詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

夢のはなし

2021年12月09日 | 雑記
夢をほとんど見ないという人は、実は覚えていないだけなのだという。夢をほとんど見ないと言う人を、起きている時間が充実している人なのかも、と感じてしまうのは、自分が夢と親しい人間だからなのかもしれない。

先日の夜、布団で書きかけの詩を繕っていた。電気を消して、横になると、ある一文が浮かんだ。とても良いのではないか、と思った。忘れないように復唱した。夢うつつで。忘れないはずだと思った。闇の中に明らかに見えているもの。次の日、いま思えば案の定だ、思い出せなかった。「わたしの」の続きが思い出せなかった。感覚は残っているのに。

今朝はトイレに行きたいと思って起きたのが朝の5時半だった。それまで、夢を見ていた。倉庫のような場所で、最初は数匹の犬が出たり入ったりしているのを確認していた。それがいつのまにか家の中ということになっていて、犬が虎に代わっていた。襲われないように早く窓から外に出してしまおうと思うのだけれど、大きな虎がこちらに向かってくるので、私は恐怖を感じるが、虎はその大きな頭を擦り付けてじゃれてくる。いつ虎変、ならぬ豹変するかわからない。まずは刺激を与えないように白い喉元を撫でてやると、すばらしく柔らかい毛並みでこちらが頭を擦り付けたいくらいにふかふかしている。目が覚めて、気がついた。掛けている毛布とまったく同じ手触りだった。

ついさきほど、晩ごはんを食べているとき、なぜ虎の夢を見たのかが、唐突にわかった。なぜ虎の夢を見たのか、などということはもちろん、今朝の夢のことなどひとかけらも考えていなかったのに、突然、金庫のダイヤルが合った!みたいな感じで夢の扉が開き、ひらめいたのだ。昨夜は、寝る少し前まで、パソコンで年賀状のデザインを考えていたのだった。
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秋の陽の翌日

2021年12月05日 | 雑記
まだまだ続くと思ってページを空けておいたのに、あらためて時間をおいて読み直してみると、完結しているような気がしてしまうから奇妙だ。さらに書きたかったことはなんだったのだろう。

こうしてお気に入りのボールペンで文字を書くときに、ペンの先端に意識を向ける、紙とペンが接する先に意識を向けると書き心地が格段に良くなる。それはボールペンが変わるからではなく、自分の意識が変わるから、もっと言えば、意識を向ける先が変わることで、文字を書くときに力を入れる箇所が変わるからなのだと思う。

秋の陽の中を歩いていったとき(様々な斜辺をくぐり抜けたあとで)、この時間の美しさを言葉にするだけでは足りないのだと思った。充実した中身の伴った言葉が必要だと思った。
 
詩はそのものとして綾取りではだめなのだと思う。レースにうっとりしても、たとえばテーブルクロスの縁取りとか、衣服の裾の縁取りのように、主体となる1つの堅固な役割があってこそ、その装飾に技術を感じる。レースが、用の美を果たす。

詩は役割を求めるのに、もっともふさわしくないものかもしれないけれど、本当に美しさが輝くためには、覚めていなくてはいけない。

そういう確かなものを、少しつかめたように思ったのに、時間と共に消え失せた。それともはなからはかないものだったのかもしれない。

実態とは、またあいまいな言葉のようだけれど、詩の実体とは、書くべきものを、はっきりと掴んでいる、ということなのかもしれない。
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秋の陽

2021年12月01日 | 雑記
まだ15時過ぎだというのに、秋の陽は落ちるのが早く、方向を捉えてしまうと、まっすぐに飛んでくる光の矢に向かって前進するような歩みになってしまう。

交差点に出て、角度を開くと、黄金色に染めあげられた壁面や枝葉の間を、そしていっそう濃くなる影の間をゆっくりと、また違う種類の緩慢さで歩くことになる。

道は、太陽に向かって、分度器の役割を果たしている。まっすぐなものはもちろん、なぜか同じ景色に戻ってきてしまう魔をつくりだす曲線、であったりもしながら、先端をつなぎ続けて平面に起した蜂の巣状であることを思い出す。

首都高の下に入ると、まるで夜のようなのに、歩道橋の目隠し用のパネルが強い光をしっかりと受けとめて、受けとめきれずに、こちらへと、濃厚なオレンジ色を憧れのようにこぼしている。

まぶしさに思わず、一歩一歩あがっていく足元の階段へ目を落すと、秋の色見本のように赤や黄や茶、その中間色の葉っぱが散らばっている。

段の側面には苔の緑が繁茂していて、秋は言葉を綾取らずにはいられない詩のように、装飾されていると思う。
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