中川米造先生がこの文章を書かれたのは1983(昭和58)年のことです。「プライマリ-ケア導入への戦略」と題されて、『サービスとしての医療』(1987年農文協刊)という本に収載されています。
世界の多くの国がプライマリ-ケアを強化しているのに、日本だけが進んでいないと嘆いています。それはなぜか?
(医師を含め日本人の多くが)、医療の近代化は専門性にあり、疾病中心主義、臓器志向にあると理解し、それへ画一的に同調してきた。国際的な常識では、当然公的機関が担当すべき救急医療や精神医療などが私的医療機関に任されている。診療報酬支払方式が疾病中心、臓器志向になっている。
こうした批判が説得力を持たないのは、先進国では健康指標の改善が医療の近代化導入以前にに起こったのに、日本では生活環境条件の改善と医療の普及が同時に起こったため、多くの人が医療が健康指標を改善させたと考えている。プライマリ-ケアなど導入する必要などまったくないと考えていることが一番大きいのではないか。
なるほど、中川米造先生らしい分析です。医療のおごり、とくに私的医療機関の誇りが大きいのですね。厚労省も無力ですね。
世界の多くの国がプライマリ-ケアを強化しているのに、日本だけが進んでいないと嘆いています。それはなぜか?
(医師を含め日本人の多くが)、医療の近代化は専門性にあり、疾病中心主義、臓器志向にあると理解し、それへ画一的に同調してきた。国際的な常識では、当然公的機関が担当すべき救急医療や精神医療などが私的医療機関に任されている。診療報酬支払方式が疾病中心、臓器志向になっている。
こうした批判が説得力を持たないのは、先進国では健康指標の改善が医療の近代化導入以前にに起こったのに、日本では生活環境条件の改善と医療の普及が同時に起こったため、多くの人が医療が健康指標を改善させたと考えている。プライマリ-ケアなど導入する必要などまったくないと考えていることが一番大きいのではないか。
なるほど、中川米造先生らしい分析です。医療のおごり、とくに私的医療機関の誇りが大きいのですね。厚労省も無力ですね。