元々ドキュメンタリー製作からキャリアをスタートさせ、実際に起きた事件を元にした『誰も知らない』で一気に世界的評価を受けた是枝裕和監督初の時代劇。しかもコメディ。
『誰も知らない』が至極重苦しい内容(当時は未見だったので、あらすじや世間の評判からそう類推していました。実際に観てみたら悲痛なうちにもほんのりした暖かさと微かな希望の光が感じられる、それゆえになおさら悲痛さがつのるような透明な美しさに溢れた作品でした)であり、浅野内匠頭の辞世の句から取ったタイトルも武士道の美学を想像させただけに、どんな作品に仕上がってるのだろうと思っていたら、実に軽快で小気味良い、それでいて時に哀切な、日本的な情緒に満ちた傑作でした
(会話の流れやエピソードの組み立て方が落語っぽいなと思ってたら、やはり是枝監督は落語を意識してストーリーを練ったそうです)。
主人公・宗左衛門(岡田准一くん)が暮らす長屋の住人は、貧乏という共通点こそあれ、浪人あり遊び人あり、掃き溜めにツル的な美人の後家さんありの雑多な面子(赤穂浪士までまぎれていたりする)。
それがみんな仲良しというでもなく、時には対立もしながら、何となく認め合って暮らしている。その懐の深さに何だかほっとするものを覚えます。
長屋の住人や周辺のキャラクターはわかりやすい個性付けがしてあるわけではなく、むしろそで吉(加瀬亮さん)を中心とするサイドエピソードを除いてほぼ完全に宗左メインでストーリーが進んでゆくため、彼らのバックボーンも個々の性格もほとんどわからない。
にもかかわらず一人一人が生気に満ちているのは、その台詞や表情、間の取り方の中に彼らの考え方・生き方が凝縮されているからなのでしょう。
それはお笑いの人を多く起用したキャスティングの絶妙さ(お笑いの人ではないけれどコメディからシリアスまで幅広くこなす貞四郎役古田新太さんの飄々たる存在感はさすが)、狡さも弱さも含めた人間の在り方に対する監督の愛があればこそだったと思います。
この作品では終始「糞」の話題が繰り返されてますが、化学肥料と水洗トイレの普及にともなって現代社会では単なる汚物扱いにされがちな糞を、排泄と摂食(堆肥として農作物の栄養源になるという意味で)という人間の営みの根源として捉え直しているのも、上述の「愛」ゆえなのでしょう。
『誰も知らない』が至極重苦しい内容(当時は未見だったので、あらすじや世間の評判からそう類推していました。実際に観てみたら悲痛なうちにもほんのりした暖かさと微かな希望の光が感じられる、それゆえになおさら悲痛さがつのるような透明な美しさに溢れた作品でした)であり、浅野内匠頭の辞世の句から取ったタイトルも武士道の美学を想像させただけに、どんな作品に仕上がってるのだろうと思っていたら、実に軽快で小気味良い、それでいて時に哀切な、日本的な情緒に満ちた傑作でした
(会話の流れやエピソードの組み立て方が落語っぽいなと思ってたら、やはり是枝監督は落語を意識してストーリーを練ったそうです)。
主人公・宗左衛門(岡田准一くん)が暮らす長屋の住人は、貧乏という共通点こそあれ、浪人あり遊び人あり、掃き溜めにツル的な美人の後家さんありの雑多な面子(赤穂浪士までまぎれていたりする)。
それがみんな仲良しというでもなく、時には対立もしながら、何となく認め合って暮らしている。その懐の深さに何だかほっとするものを覚えます。
長屋の住人や周辺のキャラクターはわかりやすい個性付けがしてあるわけではなく、むしろそで吉(加瀬亮さん)を中心とするサイドエピソードを除いてほぼ完全に宗左メインでストーリーが進んでゆくため、彼らのバックボーンも個々の性格もほとんどわからない。
にもかかわらず一人一人が生気に満ちているのは、その台詞や表情、間の取り方の中に彼らの考え方・生き方が凝縮されているからなのでしょう。
それはお笑いの人を多く起用したキャスティングの絶妙さ(お笑いの人ではないけれどコメディからシリアスまで幅広くこなす貞四郎役古田新太さんの飄々たる存在感はさすが)、狡さも弱さも含めた人間の在り方に対する監督の愛があればこそだったと思います。
この作品では終始「糞」の話題が繰り返されてますが、化学肥料と水洗トイレの普及にともなって現代社会では単なる汚物扱いにされがちな糞を、排泄と摂食(堆肥として農作物の栄養源になるという意味で)という人間の営みの根源として捉え直しているのも、上述の「愛」ゆえなのでしょう。
さて勝地くんについてですが、本人の近作情報には大分前からこの作品が載っているにもかかわらず、映画のメイキングでも関係者のインタビューなどでも一切勝地くんのことに触れてないので、
「思いきりチョイ役なのか、あるいはひょっとすると影の重要人物なのであえて伏せてあったりするのか」
とかあれこれ想像してたんですが、まあチョイ役のほうでしたね(笑)。
とはいえ主人公の弟なので出番が少ない(それでも想像よりは多かった)わりには大事な、それも彼の個性を活かした役柄だったのでファンとしては嬉しかったです。
2006年1月放映の『里見八犬伝』同様、やや台詞回しがぎこちない部分はありましたが(収録は『花よりもなほ』が先)、衣装の着こなしや顔の造作、声質自体は時代物によく似合っていました。
2007年夏の舞台『犬顔家の一族の陰謀』の劇中劇?パートでは時代調の台詞回しも自然にこなしていたので(ただしときどき台詞が若干聞き取りにくくなる傾向あり)、来年大河ドラマでその成長ぶりを見るのが今から楽しみです。
ところで映画の公開にあわせて是枝監督自らの手になるノベライズが出版されています。撮影よりも後に書かれたもので、映画ではわかりにくかった演出の意味やキャラクターの心情を知ることができました。
その代わり映画では全編通して感じられた、多くを語らず行間を読ませる手法によって生じていた情緒がすっかり薄らいでしまっていた。
当然ながら一作品としての魅力は完全に映画に軍配。ノベライズはあくまで映画を補完する副読本として楽しむのがおすすめです。