カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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毎週の一言 B年 年間第十五主日

2009年07月11日 | 神父様からメッセージ(B年)
イエス様のことを愛される皆様へ、

かつて、居間に散らばり台所に置かれていた団扇も、すっかり影が薄くなっています。しかし使ってみると、ことに「来民の渋団扇」は昔も今も実用に耐える強さがあり、時を重ねるほどに柿渋の色合いも深みを帯び、一種独特の風格を呈します。これは生活から生まれたつつましい雑器に宿る忍耐、健全、誠実の美しさとの出会いを体験することでもあります。いつも歳時記の言葉によってみ言葉に導入されることは、キリスト信者にとって楽しい遊びのようです。どんなこと、どんな小さなしるしを通しても神様に出会う時、出会う場になっています。さて、昔のロシアのご絵は皆さんも知っていると思いますが「イコン」と言われ、天国の方に開いた窓とも呼ばれています。キリスト信者にとって、大自然の小さな美しい存在も神様の方に開いた窓になっています。
ところで、いったいキリスト信者は誰であるか、どのようなものであるか、イエス様の言葉で答えましょう。物事を完璧に行える者と思われますか、人生の中で間違わない人でしょうか、いいえ、そうではありません、イエス様の言葉や行いによってキリスト信者は赦されて、癒されたもので、イエス様の命で生かされているものです。
マルコによる福音書6・7-13
どんな人間でも、その人生に神様から与えられた使命を持っています。皆が神の国を告げ知らせる為であり、それぞれに違った形でしかし、神様との結びの深さによって一人一人が派遣されています。このような使命で、全世界にイエス様の12人の弟子も派遣されました。旧約聖書では預言者アモスがそうでした。羊飼いだったアモスは、神様から預言者として派遣されました。では、イエス様はどうしてご自分の弟子を二人ずつ派遣されたのでしょうか。実は、当時の哲学者たちもそうしていました。確かに二人だと助け合えるという利点がありますが、二人だと一人が相手の証人になるように思われていたそうです。つまり、一人を通しての神様の働きにもう一人がその証人になったということです。イエス様に派遣された弟子の目的は、神様の教えを伝えること、悪霊に対する戦い、癒しの油を塗って病人を癒すことです。「汚れた霊に対する権能を授けました。」という言葉で、悪と戦う力と権利、すべての悪に対する支配権力をもっての派遣でした。実際的に勧められたのは、まず、宣教する権利について、つまり与えられた権利をどのように行使すべきか、そして貧しい中で携行する物、最後にいろんな所を訪れる場合、宣教活動の中でどのようにすれば良いかなど、暖かい言葉で教えられました。イエス様に派遣された弟子も先生と同じように神の国を宣べ伝えて築くのです。それを第一目標として、人の病む体と心を治したり、心の開心を勧めたりして、教えを広げようとしています。派遣された弟子たちは、あくまでもイエス様の権威を分けてもらい、イエス様の名によって人に心の救いを告げ知らせながら働いています。
                         モヨリ神父

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