詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

暗躍

2019年04月28日 | 
カーブミラーが光り
車の音がナイフのように街をすべる頃

システムキッチンのつるりとした台に
システム化されていないおぼろ豆腐のような浮きの数々
本日の冷蔵庫から取り出して泡立てるのをやめ
ため息をひとつつく

インスタントコーヒーの顆粒が温めたミルクの中に
一匹の豹を描く
スプーンのひとまわしで斑紋が大きく伸びをする
黄土色に溶け去る
おまじない
マグカップに人差し指を通し
テーブルにはかもめのように本が並んでいる

水面をくぐる影のように
字面にもぐり
文字にまみれる

言葉たちのでこぼこに激しく触れて
地下に隠れた記憶たちが熱心な天体観測を始める
光る星々をその運動ごと我が物にしようと躍起になる
タイトルで共有されているぬくもりも
痛みながら保管があったようだ
いっせいに呟きがもれ出す

耳なし芳一のように
書かれなかった部位にまで
血が通い、脈打ち、高鳴っている

「ごらん、あれが海底に沈んだ都市だよ。」
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ノッティングヒルの恋人

2019年04月13日 | 雑記
先日、なんとなくテレビをつけていたら、映画『ノッティングヒルの恋人』の主題歌「She」の創作秘話的な番組を放送していた。

久しぶりに聴いた。
なんて。ロマンチックな曲だろうか。

自分が経験しなかったような感覚さえ、思い出させるような甘い切なさが溢れていて、まるで自分も映画の中の主人公のように素敵な人になったような気持ちを抱かせる。
そして、昔の、とは言いたくないが、私が若い頃に観た映画はすでに、「昔の」という形容がふさわしくなるほどに公開から時が経っているのだった。歳の離れたお兄さんくらいの素敵な男性だったヒュー・グラントも、もう初老(もっと?)と言われる歳なのだ。

私が若い頃観た映画は、こんな素敵な世界があると、夢を見させてくれたけど、いまはどうだろうか。昭和の後半から平成の初め頃までは信じられたロマンチックな夢を、いまは見させてくれるような世の中なのか。

なんとなく違う気がする。20年前よりもさらに技術革新は進み、昔の映画が夢見たような生活を、現実のものにしている部分も大いにあるだろうけれど、なんだか昔のような豊かな夢ではない気がするのは気のせいか。単に私の性格とか好みの問題なのか。

実際、会社の30代半ばくらいの男性は、ハイテク社会に抵抗がないどころか、ワクワクしているようである。

あの頃は素朴な時代でよかったな。なんて。
素朴と言ったって、私が知っている生活は、ほんの100年前、それこそ、プルーストの時代と比べてもかなり違うだろうし、大きな変化の過程のほんの一瞬を知っているにすぎないのに、自分の若い頃を振り返って、その時代が正しかったみたいに思うのは、おかしな話なのだろう。

そう考えると、その頃、観ていた映画が見させてくれた夢は、当時感じていたような強さも永続性も持っていなかったのだ。
子どもが大人に対して抱く強さや安定感が、自分も大人になってみれば、幻だったとわかるのと同じように。

その番組を見てから、「She」がずっと頭の中で流れていて、以前にも一度観ていたのだけど、また『ノッティングヒルの恋人』を観たくなった。そして今日は家でのんびりしながらこの映画を観ていた、楽しい休日だった。イギリスに行きたくなった。歩きたくなった。

夕暮れの街を歩いていると、昔、映画を観ていた時のように、若い頃に漠然と抱いていたある種の夢を思い出す。私が能天気なだけだったのかもしれない、今になって振り返ってみると。













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桜の写真!

2019年04月07日 | 雑記
昨日は母と待ち合わせをして、近所のお寺に桜を見に行きました。

小さなお寺ですが、普段よりも人が多く訪れていて、それぞれ桜の下で写真を撮ったり、ベンチに座って過ごすなど、のどかな光景に、私ものんびりした気持ちになりました。

靴を脱いで本堂に上がり、仏様に甘茶をかけてください、という案内があり、その通りに、過去、現在、未来のために、三回、甘茶をかけました。本堂を見回しました。とても静か。桜を見ながら母と境内を歩いているだけで、旅をしている気分になりました。

さきほど本を読んでいて、「スマートフォンやパソコンさえあれば、誰でも創作活動や表現活動ができる」と書いてあるのを読んで、「あ、桜の写真を撮らなかった!」と、思い出しました。

昨日は『失われた時を求めて』とチョコチップクッキーという、プルーストセミナーの先生にお見せしたら怒られそうな、というと、ミスターイトウに怒られそうな、ただ、なかなかない取り合わせ!と自分で喜んでいただけの、くだらない写真、というか、UPすることがくだらない、ような写真を載せましたが、今日は桜の写真です。

昨日は撮らなかったので、数日前に撮った写真。


母と別れた後は、最終回だったNHK ラジオ、小野正嗣さんの『歓待する文学』を聴きながら歩いて家まで帰りました。

母と、昨年亡くなった父の話をしていたのですが、そのつながりで、兄や従兄弟の話などもし、生活ということについて、新しく感じることがありました。なんだか、まるで生まれて初めて地面に降り立ったような鮮明さと、確かさを感じながら、夕暮れの街を小野正嗣さんの「本は、みんなに読まれることを待っている。本がみんなに生きてほしいと言っているのではないか」という言葉を聴いていました。

書きあらわすのも、覚えておくのも困難なほど、淡い心の揺れ方で、でも忘れるのはもったいないほど不思議なあたたかい時間が流れていました。
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賭け

2019年04月02日 | 雑記
自分を好きになるのも、賭けみたいなものなのかもしれないな、とふと思った。

自分のことは肯定するしかないけれど、「いやいやあんたも相当だよ」という感じかもしれない。

たぶん、そうなのだろうな……。

なんでこんなことを考え始めたんだっけ?

今日は早く寝るのだ。
体調が悪いのだ。
布団に横になったら呻き声が出たのだ。
体が、横になれてうれしいと言って。
油のきれたブリキのおもちゃみたいになって。

おやすみなさいませ〜。
(当初はここで終わるつもりだった)

ふふふプチ自慢。
わたしはいま超話題の中西進先生と少しだけお話ししたことがある!なぜか香川県沙弥島で。そこに万葉会館があるんだよ〜。

講演のお話が素晴らしかった。いまから6年前のことである。確かその前日かなんかに、中西先生は丸亀城跡を見にいらして、その石垣の形とカモメと扇のカナメの話?をされていた気がする。とても難しいお話しをされるのかと予想していたら、イメージが映像で浮かぶようなお話でみんなの目がきらきらしたと思う。わたしはすごい前のめりだったと思う。お話しが楽しすぎて。夫によると、2013年4月14日のことだそうだ。文化勲章を受賞される少し前のことです。にわかインタビュアーとなっていたわたしと中西先生のツーショットを、夫が写真に収めてくれたはずなのになぜか見つからない。

テンションが途中でガラッと変わり、急に自慢話になった。布団に入ったらうれしくなってしまったようです。

いいかげん寝るぞよ。
(認めてなかったけど、わたしは相当ミーハーである。自覚。)


↑この写真に特に意味はありません。こないだ歯医者に行くときに咲いていて、きれいだったのでパチリ。枝?の形がおもしろい。絵に描いたらいいだろうな。
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