詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

書くことと未来

2015年12月31日 | 雑記
書くというのは過去や死者に捧げる行為だったのでは、という小説家の言葉を引用して、そうかも!と思った話を先日書きましたが、もしかしたら現代詩は違うのかな、と思いました。もしかしたら小説も違うのかもしれない。

昔は詩も物語も口伝えで過去の出来事やなんかを後世に伝えていく役割があって、それが書き留められるようになっていったので、過去や死者に捧げる行為ばかりだったのかもしれませんが、現代においては、書くということは新しい世界の創造だったり、新しい体験をしていく行為なのかもしれない……なんて、きっとそれは文学の世界ではとっくに言われていることなのだろうに。

でも私はインテリじゃないし、ものすごくのんびり自分のペースというか自分の経験として何かに気付いていくのが好きなので、気にせず、新しい発見をした!と、その度に新しい希望を見つけたような気持ちになって喜んでしまいます。

それで、書くことは未来を作っていく行為になるのかもしれないなとここ数日思っているのでした。それは現代詩や、それを書く人の言葉を読んだりしているうちになんとなく感じるようになったことのように思います。谷内修三さんという詩人の『詩はどこにあるか』というブログをよく読んでいるのですが、そこで、文章には「運動」があるんだ、と理解するようになり、そう考えてみると、一行目を書くときには二行目に何が生まれるか未知である、ということもあるし、現代詩などはそのように書かれているのかな、と思うようになったのです。

自分が現代詩を書きたいのかどうかはよくわかりませんが(そこは慎重に、と、なぜか思って)、確かに(?)、私は自分で書くのはいまのところ、詩よりも日記のほうがおもしろくて(でもいつか詩でも自由になりたいと思う、詩はむしろ制約が重要かもしれないのに)、どうしてかな、と考えてみたのです。日記を書くときというのは、特にパソコンでなくノートに書くときというのは、まだなんの文章も頭にはなくて(こういうことを書きたいという漠然としたもやもやはあるのですが)、真っ白なページに向かって、頭の中も真っ白で、茫漠とした平原にぽつんと立っているような感じで書き出していることに気が付いたのでした。

私は考えるのがとても苦手なのですが、考える、というのはその都度ゼロから立ち上げると思い込んでいたんです。でもそうじゃないのかもしれない。何かひとつ、あったら、そこから感じることが生まれて、それを足がかりに次に進める。だから、感じる、ということはかなり大事で、もしかしたら考えることよりも大事なのかもしれない。なぜなら、考えるということが言葉によるものだとすると、言葉というのはかえって、つながらないものをつなげてしまったり強引にねじ曲げてしまったり、できるから(だからこそ面白い詩や小説が生まれるということもあるのだろうけど)。言葉に頼らず静かに感じてみる、その感覚のほうが正しい、というか、適切だったりするような気がする。病気で亡くなった先輩とのやりとりを思い出していて特にそう感じました。すごく頭で考えてしまったけど、無になって感じればよかったんじゃないかと。

だからそのように、何事も、ひとつやって、感じてみて、またひとつやって、感じる、を繰り返していけばいいんじゃないか。ひとつするときにその先のその先のずっと先までわかってなきゃいけないと思っていたけどそうじゃないんだ。

考えてみると、「運動」というのはとても大事なことで、私の「運動」という言葉へのイメージは、たとえばライオンが増えてしまうと、ライオンに食べられるしまうまが減ってしまって、するとライオンが飢えて数が減り、おかげでしまうまがまた増えて、というバランスを取りながら続く自然の動きで、そして、いろんなことがそれでいいんだ!と、最近ようやく気が付いたわけなのです。まあほんとにそれでいいのかはこれから確かめるわけなのですが。

文章も書きながら感じて書く、ということを大事にしていこう。過去を書くことも大事にしながら、ひとつひとつ書きながら少し少しと新しい世界を開いていけたらいいなぁと思っています。

と~っても長くなってしまいましたが。
先輩を残して年を越してしまうということが悲しいのですが、悲しいことは背中に、エネルギーにして、目の前にあるものを見て、感じて、前に進みたいな、と思うのでした。

今年も一年、読んでくださり、本当にありがとうございました。
また来年もどうぞよろしくお願いいたします。
たくさんの人が幸せを感じられる年になりますように。
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トライアンドエラー

2015年12月30日 | 
まとまらない心地
形に集めてみた
空に突き出している階段のギザギザ
一点に集まることで
かえってくる何かがある
それで忘れたくないことがあったことを思い出す
だからいつもいつも思い出そうとしていたのだと思い出す
忘れたことにも気付かないで
忘れられてしまうことがあることを思い出す
マグマのようにふいに
忘れたくない
と思う
でもしがみついているだけだったら?
ずっと輝かしい自分の影を追いかけて
泉のまわりをぐるぐるまわっているだけだとしたら?
深遠な網の目の中にあってみては
何かをわかった
と思うとき
錆びたハサミで好きな形を切り出しているだけなのだろう
切りにくさは正しさを保証しないから
一段一段踏み越えているつもりが
さらにさらに深く
踏み抜いているだけなのだろう

結局わかりっこないとわかって
でも生き物はトライアンドエラーなのだと聞いた
わからぬまま違ったものを追いかけ続けても
窓にへばりついたヤモリのように
中途半端な場所で足の裏を見せても
わたしという試作が失敗でも
ひとつのトライアンドエラーなんだ

夕方に吹く風のように
時間が流れていく
振り返ると
振り返っている自分の姿が
鏡の奥の世界のように永遠に続いている
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ことばでできている

2015年12月26日 | 
畳の上の
心地よかったはずの静けさの
かさがぶんと増したな
と思う頃
部屋は沈みゆき
わたしがこぼれはじめる
わたしはどうやら
ことばでできているらしい
ひとのことばで象られているらしい

これから雨が降るらしいよ
今日は早く帰ってくるよ
今度また飲みに行こうね
こないだ彼氏のうちからさぁ
怒って黙って帰ってきちゃったよ
ああもう休みってほんとあっという間だよね

日々限りなく通行人ABC
何気なく交差して
すぐに忘れてしまう
目立たないことば

誰が出てきてなにがあって
どういう結論かもわかってる
昔話のように繰り返し聞いた話
歴史上の誰それの何々事件の話
何度も聞いているはずなのに
ちっとも覚えられない
歴史上の誰それの何々事件の話
気付くと意識はあっちへこっちへ
飛んで歩いているから
そう、聞いていないことなんかしょっちゅう

けれど
それらとめどないことばに固められて
わたしの形はようやくしっかりする
花瓶の中の水のように
わたしは知らぬ間に
それらにもたれている

だからなんでもいいんです
話してください
あなたのことばがなかったら
わたしはきっといなくなってしまう
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ドビュッシーの小箱

2015年12月24日 | 
ネコや子どもは小さなところが好き
隠しているけど
大人も

夜、暗闇に包まれた部屋で
ニュースを消して明かりを灯し
ドビュッシーの小箱にすっぽり入る

音符のゼリーの波間をもぐっていけば
ああ情熱も悲しみも
一輪二輪の紅いバラが咲く
小さな中庭での出来事
いつも懐かしい黄色い光が射している
部屋には暖炉があって
薪のはぜる音
炎の移ろい
モスグリーンの
厚い絨毯

感じられる世界は
ちょうどこの部屋と同じ大きさで
想いの地平に拡がる世界は
暮れ方のように広く神秘に満ちて
たくさんの美しい辿り着けない果てがあり
ここは地図に載らない街の片隅

動かし難い問題を次々投げかけられ
誰かの価値観に引っ張られ
ひとつひとつの相違に神経を這わせて
恐れや焦りや苛立ちや怒りに
体中が嵐になっている私は
いまは別の星の人

小箱の中で息をつくと
時が振り返り
ゆっくりと私の元へ帰ってくる

すべては幻想
でもこの場所を知っている人ばかりなら
世界はきっとそんな世界
そう思っている想いの中に
すっぽり入っている
ドビュッシーの小箱のような

中身をひっくり返せば
絶え間なく溢れてくる宝石の粒粒

月の光
雨の庭
レントより遅く
夜想曲
グラドゥス・アド・パルナッスム博士
ゴリウォーグのケークウォーク
亜麻色の髪の乙女
沈める寺
花火
水の反映
金色の魚
喜びの島
水の精
グラナダの夕べ

アラベスク

Monique Haasによる

これらを生んだ人がいて
生んだ人を生んだ世界があって
これらから生まれる世界がある
それも現実
奇跡のような
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お天気屋まるさんかくさんしかくさん

2015年12月23日 | 雑記
大事なことはベストなものを選ぶことではなくて、選んだものを大事にすることなのだろう。そのために力を尽くすことなのだろう。それが私には難しいことなのだろう。不安だから。不安だから。力を尽くさない。
目をつむるのが
目をつむる……のが……

つむるってヘン。
まるがうごいてる。
うごくのがみえる。
むきになってむきをかえて
そっぽをむいているみたい。
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