旅芸い者放浪記

前沢政次 ブログ

沈黙に聴く

2012-09-15 06:11:18 | 教育
実習反省会で早稲田君は

「患者さんとの面接での間(ま)のとり方が一番勉強になりました」

と言ってました。

長年、医学部で面接技法の教育に携わってきた者にとってハッとさせられる言葉です。

「沈黙には良い沈黙と悪い沈黙がある。良い沈黙は患者の言葉に感じ入って次の言葉が出てこない。これは深い共感を示す意味があってたいせつ。悪い共感は尋ねる内容が思い浮かばず言葉が出てこない。これはよくない」

・・・なんて教えてきたのですが、間の取り方となると比較的短い沈黙で、さらに高度な技術と考えがちですが、ぼくとしてはごく自然にお年寄りがどんな生活をしているのかを想像しながら聴いているだけです。

指揮者をめざしていた早稲田君には「間がいのち」と思えたのかもしれませんね。

ちょうど先週の日曜日に買った本の中から、早稲田君に言葉をおすそ分けします。

著者は霜山徳爾(とくじ)先生(1919-2009)。わが国が誇る心理療法の大家です。フランクルの『夜と霧』『死と愛』の翻訳でも知られています。

『素足の心理療法』(みすず書房、3000円)が題名です。「素足であることは生の事象に対して虚心坦懐に、素直に対することである」からつけられています。

18項目の技法が書かれていますが、最初に「沈黙の時間」が取り上げられているのです。

●心理療法の臨床で使われる、よい言葉はほとんど常に旋律的である。
●患者はこちらの言葉と表情について実に敏感である。
●沈黙は対話の間(ま)の問題とともに、それなくしては心理療法が語れない存在である。
●もっともすぐれた言葉は語られていない言葉であり、もっともすぐれた行いとは、なされていない行いであり、またもっともすぐれた変化とは意図されずして起こった変化のことである。
●野の花や流れる雲、患者の後ろ姿などの自然は「道」(ホドス)を示している。
●沈黙に心を向けることは」、ことば(原文ひらがな)を越えたところにある現実に気がつくことである。沈黙に耳を傾けることは、現実を現実としてそのまま見、聞き、捉えるためである。
●本当に言葉がわかるためには、沈黙の内に聴かねばならない。(メルロ=ポンティ)