想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

水、空気から想う

2015年01月26日 | エッセイ

 植物を育てていると、水と空気が大切だとよく分かります。これは生物すべてに当てはまります。最近、この水と空気が徐々に汚れて来ているなと思います。由々しき問題だと思います。

 水と空気の汚れは生物にとって致命的です。空気には気圧や気温や湿度も多いに関連があります。なぜ、そうなってきているかと言えば、人間の諸活動が自然生態系の循環の輪を壊し始めているからだと思います。

 石油製品、原子力、薬品等がそれらです。それも、自然界にないものを作り出したり、地球の内部の資源を取り出したり、自然の循環を断ち切ることで成り立っています。

 それらのことが行き過ぎてこうなっているのです。きれいな水は世界を循環しています。雨は大地にしみこみ、川となって流れ大河に注ぎ、やがて海に生いきます。 あるものは蒸発し天に昇り、また、雨を降らせます。

 この循環がおかしくなっているのです。最近、山々をみてもいつも靄がかかったように見えませんか。そうです。空気が汚れて来ているのです。山々がきれいに見えるとき、野山でおいしい空気もいっぱい吸いたいし、日の光もいっぱい浴びたいと思いませんか。そんな空気の中で活動したいと思いませんか。

 食べ物も、形や色の見栄えはよくなっていますが、栄養価や味にこくがなくなっているようです。いちごなど、ますます、大きくなり、見栄えはよくなりましたが、イチゴ狩りでミルクをつけて、食べている観光地を思うと残念です。それらのイチゴの味がミルクで支えられたいるのです。ちょっと、おかしいと思いませんか。

 学校給食の献立も、昔の栄養計算が見直されて来ています。最近の化学肥料で育てられた野菜は栄養成分が落ちて来ているのです。化学肥料で野菜を育てるということが間違っています。

 きれいな空気と水は世界の財産です。土地は不動産といって動きませんが、空気や水は世界を循環しています。これが、汚れて来ていることは世界にとって悲しいことの他はありません。

 きれいな富士山や各地の山々がが、スモッグで汚れてみえないなんて悲しいことです。また、砂浜が各地でテトラポットやコンクリートの外壁で覆われてしまうなんて、もう、どなっているのかなと思います。

 益々、このままでは人間の心は荒廃してしまいます。自然を友とし、自然に感謝し自然に畏敬する念はとっくに消え去ったのでしょうか。人間はそんなに浅はかな動物ではないはずです。生物界のリーダーに恥じない行動をしましょう。

 アレルギーや訳の分からない病気が増えて来ています。多分、この辺と多いに関連があるのだと推察されます。自然と人間が離れることにより起こる病気が増えているのです。複合汚染など、医薬品を何種類も服用することにより、原因がより複雑化されているのでしょう。Simple is beautifulです。

 昔は山紫水明という言葉や白砂青松、満天の星などという言葉をよく使いました。最近はどうでしょう。そういう言葉がだんだんなくなって来ています。

 人々の会話の速度も随分テンポが速くなっています。忙しいという字は心が亡くなると書きます。どんどん心が亡くなって来ている気がしまうす。そして、自然から益々離れていっている人類がいます。

 自然と離れたら、あとは自然と対立するしかないのです。それが、GDPの増加に繋がっているようですが、もう、そういう考え方と決別しないといけません。

 人間は太古の昔から自然と共に生きてきたのです。世界に残されている色々な風習はすべて自然と関連していました。言葉も自然と共に育って来ました。

 いつ頃からでしょうか、人間が自然と離ればなれになってきたのは?科学の発達は自然を理解することに手を貸さなければいけません。自然を破壊したり自然界にないものを作り出したりしたら、自然の大きな仕打ちを受けてしまいます。クローン人間など考えてはいけません。

 炭酸ガスの増加による温暖化、いつまでもこわれない物質、放射能など10万年経たないとなくならないと言うのではありませんか。

 古来、人は自然を神と崇め、それと共存してきたのです。人間の知恵もその方面に使っていたらいいのではありませんか。そういう意味では、先人の知恵というか、そこから学ぶべき事はたくさんあるのです。理論として説明できなくとも、そいう事実があったと言うことはたくさんあります。正反合と言えば弁証法の理論ですが、そういうことは理論以前に事実として存在してたのです。

 

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