カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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毎週の一言 1- 9 (年間第十主日)

2008年06月07日 | 神父様からメッセージ(A年)
イエス様のことを愛される皆様へ、

紫陽花が咲きそろいました。まもなく菊池、山鹿でも梅雨入のようです。雨を含んで雲が重くなっています。田植えも始まっています。これから、うっとうしい梅雨に入ると日常生活も色々困る事も出てきますね。
でも、天候に左右されないわたし達の心は来週の日曜日、菊池と山鹿教会にとって大きな喜びを味わう準備をしています。それは司教様による合同堅信式のことです。堅信式と言うのは入信の秘跡に属しています。つまり洗礼、聖体、堅信式です。普通大人の場合、生涯に一度洗礼式の時に受けることになっています。けれども、堅信式と言うのは信仰に入った者にとって、教会に属する実感であり、自分の信仰を見つめなおし、新たな確信をうながすものとなっています。堅信式について有名な古い言い伝えがあります。堅信式はリュックサックのようなものです。堅信式までに私たちの心のリュックサックに何かを入れるのは他の人の役割でした。しかし堅信式の時に自らそれを降ろして、自分の意志、希望、好みによって心のリュウサックに信仰の宝を再び入れることになります。例えば、毎週のミサの習慣、お祈り、ロザリオ、教会の集まりなど、つまり自分の霊性を大切にします。
今週の福音書のメッセージはマタイの福音書です。マタイがイエス様に呼ばれて従った時の出来事を語っています。今日の福音書を理解するための読む方法は普通とちがって、最後の文章から始めなければなりません。さかのぼって重要なところを見てみましょう。まずイエス様が宣言したのはご自分の主な目標です。「私が来たのは罪人を招くためです。求めるのは憐れみです。必要とするのは病人である」イエス様がこのように強くご自分の思いを強調します。どうしてこの世に来られたか、どのようなことを求めてきたか、そしてご自分にとって一番重要な者は誰かと。このようなイエス様の願望は、わたし達に身近な関わりがあります。罪人のこと、病人のこと、そして憐れみを必要とするのはわたし達ではありませんか。わたし達の癒し、救いであるのはイエス様の愛の本願です。そして、今日の福音書の結論として、イエス様が罪人である徴税人マタイに向かって、自分に従うように呼ばれました。どのような言葉でイエス様に呼ばれたか、即座に決心してイエス様に従ったこともマタイ自身が語っています。思い出してみると、別の日イエス様がマタイと同じように、あるお金持ちを誘いました。しかし、お金持ちは沢山の財産を持っていたので、頭を下げただけでイエス様に従わないで立ち去りました。マタイは罪人であっても、イエス様の愛情に捕らわれて、イエス様にただちに従いました。この出来事によってわたし達が学んだのは、心を変える力、イエス様に従う力は神様の愛だということです。罪人であっても神様に愛されていることを実感できれば、マタイのように文句なくイエス様に従うことができます。
                               モヨリ神父
*【注目】
毎月の第一と第二の木曜日、午前十時から信徒会館で、
聖書による「イエス様のたとえ話と奇跡について」の勉強会があります。