旅芸い者放浪記

前沢政次 ブログ

国保診療施設協議会の新年度

2012-02-24 23:18:00 | できごと

本日理事会が開催され、新年度の新役員が決まりました。

会長に青沼孝徳氏(涌谷町町民医療福祉センター長)が選ばれました。つまり、ぼくの後任者が会長に上り詰めたことになります。

青沼君は自治医大の1期生です。現在同大学の同窓会長も務めています。学生時代は野球部の大型内野手。ショートを守ってました。

一緒に8年働きましたが、外科医としてはメスが震えるほど真面目に真剣に仕事に取り組みました。ずっと彼を当時国立仙台病院外科チームがサポートしてくれました。

臨床を真面目にやるとそれだけで精一杯で、保健や福祉との連携などできません。基本方針ではいつも対立していました。ぼくが辞めてから「地域包括医療の大切さが分かった」と何度も言っていましたが、真偽のほどは分かりません。

彼も苦労して成熟したと思います。日本を代表する協議会の会長ですから、リーダーシップを発揮して協議会を発展させてほしいと願っています。


倶知安を去りますが

2012-02-23 23:40:56 | 日記

厚生病院が厳しい状態にあるのに倶知安を去ることは辛いことです。

京極町に比べましたら、人口は5倍近くですし、さくいさんをはじめ倶知安の皆様には潜在的なパワーがあると信じています。ぼくも隣町から応援しますし、この機会に羊蹄山麓全体がよくなっていくチャンスなのだと考えたいですね。

引っ越し終わりました。お天気に恵まれまして、猛吹雪の中の引っ越しにはならず、助かりました。転居先からは羊蹄山がグーンと近くに見えます。

ドーンと富士のごとく腰を据えて羊蹄の未来を作っていきたいです。

引っ越しのため診療を休みましたので、きょうは留寿都村の糸谷先生が応援してくださいました。看取りまでしていただいてありがとうございます。ぼくもかけつけるか迷ったのですが、荷物もさっぱり片付かず、失礼しました。

家にはいろいろ最新の装置がついていて、なかなか使いこなせそうもありませんが、住まいが病院の近くになり、通勤時間分は仕事に生かせます。引っ越しにご協力いただきました皆様、ありがとうございました。


引っ越し前夜

2012-02-22 23:52:37 | 日記

2年近くお世話になった倶知安厚生病院のK1マンションを明日出ることになります。

京極町では道の補助を受けて医師住宅を2世帯分確保してくれましたので、新築住宅に入れてもらえます。町内会も歓迎してくださるようです。

厚生病院の医師はほとんどが住民票を札幌におき、町内会の活動にも参加しませんから、ぼくは倶知安町の住民となっても近隣の方々とのお付き合いがありませんでした。

「町のために、地域のために」という思いが生じないところに良質の医療は生まれないように思います。

さて、京極の医療もまだまだ軌道に乗ったわけではありませんが、過敏性腸症候群や慢性疼痛の方々にはお役に立てているようです。得意レパートリーをもっと増やさないといけないでしょうが、少しずつ勉強していきたいと思います。

 


ぼくが北海道にとどまる理由

2012-02-21 23:06:38 | 映画

北海道で風雪が強まるというので病院に泊まりました。

なぜ自分は北海道にとどまって働いているんだろう。自分でもよく分からないことのひとつです。

けさは診療を始めると「北大の皮膚科から電話です」。出てみると秦先生からで「前沢です」と出ると秦君びっくり。「学生時代はたいへんお世話になりました」と言われるとうれしくてなりません。秦君はとても性格の良い真面目な学生でよく覚えています。「おとといも飛行機で見かけました」ありゃそうですか。

といううわけで「教え子がたくさん働いているのが北海道だから」という理由があるのかもしれません。

それに夢だったか現実だったかはっきりしないのですが、誰かに「一番影響を受けた映画は何ですか?」と聞かれたような気がするのです。

いろいろ考えたあげく「ドクトルジバコ」「愛すれどこころさびしく」「草原の輝き」の3本が浮かびました。

「ドクトルジバコ」は大学1年の時見たような気がします。ジバコは医師で詩人。国と闘い、雪の中を生きたのでした。

医学部を続けるかどうか悩みに悩んだ青春のあの日。教会で知り合い、呉服屋に勤めていた小川君が映画に誘ってくれたのでした。

雪の中をヒューマンに生きたジバコ。今の自分と重なります。それが雪の北海道にとどまっている理由かもしれません。道外から来た教授はほとんど皆定年退職すると戻ってしまうようですが。


高齢者の心理を読む

2012-02-20 23:28:26 | 地域協働

介護保険でいうと、ぼくもまもなく第1号保険者になります。

自分が高齢者ですから高齢者の心理が読めてよいはずですが、どっこいこれが難しい。

昨日の事例のように複雑な関係性を解きほぐしていくにはそれなりの技術が求められる気がします。

自分自身とのやりとり:自分の病気、やがて自分に死が訪れることへの不安があります。病気になることの意味を見出せた人は強いです。重症の病気になって助かった場合、これからの人生はもうけもの、感謝して生きようとか。人生は有限であるからこそ意義があるとか。死後、孫の守護神になれたら、とか。病気、人生、死後の世界の学びがポジティブにできる明らかに毎日が変わります。

家族とのやりとり:子や孫が疎遠になる、配偶者の死、家族に対する自分の役割の喪失などが起こります。疑似家族(血縁なく、出会いの縁がある)役をケアマネジャーや訪問看護師などに求めることもあります。家族・あるいは家族役の人とのつながりは高齢者にとって大きい問題です。

隣近所・地域とのやりとり:転居、入院、友人との別離などがあります。老人クラブなども参加しにくい場合もあります。市町村で「見守り隊」を組織しているところもあります。どのようなネットワークを作るかが問われています。

専門技術職とのやりとり:高齢者が医療や福祉に依存的になるのはやむを得ません。自立・自立の強制はできません。寄り添いつつ、少しでも利用者ご本人の力が発揮でいるようにしたいものです。引きこもり・閉じこもりの人には訪問系サービスを活用しますが、それも限界がありますので、隣人愛や友情に期待したいです。

これらとの関係性をじっくり考えていくとユニークなケアプランも生まれそうです。