詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

卒業

2018年03月31日 | 雑記
昨日は3年5ヶ月勤めた会社の最終出勤日だった。

このブログを始めて少ししてから今のところに勤め始めて、最初は、それまで住んでいた高松や高松で勤めていた会社が懐かしいと思ったりした。けれど、そのときはまだあまり馴染んではいなかった新しい職場が、いまはすっかり懐かしい会社。離れることになって、とても離れがたい会社。

朝少し早めに行って広い敷地の中で、陰に隠れているベンチに座ってコーヒーを飲むのが好きだった。季節の移り変わりを木々や風や光に感じて、詩を書いてみたりもした。

振り返ると短いようだけど、そうでもない。毎日毎日当たり前のように通ってきた場所。当たり前のように顔を合わせていた人たち。辞めるとなったら、大好きだったなぁと思う。

その気持ちをすごく伝えたかった。
毎日顔を合わせているときは、照れもあるし、なかなか表せない。もっと話したいと思っていても、たとえばトイレで会っても「お疲れさまです」だけで終わる。立場が違ったり、年齢が離れていたりするとなおさら。遠慮してしまう。

同じフロアで働いている約20人の人の顔をいまはとても馴染み深く感じている。辞めるとなると家族だったような気さえしてくる。仕事上関わりのあった部署の人たちともだいぶ顔見知りになり、その人たちに会えないこともとてもさみしい。

どれもが、3年5ヶ月前には知らなかったことなのだと思うととても不思議な気持ちになる。知らなかった仕事、知らなかった場所、知らなかった人たち。それらがこんなに自分の中にアルバムのように入っていること。不思議だ。

最後にみんなの前で挨拶することになっていて、その準備をしたかったけど、毎日忙しくて、またすぐに気が散ってしまう性格なものだから、きちんと考えることができずにいつのまにかその時が来てしまった。やっぱりまったく言葉にならず、ぜんぜん伝えられなかった。

でも、不思議なことに、帰宅後、メッセージをやり取りした二人から、私がフロアの人たちの前で言いたかった言葉を言ってもらえた。あ、それまさに私が言いたかったことです!と思わず二人それぞれに返した。とてもうれしかった。

とても好きだし、とてもさみしいし、なんで私はここを離れることにしてしまったのだろうと思うけれど、逆に、離れることになったからこそ、これまでいた場所がよりいっそう輝くのかもしれないと思う。だから、やっぱりここを離れることにしてよかったのかもしれないと思う。切なくなれるくらい好きで辞められるのは幸せなことなのかもしれないし。

こんな気持ちでこの職場を去るからには、次のところでも一生懸命がんばらなきゃ、と思う。

来週から新しい会社で働く。
さようなら、懐かしい人たち。
また会いましょう。

今日所用があって出かけたついでに立ち寄った砧公園。桜吹雪がきらきらしていた。







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徒らに

2018年03月26日 | 
時間がないと
時間があれば
一日詩を書いたり
その周りのことについて考えていたい
のれんのように
文章を行ったり来たりしていたい
と思ったりする

時間があれば
詩なんて書けないと思う
言葉ばかり考えていられないと思う
用事と用事の合間を縫うようにでないと
文章なんて考えられないのにと思う

私の心は虹のように
移りにけりな徒らに
時間に対して
なんて勝手なんだろうと思う
街を歩いていると
ショーウィンドウに
誰もいないシステムキッチンが
優等生のように静かに座っていて
見ていると自分と同じ速度で
向こう側の木々の緑を過ぎ
こっちをのぞく人がいる
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新しい一歩

2018年03月14日 | 
この縁を捨てて
新しい場所へ行こうとするわたしは
それほどのわたしなのだろうか
胸の中で水たまりのように
疲れがだらしなくひろがっている

笑顔が咲く野原を出て
正しい考えもなく
煉瓦を壊して新しく積みあげる気力もなく
ニュースペーパーのインクの匂いも風に消え
チェシャ猫の笑顔のように拳だけが残っている

わたしも煽られただけだったんだ
街中を踊っている文字たちに
自分の願いを叶えたいために
ひとを動かそうとする文字たちに

すべて自分の気持ちだと思っていた
思わされていることがたくさんあったのに
思わされることを排除することはできないけれど
どの言葉にどのように動かされたのか
この気持ちの組成に気付くこと

新しい継ぎ目がどのように始まるのか
この無限に思える線の先に
いまは想像も圏外にある
自分の気持ちに見捨てられているだろうか
それとも自分の気持ち
新しく出会う人々ことごとにも
うまく波乗りできているだろうか

選んだからには動かさなければいけない
わたしはわたしを
わたしはわたしを上手に煽って
ほめて叱ってなぐさめて
光らせて
はみ出さないといけない


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美しいに至る道

2018年03月07日 | 

美しいという言葉は美しい
そう思うのは歴史だろうか

生きているわたしは
いま歴史の最先端に立っていて
そのわたしがそれを美しいと認識するまで
わたしが美しいと思うものを造ったひとが
その分野の伝統を学ぶまで
その分野の美しいがいまの姿に至るまで

わたしが何かを美しいと
思うに至るには長い歴史が必要で
わたしが美しいと言いたくなるものを
造るひとが美しいを学ぶまで
その道でいまの美しいができあがるまで

美しいという形容は薔薇のような襞で
次々に剥かれていく花びら
わたしが何かを美しいと思うようになること
それは一瞬で生まれたわけではない
とあるとき暗い廊下にうっすらと光が射すように思った

たとえば金とラピスラズリの青
ネアンデルタール人が描いた牛から
そこへ至るまでの道
そこからただ水平線をあらわす
一本の線と淡い色だけの画布に至る道

それが美しいと思われるに至るまで
それが美しいとわかるまで
わたしがそれを学ぶまで

目には見えない長い時間の
気の遠くなるような歳月の練磨と道筋

美しいが美しいに至るまで
花の形が広がり重なり開かれるまで
十字架の光が人の胸の奥に至るまで

試行と錯誤を縦の線と横の線で繰り返し
言葉のない世界から文字が生まれ

やがてペンを幾度も持ち替えて
クシャクシャに丸めた紙を幾つも咲かせる
贅沢もゆるされる世界になり

植物から油を絞るように
あらゆる野蛮を絞りに絞って
ひとの連なる鎖をのぞきこんで
わたしが美しい
という言葉を学ぶのに
どれほどの夕暮れがあったのだろう
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アーモンドチョコレート

2018年03月01日 | 
誰か元気になる魔法の言葉をかけて
アーモンドチョコレートがとまりません

アーモンドは体にいい
という魔法でチョコレートを食べる技

カリッという
甘ーいがあって
後味が少し苦味もあるアーモンド
またチョコレートの味が欲しくなる
カリッという
甘ーいがあって
後味が少し苦味もあるアーモンド

誰か元気になる魔法の言葉をかけて
わたしに
だけどわたしは
アーモンドチョコレートを食べる
アーモンドにチョコレートをかける
魔法だなこれは
陽の当たる窓際のテーブルに座って

カリッという
甘ーいがあって
後味が少し苦味もあるアーモンド
またチョコレートの味が欲しくなる
カリッという
甘ーいがあって
後味が少し苦味もあるアーモンド
またチョコレートの味が欲しくなる

青空を見ながら
ひとり延々と繰り返している午後



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