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俳優・勝地涼くんのこと。

『銀色の髪のアギト』(2)-1(注・ネタバレしてます)

2007-06-07 01:44:22 | 銀色の髪のアギト
改めてDVDで見たうえで心に残った箇所の感想。

・月から伸びた木々が、大気圏に突入し燃え上がってもなお原型(葉の部分をも)保っている。そこまで生命力に満ち満ちた植物を生み出してしまった、ということか?
科学的には無理がある設定を、理論武装や映像ないし文章の力でいかにもそれらしく見せかけた刺激的な嘘をつくのはSFの本領だと思いますが、ビジュアル的には成功してるんでは。
KOKIAさんが歌うオープニング曲「調和」の、何語ともつかない歌詞(実は日本語の歌詞をローマ字化して逆から読んだもの)の祝詞めいた響きが、このシーンに神話的な厳かさと迫力を付与していて、人の身にして自然をコントロールしようとした傲慢さに対する「神による断罪」をイメージしてしまいました。

・アギトの実年齢は15歳、カインは16歳だそうですが、テクノロジーの恩恵を受けない素朴で野性的な環境に生きる彼らの精神・外見の年齢は10~12歳くらいのもの。
物語の初期、水場まで競争する二人の無邪気で冒険好きな言動にそれが表れている。

・お尻に小石がささった時のアギトのコミカルな表情と動き。全体のストーリー展開ばかりでなくこうした細部の演出も『未来少年コナン』『天空の城ラピュタ』など宮崎アニメを彷彿とさせる。
まああれらはジュブナイル冒険物語の王道なので、良い物を作ろうとするほどにどうしても似てしまうのは仕方ないかも。
『銀色の髪のアギト コンプリート』収録の杉山慶一監督インタビューによれば、監督はなるべくジブリ路線に寄るのを避けよう避けようとしていたそうですが。

・「これで父さんの乾きが癒せる」。ただ無茶な冒険を楽しんでるように見えたアギトの優しさ、家庭に事情があるらしいのにそれにめげていない心の強さが初めて示されるシーン。
この場面の勝地くんの声も落ち着いた優しい声音で、全体に無邪気で幼いのに一面すごくしっかりしたアギトの性格を体現している。

・「親父さんがいなくなったらどうするんだ?」とアギトに尋ねるカイン。アギトの父が病気らしいことは先の「乾きが癒せる」発言に表れていたが、それが死病であることが続いて匂わされる。
ごくあっさりとそれを口にするカインの姿に、悲しい事実も事実として素直に受け入れる彼やアギト、おそらくはこの街の人々にも共通する気質が見える。
厳しい環境の中で生活する人間には過剰に悲しんだり同情したりする余裕はない。けれどそこにはベタつかない優しさも同時に存在している。
「死んだら」でなく「いなくなったら」と表現するカインの気遣いがそれだろう。カイン役濱口さんの声のトーンにもさらっとした思いやりが滲んでいた。

・父の死後はこの街を出て、かつての父のようによその街を切り開きたいと夢を語るアギト。
後にトゥーラに語るように、彼は中立都市に強い愛着を抱いているのだが、だからこそ「ずっとこの街にいたい」ではなく「父がしたように第二の中立都市を自分の手で作りたい」という発想になる。
父アガシと同レベルの偉業を行おうというのだから、おそらくトゥーラの件がなくてもアギトはいずれ強化体になっていただろう。
強化体にならなければ到底都市建設などできそうもないし、ましてアガシにはヨルダとハジャンという同志がいたがアギトは一人でそれをしようというのだから(カインに一緒に行く意志はなさそうだ)。

・「おまえがいなくなったらミンカが寂しがるよ」というカインの台詞に、アギトは顔を赤らめるでも困った顔をするでもない。きょとんとしたような表情のまま。
アギトがミンカに格別の興味を持ってないことが示されているように思える。

・「ガキどもがまた悪さしよったんじゃー!」という見張りの老人の言葉に、ミンカが一瞬「あちゃー」という表情をする。
アギトとカインがしょっちゅうこの手の騒ぎを起こしているのがわかる(ヨルダもあとで「またあなたたちなのね」と言っているし)。
今回はいささか規模が大きかったようだが、「所詮は子供のいたずら」と思い捨てているので本当の緊迫感はない。
だからこそあとで水を抜かれたときに、「なんでこんな程度のことで?」とばかりに皆驚いているわけだ。

・水路を流されつつ泳ぐアギト。なんかもうすっかりジブリフィルターがかかっているので、つい『カリオストロの城』を思い出してしまう。
ジブリの影響を感じさせないジュブナイル冒険アニメを作るのはほとんど不可能事だなこりゃ。

・トゥーラを発見するアギト。
ノベライズでは中立都市の人間とは体型からして違うトゥーラにつくづくと見惚れる描写があるが、映画のほうでも、水を飲むさいに水滴が喉を伝い落ちる(このとき首の羅盤を自然な流れとしてアップで見せ、後の伏線とする)とか、壁?を伝い登るのに膝上20センチ以上と思われるワンピース?姿でアギトのすぐ上を進むとか(パンチラ必至)、アギトの体を踏み台に上に登るとか、濡れた服が体に張り付く(しかも肩が見える)とか、地上に脱出するまでのトゥーラの描写は繰り返しエロティシズムが強調されている。
出会ったばかりのトゥーラにアギトがほのかな憧れ(アギトのメンタリティはまだ恋を知るには幼すぎる)を抱く理由付けだろう。

・急流の中をアギトともども泳ぐトゥーラ。アギトを踏み台に上に這い登る場面といい、この時はこの世界の人間にそう劣らず身体能力高そうに見えるのだが。火事場のバカ力?

・羅盤の感知装置?に砂がこびりついてるのを拳で叩き落として無事作動させるトゥーラ。
シュナックに逆らう場面以降彼女が示す思い切った行動力を暗示するシーン。

・羅盤によって通路の扉が開いたとき、水が迫ってきているにも関わらず、アギトは自分がまず中に飛び込むのでなくトゥーラを先に通している。
自分が盾になることも覚悟のうえで、一瞬でも早く彼女を安全な場所へ逃がしてやろうという男気(悲壮な決意などというものではなく、当たり前のこととしてそうしている)を感じます。

・「あれが中立都市、僕らの街さ」。明るく誇らしげに指さすアギトに対し、トゥーラは自分の知る世界との変わりようの凄まじさに愕然とする。
この作品の核心である「異なる価値観の相克」が最初に描かれる場面。
勝地くんは『QRANK』2005年12月号のインタビューで、この場面が一番印象的だったとして、
「もし、僕が今、300年前の日本人を連れて東京を案内したら、もしかしたらトゥーラと同じ反応をされるんじゃないかって思ったんです」
「今、置かれている現状に慣れてしまっているから普通にしていられるだけで、本当はもうよくない状態に陥っているのかもしれない」
と語っている。
彼がこの作品に「環境問題」(これもテーマの一つとして『シネマ・シネマ』2006年1月号などで言及している)だけでなく「自分の価値観を絶対的なものだと信じることの怖さ」を見ていたのがうかがえます。

・トゥーラが目覚めたときにはシュナックという前例があったためまだしも対応できたが、シュナックの時は右往左往だったろう。
シュナックとしても自分の当惑を理解してくれる人間は誰もいなかったわけで、その点トゥーラより気の毒である。
もっともラグナの兵士?がトゥーラの「目覚め」を「シュナック大佐以来か?」と表現してたので、シュナック以前に目覚めた人間がいる可能性も。

・アギトが「トゥーラ」と呼ぶ発声がときどき「テューラ」に聞こえる。「トゥ」の発音苦手なんだろか。評判の悪い「トゥーラーー」の叫び声はそのへんも関係しているような。

・ハジャンの家の一家団欒を見せた直後にアギトの個食かつ内容の侘しい食事シーンを描く。
対比的に描かれた場面だが、「あち、あち」と呟くときのコミカルな動きと、父に語りかける明るい笑顔のせいかアギトは寂しげには見えない。
その芯の強さと、一緒に食事は取れなくともそばにいる父の存在が、彼に寂しさを感じさせないのだろう。
暖炉の火の赤々とした色がそんな彼の家庭の暖かさを象徴している。

・水を入れたバケツを二つ平気で持ち運ぶミンカと、一つでも足元のおぼつかないトゥーラ。
この水運びの場面を長々と(トゥーラの頭上から太陽が燦燦と照りつけるカットまで入れて)描写することで、年下の小柄なミンカより力がないトゥーラの現代人らしいひよわさと、そんな彼女がこの世界で生きていくことの困難、それに対するトゥーラの不安をきっちり描いている。

・羅盤をめぐるトゥーラとミンカの問答。
自分の他愛ない冗談がトゥーラにとってどれだけの痛恨事を引き起こしたかまるで理解していないミンカと、自分はよそ者だという意識があるだけに強く出られないトゥーラ。
ミンカの無神経さが幼さや彼女個人の性格の問題というだけではなく、ある程度この街の人の共通傾向だと感じ取れるだけに(アギトだって、中立都市を初めて見たときのトゥーラの驚愕を全然理解してるふうではない)、彼らに比して繊細すぎるトゥーラが孤独感を深めてゆくのがわかる。
ところで羅盤に連絡してきたのは誰だったのか。シュナックの羅盤は失われているはずだし?

                                             (つづく)

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