詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

湯舟

2022年03月25日 | 
湯舟に浮かんでいるのは
それは湯舟に沈んでいた
沈んでいた

浴室の灯りあたたかいものに浸され揺れ
私の体を透過していた
私の体は半透明だった
重なっていた重ねていた

幼年期の思い出は
考えてみると
未来への予感が揺れていた
湯舟のような空に
沈んでいた
そのような景色に
私が浮かんでいた

求めるというよりは遠く
歩くというよりは眠る
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2022年3月5日の夢の話

2022年03月12日 | 雑記
今朝は6時に起きて二度寝をしたせいか、たくさんの夢を見た。見たことを、覚えている。
 
病院なのだろうか、学生であるらしい私は、本を持って、女友達と二人で歩いている。私は彼女に本の説明をしている。作家の○○先生にばったりお会いする。笑顔だけで挨拶を交わす。先生は、医者ということになっていて、その資格の更新講習(があることになっている)を受けるらしい。
友人と私が、病院の廊下にある、患者が診察を待つような横長のベンチに座っていると、その傍らの大きなスペースで、○○先生を含め、講習を受けている先生たちの、奇妙に激しい体操が始まっていた。
 
場面が変わり、実家のマンション。駐車場までのアプローチで、高校時代の友人とテニスをしている。すでに夜のような暗さで、飛んでいったボールが見えない。
テニスをやめて部屋に戻ろうというとき、鍵が落ちているのを見つける。拾い始めると、次々に鍵が見つかる。これは一体何だろうと思う。何か大切な意味を持っているように感じる。
 
いま書きながらふと思ったのだけれど、詩人とは、言葉を頼りにしながら、言葉を信用していない人たちなのかもしれないと思った。この字  を消す一瞬の間に、頭の中でいろんな考えがめぐった。重大、と書こうと思ったが、重大、という言葉では違うと思った。感覚はもっと違うものだった、と思った。

今井むつみさんの『ことばと思考』を思い出した。色の名前を少ししか持たない言語(色の名前を二つしか持たない言語もあるらしい!)の話者のほうが、色の名前を多く持つ言語の話者よりも、色の変化、微妙な相違に気付いた、という話。言葉がある(名付けられている)ことによって、その言葉によって表わされること、その周辺のものが、まとめてひとつの言葉の中に入れられてしまう。

今回はそもそも違う言葉のほうがよりふさわしかった、言葉の選択の失敗にすぎなかったけれど、そのような雑な扱いによって、体として感じているものが、その言葉が代表として表現するところに強引に組み込まれてしまう。

詩人をはじめ、言葉を大切にする、言葉によって自分の思うあらゆることを表現したいと願う人ほど、慎重に言葉を扱い、使い方を新たにさえして、その支配から逃れようとする。

ちなみに、さきほど書いていた夢も、本当はもっとたくさんの要素があって、夢を見ている私はたくさんのことを感じていた。さきほどの文では、かなりのものが抜け落ちてしまっていて、もはや瓦礫の山のようなものだ。
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