だから人間はどんな時でも神様から頂いた時間だと心に留めれば、世の終わりの時も心からそれを受け入れられます。そして再びイエス様が来られる時にイエス様に従った者たちは自分と人の救いのために人生を尽くしたのですから、自分の名前がもうすでに命の本に記されたことが聖書からわかります。その時キリスト信者は大きな信頼に支えられて、大きな希望で満たされて、永久に神様と共に大きな喜びを味わうことになります。当福音書では旧約聖書の預言とイメージを借りて、神の子の到来が語られます。天地創造の時には暗闇から光に照らされる世界になりました。反対にこの世の閉幕は大きな光から暗闇に戻る形で語られています。この最後の到来にイエス様は神の子でありながら、人の子と呼ばれています。そしてその形で人類を裁くために来られ、神様に近い者を皆、救うことを宣言します。当福音書は恐れ、心配を与える目的の言葉ではありません、むしろ目を覚まさせて心の準備を勧めています。イチジクの木のたとえ話が、聞き手に夏が近づいたしるしを語ってくれるように、その時もいきなり来るのではありません、注目するいくつかのしるしによってこのような予想された出来事が確かにいつか起こります。イエス様がこのような言葉で自分に従った共同体の心を支え、心の準備をさせています。神様だけが歴史の主ですから、イエス様に従った者たちは心して最初から終わりまで、どんな時でも神様の働きを見極めているべきです。
                               モヨリ神父