小栗くんのカリギュラ
公演パンフレットによれば、蜷川さんは「小栗君がやるのに何かないか」と考えて『カリギュラ』を選んだという。それも「わりと早い段階で「『カリギュラ』がある!」と思いついたんだよ」。
作品にあわせて役者を選んだのでなく、最初から小栗くんありきの企画だった。
それは蜷川さんがいかに小栗くんを買っているかということであり、同時にこのカリギュラという役が、戯曲が、小栗くんのためにあるかのように嵌っていると感じたということでもあります。
蜷川さんの初演出作『真情あふるる軽薄さ』は当時の学生運動・全共闘運動の闘争を背景に、行列に並ぶ人々を挑発する若者を描いた物語でした(※1)。必然性のわからない(世界の)ルールに諾々と従う人々への苛立ちと挑戦、暴力による挫折というテーマは、『カリギュラ』に共通するものがある。
その後も小劇団時代の蜷川さんの作品は多く当時の新左翼の運動をメタファーとするものがほとんどです(※2)。『カリギュラ』はそうした蜷川さんの原点に立ち返ったような作品である。
しかし現在の若者たちは70年前後の頃の若者のような、自らの政治的信念に則って日々抗争を繰り広げるような熱さはまず持ち合わせていない。観客の側も、俳優の側も。
蜷川さん曰く「今の若いやつの一番の問題は、恋愛しか事件がないところでしょう。それじゃあ、犬ですね」(※3)。
蜷川さんの世代なら素直に納得できたのだろう、カリギュラの不条理に対する戦いが苛烈な暴力に結びつく必然性を、今の若い役者に実感として理解できるものなのか。
カリギュラを不可能へと駆り立てた情念・怒りを内面に持っていること、技術より何よりそれがカリギュラという役を演じるうえでの最大無二の適性なのではないか。
小栗くんはまさにこの「カリギュラ的怒り」を内に抱えた役者だった。
(2007年11月に放映された『情熱大陸・小栗旬』を見ると、近年自分を取り巻く環境への苛立ちを隠そうとしない彼が、間のいいことに?ちょうど『カリギュラ』公演の前後に苛立ちのピークを迎えていたのがわかります)
蜷川さんがカリギュラに小栗くんを選んだ、いや小栗くんの資質に適した役としてカリギュラを選んだのはまずこの点にあったのだと思います。
さらにもう一点。古代ローマの皇帝という役柄上、いかに「革命の闘士」とはいえ、かつてのアングラ演劇の役者さんのような泥臭さは似つかわしくない。
作品に時代を超えた普遍性を持たせるべく「舞台装置はローマ風であってはならない」旨をわざわざ記してある(※4)戯曲ではありますが、カリギュラとして説得力を持つだけの外見的な風格と華が必要となる。
長身で手足が長く綺麗に筋肉のついた小栗くんは、舞台の上で全身から人目を惹き付ける強いオーラを発していた。
手足を乱暴に投げ出してソファに座り込む自堕落な姿は実に絵になっていたし、ヴィーナスや踊り子のすさまじい衣装を身につけてさえ「ある意味」どころか本気で美しかった。
定説に反して、消極的表現ながらもカリギュラを美男子としたカミュの設定ほぼそのままである(※5)。
蜷川さんは俳優としてスタートした自分が俳優をやめて演出一本になった理由として、自分が唐十郎さん言うところの「特権的肉体」を持っていないことを挙げている(※6)。
そして俳優という職業は「初めから持って生まれた、肉体的な限界を持ってしまうもの」(※7)。
舞台の上であれだけの吸引力を発揮しえた小栗くんは、いわばカリギュラとしての「特権的肉体」を持っていたのだと思います。
(つづく)
※1-高橋豊『人間ドキュメント 蜷川幸雄伝説』(河出書房新社、2001年)。「 「真情あふるる軽薄さ」 題名も、内容も、蜷川を興奮させる戯曲だった。 蜷川が大好きな映画アンジェイ・ワイダ監督の「灰とダイヤモンド」(58年)やジャン=リュック・ゴダール監督の「勝手にしやがれ」(59年)に通じるものを感じたのだ。 いずれも、社会の体制に順応することを拒否して、主人公は殺されていく。鋭敏な心を持つ彼らの軌跡が、軽やかにかつ滑稽に描かれた。同世代の若者にとって新鮮で、共感を呼んだ。まさに「真情あふるる軽薄」な青春。」
※2-高橋前掲書より蜷川発言。「 「それ(注・浅間山荘事件)まで新左翼の運動にある種の共感をもって演劇に関わってきた。連合赤軍リンチ事件を、自分たちにもあり得たこととして、ちゃんと痛みを背負おうと思った。」
※3-蜷川幸雄+長谷部浩『演出術』(紀伊国屋書店、2002年)。「今の若いやつの一番の問題は、恋愛しか事件がないところでしょう。それじゃあ、犬ですね。つまり、戦争はないわ、極限状況に追い詰められる経済的な問題もなく、何もなかったら恋愛が一番大きな事件でしょう。だからといって恋愛も満足にできない。そういう人間は恋愛を極限まで追い詰めないで、つまみ食いにいって逃げるでしょう。」
※4-『ハヤカワ演劇文庫Ⅰ カリギュラ』(岩切正一郎訳、早川書房、2008年)「訳注」。「舞台装置 重要ではない。全てが許されている、ただし「ローマ風」であってはならない。」
※5-岩切前掲書「訳注」。「カリギュラはとても若い男である。一般的にそう思われているほど醜くはない。背は高く、痩せていて、少し猫背ぎみ。顔立ちは子供っぽい」。ちなみに「一般的にそう思われている」外見はというと、「カリグラは背が目立って高く、肌は非常に白く、図体はばかに大きく、首と足は極めて細く、目とこみかめ(原文ママ)は落ちこみ、額は広く陰険で、髪は少なく頭のてっぺんに一本の毛もなく、体のその他の部分は毛深かった。そこで彼が前を横切るとき、高いところから見下したり、理由がどうであれ「牡山羊」の名をあげたりすることは、致命的な罪と考えられていた」(スエトニウス『ローマ皇帝伝(下)』(国原吉之助訳、岩波書店、1986年)。悪逆非道で知られる歴史上の人物がことさらグロテスクに描写されるのはよくあることなので、カミュの書くとおりそこまで「醜くはない」んではないか。個人的には、カリギュラの父であるゲルマニクスは端整な容姿で知られた人だったのでカリギュラもそこそこ美貌だったんじゃないかと思います。ちなみに塩野七生『ローマ人の物語Ⅶ 悪名高き皇帝たち』(新潮社、1998年)はカリギュラを「美しい若者」と書いてます。
※6-蜷川幸雄『蜷川幸雄・闘う劇場』(日本放送出版協会、1999年)。「俳優は、人々の隠された思いや意志までも背負っているかのように見える、普通の人々とは違う錯綜した複雑な身体を持っている必要がある。いわば、観客の記憶というものを喚起し、いくらでも交差させることができる肉体でなければならないのだ。唐の言う「特権的な肉体」である。(中略)「観客の記憶に交差する肉体」とは、その生活や個人史そのものが、見ている人間に強烈に想起できる肉体ということなのだ。」「僕には、唐の劇団にいる役者たちのような、明瞭にある種の痕跡を持っている肉体がない。サラリーマン的でもないし労働者的でもないし、肉体として、それこそ何でもない。言ってみれば、僕には唐の言う「特権的肉体」がない。」
※7-藤岡和賀夫『プロデューサーの前線』(実業之日本社、1998年)収録「蜷川幸雄」。「初めから持って生まれた、肉体的な限界を持ってしまうものを芸術なんて呼ぶな、こんなものはたかだか芸能だと言っているのです。(中略)芸術以外の、あるいは個人の才能以外の要素で成り立つものがたくさんあるわけですから、そんなものは卑しい職業だと言いなさいと私は言います。そういいながら、人をだまくらかして仕返しをすればいいだろうと言うのです。そういうさまざまな屈折というものが、自分たちの欲望をねじらせて舞台の上で輝きを飛ばすんだと思っています。」