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俳優・勝地涼くんのこと。

『カリギュラ』人物考(5)-1(注・ネタバレしてます)

2009-05-09 01:22:32 | カリギュラ

ケレア

登場当初からその論理性においてカリギュラに拮抗し、最後には反乱者たちの先頭に立ってカリギュラを倒すケレア。彼は『カリギュラ』のもう一人の主役と言える。

ケレアはカリギュラに言う。「この世で生きていこうと思うなら、この世を弁護するのが当然ではありませんか。」 
彼はシピオンとは別の意味で現状の世界を肯定する。
シピオンは目の前にあるものを素直に愛している。父の死によって世の中が絶望に染まったときも、彼の詩的感受性は身の回りにある美しいものを確実に掬いあげる。
この詩的感受性は本来カリギュラも持っているはずのものだが、彼は絶望の深さとシピオンよりも論理的にすぎたために、その感受性に背を向けてしまった(あるいはむしろ、負の方向にその感受性を育ててしまったというべきか)。

ケレアの場合、その行動は基本的に沈着冷静な損得勘定に基づいている。上の台詞はそれを端的に示しているだろう。
彼もカリギュラも論理的思考の持ち主であるが、カリギュラが「弁護など必要ない。(中略)この世はすこしも重要ではない」→「弁護する価値のないこの世で生きていこうとは思わない。よってこの世のルールを引っくり返して別の世界を作る」ととんでもないことを考える論理的ロマンティストなのに対してケレアは論理的リアリストであるといえる。
ケレアの場合の「論理的」というのはカリギュラのように絶対的に論理を突き詰めることではない。「安全と論理は両立しない」なら、安全の方を取る。
論理性を競うなら彼はカリギュラに負けているが、本人も言うとおり「論理的ではありません。けれども健康的」である。カリギュラのような論理原理主義が何の得になるというのだ。
彼は幸福であること、生きることを論理よりも優先した。論理的であることを絶対視せず、幸福や安全と天秤にかけてより重要と思えるほうを取る。合理性に即した行動を取れる点で彼は「論理的」であり、非合理に論理を追うカリギュラはその意味で逆説的ながら「非論理的」なのである。

この違いには二人の年齢が大きく影響しているだろう(この戯曲は、年齢がキャラクターの力関係に決定的な影響力を持っている)。
初期の設定にによればカリギュラは25~29歳(第四幕第十三場に「おれは二十九だ。たいした齢ではない」という台詞があるので、第一幕で26歳、第二幕以降は29歳ということになる)、ケレアは30歳とある。
ケレアの年が第一幕と第二幕以降のどちらを指してるのかはっきりしないが、とにかくカリギュラより少しだけ年上、というのが設定のミソである。
史実のケレアは大分年配の人物だったらしい(※1)(※2)のをわざわざこの年齢にもってきたのは、ケレアがカリギュラに精神的に近い、だけど少しだけ「すれている」というのを強く出したかったからだろう。

ケレアも理屈っぽい点ではカリギュラとどっちこっちなのだが、彼の方がわずかに大人な分(そしてなまじ巨大な権力などない分)、不可能は不可能と割り切っているのである。
カリギュラを倒したのちは「あらたに首尾一貫した世界のなかでふたたび平安を見出したい」。カリギュラにとっては我慢ならない不条理に満ちた世界を彼は「首尾一貫した世界」だと感じている。
もとより神にたてつこうなどと不可能な野心は抱かない彼にとっては、「神の不条理」は不条理ではないのだ。

公演パンフレットでケレア役の長谷川博己さんが、「個人的にはカリギュラに共感するかなあ。僕も10代のころ、いろいろなことを考え込んで抜け出せなくなってしまったことがありました。言ってみればケレアもカリギュラ的なものを持っているし」と述べているが、カリギュラの理屈をとことん通そうとする性格、世の不条理への怒りはいかにも自負心の強い若者の特性である。
おそらく「カリギュラ的なものを持っている」ケレアも通ってきた道だろう。だから彼にはカリギュラの心理がよくわかる。保身に汲々としている貴族たち(ケレアとしては本来なら付き合いたくない連中)よりは遥かにカリギュラの方を近しい存在と感じているだろう。
((2)で書いたように尊敬しているとはいいがたい。ケレアにとってはカリギュラは自分がとうに通過してきた場所で悩みもがいている子供である)

しかし心理がわかればこそカリギュラの論理の危険性も正しく理解できる。精神的に近しいゆえに彼はカリギュラを殺すのである。


(つづく)

※1-白井浩司『アルベール・カミュ その光と影』(講談社、1977年)。「史実の上でケレアは、カリグラの親衛隊の一指揮官でかなりの年配の者だったようだが、カリグラに最初に襲いかかるのは彼である。」

※2-塩野七生『ローマ人の物語Ⅶ 悪名高き皇帝たち』(新潮社、1998年)。「カリグラ殺害の首謀者であり、実際に手を下した二人のうちの一人であったカシウス・ケレアが、二十七年昔の紀元一四年当時にライン河を守るゲルマニア軍団で百人隊長を務めていたことは史実にもある。(中略)コネもない身で百人隊長にまで昇進するのは、普通十七歳から志願する兵士でも三十歳前後になってからである。ケレアも、紀元一四年当時に三十前後であったとすれば、紀元四一年には五十代の後半に入っていたことになる。」

 


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